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法身寺参禅会レポート

百錢会の会報(月刊)である「百錢会通信」に連載した記事を転載したものです. 私がまだ坐禅も尺八も虚無僧も初心者者だったころに書いたものですので,妙なことを書いている部分もありますが,ご容赦下さい. なお,個人名などについては伏せてあります.



坐禅・吹禅そして酔禅

9月21日の法身寺参禅会.今回座ったのは,このところ常連のMさん,今回初めてのFさん,そして私(れれ?誰か足りないみたいなのは,気のせい?).人数としては,いつもとほぼ同じ.

6時過ぎには3人ともお寺に到着し,各々尺八を吹きつつ待つうちに,和尚様が来られ,初めての人に座り方など説明した後,7時開始.休憩をはさんで2回(1回は線香1本の燃える時間で,法身寺ではおよそ40分弱)座り,読経(般若心経と白隠禅師坐禅和賛),吹禅(調子の斉奏).そして茶礼.茶礼では,お茶とお菓子をいただきながら,和尚様の法話(実は雑談のようなもの.今回は,尺八吹きには変わった人が多いけど,皆ロマンティストであるとか,虚無僧の袈裟のこととか)を伺いました.お寺を出るのは,たいてい9時を回るころです.

さて,お寺を出てからの,有志による酔禅会も,参禅会の楽しみの一つ.今回は3人とも酔禅居士となりました.途中の飲み屋で,杯(ジョッキ,グラス)を乾すこと,2時間ほど.坐禅や吹禅で瞑想できなくても,酔禅なら簡単に酩酊できます.

私が法身寺参禅会に参加し始めて1年半になりますが,その間,4本もの尺八の斉奏は今回で2度目のことです.私も最近まで2尺管がなかったので,たいていは和尚師匠二重奏を聞くばかりでした.坐禅そのものは,周りに誰がいようが結局は己一人で座るわけですが,読経や斉奏は人数が多い方が断然気持ちがいいものです.

いろいろな企画が動き始め,なかなか忙しい百錢会ですが,月例の参禅会も大切にしたいと思います.

2000.10



半眼と天蓋

10月の法身寺参禅会は19日,座ったのは前月と同じ顔ぶれの3人でした.坐禅の時間がいつもよりちょっと長めだったようなのは,気のせいでしょうか.

さて,茶礼では,10日前の秩父虚無僧行脚も話題になりました.私は,その虚無僧行脚で,初めて天蓋を被りました.

天蓋を被ると自分の吹く音がまるで違って聞こえることに,まず驚きました.息の雑音ばかりがよく聞こえ,本来の音は天蓋の外から,自分の音ではないみたいに聞こえます.

それからもう一つ驚いたことは,天蓋ごしに見る世界です.天蓋ごしに見る世界は,音の現象よりもっと不思議です.天蓋を被ると,実世界を自分が直接見ているというよりは,実世界を覗き見している自分を別の世界の自分が観察しているような気がします.

さてこの感じ,他の何かと似ているように思ったのは,実は坐禅の半眼でした.

坐禅は,身・息・心(しん・そく・しん)の順に整えるのだそうです.まず足を組み,数を数えながらゆっくりと腹式呼吸をします(数息観).そして,目は半眼です.こうしていると,心は次第に鎮まって来ます(来るそうです).

半眼は難しいことではありません.顔は立てたままで視線を2メートルくらい先に落としていれば,自然と半眼になります(キョロキョロしたら駄目ですけど).こうしてしばらく座っていると,周りの景色は霞んで来て,自分が何処にいるのかわからないような,でも一方で,自分の頭の中に周りの世界がすっぽり入ってしまったような,妙な気分がして来ます.つまり,空間感覚から離脱してくるのですが,数息観と相俟って,時間感覚からも離脱してきます.時には,ついうっかり半睡状態になって,どこかあらぬ世界(夢のような)に彷徨い込むこともありますが (天蓋被って歩きながら眠っては,悟りを開く前に交通事故で仏様になってしまいますね).

虚無僧の天蓋,単に顔を隠すだけのものではなかったのかも知れません.尺八の吹奏が数息観(別の意味では読経)に対応するように,天蓋は半眼に対応しそうです.虚無僧は坐禅をしなかったと言いますが,実質的には同じことをしていたのでしょう.そんなことを思った今回の参禅会と虚無僧行脚でした.

なお,例によって酔禅もしました.場所は,馴染みの「一休」.

2000.11



寒いだけが坐禅では ‥‥

急に寒くなった11月16日の法身寺参禅会,人数はやっぱり三人でしたが,顔ぶれはF氏脱落(本人は脱落説を強く否定),師匠復活.吹禅は和尚×師匠の絶妙「調子」が復活し,季節柄,酔禅は熱いお銚子の予定が,焼酎お湯割りになりました.

それはさておき,これからますます寒くなります.線香以外に火の気のない本堂に素足で座るのは,なかなか辛い季節を迎えます.眠い春や暑い夏より,寒い冬がいいという方もおられますが,私は,寒さに耐えるばかりが坐禅ではないと思っています.お釈迦様のインドは寒いどころか,暑かったのですし.

そんなわけで,これから坐禅なさる方には,防寒対策をお奨めします.でも,ひどい厚着,身体を締め付けるようなものはいけません.とくに,ジャンパーやコート,厚い上着の類を着込むのは避けましょう.

思うに,現代(都会)人は,過度な暖房のおかげで,下着で寒さをしのぐことを忘れているようです(その結果がエネルギー問題,地球温暖化,等々).とても不自然だし,地球に対してほとんど犯罪行為です.

そこで私のお薦めは,「遠赤外線」の保温性の下着.坐禅では特に下半身が冷えますから,遠赤外線のズボン下は優れ物です.その上に冬用の(つまりちょっと厚い)作務衣を着れば,大丈夫.

寒がりの私は,今回,すでに遠赤外線下着(上下)と,おまけに毛糸のチョッキを作務衣の下に着込んだのですが,これは少々早すぎでした.気合いを入れて座ると,身体は熱くなってくるものです.途中で背中に汗が流れるのを感じました(失敗に気づいて,ついでに冷汗も).

ところで,気合いを入れて座るというのがどういうことか,今回やっとわかったような気がします.その一番の要因は,呼吸です.初めて座った2年半前は15〜20秒だった一息が,今は40秒程になっています.ただ息を長くしようとするのではなく,下腹(臍下丹田)に意識(たぶん,力も)を集中して,最後の一滴の空気まで吐き出すようにすると,結果的に息も長くなるし,気合いのこもった座りになるようです(ついでに,冬でも寒くない).

この呼吸は尺八にも有効です.息が続かない時や情けない音になっている時は,指に気を取られたりして,つい腹の力が抜けていることが多いようです.余談ですが,呼吸の周期を長くすると眩暈を感じることがあります(未熟だからでしょうか).これ,虚無僧行脚で坂を上りながら尺八を吹いた感覚ともよく似ています.

でも,月に一度の参禅会だけでは,なかなかその呼吸のこつが掴めません.夜,布団に寝てからその練習をしてみました.立っていても椅子に腰掛けても,姿勢を正せば,いつでもできます.寝付けない時,気分転換,つまらん会議の時間潰しなど,副作用も期待できます.寒さに耐えるだけが坐禅じゃない,と信じて,気楽な坐禅はどうでしょう.

2000.12



続・寒いだけが坐禅では ‥‥

身を切るような寒さがほんの少し緩んだ18日,1月の法身寺参禅会は5人の参加(しばらく顔を見せなかったI氏が復活)で行なわれました.この人数は,参禅会始まって以来の快挙だそうです.お経も「調子」斉奏も,6人になるとなかなかいい気持ちです.

ところで,閉め切った本堂の中は,凍えるほどの寒さではありません.和尚様からは,「寒い時は,吐く息を細く長くすれば身体が暖まる」と教えていただきました.これで「遠赤外線下着」を着込んでいれば,もう,暑いくらいです.

とは言え,寒い時は身体が硬くなっています.身体が硬いと,組んだ足も痛みます.音が出ないと尺八を吹くのも嫌になってしまうように,足が痛いと座る気力も萎えてしまいます.

私も最初のころはなかなか足が慣れずに,苦労しました.そこで今回は,私の試した練習方法を紹介します.簡単な話し ‥‥ 温泉に行き,湯の中で座を組みます.

不届き千万とお怒り召されるな.虚無僧と風呂の関係はご承知の通り.インドには,入浴で悟りを得た「跋陀婆羅(バッダバラ) 」という菩薩様もおられたそうです.

寒い禅堂で苦しむばかりが坐禅ではないでしょう.少なくとも,坐禅の「練習」にはなると思います.湯の中では,身体も(心も)温まって柔らかくなっているし,水の浮力で足への負担も減ります.ズボンなどはいていると組んだ足が滑ってしまいますが,そんなこともありません.

まず,身体が湯から半分出るくらいの,浅くて座りやすいところを探します.首まで漬かると溺れたら大変(首まで漬かって背筋をしっかり伸ばすと,後ろにひっくり返ってしまいます),溺れないまでも茹だってしまいます.印を結んだ手が浮かんできてしまうのも困ります.腰湯なら,いくらでも長く漬かっていられ,けっして寒いこともありません.

できたら露天風呂が好ましい.坐禅には清浄で風通しのよいところがよい,と言われます.露天風呂は,まさにうってつけです.

これは,温泉の入り方としてもよさそうです.ある温泉療養の本では,坐禅と入浴と散歩の組合せを薦めていました.

まあ,そうしばしば温泉に行かれるわけではありませんが,気の向いた時にちょっと(自宅のお風呂で,あるいは風呂上がりに)座ってみるだけでも,効果はあると思います.坐禅は「身息心」の順で整えるそうですから,まずは,身体を慣らしましょう.

なお,参禅会後の酔禅でいつも行く「一休」は,3月で店を閉めるとのこと.この日も,結局我々は満員で入れなかったくらいに繁盛していたのに,残念です.諸行無常ということでしょうか.

2001.02



珍事

三寒四温の温となった3月15日,法身寺参禅会がありました.忙しくてもこれだけは参加しようと思いつつ,先月はついに欠席,2ヶ月ぶりの坐禅でした.先月は私の他にも都合の悪い方が多く,寂しい参禅会だったようです.

私はこの日も忙しく,作務衣を持つ余裕もなく慌てて駆け付けたので,洋服のままで座りました.元来立つか椅子に腰掛けるのが前提のズボンですから,それで座ると,下腹から大腿のあたりが締め付けられ,具合よくありません.やはり,作務衣が一番.因みに坐禅の服装の条件は,まず第一に,身体(と心)を締め付けないことです.ですから,ネクタイや靴下・足袋(女性のストッキングも[注])はもちろん,時計や指輪(たとえ大事な結婚指輪でも)は外し,ベルトは弛めます.
[注]と言いながら私は,寒い間は遠赤外線股引をこっそり履いているのですが.

さて今回座ったのは,常連三人と,師匠のお母上,図書館で法身寺参禅会を見つけたという初めての方でした.初めてのその方は,曹洞宗の坐禅の経験ありとのことでしたが,我々の参禅会のことは何も知らずに来たそうで,いきなりの尺八の登場は彼にとって珍事であり,少々戸惑われたようです.これについては茶礼の折,和尚様から禅宗と普化宗,虚無僧と法身寺の関係の説明をいただきました.

ところで,彼はたまたま法身寺を(古い資料で)見つけて来られたわけですが,坐禅させていただけるお寺はたくさんあります.私自身,他に二つのお寺で座らせていただいていますし,旅先で見つけて座らせていただくこともあります.歩いて行ける範囲でさえ,他に三箇所あります(曜日や時間の都合で行けませんが).多々ある坐禅会の中には,かなり本格的な坐禅会もあれば,観光の延長のようなのもあります.法身寺参禅会は,まったく初めての方には少し長いかも知れませんから,これから気候もよくなることですし,観光がてらで坐禅に慣れる,というのも一案です.

私がよく行く鎌倉・建長寺の土曜坐禅会も,観光客の多い気楽な坐禅会です.ところで,こういう坐禅会ではしばしば珍事が起こります.いろいろありましたが,上述の服装に関することで一つだけ紹介しましょう.

真夏の坐禅会でした.私の真正面に,見るからに観光客らしき娘さん(ギャル)が座りました.彼女,「超」ミニスカートでした.身体を締め付けない服装がよいとは言っても,ちょっとこれは ‥‥‥.私がこの日,とてもよい修業になったことは申すまでもないでしょう.

2001.04