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お知らせとたわごと

アーカイブ(2008.05~2008.08)


2008.05.01

虚無僧研究会総会

一昨日,4月29日は,虚無僧研究会の総会がありました. 総会は活動報告やら会計報告やら次年度の活動計画やらの,まあ,要するに普通の総会です.

総会の後,毎回,どなたかの講演会があります. 今回は,酒井松道師による「竹籟五章をめぐって」という講演でした. 酒井松道師は,大阪の,竹保流3代目宗家です. また,「竹籟五章」は,諸井誠が,大阪芸大で教鞭をとっていた縁で知り合った竹保流2代目宗家 酒井竹保のために作曲したものです. 2代目宗家は3代目の現宗家の兄上です.

私は,仕事(尺八楽譜の情報処理)の関係で,この曲にも,酒井松道師にも,若干の縁があります. 従って,講演会には少々期待して参加させていただきました. で,結果は‥‥,ちょっと期待とは異なりました. 作曲にいたる経緯や,曲にまつわる秘話のようなことを期待していたのですが,講演会というよりむしろ講習会でした. 最初にちょっとお話しがあって,あとは,第3楽章を全員で吹いてみる,という内容でした. 本曲のテクニックに加えて,現代音楽のテクニック(酒井師は電子音楽という言葉を使われましたが)も用いられています. ただし,この第3楽章「虚籟」は,5曲のうちで最も本曲風の曲です. なお,講演会(講習会)は,師の温和なお人柄もよく出て,期待とは違いましたが,それなりに面白いものでした.

さて,講演会も終わると,最後は恒例の大懇親会です. 会費分は充分に飲み食いして,結局,会場の法身寺を出たのは22時近くだったようです. 例によって電車を乗り過ごし,危うく戻りの電車がなくなるところでした.

急に気温が高くなって

さて,虚無研の日の朝,出かけるにあたって着る物に随分と悩みました. つい数日前まで,朝夜はむしろ寒くて,綿入れの作務衣を着ていたほどでした. まだ4月中でもあることだしと,紬の袷の上に羽織まで着て,一旦は家を出たのですが,いかにも暑い. 慌てて家に戻り,羽織だけは脱いで出かけました. それでもまだ暑く,町ではノースリーブ(ランニングシャツ)の若者もたくさん見かけました. 木綿の単くらいでも充分だったようです. 因みに,酒井松道師は,総会中は薄手の黒い羽織をお召しで,講演では羽織を脱がれました. で,お帰りの際は,刺繍のあるジーンズの上に皮ジャン,といういでたちに変身しておられました.

気温が急に高くなってきたおかげで,茶葉の出も予想より早まったようです. 私は明日から静岡(浜松)の田舎に茶摘の手伝いにいく予定でしたが,一昨日,私が尺八に現を抜かしている間に,すでに半分摘んでしまったそうです. ただし,人手が足りないので,手摘みではなく機械摘みをしたそうです. ちょっと残念.

でも,とにかく,明日は早起きをして,予定通りお茶摘みに向かいます. 連休中の東名とは言え,朝5時ころならまだ空いているだろうと思うのですが‥‥‥. 無事故祈願.

そうそう,そんなわけで,例の「喪われた道」,果たして実時間で見られるのか,ちょっと心配です. 浜松でも同じ時刻で放送はあるようですが. とにかく,録画予約だけは忘れずにしていかなくっちゃ.


2008.05.05

浜松茶摘帰省

茶摘

浜松(天竜)で,お茶摘みをしてきました.

2日の朝5時横浜発の東名は,さすがに混雑はしていませんでした. まずは朝一番で,袋井の法多山(はったさん,遠州三山の一つ)というお寺にお参りしました. なかなか立派なお寺で,本堂と旧本堂(北谷寺)にて献笛させていただきました. 甘さ控えめの「厄除け団子」もなかなかの美味でした.

私の実家の菩提寺でも献笛し,秋野不矩美術館にも寄ってみました. 秋野不矩は,私と同じ天竜の出身の,女流画家です. 生誕100年となります. 日本画家というのだそうですが,インドを題材にした絵が多く,私は,70歳ころからの茶色を主体にした作品(例えば「廃墟Ⅱ」)が,好きです. 好き,というより,引き込まれてしまいます.

2日の夜は,例の「喪われた道」が放映されました. 家内の実家では,家族ほぼ総出でテレビの前に集まって来ました.....が,結局私の素顔は写らず,しかも天蓋姿もほんの一瞬でした(^^;)

3日は,朝のうちは雨でお茶摘はできませんでしたが,昼には雨もあがり,それから急ピッチでの茶摘となりました. 炎天下の茶摘はなかなか重労働ではありますが,ウグイスの声(ハシボソガラスやツバメも鳴いています)も茶の新芽の香りも,見渡す限りの緑も,じつに気持ちのよいものです. なんとか予定の 50kg のお茶が摘めました. ただし,製茶するとこれが 10kg 程度になります.

お茶摘みの手の空いた4日には,浜北の庚申寺というところを訪ねてみました. このお寺は,私の家にいた猫「ミケ」の,まあ,言ってみれば実家です. ミケは,私と同じ年に生まれ,私が中学3年の時に死にました. 猫としてはかなりの長生きです. 私にとってこのミケは,かけがえのない存在でした. 一度,このミケの生まれた所に行ってみたいと思っていたのでした. 庚申寺の御本堂と庚申堂とで献笛をさせていただきました.

しかし,庚申寺についてみると,なんだか様子が妙でした. 実は最近,ご住職が遷化なさったとのことでした. 対応して下さったのは,先代のご住職とのこと. 知らなかったとは言え,なんだかとんでもない時にお邪魔してしまったようです. 撮った写真を後でよく見たら,山門の脇に「山門不幸」と書いてありました. まったく,迂闊でした. 自分のことしか考えていなかったようです.

帰ってから発見したのですが,庚申寺には庚申寺公式ホームページというものがありました. ご住職が自ら作成されているようでした. しかし,今年の2月で更新が止まっています. 最後の更新記事もいたってお元気そうなことが書いてありますから,この後,突然に何かがあったのだと思います. 津送(本葬)は6月13日とのこと.



2008.05.23

近況

このところ,さっぱり生活が緩んでしまっています. 生活リズムとしては,早寝早起きで,仏壇に献笛したり,ごみ出しや,時には庭の草むしりまでしたりしてから,朝食をしっかり食べて出勤し,残業はしないで帰宅して,夕食(晩酌はほどほどで)を食べる,という,模範的なことになっているのですが.

この生活は実に快適なのですが,そうしたら,なんだか時間を惜しんでまで尺八を吹く,という緊迫感が失せてしまっているようです. 尺八の練習だけではありません. 夏(7月末)の浴衣会までに完成させねばならない,「霧海ぢ」の編曲も,パタッと止まったままになっています. そんなわけで,このページの更新も止まったままです.

焦る気持ちはあるものの,これこそ本来の人間的な生活ではないか,などとも思えてきます. さてどうしたもんでしょう.

茶毒蛾

これだけじゃなんなので ....... (^^;)

先日,庭の椿に,大量の茶毒蛾の幼虫が発生しているのを発見しました. 実は,もう3月下旬から茶毒蛾の幼虫を見かけていたので,時々注意をしていたところでした.

数年前,茶毒蛾が大量発生したことがありましたが,今年もそうなるのかも知れませんね. 私はあの時,(浜松の私の実家でもお茶は栽培していたにもかかわらず)茶毒蛾についての知識がなく,素手で,しかも薄着で,茶毒蛾退治をしたら,全身やられて,えらいことになりました. 体中が真っ赤な,豪華なイクラ丼のようになって,痒くて痒くて,死にたいほどでした.

茶毒蛾については,ネットにもたくさん情報(例:Wikipedia)がありますから,それらを参考に,お気をつけください. 私は,ネットにある茶毒蛾の写真を見るだけでも,体が痒くなります :(


2008.05.24

文楽

昨日は,久しぶりに国立劇場で文楽を観てきました. 演目は,「心中宵庚申」と,「狐と笛吹き」の二つです.

「心中宵庚申」は,近松門左衛門の作で,浜松(!)の武士の生まれで大阪の八百屋の養子となった夫と,その夫の留守中に姑に離縁された妻の,最後は心中となるお話です. 義理,孝行,親子の情,そして夫婦の情,加えて生まれることのできない腹の子への情...,これでもか! というくらいに泣けました.

「狐と笛吹き」は,昭和32年にできた新しい演目ですが,お話は今昔物語から採られています. これも悲しいお話で,涙が出ました.

「心中宵庚申」は義太夫も三味線も最高で,充分堪能しました. 「狐と笛吹き」も,充分楽しめましたが,ほんのちょっと違和感も感じました. というのは,セリフ部分が現代の口語になっていたのですが,それをあの,義太夫の調子でやったのでは,なんだかちょっと....... 演出も,伝統的な文楽の手法を超えていて,それはそれで迫力はあるのですが,少し前に見たスーパー歌舞伎と同じく,微妙なところではありました.

秋野不矩と虚無僧

連休に茶摘みで浜松に帰省した時に寄った秋野不矩美術館で,彼女の画集を買ってきました. 絵本の原画もいくつか載っていて,その一つに「やまねことにわとり(The Wildcat and the Hen)」という,ニューヨークのAtheneum社から1965年に発行されたものがあります. 絵は秋野不矩ですが,文はリフトン・ジェーンとなっていて,本文が日本語なのかどうかわかりません. そもそも日本向けのものなのかどうかもわかりません.

さて,このお話に「修行僧」が登場します. ところが挿し絵では,どうも奇妙で,虚無僧のようでもあります. 普通の雲水の姿ではありますが,尺八を吹いています. 尺八を吹いていますが,被っているのは籠のような天蓋ではなく,普通の雲水の丸い網代笠です. この修行僧は悪い山猫と戦うのですが,その場面では尺八を武器にしています. 闘っている時は網代笠は脱いでいて,そこに見えるのはきれいに剃髪した頭です.

秋野不矩あるいは半世紀前の人々の虚無僧や修行僧への認識がこうだったのか,実際にこういうことがあったのか,単にお話の都合で雲水に尺八を吹かせたのか,まあ,どうでもいいような詮索ではありますが,気になってしまいます.


2008.05.28

更新情報

着物ちょっと話に,記事を一つ加えました.


2008.06.01

アーカイブ

昨年度末から今年度にかけて,そして新年度の2ヶ月間が,まさにあっという間に過ぎ去ってしまいました. 生活には時間の余裕が随分と出来たはずなのに,なんだか,やるべきことはさっぱり手つかずになっています. たとえば,「年金特別便」が届いているのに,その処理はそのまま. 例年,天竜の新茶をご恩のある方々にお届けしていたのに,それも滞ったまま. 一事が万事,こんな調子です. もちろん,霧海ぢの編曲もほとんど手付かずです. そろそろなんとかしなきゃぁ......

今年の1月から4月までの分を,アーカイブとして,別ページにしました. さて,これをきっかけに,少しはエンジンの調子を上げたいところです.


2008.06.02

「霧海ぢ」の進捗状況

「霧海ぢ」の編曲は,内容的には3月末からたいして進んでいません. ただ,DTMソフトをこれまで使っていたものから別のものに変えてみました. 3月末の段階の編曲結果を,新しいソフトに移し替え,やっとなんとか作業の続きが出来る様になってきたところです. でも,ソフトが変わっただけで,随分と出来が良くなったような気がします (^^;) 音色が良くなって,自動演奏機能も向上しているからでしょうね.

これまで使っていたのは,河合楽器の「音楽帳」でした. それはそれでなかなか使いやすいものではあったものの,なにぶんにも学校(小学校~高校)の音楽教育用のものでした. 今回は,同じ河合楽器の楽譜作成ソフト「スコアメーカ」にしてみました. これは元来は,楽譜の自動認識から始まったソフトなのですが,今となっては楽譜の自動認識はさほど必要ではなくなっていて,むしろ新たに楽譜を作ったり演奏したりの,つまり通常のDTMソフトとして進化してきているようです.

思えば,私が仕事と称して音楽に関われるようになったのも,実は,楽譜(五線譜)の自動認識のおかげでした. もう30年ほども昔のことです. 当時,細い線と細かい点,それらの微妙な位置関係などで構成され,文字列まで含む「楽譜」の自動認識は随分と苦労したものです. そして,河合楽器からこのスコアメーカ(初代の)が発売された時は,その認識率の良さに驚き,もう大学でやることはないな,と思ったものでした. でも現代では,わざわざ紙の上の楽譜を苦労してコンピュータのデータに置き換えなくても,音楽データは最初っからデータで存在してしまいます. 楽譜の自動認識の需要は,そろそろ終わりなのかも知れません. 我々の「尺八くん」も,開発の一番中心だった部分は,やはり尺八譜の自動認識でした. しかし,これもいつの間にかむしろワープロ的な機能にシフトして,結局のところ,このシステムのために開発したフォント(だけ)が役に立っている,というのが現実です.

さて,現段階での編曲結果を,例によって自動演奏で紹介します. 楽譜は,虚鈴の時と同じく3拍子で書いていますが,自動演奏では,3拍子の楽譜のままでは息継の「間」がどうにもうまく行かず,仕方がないので無理やり休符を挿入して「間」を作っています. また,原曲にあるカリからメリに連続的に変化する特徴的な部分が,どんなことをしても表現できません. もっと本格的なDTMソフトであれば,音符一つ一つにピッチシフトを効かすこともできるのかも知れませんが,残念ながら「スコアメーカー」ではできません. そのため,突然半音上下する,つまらない旋律になってしまっています. 実際の尺八の演奏ではどうなるかは,想像で聞いてください. しかもこの部分は,同じ音(たとえばチ)の連続になっていますが,これも本来は1打と4押など,音色は一つ一つ異なるのに,この演奏では同じ音色の連続で,とてもつまりません(これも想像で聞いてください).

まだ完成とは言えませんが,たぶんこの段階でも,実際の尺八の合奏にすれば,全然違った,少しは面白いものに聞こえるだろうと思います. なお,楽器編成は,

  1. D管(1尺8寸)ソロ
  2. D管(1尺8寸)
  3. C管(2尺)
  4. A管(2尺4寸)
  5. G管(2尺7寸)
ですが,この演奏では,ソロをトランペット,それ以外はストリングスにしてあります.


2008.06.05

脚絆

この4月から私の勤務しているところは,流通関係の学科です. ここでは,フォークリフトの技能講習があり,学生は試験に合格すれば免許がもらえます.

ところでこの実習を実施するには,担当者の頭数が必要です. 私はフォークリフトを教えるどころか,そもそも触ったことすらなかったのですが,それでも,実習のお手伝いがノルマになっています. 経済学の先生も英語の先生も,みんなフォークリフトの実習はするのだそうです. だからコンピュータ屋も駆り出されます.

今週は,まるごとその実習(集中実習)です. 毎日,朝から晩まで,外で立ちっぱなしです. とくに一昨日の台風の近付いた日は,雨風が強い寒い日でしたが,雨合羽を着て,やっぱり一日外でした.

生まれてこのかた,こんなに何日も立ちっぱなしで過ごしたことはなかったかも知れません. 登山をしたこともなければ,虚無僧もせいぜい一泊でした. よい修行をしているような気はしますが,足はパンパンになってしまいました.

それでちょっと思いついて,今日は,虚無僧用に使っていた脚絆をしてみました. 足(ふくらはぎ)のむくみ具合が,脚絆をしなかった昨日までより,だいぶん軽いように思います. 格好だけくらいに思っていた脚絆ですが,ちゃんと効果はあるのですね. 見直しました.


2008.06.10

「霧海ぢ」のデモ

先日(6月2日),「霧海ぢ」の編曲状況をDTMで音にして,ここに掲載しました. ソロのパート(1尺8寸管)を,他と区別しやすいようにトランペットの音色にしたら,「ファンファーレみたいで,霧海ぢのイメージと違う」というお小言をいただきました (^^;)

そこで,全パートをストリングスの音色にして,再度掲載します. なお,ソロは立ち上がりの早いストリングス,他の4パートは柔らかいストリングスにしてあります. 今度はいかがでしょうか.

なお,ファイルサイズの節約のために,音質は少々犠牲にしています.


2008.06.15

「霧海ぢ」の楽譜

やっと「霧海ぢ」の尺八譜(縦書きロツレ譜)を作り始めました. もちろんワープロで作りますが,前回の「虚鈴」よりもかなり複雑ですから,まったく同じ要領では書けません. 今日は半日,譜面の作り方をああでもないこうでもない,と,試行錯誤して,なかなかうまくいかず,気が滅入ってきました. 夕食後になってやっと,方針を固めたところです.

ワードで表を作り,その枠の中に,縦横比を変えてそれらしくしたフォントをはめ込んでいきます. 基本的には前回の「虚鈴」と同様ですが,だいぶややこしい作業が必要になります. 4息分(全体のやっと 6.7% .....6~7割の間違いではありません)入力できました. 先は長いです(^^;) でも,7月5日に下合わせ,7月20日に最初の本番,と,スケジュールは待ってはくれませんから,なんとかやるしかありません.


2008.06.19

お悔み

私の前任地での教え子の一人,T君が,亡くなりました. 10日と少し前のことです. T君はまだ26歳でした. 癌を発病して,3年半の闘病生活をしていました. 私にはたびたびメールをくれたり,病状が悪くなってからも,何度かわざわざ会いに来てもくれました. 私がほんの少しでも,彼の心の支えになれていたのなら,幸いです.

亡くなるちょうど2月前にもらった電子メールには,「もう抗癌剤治療は打ち切った」と書いてありました. このメールをもらった時,なんと答えたらよいのか,本当に悩みました. 結局,良寛さんの言葉を借りて,

というようなことを書き送りました. 送信ボタンを押した後,私ごときがこんなことを書いてよかったのかどうか,あるいは,そもそも真意が伝わったかどうかと,随分と悩みました. 今でも自信はありません. そして,この時のメールが最後で,次に来たのは訃報でした.

T君とは,彼の在学中から少し深い関わりがありました. 授業や就職のことはさておき(いや,それもいろいろありましたが),一つ,私の方から世話をかけてしまったことがあります. 故あって私は泥酔するほど酒を飲み,横断橋の階段を転げ落ち,救急車で運ばれて,10日ほど入院したことがあります. この時,手に持っていた尺八(一番よく使っている,2尺1寸管です)を失くしてしまいました. 翌日,病院のベッドで点滴のチューブに繋がれている私に代って,その尺八を探し回ってくれたのが,このT君でした (でも尺八は見つからず,半月ほどして,警察の遺失物の中から見つかりました). なお,私が本格的に仏教を学んでみようと思ったのも,この時のベッドの上のことでした.

訃報を受け取ったのは,ちょうど通夜の済んだころで,翌日が葬儀とのこと. しかし,その日は集中授業の初日で,とても休める状況ではありませんでした. それで,やっと今日,お線香を上げに行ってくることができました. お線香を上げ,彼に探し回ってもらった尺八で,献笛もさせていただきました.

「お悔み」という言葉があります. これまで何度も葬式に参列したことはありましたが,「悔む」という表現がこれほどぴったりしたこともありません. 電話では気丈そうに聞こえたお母上の声でしたが,やはり,納得はできていないようでした.

短大を卒業して2年と少し,エンジニアとしての仕事に慣れてきて,ちょうどバリバリ仕事をこなすようになった矢先の発病. そして享年26歳,本当ならやっとこれからの人生,というところです. 心からT君の冥福をお祈り致します. 偶然ですが,明日・明後日は,善光寺と北向観音にお参り行く予定になっていました.


2008.06.22

結願御礼

坂東三十三所と秩父三十四所の結願御礼に,善光寺と北向観音に行ってきました.

北向観音では,納経とともに,「普大寺 調子」の献笛もさせていただきました. ご住職も献笛を聞いていてくださり,終了後にはご挨拶いただきました. 結願御礼という,厳かな気持ちに浸ることができました. 吹いている間には,T君の冥福を祈ることもできました. 演奏そのものも,余韻のよく残る(「間」の充実した)よい演奏になったように思います.

善光寺でも献笛させていただきましたが,どうにもここは観光寺で,心を籠めて献笛するのは大変でした. 人が少ないのを見計らって献笛を始めたのですが,じきに次の一団がやってきて,とても献笛どころの雰囲気ではありませんでした. そもそもお寺の受付の対応がなんとも冷たく,宗教的な雰囲気は微塵も感じられませんでした. 坂東・秩父の各霊場で献笛をしてきて(まだ西国は続いています),最悪の献笛だったかも知れません. やめておけば良かったと,悔やんでいます.

北向観音は20日(金)の朝,善光寺は21日(土)の昼,という,曜日と時間帯の違いも大きかったかも知れません. 本気でお参りするのは,やはり早朝でなければ駄目ですね.

万座日進館

さて,ところで20日は,北向観音の後,湯の丸高原のツツジを見て,夜は万座温泉に泊まりました. 宿は,万座温泉ホテル. ここは,万座温泉の始まりの温泉だそうで,泉質も雰囲気も,私の一番気に入っているところです. ところがここで,少し残念なことがありました. 万座温泉の本当の最初の,湯元にある,いかにも湯治場という雰囲気の,たしかにボロボロでしたが,その木造の宿「日進館」が取り壊されるところでした. 代わりに,一番新しい建物の最上階の続きに,内風呂を作った,との説明でしたが,とても「代わり」になるようなものではありません. 新しい内風呂は,高級温泉旅館の雰囲気で,それはそれで結構ですが,我々(私)が万座に求める求めるものとは異質な感じがします.

21日は,善光寺から真直ぐに自宅に向かいました. 結願御礼の善光寺であまり気持ちよく事が済まなかったので,さっさと帰ることにした次第です. ところが,かなり疲れていて(いや,歳の所為もあるかも),運転が大分危なっかしくなり,実際,何度か危うく事故するところでした. 車からもなんだ異臭がするようで,まことに不安な帰路となりました. 自宅にあとちょっとという所で,事故現場に遭遇しました. 善光寺ではちょっと嫌な気持ちになりましたが,事故渋滞の中で「あれはもしかすると,さっさとうちに帰れ,という観音様のお計らいだったか」とも思えて来たのでした.



2008.06.25

「霧海ぢ」尺八譜

mukaidi

「霧海ぢ」の尺八譜が,やっと,ほぼ出来上がりました. やれやれ,と思って,実際にDTMの音に合わせて吹いてみたら,かなりバグが見つかりました. ただの記譜間違いはいいのですが,編曲段階でのミスもけっこうあります. 尺八は,フルートのように半音階を公平には吹けません. 音によって,音色やボリュームが大幅に変わってしまいます. しかも,前後の指遣いによっては,演奏が困難なこともあります. そんなわけで,あらためて頭を抱えています.



2008.06.27

更新情報

着物ちょっと話に,記事を一つ加えました.


2008.07.06

合奏練習1回目

霧の街

昨夜は,「霧海ぢ」の,第1回目の合奏練習がありました. 都合で参加できないメンバーもいましたが,それでも全部で9名の合奏となりました. 本番は,さらに数名増える予定です.

昨夜は,初めてなので,細かいところには目をつぶり,とにかく通して吹いてみて,全体の感じを確認することとしました. ほとんど初見であるにもかかわらず,そこそこ演奏できたのは,さすがに同じ師匠について習っている者同士の強みです. しかも今回は,ソロパートを師匠本人にお願いしているので,もう,鬼に金棒,という感じです.

やってみるまでとにかく心配でしたが,尺八の生の音になると,結構いけます(^o^) もう少し練習して,ピッチがしっかり合い,タイミングももう少し合わせられたら,かなり聞けます. おかげで,終わってから近くの店でちょっと一杯のつもりが,ついつい良い気持になって,ちょっと飲みすぎてしまいました.

飲んだ割には電車を乗り過ごすこともなく,(東京の湯島から)無事に(横浜の)家まで辿り着きました. ところで,最後の地下鉄を降りると,そこはなんとも幻想的な,深い霧の中でした. 「霧海ぢ」を練習した帰りに霧に出会うとは,なんだか素敵な偶然でした.



2008.07.12

尺八の持ち替え

尺八は1本1本,特性が違います. 自然の竹で作りますから,サイズもまちまちです. ですから,工業製品であるフルートのように,安定した形状にはならず,吹く時の感覚は,一本一本,まるで異なります. 実際,ある笛を吹いた後,別の笛に持ち帰ると,まるで音すら出ないこともあります. 新しい方の笛が鳴りだすと,今度はさっきまでよく鳴っていた笛が鳴らなくなっていたりします. 昔(もう40年近くも昔^^;),私は吹奏楽でフルートとピッコロを持ち替えで担当していました. 同じ曲の中でも,持ち替えます. でも,音が出なくなったようなことは無かったと思います (あがってしまって,まったく音が出なかったことは[何度も]ありましたが).

これが怖くて,私は,本番が近付くと,そこで使うものしか吹かないことにしていました. しかし,いつもそうばかりは言ってはいられません. もう1週間後にせまった百錢会の浴衣会でも,2本の笛を吹くことになってしまいました. 一本は,「霧海ぢ」の合奏で使う2尺7寸(G管)です. これは,今の(おそらく永久に)私に吹ける限界の長さの笛です.

合奏の他に,自分の演奏曲も,合奏前の音出しを兼ねて,この笛で何か短い曲を吹こうと思っていたのでしたが,ひょんなことから,1尺8寸管(D管)を吹くことになってしまいました. 実は,合奏での2尺7寸パートのもう一人担当者と,並行5度(西洋古典音楽では禁断の)で「虚鈴」を吹いてみよう,ということになったのです. 本曲の世界で,こういうことは普通,やらないと思うのですが,実験,というか悪戯というか,酒の上でうっかり決まってしまいました. 西洋音楽ならずとも,顰蹙を買う可能性大です (^^;)

そんなわけで,2尺7寸と1尺8寸という,とてつもなく違う笛を同時に吹くことになりました. これは内輪の会なので,そんなに神経質になることもないのですが,それでも,音が出なかったりして,あんまり恥ずかしい思いをするのも嫌です.

この4月以降,毎朝,仏壇の前でしばらく尺八を吹いてから朝食・出勤というのが日課になっていますが,この時,2尺7寸と1尺8寸を交互に吹くことにしました. できるだけ短い曲を何曲か吹いています.

おかげで,持ち替えた時のコツが少しわかったような気がします. もちろん,頭では分かっていたことです. 頭でわかっていることとは,「大切なのは,エッジとアパチュア(息穴)の関係だから,顎の感覚で尺八を当てる位置を決めてはいけない」,です. 分かっていても,つい,顎の感覚に騙されるんですね. 尺八を当てる位置を,顎の感覚ではなく,上唇の感覚で探るようにしてみました. 上唇に意識を集中させることで,尺八が変わっても,そこそこすぐに音の出るポイントが捕まえやすくなり,逃がしにくくなったような気がします.

最近,我々の「吹合せ会」の中でも,いくつかの尺八をお持ちの方が現れました. 上述の話,もう少し内容と表現を整理したら,「指南メモ」にも入れることにします.


2008.07.14

堀谷の木喰仏

昨日,横浜のそごう美術館で開催中の 「木喰展」 を見てきました. 木喰もくじき上人の彫った130体の仏像と,関連資料の展示会です.

8年前の夏,岐阜方面に出かけた折,いろいろなところで「円空仏」に出会いました(岐阜は円空さんの生まれたところです). それ以来,円空仏には興味を持っていました. 円空さんというのは,17世紀,全国を遊行しながら,独特な木彫りの仏像を作り続けた人です.

木喰上人は,円空さんからおよそ1世紀後,18世紀から19世紀初めの人で,円空さんと同様,全国を遊行して,たくさんの仏像を彫りました. 円空仏にも不思議な微笑みを幽かに感じますが,木喰仏にはあきらかな微笑みがあります. これがまた,実に不思議な微笑みなのです.

木喰上人で興味深いことの一つは,60歳を過ぎてから仏像を彫り始めたらしいということです. それから90歳を過ぎて亡くなるまで,あっちこっち歩き回って,仏像を彫り続けたそうです. それにしても,そんな高齢になってからの30年間で,こんなに後世に残ることをしたとは,恐れ入る次第です.

木喰仏について,私は最近までさっぱり知らないでいたのですが,実は,私と木喰仏との出会いは,ずっと昔,50年近くも前に遡れるのでした. 木喰さんは,全国遊行の中で,私の生地,浜松あたりにも来ました. 何しろ,木喰さんの生地は身延(静岡県と山梨県の境目)だそうですから,全国規模で見たら浜松のすぐ近くです. それで,堀谷ほりや(浜松市浜北区堀谷)の徳泉寺というお寺にも1月ほど滞在して,仏像を彫ったのだそうです.

堀谷は,私の父の実家のあった場所で,徳泉寺はその菩提寺です. 小さい頃,誰だったかのお葬式で,その徳泉寺に行き,そこで風変りな木彫りの仏様の団体を見た記憶があります. それが,(定かではありませんが)木喰仏だったのでしょう. しかし,木喰仏を知らなかった私はいつのまにか,「堀谷の徳泉寺には円空仏がある」と思い込んでいました.

父が死んでから,父の実家とは付き合いが無くなり,堀谷に行くこともありませんでしたが,2年前の夏,自分のルーツに向き合いたくて,堀谷・徳泉寺に行ってみました. そこで,木喰仏を(再)発見したのです.

堀谷などという過疎な村を知る人は,世の中にほとんどいないでしょう. しかし,私にとっては特別な場所です. 昨日の木喰展では,残念ながら堀谷の仏像は展示されていませんでしたが,説明パネルには,堀谷・徳泉寺のこともしっかりと書いてありました. それを見つけて,なんだかとても嬉しい気持ちになりました. で,木喰仏のように,こっそり「ニィ~」と笑ってみたのでした.


2008.07.18

当面のスケジュール

忙しくなってきました. 勤務先は,明日から夏休みです(学生は). 早い夏休みと思われるかも知れませんが,始まりが早ければ終わりも早い....8月18日にはもう授業が始まります. それはさておき,個人的に忙しい季節になりました.

明後日,20日は,百錢会の浴衣会という,いわゆるお浚い会があります. 自分の演奏もさることながら,そこで,編曲していた「霧海ぢ」の初演があります. 明日は2度目の,そして最後の,合奏練習です. 一体どんなことになるのやら. 最終的な本番は11月23日の紀尾井ホールですから,明後日はまあ,内輪の試運転みたいなものではありますが.

浴衣会の翌日から,西国観音霊場の巡礼に行ってきます. 今回で結願の予定ですが,無事に全部回れるのか,心配です. 前回は,行ける筈だった32番の観音正寺が土砂崩れで通行止めになっていて,断念しました. そういう予想外のこともあり得ます. 全行程,自家用車ですが,車と運転手の身体がもつかも,不安なところです.

予定は以下の通りです. 少々無謀でしょうか.....

21日
午後,横浜発;鳥羽 泊
22日
青岸渡寺(1番札所),補陀洛山寺
那智勝浦 泊
23日
熊野本宮大社,由良の興国寺,紀三井寺(2番札所)
和歌山 泊
24日
粉河寺(3番札所),施福寺(4番札所),葛井寺(5番札所),総持寺(22番札所)
姫路 泊
25日
圓教寺(27番札所),一乗寺(26番札所)
琵琶湖畔 泊
26日
観音正寺(32番札所),華厳寺(33番札所;結願)
岐阜 泊
27日
横浜へ

巡礼から戻ると,某芸大の夏季スクーリングの準備,そして授業. それが終わるとお盆で田舎に行き,帰ってくれば ...... 授業が始まります(; ;)

そんなわけで,せっかくの夏ですが,「吹合せ会」の頻度は少し落ちてしまいそうです. 申し訳ありません.


2008.07.20

浴衣会が終わりました

百錢会「浴衣会」,無事終了しました. 首尾は,まあまあだったと思います.

まず,「虚鈴」を吹きましたが,本曲の世界では前代未聞かも知れません;G管とD管の,つまり並行5度の連管でやってみました. まったく練習なし,いきなり本番の,大冒険でしたが,そこそこ様にはなったと思います. ただ,一か所,並行5度ではどうにも聞き苦しい箇所がありました(本番で気づいた,というのが,ちょっとまあ,なんなんですが). また同じことをするなら,ちょっと工夫が必要かも知れません.

「霧海ぢ」合奏は,たった2回の練習と,本番前に一度通しただけにしては,なかなかの出来だったと思います. 今回の編曲は,D・C・A・G管とソロの編成にしていますが,各パート3人ずつ,それにソロの,合計13人の大編成となりました. 前回の「虚鈴」は7名で,そのうちの重要メンバーが二人抜けたのでどうなることかと思っていましたが,結果的にはかなり強力なメンバーが集まりました. 本番は11月23日,紀尾井ホールです. ご都合の付く方は,お聞きいただければ幸いです.

浴衣会後の懇親会. なかなか多士済々. 民謡が出れば,その伴奏の尺八は現役芸大生. 山伏の法螺貝もしばらくなり続けました. 法身寺の和尚様がどなたかに頂いたというケーナが登場し,何年(十年?)ぶりかで「コンドルは飛んでいく」を吹く羽目になりました. 明日のことがあって,さっさとお暇したのが心残り.

11月23日と言えば,例年,虚無僧研究会の献奏会の日です. スケジュールが重なっていますが,もしできたら,そちらにも参加したい,とは思っているのですが....

スケジュールと言えば,10月27日(月)には,トッパンホールにて,善養寺惠介師のリサイタルがあります. お時間がありましたら,これはぜひお聞きいただきたいところです.

ついでながら,8月24日(日)には,浅草で「みちびき祭り」というものがあります. 今年,百錢会は,ここに虚無僧として参加することになりました. この日に浅草で虚無僧に会いましたら,10分の1くらいの確率で,私かも知れません.

さて,明日から西国です. 早く寝ないと大変です(^^;)


2008.07.28

行ってきました

観音正寺

西国観音霊場の巡拝に行ってきました. 今回は,那智勝浦の青岸渡寺(1番札所)から始め,和歌山,大阪を通って,姫路,そして滋賀から岐阜県揖斐川の華厳寺(結願寺)までの,10ヶ寺を回りました. これで,西国札所は結願となりました. すでに坂東と秩父は結願していますから,これで日本百観音の満願です. 坂東の1番札所の杉本寺(鎌倉)で納経帳を購入した時は,坂東三十三所だって回りきれるとは思っていませんでしたから,日本百観音の満願だなんて,夢にも思いませんでした.

さてこれからどうしましょうか ‥‥ ,ということはさておき,とりあえず今回の記録だけ書いておきます.

(写真は,観音正寺の本堂脇の蓮の蕾にとまった塩辛蜻蛉です)

高いガソリン燃やして2000キロ

今回は,横浜の自宅からすべて自家用車(カーナビ付き)で回りましたから,1週間でおよそ2000キロ走破したことになります (ガソリン価格高騰の折だというのに,酔狂なことですね. 地球温暖化,CO2 云々の議論からすれば,反地球的行為でもあります). 浜松より西に車を自分で運転して行くのは初めての経験です. そして,もしかしたら,これで最後だろうとも思います.

かき氷!

とにかく,暑い日々でした. 最初の,那智や熊野ではまだしもでしたが,岐阜では,道路の温度計が40度を超えていました. そんな暑い中,延々と山道を歩いたり,でもそれはまだましで,炎天下のアスファルトの道を山門から駐車場まで歩くのは死ぬ思いでした. 最後の華厳寺(岐阜県揖斐川)では,参拝者も寺務所の人たちも,ほとんど朦朧としているような感じで,我々も百観音満願の喜びよりも,暑さの方が何倍か強くなってしまいました. 実際,家内はほとんど熱中症状態でした. でも,その暑い中,華厳寺の参道で食べた「かき氷」の美味かったこと! 「かき氷」を美味いと思って食べるのは,いったい何年ぶりのことでしょう.

木綿 と 麻

暑い中での着物について,ちょっと気づいたことがあります. 麻の肌襦袢は,涼しくて気持ちがいい ‥‥ はずでした. ところが,汗をたくさんかくと,かいた汗を麻の肌襦袢は吸ってくれないので,逆に実に気持ちが悪くなります. その点,木綿は,着た時は涼しくありませんが,かいた汗をしっかり吸ってくれますから,麻のような不快さはありません.

4番札所の施福寺は難所と聞いていたので,衣服もそれに合わせて準備し,木綿の肌着の上に安物の麻の作務衣,雪駄履き,といういでたちで山道に臨みました. 案の定,前日に熊野古道を麻の肌着で歩いた時のような不快さはありませんでした.

麻と木綿,状況に応じて使い分けるべきだということがわかりました. 大汗をかかない程度の,普通の暑さの中で普通に過ごすのなら,麻の肌着で涼しく過ごせばいいですが,大汗をかかざるをえないのなら,木綿にしないと駄目ですね.

携行食

今回の行程は比較的予定通りに進みました(宿をつぎつぎと予約している都合上,計画通りにせざるを得ないのですが). それでも行先は山の中が多いですから,食事には計画的にありつけるわけではありません. 宿は素泊まりがほとんどで,朝食もどこかで調達せねばなりませんでしたが,とりあえず最初の札所に行ってから朝食を,と思っていたら,なかなかちゃんとした朝食にはありつけませんでした. 非常食(^^;)のつもりで,アンパンやカロリーメートを持っていったのは大正解でした.

前夜から冷凍庫で凍らせておいたペットボトル(水は水道水)を何本も用意しておいたのも,大正解でした.

献笛

今回も,すべての札所で献笛させていただきました. 毎回,寺務所に断ってから吹いたのですが,断られることも,不審そうに見られることも,まったくありませんでした. 最近,尺八の献笛をする人が多いのだそうで,むしろ歓迎されているように感じました. 吹き終わってからの反応には嬉しくなることがしばしばありました.

青岸渡寺は1番札所であり,私としても今回の最初ですから,おずおずと献笛の許可を求めたのでしたが,吹き始めると寺務所の人たちは手を止めて聞いて下さったようで,帰りには本堂の外の売店の小母さんにまで丁寧にお礼を言われました. 紀三井寺では,事務所の皆さんが合掌で見送って下さいました. 葛井寺や総持寺では,居合わせた参拝者の方々からお礼を言われました. お供物をいただいたお寺もあります. 補陀洛山寺(那智勝浦)では,ご本尊の写真をいただきました. 私の尺八を吹きたいという我儘のようなものなのに,こんなふうに扱っていただき,本当に有難いことだと思います.

興国寺

由良の興国寺にも寄らせていただきました. 興国寺は普化宗(虚無僧)とは縁の極めて深い寺で,開山の法燈国師が日本に普化宗を伝えたと言われています. 前々からいつかは行ってみたいと思いつつ,なかなか機会がなかったのでした.

ただ境内を見られたらそれで満足のつもりで立ち寄ったのですが,たまたま庫裡から出てこられた和尚様に尺八道場(虚鈴庵)のことを尋ねると,道場まで案内して下さり,閉め切られていた戸をわざわざ開け広げて,上がらせて下さいました. 法燈国師の像の写真と位牌の前で,献笛もさせていただきました. ここでもお供物としてお守りをいただいてしまいました.

さて

さて,とにかく無事に,今回の西国巡拝も終わりました. 日本百観音の満願です. 次はどうしようか,今はちょっと考えられないところです. 今はただ,ひたすら,感謝しているところです.

献笛は途中から始めたのですが,それでも100ヶ寺中73ヶ寺でさせていただくことができました. これもいい修行になったと思っています.



2008.07.30

更新情報

着物ちょっと話に,記事を一つ加えました.


2008.08.10

残暑

ふと気がつけば,そろそろ8月も中旬にさしかかろうとしています. 7月末から暑い日が続いてきました. まだまだ残暑が続きそうです.

尺八たち

毎年恒例の,某大学の音楽関係の授業が終わり,ほっとしているところです. 毎年,授業の前には,もう今年でおしまいにしよう,と思うのですが,終わってみると,この暑いさなか,熱心に聞いてくれる学生さんたちの真剣さに感動して,もう1年だけならやってもいいかな,と思ってしまうのでした. 今回もそんな感じです.

その授業の中で,音楽へのパソコンの利用例ということで,尺八古典本曲の合奏編曲の話を,ちょっとしてみました. これが意外と好評でした. 尺八そのものにも,興味を持ってもらえたようです. この学生さんたちの中には,作曲家志望の人もいます. 将来,質の良い尺八曲も作曲してくれるといいですね.

この写真は,その授業の中で尺八を説明するために用意したものです. 左から,ソプラノリコーダ(大きさ比較のため),1尺6寸管,1尺8寸管,2尺管,2尺1寸管(B管),A♭管,G管です. いまさらですが,歌口のキャップを外して写すべきでしたね(^^;)

このうち,1尺6寸管は撮影用にお借りしたものです. つまり,私は1尺6寸管を持っていません.

ところで,私の自宅の近くの神社の秋祭りでは,「素人演芸大会」なるものがあります. これに一度出させてもらおうかと,以前から思っていました. 今年,尺八&ギターとギター&ケーナで申し込んでみようとか思っています. もしケーナの曲を尺八でも吹くとすると,キーはG/Em が中心になります. この際,1尺6寸管を買ってしまおうかなぁ ..... と,思い悩んでいるところです.



2008.08.12

お盆

このところ,ニュースと言えばスポーツばかりです. 高校野球は毎年のことですが,今年はそれよりなにより,とにかくオリンピック. 先日,NHKの7時のニュースを見ようと思ったら,サッカーをやっていました. サッカーの生中継が7時のニュースより大事であるとは,恐れ入りました.

8月のこの季節は,日本や日本人にとって大切な話題がたくさんあります. 長崎,広島,そして敗戦,また,日航機の墜落事故などというものもありました. そんなことがなくても,お盆. 先祖のことや生きている命のことや,そんなことをゆっくりじっくり考え,想う時ではないでしょうか. スポーツも悪くありません. 日本の金メダルに熱狂したり銅メダルに悔しがったり,それはそれで結構なことではありましょう(私だって日本勢が活躍すれば嬉しいです)が,それにしても今年の報道はいかがなものかと思わないではいられません.

日航機の墜落事故といえば,これ,私にもほんのちょっと影響がありました. 事故のあった1985年は,(任)音楽情報科学研究会という会を立ち上げた年です (私は設立発起人代表). この会の活動内容や関連の話題に関して某新聞社の取材があり,科学面の1面丸ごとを使って特集してくれることになりました. その記事の載る予定だったのが,1985年8月13日. 前日までは,記事の載るのを楽しみに(まさに一日千秋の思いで)待っていたのですが,実際には .... 全面,日航機のニュースでした (我々の記事はそれから2ヶ月ほどして載りました). あれから23年ですか ..... 日航機からもですが,「音情研」も.

さて,明日から数日間,浜松の田舎に行ってきます. 行き先は家内の実家ですが,私の実家(今は誰もいません)も同じ浜松です. 春に生まれた孫を連れた娘夫婦も一緒で,お墓にも挨拶に行くことになるでしょう. ただまあ,赤ん坊連れなので,今回は菩提寺での献笛は無し...でしょうね(^^;)

東名の渋滞予測では,明日がちょうどピークにあたるとか. ガソリン高騰で出控える車の多いことを願いつつ(^^;)


2008.08.18

更新情報

少し前にここに書いた,尺八の持ち換えのことを,指南メモに加えました.


2008.08.19

祭り

やっと少し涼しくなってきたような気がします. お祭りの季節です.

8月24日(日)は,浅草の観音裏で行われる「みちびきまつり」に虚無僧(コスプレ虚無僧 ^^;)で参加することになりました. 夕方5時から柳通りあたりを,虚無僧装束で尺八を吹きながら練り歩くらしいのですが,詳しいことはわかりません. もちろん,まつりのメインは虚無僧ではなくて,浅草芸者衆(こっちは本物.コスプレではありません)です. 他にもかっぽれ踊りや新内流しと,いろいろあるようです. 詳しくは: http://www.michibiki-hana.com/

ところで,「みちびきまつり」とはなんだか怪しげなネーミングだなぁと思っていましたが,この祭りをする地区(浅草観音裏)に「道引長太郎地蔵尊」という小さなお地蔵さんがあることからつけたもののようです. そのお地蔵さんの名前の由来ですが;

  1. 江戸末期に長太郎という人がいて,生涯浅草寺と街によく尽くし,長寿を全うした
  2. そこで浅草寺では延命地蔵尊を建て,「長太郎地蔵尊」と命名した
  3. この地蔵尊を信仰すれば極楽浄土に導(道引)いてくれると考えられ,「道引地蔵尊」と呼ばれるようになった
だそうです.

なお,前日23日(土)5時から,前夜祭「花の音コンサート」なるものがあり,ここには私の師匠(善養寺惠介)が出演して「布袋軒 鈴慕」を吹くようです. 入場無料だそうですが,詳しくは上記ウェブページで. 他にも面白そうな演奏が並んでいます.

残念なことに,みちびきまつり前夜祭の23日は,私の町内会の夏祭り(盆踊り)があり,浅草には行けそうにありません(盆踊りと言っても,私はビールを飲んでいるだけのことですが).

来月20日(土)は近くの氏神様の秋祭りで,「素人演芸会」に一応エントリーしてあります. 果たして尺八でエンターテインメントができるのか,いわば実験です(^^;)


2008.08.25

浅草みちびきまつり

昨日は,浅草のみちびきまつりに参加してきました. 雨のために,予定していた外での練りは行われませんでした. ただ,北京五輪銅メダルの浜口京子さんの凱旋パレードは,まだ雨が細かかったので,野外で行われました. 虚無僧も綺麗なお姐さん方と一緒にこのパレードに加わりましたが,何も知らない人でこれを見たらさぞかし驚いたでしょうね :p おかげで,浜口親子を生で,すぐ間近でみることができました.

雨が大粒になってきて,その後は見番二階(稽古場)が会場となりました. 想定外のことで戸惑いましたが,見番に入る機会なんて普通は無いし,ましてやその舞台に出演者として参加するなんてことはまずあり得ません. まさに貴重な体験でした.

いろいろな出し物がありました (虚無僧の出番の前は上の空だったのが残念です).

13人の浅草芸者衆による「浅草太鼓」は,圧巻でした. テレビで見たことはありますが,目の前(自分の出番の後なので,かぶりつきに陣取りました)で見る(聞く)と,凄い迫力です. その迫力のなかに,なんだか涙が出てくるほどの情緒も感じました.

浅草太鼓

芸者さんって,綺麗なだけではないんですね. 素晴らしい芸が受け継がれ,さらに磨かれていて,その上で,それに加えて綺麗なんですね. 感動しました.

今年の「みちびきまつり」について書かれたページは,すでにいくつか見つかります. 虚無僧の写真の出ているページとしては,下記のものが見つかりました. 舞台に向かって左から二人目の,白い着物が私です.


2008.08.30

更新情報

着物ちょっと話に,記事を一つ加えました.


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