今年の気候はなんだか妙な具合でした. 梅雨明けもよくわかりませんでしたし,数日前には寒い日もありました. それなのに,8月末に我が家にやってきたメダカ(5匹)たちは妙に元気で,毎日のように卵を産み,いつのまにか子メダカが9匹増えています. 元気な小さな魚たちに,なんとなく癒されているこのごろです.
このページの今年になってからの分を,4月までと5~8月に分けてアーカイブしました.
私の師匠である善養寺惠介のリサイタル「虚無尺八」があります. 10月19日(月)午後7時開演で,場所はトッパンホール(最寄駅は飯田橋)です.
初参加の昨年に続き,2度目の文化庁芸術祭参加公演です. 昨年は,筝や三味線も交えて,古典本曲の構造・精神を拡大したとも言える演奏で,いきなり芸術祭賞新人賞を受賞しました. 今回はこれまでやってきた「虚無尺八」ということです. 詳しくはこちらへ. なお,前売り券は,私に言っていただけたら,ご用意できると思います.
9月27日に京都の明暗寺(東福寺の塔頭)で行われる虚無僧研究会の献奏会のプログラムが届きました. 私の出番は,7番め,だそうです. 全部で55曲,参加者はざっとみて120名くらいでしょうか. 果たしてあの明暗寺に全員入れるのか,心配になります ....
今回私は,普大寺伝の虚空で申し込んでいますが,どういうわけか虚空の献奏が私も含めて7曲,そのうち普大寺伝と書いてあるものが4曲あります. 最初の2曲が虚空で,最後も虚空です. 大阪の志村禅保さんも(示し合わせたわけでもないのに),やはり虚空. なんだか,すごくやりにくい感じです (^^;)
水槽の中の子メダカ,いつのまにか15匹(確認しただけで)になっています. 子メダカを見ていると,親メダカがまるでクジラのように大きく見えるから不思議です.
今度の土曜日(19日)は,近くの神社の例大祭で,その奉納演芸大会に出演します. 昨年に続いての出演ですが,今年はいわば「町内会バンド」となりました. 我が家の他,ご近所の方が入ってくれて,5人になりました. グループ名も,「ロス・ヨンクミ」 .... 要するに町内会の4組なのです(なお,命名は私ではありませんので,念のため). 昨年と同じくフォルクローレを演奏しますが,ケーナ&サンポーニャ,チャランゴ,ギター,ボンボ,チャフチャス,と,オーソドックスなフォルクローレ・コンフントになりました. 演奏曲目は,コンドルは飛んでいく,泣きながら(ランバダの原曲),花祭り,と,オーソドックスな曲を集めました. 私の担当楽器ですが,今年は尺八を使うのはやめて,チャランゴに専念します. それと,ボーカル.
昨日,やっと全員そろって練習しましたが,まあまあ,なんとかなる出来です. フォルクローレなんて聞いたこともないという人もいるのに,よくまとまったものだと思います. ロックのベースを担当していたという人のギターは,なかなか味が出てきました. 次は本番ですが,楽しみです.
それはさておき,なんとも悲しいのが私の喉の衰えです. ボーカルもかなり酷いのですが,掛け声が出なくなっています. 一生懸命,のど飴をなめているのですが,駄目です. 加齢,と言われたらそれまでのことですが .... (; ;)
なお,会場は,横浜市港南区下永谷2丁目の下永谷神明社,我々の出演は17時55分から18時10分の予定ですが,そうそう時間通りにはいかないでしょう. 台風が,ちょっと心配です.
近くの神明社の,「町内会バンド」の出番が終わりました. 昨年は3人だけの「家族内バンド」で,楽器バランスにもかなり無理がありましたが,今年は5人になって,なかなかの演奏ができました. 評判もかなり良かったようで,ホッとしています. 一月後の別の出番が回ってくるような話しも聞こえています.
このところ喉の調子が悪くて,ボーカルと掛け声が一番の心配の種でしたが,なぜか本番になると声が出ました. さすがです(^^;;) のど飴をなめまくり,マスクをして過ごした成果でしょうか.
さて,次は,ちょうど1週間後の,明暗寺での献奏会です. 宿も予約し,新幹線の座席指定もとったし,あとは行って吹くだけ,なのですが .... しばらく,長管はもちろん,尺八をほとんど吹いていません. たまに音は出しても,今度吹く曲はまったく練習していません. 実は昨夜の私の担当は,チャランゴ,ボーカル,掛け声に加えて,二重奏のケーナの一方も担当したのでした. ケーナから2尺6寸の長管に身体の感覚を戻し,派手なフォルクローレから虚無僧の本曲に感性を戻すのは,少々大変です.
もう一つ新たな心配事が .... . 喉の調子が悪かった原因の一つは,加齢です. 喉の問題は昨夜で一段落ですが,このところ,膝が痛くて困っています. 家の中の階段の上り下りにもちょっとした痛みを感じますが,坐禅の結跏趺坐が辛くなりました. 長時間の正座は,もちろん辛いです. 正座が出来なくなったら,少なくとも献奏会みたいなところには出にくくなります. 来週の本曲1曲吹く間くらいはもつでしょうが,これから先,学習・練習・訓練・修行で前に進むことより,加齢との戦いが大切になってくるのでしょうね.
吹合せの会場,ときどき和室しか取れないことがあります. 吹合せに来る方も正座は辛そうです. しかし,尺八を吹くのに胡坐は駄目です. 正座か立つか,あるいは椅子に腰かけて,とにかく身体をまっすぐにできる姿勢でなければいけません. 坐禅の結跏趺坐も,慣れていればうまくいきます. どうしても胡坐にするなら,お尻の下に座布団を半分に折ったものなどを敷いてお尻を高くするなどの工夫をすれば,うまく行くかも知れません. 今後,和室で吹合せする場合は,椅子を用意することにしようと思います(実は,隣の部屋に低い椅子が用意されているのを発見しました).
本曲は,暗譜で吹くに限ります. 譜面を追いかけながらの演奏は,とりあえずの演奏にはなっても,心はこもりません. そもそも本曲の楽譜は,西洋音楽の五線譜とは比べ物にならないほどの「備忘録」でしかありません.
4日後の虚無僧研究会の献奏会で吹く「虚空」を,何度か録音しながら暗譜で吹いてみました. 驚いたことに,何度吹いても,どこか一か所,必ず間違えるのです. かなり長い曲なので,もちろん暗譜するのはそんなに簡単な曲ではないのですが,今年の夏前には完全に暗譜できていました. 7月から8月にかけて,いろいろな所で何度か吹きましたが,もちろん暗譜でした. それなのに .....
私は,暗譜するのに,ドレミの階名唱にように,ロツレで歌いながら覚えます. 慣れれば,実際に声に出さなくても大丈夫です. これは,暗譜するのにはいい方法だと思います. で,暗譜してしまえば,まるで鼻歌のようになってしまいます. しかし,これがいけなかったようです. 十分以上もかかる曲を,全曲通して鼻歌するわけにはいきません. あっちこっち,気の向いたところをつまみ食いで口ずさむことになります. ですから,旋律があっちに飛んでこっちに飛んでも,一向に構わない. そんなことを2ヶ月も繰り返しているうちに,記憶がいい加減になってしまったようです.
ロツレ(唱歌)で暗譜するのはいい方法ですが,あまり軽い気持ちで口ずさみ続けるのは,場合によっては逆効果になることもあるようです.
9月27日,京都の
今回は,去年の暮れから編曲で頭を悩ませている普大寺伝の「虚空」を吹くことにしたのですが,どうもうまく吹けず,間違える(暗譜なので)ことも多く,心配を抱えたままの出発でした. でも,結果としては,まあまあの出来だったと思っています. 京都に着いてからも,鴨川の畔でずいぶん練習したんですよ(^^;)
京都には前日から行き,智積院の宿坊に宿をとりました. 朝は5時起きで,勤行に参加しましたが,これがとても気持ち良く,よい経験になりました. 真言宗の読経(声明)はまるで音楽のようで,グレゴリオ聖歌を聴いているようでもありました. 禅宗とはまるで違います. 真言宗の声明はコンサートホールで聞けることもありますが,これが本当の本物です.
勤行の後は庭園や国宝の障壁画などを見せていただき,その後の朝食は,空腹も手伝ってか,実においしかったです. 朝食は精進料理ではありませんでしたが,前夜は精進料理の夕食をいただきました. ちょっと見にはなんだか物足りないような気がしたのですが,実際にいただくと,分量も十分で,もちろんおいしくて,満足させていただきました.
さすがにお寺の宿坊なので,同宿者に嫌な思いはほとんどしませんでしたが,それでもいくつか,ちょっとね,と思うことはありました. 夕食の食事を食べ散らかして,ずいぶん残していた若いカップル; 浴槽の脇で立ったままシャンプーしてシャワーをして浴槽まで泡を飛ばす外国人; 朝の勤行の集合時刻になかなか集まらず,遅れてくる人; トイレのスリッパを脱ぎ散らかす人 .... 他人の事ばかり言っていますが,私にも至らぬところはあったかも知れません. とにかく,せっかくの宿坊なのですから,心を込めて泊まりたいものです. 係りの方々(お坊さんたち)は,実に対応もよく,気持ちよく過ごさせていただきました. 真言宗のうち智山派のお寺はどこに行っても嫌な気持ちを抱いたことはないのですが,なるほど総本山がこういう雰囲気だからか,と,納得したのでした.
智積院では,前日に,本堂と明王殿とで献奏もさせていただきました. 明王殿では「調子」を吹きましたが,金堂では,翌日の虚無研の予行も兼ねて,「虚空」を吹きました. しかし,静かな「敬虔な宗教的雰囲気」の本堂で,心をこめて献奏するのに,どうも「虚空」は適しません. 意気込んで吹き始めたのですが,パフォーマンスじみた演奏が周囲の雰囲気に合わない気がして来て,次第に吹き続けるのが辛くなってしまいました. そもそも,予行演習なんぞという善からぬ思いがあったのもいけなかったのでしょう. でもやはり,こういう場で吹くには,「調子」や「虚鈴」,あるいは「布袋軒三谷」のような,少なくとも静かに始まる曲に限ります.
しかし一方,献奏会では仏様だけではなく人も聞いているわけで,その時はあまり一本調子なだけの演奏は,もしかしたら仏様だって飽きてしまわないでしょうか. 私の「虚空」は少々パフォーマンス的になりすぎたかも知れません. けれど,人も聞いている場ですから,それでよかったかと思います. 今回の虚空の演奏の工夫については別にまとめますが,要点だけ言えば「強弱 = メリハリ」の工夫です.
ところで,私のパフォーマンスのような献奏も上述の意味では問題かも知れませんが,他の参加者も仏前だということをあまり意識していない,ただの尺八吹きの我儘な道楽者の集まりみたいなところもありました. その一つ,「役員控室」のやかましいこと. 世間話の大きな声は,献奏している近くまで聞こえていました. お昼の弁当は「うなぎ弁当」でしたが,お寺で食べるには生臭いのではないでしょうか. 「役員控室」の中はウナギの臭いと世間話が充満して,私の「パフォーマンス虚空」の百倍くらいは「敬虔な宗教的雰囲気」から遠かったように思います. 吹いていない時の参加者たちの心は,いったいどこにあったのかと思ってしまいます.
今回の私の献奏,比較的上がらずに吹くことができました. 最初に少々音が出なくて焦った部分はありましたが,全体としてはまあまあだったと思います (難を言えばきりがない .... のですが,録音していたわけではないので,みんな忘れ (^^;) ました). 編曲のことが頭から離れなかったので,構成のことはそれなりによく考えた結果だったでしょう. それに,朝5時起きで参加した勤行の感動が薄れる前の順番だったことも幸いだったかも知れません.
今回工夫した点をまとめておきます.
頼まれていた3曲の手付けと,カラオケ作りをしました. 曲は,箱崎伸一郎の「抱擁」,石原裕次郎の「ブランデー・グラス」,それにアメイジング・グレイスです. 「抱擁」と「ブランデー・グラス」は,私のよくは知らない曲でした. クラシック以外では,フォークからフォルクローレばかり聞いていた時代の曲です. 知らない曲のアレンジは,結構大変です. しかし,便利な世の中ですね. YouTube なんてものを見れば,たいていの曲は聞けます. どちらも YouTube を参考に,アレンジしました. ただしアメイジング・グレイスは,筝だけの伴奏にしてみました.
しかし,尺八で石原裕次郎の曲を吹くのは,どうもイマイチ感じがでませんね. できるだけ低い音域で手付けしたいのですが,厄介な指遣いがあまり増えると,そもそも旋律が吹きにくくなってしまいます. 1尺8寸管ではなく,長管で吹けば,まあちょっとはマシにはなりますが.
石原裕次郎でなくても,アメイジング・グレイスだって,やはり低い音域で吹いた方が気持がいいですね. 幸いこの曲は,いくつものキーでの手付けが可能です. 高音でガムシャラに音を出すより,乙音でしっかり鳴らした方がずっと迫力も出ます.
3年前,国立劇場の舞台で,尺八を吹きました(曲は宮城道雄の編曲八千代獅子). その他大勢の一人とは言え,私ごときが国立劇場の舞台に出るなんて,一生に二度とはないことだと思っていました. ところが,また,国立劇場がやってきました. 今年の12月20日です. 善養寺惠介社中による合奏の一人ですが,演奏するのは,私の編曲した曲(普大寺伝 虚鈴)です. 今度こそ,一生に二度とはないことだろうと思います.
それとは別に,毎回出演している「三曲歌ざんまい」のスケジュールも突然に決まり,同じ曲,同じメンバーで出演することになりました. こちらは年が明けてすぐの,1月9日です.
近づいたら,詳細などを紹介しようと思いますが,とりあえず下記の通りです. お時間がありましたら,おいでください.
そうそう,そんなわけで,次の「三曲歌ざんまい」に向けて編曲をしなくてはならなかった「普大寺伝 虚空」ですが,一年先送りできることになりました (^^;)
「虚無僧」について,大変な(虚無僧にとって大変な)誤解をなさっている方がしばしばいらっしゃいます. 立派な衣を着てお寺にいらっしゃるご住職のようなお坊さんではなくて,街頭や戸口に立って托鉢している僧を,「虚無僧」と呼ぶ人がいます. 「(鎌倉の)建長寺や円覚寺から虚無僧が来た」というような言い方を見かけたりします. 果ては,駅前でお椀を片手にもごもご言いながら立っている,坊さんの姿をした怪しげな人まで「虚無僧」と呼ばれたりします. それみんな,たぶん,虚無僧ではありません. 駅前の怪しげな人は,そもそも「僧」ですらないかも知れません(よく見ると袈裟をしていなかったりします).
虚無僧は,普化宗という宗派に属する半聖半俗の僧です. 臨済宗や曹洞宗と同じく禅宗ではありますが,別です. 臨済宗や曹洞宗の修行僧(雲水といいます)は,修行の一環で,托鉢に回ります. 禅宗以外の宗派でも,托鉢をすることはあります. そして,虚無僧も托鉢をします. しかし,虚無僧が他の宗派の托鉢僧と違うことは,尺八を吹きながら托鉢をすることです. というより,尺八を吹かなければ,虚無僧ではありません. 普化宗の宗義では,尺八を吹くことが修行です. そのかわり,お経は上げないし,坐禅修行もしません. 虚無僧にとっては,尺八がお経であり,坐禅でもあるわけです.
虚無僧は「半聖半俗」と上に書きましたが,それは,尺八がお経であるだけでなく,ある意味では芸能でもある,ということです. つまり,修行としての「托鉢」であると同時に「門付け」でもあるわけです.
虚無僧と,他宗の托鉢僧を見分けるもう一つの違いは,被っている笠です. 虚無僧は,普通の編み笠よりももっと深い,籠のような笠(天蓋といいます)を被ります. ただし,もちろん虚無僧だってお寺の中にいる時は,天蓋なんか被っていません. 普通の姿で,本堂で,仏前で,尺八を吹きます.
現在,本当の虚無僧はいない,と言っていいと思います. もともと虚無僧は半聖半俗なのですが,現在,ときどきいる虚無僧は,半分虚無僧,半分普通の人,です. したがって,1/4聖・3/4俗,とか,1/8聖・7/8俗あたりでしょうか. しかし,ほんのわずかであっても,「聖」の部分がなかったら,インチキ虚無僧です. それは見ただけではわかりませんが.
先日(8日・日曜日),横浜能楽堂で,狂言の「文蔵」と「濯ぎ川」を見てきました. 「文蔵」は,「温糟粥」(うんぞうがゆ)という言葉を忘れた太郎冠者が,それを思い出すために主人に「石橋山の合戦」を語らせて,登場人物の名前「文蔵」(ぶんぞう)で思い出す,というお話し. でも,「石橋山の合戦」がわからないと,眠くなってしまいます. 次の「濯ぎ川」は新作狂言で,こっちはそのままわかりました.
日本の伝統芸能でポピュラーなものと言えば「歌舞伎」が上げられるでしょう. 今も続いている歌舞伎は江戸時代に始まったもので,我々の普化尺八よりも新しい歴史しかありません. 歌舞伎や文楽の有名な演目である「仮名手本忠臣蔵」の「山科閑居の段」には,すでに虚無僧が登場しています.
一方,「能」は普化尺八と同様,室町時代に成立しました. ですから,両者には何か共通するものがあるのではないでしょうか.
普化尺八の実際の祖は,一休宗純(いわゆる一休さん)だとも言われています. その一休禅師は,能の金春禅竹(世阿弥の婿養子)と親交があったそうです. 能は貴族や上流武士のものになり,普化尺八は落ちぶれた武士(浪人)のものとなって,立場はなかなか変わってしまいましたが,両者には宗教性や神秘性と言った精神的な点で共通するところがあるのではないでしょうか.
また,(具体的にではもちろんありませんが)技法の精神性にも共通するところもありそうです. たとえば,とてものんびり・ゆっくりした動きのように見える,能役者のあの足運び,しかしそこに物凄い緊張感が漂います. まったく緩慢な動きの中で,剃刀のような鋭さでタイミングを窺っています. なんとなく吹けば眠くなってしまうような本曲ですが,実はほんの一瞬も気を抜くことはできません. もっと直接的には,静寂とその一方での能管の「ひしぎ」,この対比も大切でしょう. そして,能管を吹くあの指遣い,これはもっと直接的に本曲に通じます.
いえ,私の尺八がそんなことを云々できるレベルでないことは重々わかっています(^^;) そもそも,残念ながら,私にはまだ「能」がよくわかりません. ですから,なんとか能の世界を理解し,能の心も自分のものにしたいものだと思っています. でも,どうにも能は難解で,とっつきが悪い. 仕方がないので,とりあえず狂言から近づくことにした次第です :p
横浜能楽堂では,毎月第2日曜日を「狂言の日」と定義しているのだとか. 以前にも何度か行きましたが,これからは,できるだけ毎回,行ってみようかと思います. 能と狂言では随分違いますが,まあ,本曲を習う前に音出しを兼ねて演歌や歌謡曲を吹くようなもの .... ってなことを言ったら,狂言にえらく失礼です. まあ,いずれにしても,無駄にはならないと思います.
ふと気がつけば,もう11月も下旬です. 紅葉もそろそろ終わりですが,昨日は,久しぶりに箱根に行ってきました.
箱根と言えば,以前はよく,日帰り温泉の「天山」というところに寄っていました. とても気に入っていたのですが,いつのころからか客層が変わって来たようで,どうも気に入らなくなっていたのでした.
天山があまり気持ちのよい所ではなくなってからは,しばしば早雲山の「最乗寺箱根別院」という所に行きました. ここは実はお寺(曹洞宗)ですが,さすがにお寺なので,変な客は滅多にいません. おまけに露天風呂は混浴なので連れと時間の調整の必要もなく,眺めもよくてのんびりと入っていられ,泉質もいいし,最高の温泉でした. 温泉に浸かった後は,お堂で尺八の献奏もさせていただいたりしていました. 坐禅堂も完成して,今度は坐禅もさせていただこうかと思っていた矢先,なぜか温泉が中止になってしまいました.
そんなわけで,箱根に行く魅力が薄くなっていたのでしたが,一方,姥子温泉という所には,一度行ってみたいと思っていました.
姥子温泉の「秀明館」は,ロープウェイの姥子駅のすぐ近くにあります. 大正時代あたりにタイムスリップしたような,とても素晴らしい(私には)ところです. 昔は湯治宿であったようですが,今は宿泊はできません. 薬師堂やたくさんの石仏(たぶん,眼病快癒の祈願あるいは御礼に奉納されたものでしょう)などがあり,ただの温泉の雰囲気とは違います. 4時間程の個室を借りて,一番安いところでも一人2300円,少々高いからか,客はほとんどいません. そのかわり,どの客も嫌な感じはさっぱりしませんでした. 現在の天山とは大違いです. でも,これでは経営は成り立たないでしょうね. 宣伝もあまりないようですし ... だから,ここに書くのもまずいかな,と思いつつ ...
実は,この秀明館,数年前に,上述の天山のオーナーが手に入れて,採算度外視でやっているのだそうです. なるほど,と,納得です. 天山も,元々はこんな気持ちのよい日帰り温泉でした(秀明館はもっともっと,ですが).
秀明館の管理をなさっている方が,オーナーなのかオーナーと関係のある方なのか単なる従業員なのか知りませんが,朴訥で,とても好感の持てる方でした. 犬もいました. 柴犬です. 犬小屋に「金太郎の家」と書いてありますから,金太郎くんなのでしょう. 金太郎君もとてもおとなしい,人柄(犬柄)の良さそうな犬で,いっしょに日向ぼっこでもしていたくなってしまいました.
さて,ふと気がつけば,もう11月も下旬ですか ...... 忙しい季節がやってきます. あ,それから,尺八が割れる季節にもなります.
慣れないことをするのは,なかなか大変です. 普段使っていない筋肉を使うのも大変です.
最近(まだ2週間ほどですが)私は,木刀を振っています. 剣道は,大昔,体育の授業で1年だったか半年だったかやらされたことがあるだけです. でも,刀には惹かれるところがあり,いつか居合でもしてみたいなどと思いつつ,いくらなんでもこの歳では無理,と諦めているところです. 「剣禅一如」なんて言ったら格好付けすぎですね .... (^^;)
木刀(木刀は竹刀より重い)を振り始めたころ,腕が痛くなって,顔も洗えない日が続きました. そんなに本格的に振ったわけではなく,最初は,たかが10回かせいぜい20回程度のことです. それなのに .... です.
筋肉が炎症を起こしただけのことかも知れませんが,わずか数日でも,腕の力瘤が大きくなってたのを明らかに感じました. そして今は,腕の痛みも軽くなり,もっとたくさん振っても平気になってきました.
筋肉というものは大したものだと思います. 使おうとすればちゃんと使えるようになってくる.
本曲の指遣いに,右手の薬指を指孔に叩きつける(一打)というのがあります. この時,中指は尺八を支えているし,人差し指も指孔を押さえていたりするわけですから,手を握った状態で薬指だけを振り上げて,叩きつける ... こういう指の使い方は日常生活ではまずありませんから,なかなか大変な動作です. 同様の技法は左手にもあり(三打),左の方が右よりももっと大変です. この一打・三打には,私も最初は本当に苦労しました. 薬指がノロマにしか動いてくれず,とても「打つ」というような動作ではありませんでした(「塞いで開く」にしかなりませんでした). でも,練習していたら,それがいつのまにか出来るようになっていました. 筋肉がついて,反応できるようになったということなのでしょうね.
練習あるのみ(^^;) です.
.... ただし,やりすぎて腱鞘炎にならないように,ご注意ください.
ところで,一月ほど前,新しい尺八を買いました. しばらく吹いているとよく鳴るのですが,私の持っている他の尺八を吹いた直後はなかなか鳴らないし,これを鳴らした後は,他の尺八が鳴らない. これは楽器の性能の問題ではありません. 歌口の大きさが僅かに違うせいです. それで,顎に当たった感覚が違い,鳴らすポイントがずれてしまうのです.
こいう問題は,これまでもありました. だからかつては,本番が近付くと,そこで使う尺八以外は吹かないようにしていました. でも,実際はそうばかりは言ってられません.
これも,慣れてしまえば形の違う尺八でもすぐに鳴らせるようにもなるようです. 実際,私も,かつて同時には鳴らせなかったものが,そんなに心配しなくても鳴らせるようにはなってきました.
でも,できることならそんな苦労はせずに過ごしたいですね. 歌口の問題なら,修正してしまえば解決します. 先日買った尺八は,機会を見て,歌口の修正を依頼するつもりです.
ただ,歴史的な価値のあるいわゆる「古管」に近いようなものを,現代の尺八風に改造(これはもう修正ではなくて改造)してしまうのは,ちょっと抵抗があります. それはもう,全然別の楽器,と思うべきでしょうね.
私の師匠・善養寺惠介師が,本年度の芸術祭賞の音楽部門で優秀賞を受賞しました. 昨年に初めて芸術祭に参加し,いきなり新人賞を受賞しましたが,連続で,今度は優秀賞とは,大変な快挙です. この分では来年は大賞でしょうか.
因みに,昨年は酒井松道師,今年は三橋貴風さんと,2年連続で尺八の演奏で大賞をとっています. 音楽部門というのは,邦楽だけのものではなく,洋楽のクラシックもジャズも,みんなひっくるめてのことですから,その中で尺八ばかり続けてこんなに賞を取るというのも,嬉しいような,なんだか不思議な気持ちもしますね.
先日(20日)に国立劇場であった「三ッの音会演奏会」での「虚鈴」は,無事に演奏できました. 前もって3回練習会をしましたが,練習の時より本番の方が良い出来だったように感じました. 緊張してトチル,というのが普通なんですが,不思議なことです.
この曲は,2年前に編曲したもので,我々はその年に2度,演奏しています. その時は総勢7名でしたが,今回は総勢15名,しかも今回は善養寺師も加わっています. 従ってパワーは前回の倍以上のはずですが,弱音にも気を付けた演奏をしましたから,ダイナミックスは倍どころではなかったのではないかと思います.
同じメンバーで,年明けにもう一度,<第11回 三曲歌ざんまい>で演奏します.
今年もあと数時間となりました.
恒例の「大晦日百八曲献奏修行会」は,まだ法身寺本堂で続いているはずです. 朝九時に1曲目(調子の斉奏)が始まり,百八曲目(再び調子の斉奏)はおそらく夜の8時ころになるでしょう. 私は朝から昼までで,10曲ほど献奏させていただきました.
今年の「大晦日百八曲献奏修行会」で嬉しかったのは,私の吹合せ会の方の献奏があったことです. 来年は第10回の「大晦日百八曲献奏修行会」となります. 今回は1曲だけでしたが,来年は複数人の参加,複数曲の献奏を目指そうと思います.
さて,今年もいろいろなことがありましたが,まあなんとか,ここまでやって来られました. 来年もまた難儀なことがありそうですが,「明頭来明頭打,暗頭来暗頭打」で乗り越えられたら,と思っています.
この一年,ご迷惑をお掛けしたり,ご助力頂いたりした皆様,ありがとうございました. 来年がよい年となりますよう,お祈りいたします.