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お知らせとたわごと

アーカイブ(2009.05~2009.08)


2009.05.08

連休が終わり

いわゆる大型連休が終わりました. でも明日からまた土日で休みですから,昔の「飛び石連休」の感覚で言えば,まだ明後日まで連休とも言えます.

今回の連休,連休直前に津軽に桜を見に行った以外,巣籠り状態で過ごしました. 例年は茶摘みに駆り出されたり,観音霊場巡りもあったり,たいていどこかに車で出掛けていたのでした. しかし今年はあの素敵な政策のおかげで,まず,ETCは間に合わなかったし,間に合ったとしてもあの渋滞では....,結局,車で出掛けなくて正解でした.

出かける代わりに,レコード・プレーヤーを買って来ました. CDが普及して来てから,かれこれ20年かそれ以上,我が家にはレコード・プレーヤーというものが無く,LPたちはただ埃を被って書棚の一画を無駄に占めていただけでした.

LPを手当たり次第(無作為に),掛けてみました. 最初の一枚は,たまたまブラームスの交響曲でした. その後,ベートーヴェンとチャイコフスキーのピアノコンチェルト,スウィングル・シンガーズ(ジャズ・コーラス)のバッハ,パコ・デ・ルシアのフラメンコ,ミキス・テオドラキスのギター曲,五つの赤い風船や高田渡のフォーク,インドのシタール,カントリー&ウェスタン,もちろんフォルクローレ.....などなど. ジャンルは無茶苦茶です. 今晩はこれから,ツトム・ヤマシタのレッド・ブッダを聞こうかと思っています.

20年以上前と同じ音楽を聞いているのに,当時と今では,聞く態度が全然違うことに気付きました. 昔は,どの音楽に対しても,(全面的にかちょっとだけかの違いはあるものの)自分を演奏の側において聞いていたような気がします. 実際,たいていの曲・ジャンルは吹奏楽,マンドリン・オーケストラ,フォークギターの弾き語り,などなど,演奏してきたし,フォルクローレのグループで演奏たレパートリーは,これらのLPから耳コピしていたのでした. たとえばインドのシタールだって,フォークギターの調弦を工夫して真似したこともあります(これは本当にただの真似ごとですが).

でも今は,どれも,ただただひたすら聞く音楽として聞いているようです. なんだか,不思議な気分です. これが音楽を聞くということなのでしょうね. 音楽を聞くこと自体を楽しみにすることがやっと出来たのかも知れませんが,一方で,いまさらこんな音楽に挑戦する能力も時間も無いことを認識してしまったという意味では,ちょっと悲しい気もします.

20何年間眠っていたLPは,まだまだあります. 当分,LP三昧の日々が続きそうです.

因みに,大人の科学の付録のテルミンは,まだそのままです.


2009.05.18

逃避している場合ではないのですが

言ってみれば逃避行動,ということになるかも知れません. このところ,カラオケ作りばかりしていました. 作ったカラオケで,尺八を吹きまくっています(といっても,そんなに時間はありませんが). みかんの花咲く丘,北上夜曲,「いちご白書」をもう一度,こきりこ節,スカボロー・フェア..... ジャンルは無茶苦茶です. 総時間にすれば,「虚空」の演奏時間を充分に超えています. けれど,どうにも「虚空」の編曲の方は進みません.... と言うか,気が乗りません. スランプと言っていいのか,私の能力の限界ということなのか,まあちょっと,困った状態ではあるのです.

ところで,さっきテレビのニュースで,元はプロのバイオリニストだったというお年寄りの男性と,元はピアノの先生だったという女性のコンビで,老人施設などを昔の流行り歌などの演奏で慰問している,という話題がありました. お年寄りたちにとても好評だとのことでしたが,でも,大変失礼なことですが,プロのバイオリニストだった人のバイオリン,ピアノを教えていた人のピアノ伴奏,には聞こえませんでした. 歳をとるというのは,こういうことなのかな,と,思った次第です. 私もこのごろ,さっぱり歌が歌えなくなっているのです. 昔は,ステージでボーカルだって務めていたのでしたが. 先月,職場の宴会でカラオケがあり,何曲か歌うはめになったのですが,なぜだかピッチがとれず,とんでもない音痴な歌になってしまいました. 音痴になっていることはわかるのに,音が合わせられない!

自分でははっきりとは気づいていませんが,実は,私の尺八も,上達しきる前に,既に衰えて来ているのでしょうか. 早いところ,やるべきことをやってしまわなきゃあ,と,焦る心だけはまだ衰えないようです.


2009.06.01

更新情報

着物ちょっと話に,記事を一つ加えました.


2009.06.02

疲れた(^^;)

私事ですが .... 疲れたぁ(^^;) いえ,主に疲れたのは,心ではなくて身体ですから,ご心配なく.

まず,先週は北海道に一泊の出張がありまました. 仕事はどうってことはないのですが,私はカニが大の苦手で,食べるどころか,見るだけでゾッとします. 北海道(行ったのは小樽と札幌)は,どこに行ってもカニだらけ. 夕食を食べるのも大変です. 北海道には他にも美味しいものはいくらでもあるのに,なんで馬鹿の一つ覚えのように,カニばっかりなんでしょうか. なんだかすごく貧しいことのように思えてしまいます.

やっと見つけたカニ控え目な店に入り,イクラ丼を注文しました(魚卵は大好き). ところが,ふとメニューに「焼き筍」を見つけ,ついついお酒とともに注文しました. 旨い!  ついついついつい,「ホッケの刺身」(これも珍しい)とかいろいろ頼んで,結局,飲みすぎてしまいました.

ちなみに,「焼き筍」の竹は,北海道の「笹竹」だそうで,私は初めて見ました(たぶん). 親指より少し太い程度の,細い竹です.

出張から帰って一日出勤し,翌土曜日は早起きで浜松(静岡)まで行きました. 我が家の車にもやっとETCが付きました. 休日はETCがあれば高速はどこまで行っても千円ぽっきり ... と聞いていたつもりでしたのに,高速を降りる時に料金を見たら,千円じゃありませんでした. 後で調べたら,首都圏の分はその割引の対象外だとか. なんだか詐欺にあったような心持です.

浜松の田舎には私の実家の土地(家は無くなっていますが)があり,用務先に行く前にちょっと寄りました. そこには真竹の竹藪があり,筍が少し出始めたところでした(真竹の筍は梅雨の頃なので,まだもう少し先です). 筍を持って,用務先に行きました. 夜は,宴会になってしまいました. 採ってきた筍は醤油で煮たり,お茶の若葉と一緒にテンプラにしたり,そして北海道で食べた焼き筍を思い出して,細い筍は焼いてみたり .... 真竹は,孟宗や北海道で食べた笹竹に比べて,ずいぶんとアクがあります. でも私は,この苦さが,これはこれで好きです(もっとも,真竹は尺八にする竹ですから,あまり食べるとバチが当たりそうな気もします). で,結局この日も少々飲みすぎて,翌日(日曜日)の帰りはかなり辛い思いをしました. まあ,自業自得 ... もしかしたら,これがバチか?

さて勤務先では今週一週間,フォークリフトの運転実習です. フォークリフトを指導する資格どころか単なる運転すらできない私ですが,実習の手伝いには借り出されて,屋外で立ちっぱなしの一週間となります. これはけっこうキツイです. 去年,思いついて,虚無僧用の脚絆をしてみたら,結構良い具合でした. そこで今年は,最初から脚絆をしています. たぶん,ある程度の効果はあるんだと思います. 虚無僧の時は単なる格好だけの脚絆ですが,今週は実用です.

虚無僧と言えば,来月18日,浅草の観音裏通りで「浅草みちびき祭」というのがあるようです. 昨年は8月でしたが,今年は選挙の関係で,7月にやるようです. 昨年はこれに虚無僧姿で参加しましたが,今年も頼まれてしまいました. 虚無僧とは言っても,「イベント虚無僧」なので,イマイチ気乗りのしない部分もあるのですが,まあ,師匠からの依頼であることであり,参加することになりそうです. この件,詳しいことはまだ不明ですが,わかり次第,報告します.


2009.06.16

え~じゃないか

天からオタマジャクシが降るという珍現象がニュースになりました. これを聞いた時,すぐに,「伊勢のお札」を連想しました. 明治になってからは廃れたようですが,それまでは60年に一度「お蔭参り」というのが起こり,その時は伊勢のお札が天から降ったと言われます. 1830年がお蔭参りの年でしたから,来年2010年がそれから3度目のお蔭年ということになります.

という話を,先日の友人たちとの飲み会で得意げに披露しようとしたら,何を今さら,という顔で軽く受け流されてしまいました. とっくにそんな話はし飽きていたようです. 要するに,誰でもこのくらいのことは考えるんですね. そんなわけで,その飲み会では,これ以上の話にはなりませんでした.

でも,そのうちもっといろいろな所で同じようなことが起こるんではないかと思っていたら,案の定,最初の石川県の他,広島県でもオタマジャクシが降ったとか. これはどうも,お蔭参りより,「ええじゃないか」と比べた方がいいのではないかと思えてきました. 「ええじゃないか」は幕末(1867年)に起こったもので,お蔭参りとは違いますが,同様にお札が降ったということで,民衆が「ええじゃないか」と叫びながら踊り狂ったという社会現象です. これは幕末の大混乱の中で起こったことで,結局,明治維新という日本の社会体制の大変革につながりました.

ところで,その次の日本の社会体制の大変革は,幕末からおよそ70年後の,太平洋戦争と,その敗戦でした. この時は伊勢のお札は降りませんでしたが,赤紙が世に舞いました. 民衆は「ええじゃないか」の替わりに「バンザイ!バンザイ!」と叫びました.

さて,太平洋戦争からおよそ70年後(奇しくも!)の今,お札でも赤紙でもなく,オタマジャクシが降ってきます. 周りを見れば,経済はおかしい(「百年に一度」と言ってますが「70年に一度」では),政治もおかしい,行政までおかしい. 世の中みんなおかしいようです. 今こそ,「え~ぇじゃないか,えぇじゃないか!」と叫びながら踊り出したいような気分. さて,この日本の社会体制は変わるでしょうか.


2009.06.19

坐禅会

昨日は,久しぶりに法身寺(東京新宿,虚無僧研究会の本部でもあります)の坐禅会に行ってきました(インプラントのメンテナンスで早稲田に行ったついででもあります). 昨年までは月一回の坐禅会をほとんど休んだことはなかったのに,今年2月以来の,4ヶ月ぶりになってしまいました.

この坐禅会には十年ほど通ってきました(→最初の頃の記録)が,最近の短い間に様子がずいぶんと変わってしまったようです. かつては和尚様の他は二・三人程度の参加者しかいないことが多かったのに,2年ほど前から参加者が増え始め,昨夜は法身寺で用意している敷物が足りなくなるほどの盛況でした. 私の知らない参加者が大勢で,毎回,インターネットで見つけて新たに参加する人がいるようです. 昨夜も4,5人は初めて参加された方でした.

法身寺に行くようになるより前,もう十何年かも前になりますが,建長寺の土曜坐禅会にほぼ毎週通っていました. そこも,いつのころからか観光客のような参加者が増えてきて,ちょっと本気の坐禅はできなくなってしまいました. それで建長寺にはあまり行かなくなってしまったのですが,このままでは法身寺もそんな感じになってしまうのでしょうか. まあ,坐禅が終わってからみんなで尺八(「調子」一曲)を吹くのを見て,大抵の人は呆れて二度と来ないのですが.... それでもこれだけ増えてきたということは,逆に恐ろしい..... 世の中,やはり何かおかしくなっているのでしょうね.

坐禅が終わってお寺を出たのは,9時をちょっと回ったころでした. かつてのように酔禅をしたわけでもなく,そのまま帰ったのに,自宅についたら既に日付が変わっていました. それが何故かと言うと.....

まず,人身事故だそうで,乗ろうと思った東海道線が全面的にストップしてしまいました. 京浜東北も一緒に止まって,それらの客がみんなまとめて横須賀線に流れ込みました. 私もその一人です. 鮨詰め状態を我慢して,あと二駅で着く,という時に,今度は横須賀線がストップ. 線路に人が飛び込んだのだとか. 飛び込んだ人を保護し,安全の確認が終わるまで,鮨詰めの電車でじっと我慢. 本当に,たまったもんじゃないです. 坐禅よりずっと修行になります(私は腹を立ててしまったので,実は修行にはなりませんでした).

それにしても,人身「事故」とは言いますが,本当に偶然の事故なんでしょうか. 「人心」事故と言ったほうがいいのではないと思えてしまいます. 線路に飛び込んだのは,一人ではなくて二人だったとか. 偶然の事故というより故意(積極的か消極的かは別にして)によるものとしか思えません.

車内の人々のほとんどは仕事帰りで,疲れきっている様子. こんなことで日本は大丈夫なんだろうかと思ってしまいました. 今日のこの疲労は,明日の別の事故や経済的損失につながるんじゃないかと.....

こんな事故が頻発することやそんな事故ならなんやらでみんなが疲れていることと,坐禅会の妙な人気とは,何か関係があるのかも知れませんね.


2009.06.19

しょうぶ園

何年ぶりかで,横須賀のしょうぶ園に行ってみました. 花菖蒲も紫陽花も今年は例年より早かったそうで,そろそろ終わり頃でした. でも,雨の中でまだまだきれいでした.

本当は先週行きたかったのですが,いろいろ重なって,今日になってしまったのでした. しょうぶ園では,6月の毎日曜日,コンサートが聴けます. 初期のころから筝の馬場さんという方が中心になっていて,私の師匠・善養寺惠介師も昔(10年くらい前からしか知りませんが)はよく出演していました. 最近は忙しくなって,年に1度程度の出演で,先週がその日でした. 今日は馬場さんの筝に中国の古筝,それにパーカッションという組み合わせでした. なかなかいい演奏ではあったのですが,中国の木琴と筝2台(一つは中国の古筝)との合奏には少し違和感を感じました.


予定

少し前に書いた,7月19日の浅草みちびき祭りのことですが,少し具体的なことが分かりました. 昨年とはずいぶんスケジュールが異なり,まず,午後1時から4時までが見番2階の舞台でコンサート(芸者衆の踊りなどもあります),そして午後5時から練り,とのこと. 私は善養寺惠介社中のメンバーとして,コンサートと練りの両方に参加します. ただし,今年は善養寺師は別のコンサートが入っていて,参加しません. 師匠の代わりに私がまとめを仰せつかっているのですが,舞台での喋りもあるようで,ちょっとビビっています(^^;;) なお,詳しくはこちらのページをご覧下さい(http://www.michibiki-hana.com/).

もう一つ,これは少し先のことですが,12月20日に,国立劇場で福田栄香師50回忌・福田種彦師7回忌追善演奏会というのがあるそうです. ここに,昨年私が編曲した「虚鈴」をかけることになりそうです. その場合,演奏には私も参加することになります. 二度目の国立劇場です.

一方,そろそろ「虚空」の編曲をあげねばならないと焦っていたのですが,それを演奏するコンサートが秋ではなく,来年2月に延びたようです. 編曲の仕方を根本的に考え直したいと思っていたので,これ幸いと,いままでやった分は全部反故にしようと思います. .... で結局,間に合わなかったりして(^^;;)


2009.07.07

虚無僧装束

虚無僧の装束の調達の方法について,まとめてみました. 以前,同じことを別のサイトで公開していたのですが,いつのまにかそのデータも,そのページをご覧になった方からの質問やご意見なども,どこかに失ってしまったので,改めて書き下ろしました.

虚無僧の格好をする時,しばしばジレンマを感じます. 雲水さん同じ乞食行なのか,ただのパフォーマンスなのかと.... しかし,少なくとも,お金儲けでないことだけは確実です ... いくら頑張ったって,電車代にもなりません(^^;)


2009.07.08

尺八吹合せ会

尺八吹合せ会」という名前で,尺八教室もどきを始めて,来月でまる2年になります. 「吹合せ」というのは,虚無僧が各々の虚無僧寺でその寺の曲を口伝で覚えるための修行のことですから,そんな名前を使うのはおこがましいかとも思ったのですが,尺八教室と名乗る方がもっとおこがましく思えて,私も一緒に練習するという意味で,「吹合せ」としました. ポップスでもカラオケでもなんでもあり,というつもりで始めたのですが,気づいてみれば,ほとんど本曲ばかりを練習しています.

さてその会のスケジュールですが,メンバーも少し増えてきて,会場の予約も取りやすくなったので,日程を計画的に決めることにしました. 毎月,第2土曜日の午後,それから第4土曜日の翌日の日曜日(必ずしも第4日曜日ではありません)の午後,を原則として計画しようと思います. ただし,奇数月で,第4土曜日の翌日が第4日曜日だった場合は,午前中にさせていただきます. 実は,奇数月の第4日曜日の午後は,禅の方の師匠(形山睡峰老師)のお話を伺う会があるのです. 私にとっては禅と尺八は同列なので. また,その他の事情で,この通りいかないこともあります. たとえば,9月27日は(そもそも奇数月の第4日曜日ですが),虚無僧研究会の献奏会が京都で行われますので,この日は外して,23日(祝日)にします.

今は休日にしかできない吹合せ会ですが,あと3年半したら,平日でもできるようになるはずです. その日が待ち遠しくて堪りません. それまでに,もうちょっと尺八の腕と,尺八を教える腕が上がっていればいいのですが. .... いえ,そもそもそれまで尺八を吹き続けられる方が重要ですね (^^;)


2009.07.20

浅草みちびきまつり

浅草の観音裏で「みちびきまつり」があり,イベント虚無僧で参加してきました. 善養寺惠介社中ということですが,善養寺師匠は今回は別件があって,参加していません.

虚鈴に簡単な編曲を加えて,2声部にしました. 主旋律は虚鈴そのものですが,もう一方は片手で吹けるようにしました. 私はその片手で吹ける方のパートを,尺八の左手の孔をビニールテープで塞いで片手で演奏し,空いた左手は,数日前に買った持鈴を持って鳴らしてみました. 持鈴とは,密教でよく使う法具ですが,普化禅師が鳴らす鐸を小さくしたようなものですから,この曲にはぴったりです.

演奏は見番二階の舞台,という話でしたが,実際には見番前の通りでした. 結構賑やかなところなので,細やかな音色よりは,音量の方を優先することになりました. 演奏の間(タイミング)を合わせるのが目的だった持鈴ですが,むしろ賑やかしの効果の方が大きかったかも知れません.

1時半ころの演奏のほか,5時からのお練りにも参加して,行列の最後尾で,もう一度この虚鈴を吹きながら歩きました.

インターネットを検索すると,すでにいくつかのページに我々の姿が登場しています(^^;)

この写真,とても自分とは思えないほど格好よく写っているので,勝手に拝借してきました. でも,よく見ると,尺八から手を離しているのがなんだ異様ではありますね (^^;)



2009.07.24

温泉旅行

二泊三日の温泉旅行をして来ました.

22日は,早朝に家を出て,まずは四万温泉に行きました. 四万温泉の近くは何度も通っているのに,実際に行くのは今回が初めてです. まず,その一番奥にある薬師堂にいき,献笛をしました. その後,何ヶ所かの共同浴場の温泉を堪能しました. ただ,どうも四万温泉は温度が高いようで,山口温泉というところ(混浴)は,熱くてついに入れませんでした.

薬師堂の直ぐ下に,「御夢想の湯」という共同浴場がありました. ここにある説明によると,源頼光の家臣の日向守碓氷貞光の夢まくらの立った童子が,この四万の病脳を治す霊泉を教えたとのこと. それで「日向」「四万」という名前が ... まあ,伝説だそうですが. ところでこの「御夢想の湯」,うっかり「こむそうの湯」と読んでしまいそうです.

この22日は,日食でした. 日食を見るための何の準備もして行かなかったのですが,ちょうど日食のころは薄曇りで,雲を通して,裸眼で日食が(ぼんやりと)見られました.

万座温泉に2泊し,今日,湯の丸高原経由で帰って来ました. 湯の丸高原の地蔵峠には石の百体の観音様が祀られています. 観音様とその周りのきれいな季節の花たちに,何度も車を止めて,手を合せたり眺めたり写真を撮ったりで,なかなか大変な時間がかかってしまいました. 今回は,観音様にいちいち献笛するのはやめておきました. あの調子でいちいち献笛していたら,今日中には帰って来られなかったでしょうね.

この写真は,嬬恋村(群馬県)側の,百番の観音様です. この観音様もそうですが,どの観音様も,とても優しい穏やかなお顔でした.

以前から気になっていたことですが,長い年月の風雨に曝されてかなり古くなっている観音様と,まだしっかりしている観音様がいます. いずれ磨滅して,無くなってしまう観音様もいるだろうに .... このあたりのこと,今日,わかりました. 57番の観音様は,なんと,新しいのと古いのと,二体並んで祀られています. つまり,少しづつ代替わりしている,ということなんででしょうね.

万座に2泊する間に,明日の百錢会の浴衣会で吹く曲の練習をしようと思っていたのですが,結局,ほとんどできないままでした. 暗譜するつもりだったのですが,どうもイマイチ .... さて,明日はどうなることやら.



2009.08.11

夏休み

私の勤務先は一応,学校ですから,夏休みがあります. ただし休みになるのは学生だけで,我々は休むとしたら有給休暇などを使って休むわけです. でも,学生がいなくて授業がないわけで,自由に休みがとれますから,まあ,夏休みの有難味はあります.

今年はなんだかんだでなかなか夏休みモードに入れないまま,気づいてみれば,来週の月曜日からは授業が始まってしまいます. 梅雨明け宣言がないまま,夏が終わってしまうような気分です.

8日(土)~10日(月)で浜松方面に行ってきました. 浜名湖(猪鼻湖)の畔に宿をとって,少しは観光もして来ました. 9日(日)は,龍潭寺りょうたんじに行き,本堂で献笛させていただきました. 断られるのを覚悟でお願いしてみたところ,案の定,少々迷惑そうな対応でしたが,それでも短い時間なら,ということで許可を頂きました. 御本尊は虚空蔵菩薩でしたので,もちろん「虚空」を吹きました. 吹き終わると,さっきとは随分と対応が変わっていました. 後で抹茶を頂いたのですが,庭園のよく見える書院の,一番良い席の隣の席に案内されました. 一番眺めの良い席は,井伊の殿様専用の席ですから,それ以外では一番良い席ということになります(この寺は,後に彦根藩主となる井伊家の菩提寺です).

10日に寄った家内の親戚の家で「泊まって行ったら」というお誘いがありました. しかし,台風も心配だし,仕事もあるからと,さっさと帰ってきたのですが,もしもう一泊していたら,えらい目に遭うところでした. いつものように渋滞回避の朝駆けをしていたら,東名の上であの地震に遭ったかも知れません. こういう時,「観音様の御加護」などと言いたくなるのですが,龍潭寺のご本尊は虚空蔵菩薩です. .... 実はその前日,私の実家の菩提寺の本堂で本尊の十一面観音菩薩に,しっかり献笛してあったのでした(お布施も ^^;)


2009.08.13

京都・明暗寺

9月27日(日)は,京都の明暗寺(みょうあんじ)で,虚無僧研究会の献奏会があります. 昨年は別の演奏会と重なって参加できませんでしたが,今年は参加します. 何しろ,明暗寺ですから.

私同様,明暗寺だから参加しようという方は多いようで,想定していた献奏曲数40曲を遙かに超える60曲の申し込みがあったとか. 1曲10分として,10時間もかかります.

10時半開奏の予定を9時開奏とし,近くの人や前日泊の人から先にするようです. 私も前日泊ですので,早い出番となりそうです.

宿は宿坊にしました. 宿坊では朝のお勤めに参加できます(あるいは強制参加). で,本番のリハーサルを兼ねて,ついでにそこの御本尊に献笛をさせていただこうなどと,虫の良いことを考えたのでした. まずは,東福寺(明暗寺は東福寺の塔頭です)のすぐ裏手にある悲田院に連絡すると,人手不足で宿坊をやめたとか. 次に妙心寺の大心院に当たったら,ちょうどその日は本山の行事で満室とのこと. 結局,智積院会館にしました. 智積院は真言宗智山派の総本山です. あまり宿坊らしからぬところですが,東福寺までは徒歩15分程度. また,明暗寺はかつては三十三間堂の近くにあったそうですから,智積院からも近かったはずです.

献奏曲は,このところしばしば吹いている虚空(普大寺伝)としました. 今年中に編曲をしたいと思っている虚空ですが,なかなかうまくいきません(というか,気が乗らず,放り出しています). それで,まずは自分が吹き込んでしまわなくては,ということで,これを選んでみました. 献奏会が終わったら,今度こそ編曲に取りかからねば,と思っています.


2009.08.18

奉納演芸会

昨年,近くの神明社の秋祭りの奉納演芸会なるものに出演してみました. 演奏したのは,南米のフォルクローレですが,尺八も使ってみました. まあまあの出来だったと思います.

先日,隣近所(町内会)の飲み会をした時,昨年の奉納演芸会の話題が出ました. 酔った勢いで,周りにいる人に,今年は一緒にやろうと(強引に?)誘ったところ,酔った勢いで話がまとまってしまいました. そんなわけで,今年は5人で演奏することになりました.

内容はやはりフォルクローレで,コンドルは飛んで行く,花祭り,そしてランバダの原曲の Llorando se fue (泣きながら)を考えています. しかし .... なにしろ加わるのが,ジャズバンドのパーカッションとロックのギター弾きで,昨年も一緒にやったとは言えうちのカミさんはまるで素人ですし,いったいどういう演奏になるのか,ワクワク,ハラハラ,ドキドキという感じです. 今度の日曜日に,初めて合わせてみることになっています.

今年の奉納演芸会は9月19日(土)です. その1週間後の27日(日)は,京都・明暗寺で虚無僧研究会の献奏会ですから,そっちの練習もしないとまずいです. でもまあ,神明社は度胸づけ,ということで ....(^^;)

私はかなりひどいあがり症で,献奏会などではいつも上がってしまいます. しかしなぜか,フォルクローレではほとんどあがりませんでした. 大勢で演奏するから? いえ,その前にやっていた吹奏楽やマンドリン・オーケストラでも,メチャメチャに上がっていました. 不思議です.


2009.08.20

LP

たまたま,妙なもの(というか,恥ずかしいもの)を見つけてしまいました. 売りに出ている中古LP,というだけのことですが, 「フォルクローレ・コンサート’81 アンデスのこだま インディオのこころ」 というものです. このコンサートには,実は私のグループ「ロス・パコス」が出ています. ただし,私はこの時は1曲も笛は吹いていません(ギターを担当しています). 恥ずかしい,と言いながら紹介するのは,なかなか無恥ですね ^^;)

ここの フォルクローレ関係のLPのリスト を見ると,私がいまだに持っているもの,持っていたけど無くなったもの,持っていなかったけど借りて聞いたもの,など,ボリビア版の懐かしいLPがたくさん並んでいます. きっと私と同じころにフォルクローレをやっていた人が手放したんでしょうね. どんな気持ちで手放したのか,気になります. 飽きちゃったのか(それにしては随分時間が経っています),ディジタル・データにコピーでもしてしまったのか,まさか,お亡くなりになったとか ....

いずれにしても,時の流れ .... でしょうか.


2009.08.22

ネット

横浜に買い物に行きました. 欲しかったものは,

です. ところが,望むものが見事に全部見つかりません. ヤマハでは,ギロもマラカスも3500円くらいはします. 輸入民族楽器なら2000円台であると思うのですが. CD はネットで検索して,存在することを確かめています. 要するに,何でもかんでも,ネットで探してネットで買うしかない,ということなのでしょうか.

別件ですが,KJARKASというボリビアのグループの"Llorando se fue"という曲の歌詞を探しました. 私自身は,20年以上も歌ったことはないのに,身体が覚えていて,なんとなく歌えます. しかし,細かいところはどうもあやふやだし,きっと訛っていると思います(何しろ単語の意味も忘れてしまっているくらいですから). そこで,ネットでさがしたわけです. 意外とヒットが少ないのですが,それでも3件は見つけました. ところが呆れます. 3件が見事に互いに異なっているのです. 綴りミス,1番と2番の混乱,などなど. CD から聞こえる歌詞(スペイン語はそんなに私は聞き取れません),私の曖昧な記憶,それとネットで見つけた3件の歌詞を総合して,推定しました. (音域が合えば,ですが)この歌詞で,今度の神明社で歌ってみます (^^;)

Llorando Se Fue

	Llorando se fue
	Y me dejo solo sin su amor. (繰り返し)

	Solo estara recordando este amor
	Que el tiempo no puede borrar. (繰り返し)


	La recuerdo hoy
	Y en mi pecho no existe el rencor. (繰り返し)

	Llorando estara recordando el amor
	Que un dia no supo cuidar. (繰り返し)

その昔「インターネットの布教師」の片割れであった私ですが,今となってはネットに頼らねばならないのはウンザリです. ネット上の情報なんて,怪しげなものばかりだし. もちろん,私のページだっていい加減なものです (^^;;)


2009.08.25

呼吸法と血圧

何年か前から血圧が高くなってきて,1年半前からは薬を飲んでいます. そして,1年前に家庭用血圧計を買い,毎朝血圧を計って観察しています. 私の場合,塩分がかなり影響するようで,できるだけ塩分は控えています. しっかり塩分を控えていると血圧が下がってきますが,ちょっと気を抜くとすぐに上がります. 血圧計のおかげでこんなことがわかり,薬のせいもあって,だいぶん改善されては来たようです.

ところで血圧は,計るたびにずいぶんと変動します. こんなに変動して,根拠のある「計測法」と言えるのだろうかとさえ思ってしまいます. 仕方がないので,毎回,5回計って,一番高いのと一番低いのを除いた3回の平均を記録としています. 例えば上の血圧が 150mmHg 超から 130mmHg 未満までバラついて,中央3回の平均で 140mmHg などということになります. 医療機関で計るともっとバラつきは大きくて,170mmHg の日もあれば 120mmHg の日もありました.

それにしても,どうしてこんなにもバラつくのでしょう. 呼吸の仕方と血圧の関係を実験してみました.

まず,医療機関でも指示されることですが,深呼吸をすると,確かにその後で計る血圧は下がります. しかし,いつも深呼吸をしているわけにはいかないし,実際,深呼吸を立て続けにしながら測定したら,これはこれでデタラメな値になりました.

そこで,腹式呼吸を試してみました. 私は日常,胸式呼吸ではなく,腹式呼吸をしています. しかし,坐禅や尺八を吹く時のような強い腹式呼吸ではなく,軽い腹式呼吸です. つまり,息をする時,胸はほとんど動かず,吸う時は腹が膨らみ,吐く時にへこむ,という呼吸です. 一方,坐禅や尺八を吹く時の呼吸は,息を吐く時は腹に力が入って,むしろ腹は膨らみます. 息を腹に圧し付け,まるで丹田から勢いよく漏れ出た空気がパイプを通って口から出るような気持ちです.

さて,坐禅は心が落ち着きリラックスでき,したがって血圧も下がる,というイメージがあります. そこで,坐禅や尺八を吹く時のような,丹田呼吸をしながら,血圧を計ってみました. ところがこれでは血圧はほとんど下がりませんでした. 考えてみれば,武道家の呼吸,たとえば空手家が瓦を割る時にする呼吸も,この丹田呼吸なのですから,これでリラックスして力が抜けては駄目ですね. 坐禅だって,ボーッと坐っていて心を落ち着かせるなどという生易しいものではなくて,実は格闘している(たぶん,自分と)ようなものです. だから,真冬でも一生懸命坐っていると,少なくとも坐っている間は,ちっとも寒くないどころか身体がポカポカしてきます.

実は,この丹田呼吸は「逆腹式呼吸」とも言われているようです. 「逆」ではない腹式呼吸は,息を吐く時には腹をへこませる,日常にしている腹式呼吸です. そこで,胸はいつもの呼吸より大きく膨らませ,胸はそのままにして,腹だけで呼吸をしながら血圧を計ってみました. すると,上の血圧が 10mmHg かそれ以上も下がることがわかりました.

深呼吸の後で血圧が下がること,胸を膨らませたままの腹式呼吸で血圧が下がること,を考え合わせると,もしかすると胸を開くことが血圧を下げることになるのかも知れません.

なお,この文章を書いていて,以前に書いた腹式呼吸についての文章を思い出して読みなおしてみたら,間違いがありました. 坐禅の時の呼吸は,自分のしていることをよく観察してみると順腹式呼吸ではなく,ここに書いた通り,逆腹式呼吸です. 坐禅に関する,大変な誤解です.


2009.08.27

尺八は鐸 = 打楽器だ

尺八の起源は,臨済録にも登場する普化禅師の振っていた「鐸」だということになっています. 鐸とは,「銅鐸」の「鐸」で,金属製の大型の鈴(スズではなく,レイ.風鈴に似た形)のようなもので,振って音を出します.

先日,浅草のみちびき祭りでイベント虚無僧をするために,「持鈴」を買いました. 持鈴(ジレイ)とは,密教などで使う仏具ですが,ちょうど,小さめの鐸のようなものです. これが実にいい音で鳴るのです. 澄んで,小さいけれど遠くまでよく響く,余韻のある音です. 普化禅師の鐸は,もっといい音だったのでしょう.

さて,いつも市中で鐸を振っている普化禅師に弟子入りを申し出て断られた張伯という人が,仕方がないので笛で普化の鐸の音を真似たのが,我々の「普化尺八」の始まりとされています. まるでお伽話のようですが,たぶん本当にお伽話でしょう. しかし,いくらお伽話としたって,鐸の音を笛で代用するというのは,ちょっと無理があると思っていました.

ところで,尺八を,小さいけれど芯のあるしっかりした息で吹いていると,指孔を開閉する時,打音とその余韻のような音が聞こえることに気付きました. 自分が吹いている時は気づき難くても,録音して聞いてみるとよくわかります. まるで,あの持鈴が遠くで鳴っているような音なのです. これに気付いた時,「なるほど,尺八は鐸であったのか」と合点が行きました.

尺八が鐸であるなら,吹き方もそれを考えた工夫をしてみる価値がありそうです. 鐸というよりもっと大きい「梵鐘」をイメージしてみます.

梵鐘の音には,鐘を突く時の雑音を含んだ音と,その後の澄んだ余韻とがあります. これは小さなお鈴(リン)でも同じことです. 鐸は振って音を出すので,難しいのですが,出てくる音は同じことです.

尺八の場合,発音時が突いた音,その後がすべて余韻,ということではありません. 梵鐘の余韻を聞いていると,時間とともに変化しています. 余韻の変化は尺八では旋律の要素でしょう. 大まかに言えば,幹音(メリの無い音)の発音は突く音,幹音も伸ばしていれば次第に余韻に移り,メリ音は最初から余韻と思っておいて良さそうです.

梵鐘を良い音で鳴らすには,むやみな力任せで突くのではなく,橦木を打ち付ける一瞬,その一瞬だけに,下っ腹の丹田にしっかり力(というか,気合い)を込めなくてはなりません. 空手の拳を突き出すような,居合で刀を振るような,そんな力の入れ方でしょうか. これは,尺八の旋律で言えば「ツレ――」のような部分です. この音を出す時は,鐘を突く時や,空手・居合と同じように,腹の力で打つように吹きます. 音を出す瞬間,体中の息を丹田から外に叩き出すような力(下向きの力)を込めます.

一方,たとえば,「ツレ――」に続く「チ―ゝ―ウ――」のような部分は余韻と見ることができます. 余韻の時は,鐘から跳ね返って来た橦木を後方に留めるような気持で,下向きだった腹の力を上向きを変えます. すると,腹はへこみ,胸が膨れます. この時,胸式呼吸のように見えますが,あくまでも腹式呼吸であり,力の制御は腹で行うことを忘れないで下さい.

この,腹の力の向きの反転を徐々に行えば,自然な楔吹き(デクレッシェンド)ができます.

息継ぎの後のフレーズの先頭が,突く音ではなく,いきなり余韻である場合もあります. たとえば「ツロ――」の「ツ」のような音です. この時は,最初から腹の力を上向きにするのではなく,一旦下向きの力をしっかり丹田に加えてから,おもむろに上向きの力に変え,それから音を出します. 力の向きを下から上に変えたことで,息が上から浸みだして来て,音になる,というような気持です. 音を出す前に本当に息が出はじめていてもいいと思います.

私は最近,例えば「ツレ――」を吹く時は,橦木=尺八で鐘を突くイメージで発音しています. いえ,イメージどころか,僅かにですが,本当に尺八を前方に突き出しているようです.

どんな曲でもこのような梵鐘のイメージで尺八を吹くのがいいかどうかは分かりませんが,少なくとも普大寺の「虚空」のような曲には適していると思います.


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