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更新のお知らせと日々の戯言

アーカイブ(2011.01~2011.12)


2011.01.01

来年は,いよいよ還暦です.


2011.01.14

大集合!青春のフォークソング

抽選で当たったので,NHKの「大集合!青春のフォークソング」の公開収録に行ってきました. 久しぶりのNHKホール,最後にNHKホールに行ったのは数年前の暮れのN響の「第九」でした. 今回はまるで違う,フォークです.

会場に集まったのは,還暦前後か少し超えたか,という女性と,その夫との二人連れがほとんどで,夫の方は還暦を確実に超えた退職組のようでした. 私はおそらく平均年齢より数年は若い(^^;) とみました. そもそも,平日の真昼間からこんなところに並んでいられるのは,現役では無理でしょうね(私は休みをとって行きました).

去年までの司会の泉谷しげる・イルカに,今年は南こうせつも加わりました. なかなかいい司会・進行でしたが,本放送でどのくらい残るのか.....

フォークのテレビ番組はこのところよくあります. でも,30年くらいも忘れられていたような人を懐かしさだけで引っ張り出しても,声が出なくなっていたりギターも下手になっていたり,本人にも可哀そうな気のすることもありました. また,確かに大ヒットはしたし懐かしいけど,なんとかの一つ覚えのように同じ曲を,何度も何度も何度も何度も聞かされるのは,ちょっとうんざりです. でも,今回のは,そんな感じはほとんどしませんでした. 杉田二郎は「戦争を知らない子供たち」を歌わなかったし,「あの素晴らしい愛をもう一度」でお開き,でもありませんでした.

今回,とても感銘を受けたのは,懐かしいフォークではありませんが,夏川りみの歌った「アメイジング・グレイス」です. NHKホールのパイプオルガンから始まって,2番以降はうちなーぐち(沖縄言葉)の歌詞,節回しも沖縄風. オリジナルは古謝美佐子だそうで,なるほど,と納得もしました. 古謝美佐子さんは沖縄の歌手で,ネーネーズにも参加していました.

収録は,6時半から,トイレ休憩も無しに予定の9時半を過ぎても終わらず,10時を回ってやっと終わりました. 最後は「遠い世界に」でしたが,この途中でハウリングが起きました. 取り直しになったら,もう一度これだけのるのは無理だなぁ,と心配になりましたが,なんとかOKが出たようです. 放送でどうなるのか,興味津津です.

その後は舞台セットの撤去を尻目に,泉谷しげるの一人舞台,客席に下りて来て,半分くらい残った客も大ノリで,大変なことでした. 還暦をすぎたジイサン・バアサンがピョンピョン飛んだり跳ねたり,いやあ凄いです. 私は客席の片隅でおとなしく見てましたが (^^;) 夕食もせず,飲み屋にも寄らず,まっすぐに自宅に帰って,それでも日付が変わっていました.

放送予定は,2月19日(土)午後8時~10時30分,BS2,だそうです.


2011.02.01

献笛放題あっちこっち

献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました.


2011.02.03

節分

今日は,旧暦の正月です. 数え年だの厄年だのは,本来旧暦で言うべきなのでしょうね. ということで,今日からおよそ1年間,私は前厄だそうです. そして来年は,人生最後の大厄です. (あれ? 来年は旧暦では閏3月がありますね .... ってことは,普通の人より一か月も大厄の期間が長いんだっ)

今日は,節分でもあります. 豆まきでは「福はうちっ! 鬼はそとっ!」と言うのが普通でしょう. でも,いつだったか,虚無僧研究会の会長である,法身寺の小菅和尚様が,こんなことを仰いました. 「鬼だけ外では可哀そうだ.福はうちっ! 鬼もうちっ!」と. これは,虚無僧がどんな気持ちで托鉢の尺八を吹けば良いか,というところでのお話しでした. つまり,虚無僧は節分の豆まきと同じように,門口に立って「福はうち~」と念じながら吹けばよい,とのこと. ここで,「鬼もうちっ」を付け加えると,いかにも虚無僧らしく,普化禅師の「明頭来明頭打 暗頭来暗頭打」を思い出しますね.

明日は立春です. 今年はずいぶんと寒い冬でしたが,やっと春が見えて来るような気がします. しかし,立春の翌日,5日は,私の父の命日(たぶん,47回忌)です. 父が死んだのはとても寒い,静岡ではめったに降らない雪の降った,次の朝でした. 病気で弱っていた身体が,寒さに耐えきれなかったようです. 42歳の厄年もしくは後厄だったはずです.

思えば,父に比べて私は,ずいぶん余分に生きて来たようです. 物理的・生物的な意味での時間だけは,もう充分に生きてきたのかも知れません. さてそういうことで,厄でも鬼でも,来るものは拒まず,そんな気持ちで尺八を吹く(福)つもりです .... オソマツ


2011.02.07

「第12回 三曲歌ざんまい」で編曲「紫鈴法」

このところ毎回出演している「三曲歌ざんまい」,今回も出演し,私の編曲した曲を演奏します. 今回は,「紫鈴法」を尺八合奏に編曲しました. 下は,当日,演奏前に流される曲目解説のアナウンス原稿です.

京都の三十三間堂の近くにあった虚無僧寺「明暗寺(みょうあんじ)」は,虚無僧にとって最も重要な寺の一つでした.その明暗寺に伝えられた曲の一つが,今回演奏する「紫鈴法(むらさきれいほう)」です.
この曲は,とんちの一休さんとして知られる一休禅師の作曲であるとも伝えられています.それが事実であるかどうかはわかりませんが,他の虚無僧の曲とは大いに異なり,軽い,リズミカルな趣をもっています.これは,一休禅師の融通無碍の境地に通ずるようにも思えます.
今回の編曲では,音を重ねて和音を作ることよりも,「対位法」的な方法を取り入れて旋律同士を掛け合わせることで,旋律の面白さを表すように工夫してみました.
また,この曲に使われる「カラカラ」という特徴的な手法は,尺八の一孔を連打するものですが,これは鈴(りん)を鳴らす音のようにも聞こえます.そこで今回の編曲では,鈴あるいは磬(きん)を打つ音をイメージしてみました.
 
<第12回 三曲歌ざんまい> 
     2011年2月12日(土) 
     11:00開演-18:00終演予定 
     日本橋公会堂(日本橋劇場) 
        (入場無料/全自由席) 
     プログラム 
      (我々はプログラム35番ですから,おそらく17時近くの出番になると思います.) 

善養寺惠介と藤原道山の演奏が無料で聞けるというのも,なかなか美味しいところです. お暇な方は,どうぞ.

しかし,じつは,たった2回しか合奏練習をしていません. それでもう,今度の土曜日が本番です. 我々の演奏には,かなり不安はあります(^^;)


2011.02.13

シュークリーム

「三曲歌ざんまい」は,練習不足の割には致命的な破綻もなく,まあなんとか,無事に終わりました.

楽屋で(善養寺師は舞台に出ずっぱりなので,善養寺師抜きで)最後に一度練習をして,いざ,着替えて出陣! というときに,私はお昼のデザートのつもりで買っておいたシュークリームをほうばりました. ところが,楽譜の上にポタッ!!! ... シュークリームにクリームを入れた穴が開いていることを,私は今まで知りませんでした.

しかし,今までこんな失敗をしたことはなかったのはなぜなんでしょう. 偶然もあったのでしょうが,これまで食べたシュークリームには,そんなに一杯クリームは入っていなかったということかも知れません. シュークリームは,皮の中のクリームの周りのあの空洞の感覚も,魅力なんじゃないかと思います. そんなに贅沢にクリームを詰め込んだら,かえってシュークリームの魅力を損なってしまうのじゃないでしょうか(負け惜しみ言ってるみたいですが).

今回の「紫鈴法」の編曲は,かなり手抜きでした. それなのに,演奏してくれた仲間たちからは,大好評でした. これまでの「虚鈴」や,とくに「霧海じ」の編曲は,いろいろ詰め込み過ぎだったのかも知れません. シュークリームの空洞のようなところが,大切だったのかも知れません.

私は小さい頃,「立原えりか」の「おばけものがたり」という童話を読んで,おばけを釣る餌にするシュークリームというものはどんなに美味しいものなのだろうと思いました. 当時の我が家は,シュークリームなんてものはとても買ってもらえるような状態ではありませんでしたから,ひたすら想像をしていました. シュークリームは私の憧れでした. それが今は,いくらでも手に入る .... 贅沢な暮しをしているんだなぁ,と思います.

さて,今度こそは「虚空」の編曲 .... かな (^^;) 「虚空」こそ,空洞が命かも知れませんね.


2011.03.08

アーカイブ

去年の1年分のこのページを,アーカイブにまわしました. 以前は年3回くいらいはアーカイブしていたのに,去年は1年分で一つとは,つまり私の書く量がいかに落ちているか,ということですね (^^;)

肩こり

このところ,肩凝りが酷くてまいっていました. 原因はわかりません. 呑み会があって,久しぶりにしたたかに酔っ払ったせいか,ちょうどその日に親戚で不幸があって,二日酔いも回復しないまま葬式に参列して疲れ切ったせいか,でもその前から調子良くなかったし ..... もちろん,年度末でいろいろややこしく忙しいということもあります. 風呂にゆっくり浸かってみたり,運動不足かも知れぬと身体を動かしてみたり,医者からは漢方薬を出してもらい,もちろん貼り薬もして,それでも一向に改善せず,夜寝ていても痛いほどで,困り果てていました.

ふと気付いたことがあります. このごろ,姿勢が随分と悪くなっていたようです. 背を丸めて,猫背になって,椅子に座るのもお尻を浅く腰かけて,背中を丸め,足を投げ出し,尻というより腰で座る,まるで今どきの若者のような座り方になっていました. 坐禅にしっかりと行っている頃には絶対にしなかった姿勢です. これに気づいてから,姿勢を正し,坐禅のような姿勢を心掛けています. とくに,椅子には深く腰かけ,背筋を伸ばします.

運動の効果や薬の効果が出てきたせいもあるのかも知れませんが,でも,姿勢を正すようにしてから肩こりが治まってきたような気がします. 坐禅はやはり大切です. このところさっぱり坐禅に行っていませんが,もしかすると,肩と同じように心も凝っているのかも知れません. 肩よりこっちの方が大事かも知れませんね. そういえば尺八もこのところ,姿勢を正して本曲を吹くよりも,姿勢を崩して洋楽ばかり吹いていたかもしれません. いかんいかん ....


2011.03.10

献笛放題あっちこっち

献笛放題あっちこっち」の更新を忘れていました.


2011.03.19

・・・

今回の地震・津波では,阪神の大震災を上回るとんでもない数の死者が出ました. とにかくまずは,亡くなった方のご冥福をお祈りし,関係者の皆様にはお悔み申し上げます. そして,今現在も被災地では,多数の人が極限状態で耐えていると思うと,悲しくなります. 無事に切り抜けられることをお祈りいたします.

原発のことを思うと,ムカムカしてきます. しかし,命がけで作業にあたっている人たちには,本当に頭が下がります. なんとか最悪の事態にならないように,祈ります. 祈るしかないのが,まったくもどかしい限りです.

一方で,スーパーなどで物を買いあさっているパニック状態の人たちを見るのも,悲しいことです. そんなに買い込んで,最後は賞味期限切れで捨てるのではないかと思うと,腹が立ってきます. 街を走る車も,パニック状態です. 赤信号に凄い形相で突っ込んでくるオバサン,交差点の真ん中でバックして進路を変える若者,逆走する人,どうやってここまで来たんだろうと思うほど下手な運転の人‥‥. 普通の時にはこんなことはありませんでした. 車と言えば,ガソリンスタンドの前のどうしようもない渋滞も異常です. 本当に給油の必要な車ばかりなんでしょうか.

しかし私自身は,被災地の方や原発で命がけで作業中の皆さんには申し訳ないと思いつつ,不謹慎な表現ですが,少し楽しんでいるようなところもあります. 通勤も買い出しも,車はやめました. 給油は大変だし,私が使う分が被災地に回ればいいし. 自分の足で歩き,階段もエスカレータは使わ(使え)ない,こんなことが,結構気持ち良いのです. 暖房はとめて厚着をしています. 停電したって暗い静かな中でロウソクで食べる食事など,かえって自然な気がします. 今までいかに贅沢で無駄で不自然な生活をしていたのか,ということです.

横浜市営地下鉄はこれまで,通勤時などの満員電車は,実に不快でした. ところが地震の後,そんなに不快に感じません. それがなぜなのか,今気付きました. 節電のために,暖房を抑えたからです. これまで,余分な暖房をして,かえって不快な空間をつくっていたわけです. まったく馬鹿げたことです.

地震の後,特に原発の事故の後,どうも尺八を吹く気になりません. でも,布袋軒「三谷」だけは吹いています. 布袋軒は仙台の少し南,名取市にあった虚無僧寺です. おそらくそこもかなりの被害が出ているのでしょう. 私がそんな曲を勝手に吹いても何の役にも立ちませんが,でも,とにかく願いと祈りを込めて,吹いています.


2011.03.20

シュークリーム 再び

ニュースを読んでも何もできない自分がもどかしく,家の中にいても気がふさぐだけです. 天気が良くて風もないので,散歩に出ました.

その帰り,ふとコンビニに寄ってみました. 棚は,見事に空でした. 次に見つけたコンビニにも入ってみました. 棚の具合は同じようなものですが,シュークリームが二個だけ,残っています. クリームたっぷりというシュークリームです. こんな時に贅沢か,とも思いましたが,家内へのお土産を兼ねて,二個分のお金を払おうとした時です. 包装の中のシュークリームから,クリームが外にこぼれているではありませんか. 呆れて,キャンセルしました. あのシュークリームは廃棄でしょうね. もったいないことです.

思い起こせばこのシュークリーム,2月12日の三曲歌ざんまいの楽屋で,私の楽譜の上にボタッ!とクリームを落としてくれたやつです. やっぱり私の食べ方が下手だっただけではないようです.

こんなリッチな,贅沢な,豊富な,過剰なことをするから,挙句の果てに無駄になる. それが無駄になるどころか,別のトラブルまで起こす. まるで,これまでの電力政策と電力商売のカリカチュアではないですか. 便利でクリーンで快適なオール電化. スイッチ一つで暑さも寒さも吹き飛ばす. それでこぼれるクリームは ‥‥

三軒目のコンビニで,シュークリームを買いました. このシュークリームも,カスタードとホイップが同時に入っているという,過剰リッチ商品でした. コンビニのシュークリームはもうやめようかと思います.


2011.03.24

直ちに被害は無いというけれど

福島の原発事故は,どうにも大変な様子です. 毎日毎日ニュースを見ては,イライラ・キリキリ・ムカムカしていますが,どうにもなりません. どうかこれ以上ひどいことにはなりませんように,と,祈るばかりです. しかし,こんな事故を起こした原発が福島ではなくて,もしも仮に静岡の浜岡原発であったなら,関東はもう,どうなっていたことでしょう. 逃げることすらできないかも知れません.

それにしても,テレビなどのメディアでは,とにかく「直ちに被害はない程度」というのを繰り返します. 実際のところ,どうなのでしょう. メディアに流れるニュースだけではどうも不安を感じてしまいます. 現在進行中の福島原発事故に対応するのに役に立ちそうな情報を,上げておきます. ただし,私の住んでいる横浜市に関する情報が中心です.

とにかく,パニックにはならないように気をつけましょう. 私の周りには,さっそく目張り用のガムテープを買いあさったり,ミネラルウォーターを何ガロンも注文したり,百円均一ショップのビニール合羽が売り切れたと嘆いたり,という人がいます. その一方で,暖房などの電気は使いたい放題だったりします. そんな,自分だけは助かりたい,自分だけ良い思いをすればよい,というのは,見ていたくありません.

パニックが起きないためにも,行政は,本当の情報を提供してほしいと思います.


2011.03.28

素人が計算しています

3月24日にここに載せたものの他に,もう少し役に立つ情報がありました. 追加訂正と合わせて,ちょっと計算してみました.

まず 文部科学省 のサイトに,全国の放射線の測定値などが出ています. 神奈川県 にも,データがあります.

この放射線の値を見て少し疑問に思ったのは, 文科省や神奈川県の値と 横浜市環境創造局による放射線量の測定値 との違いです. もしかしたら,横浜の方は単に大気中の放射線量,文科省・神奈川県の方は実効線量(大気からの外部被曝に内部被爆を加えた値)なのかも知れません. だったら,実効線量の方で考えるべきなのかも知れません.

そうすると,現在,神奈川県内の平均でおよそ 0.12 [μSv/h] なので,この状態がこのまま1年続いたら,

	0.12[μSv/h] * 24[h] * 365[day] = 1051 [μSv]
つまり 1.05[mSv] の被爆となります.

文科省のサイトには,水道水の値もあります. これも,茅ヶ崎では I131 が 7.4[Bq/Kg] となっていますが, 横浜市水道局 ではすべて「不検出」となっています. 水道水はどこから取水するかでもちろん違います. しかし,不検出が 0 を意味するわけではありません. 計測の限界以下だというだけです. その限界がいくつか知りませんが,数[Bq/Kg] という値から出ていますから,その下あたりが限界なのでしょう. すると,不検出と言っても,2~3[Bq/Kg]くらいはある,と考えた方がよさそうです. 一時,横浜でも I131 が 60[Bq/Kg] くらいになりましたが,今は落ち着いていますから,この状態がそのまま続くとしましょう(楽観). 仮に I131 が 5[Bq/Kg],Cs134 と Cs137 が各々 1[Bq/Kg] 含まれるとして,その水を毎日 1リットルづつ(水直接だけでなく味噌汁や煮物なども),1年間飲み続けても,0.05 [mSv]にしかなりません. 因みに,実効放射線量係数 [Sv/Bq] を,I131 は 2.2*10^-8,Cs137 を 1.3*10^-8,Cs134 を 1.9*10^-8 としました.

	(5*2.2*10^-8 + 1*1.3*10^-8 + 1*1.9*10^-8)*1*365=0.00005 [Sv] = 0.05[mSv]

結局,大気と水道水から受ける被爆は,現在の状態が1年間続いても,(ここ横浜では)1.1 [mSv]くらいで,普通の人が1年間に浴びてもよいとされる値(1[mSv])を,ほとんど上回りません.

一方,ホウレンソウや牛乳など,食品の放射汚染が問題になっています. 神奈川県のサイトには, 神奈川県産の食品についての放射線濃度 も出ています. 3月23日採取で葉物の平均で I131 が 500[Bq/Kg]くらい(ホウレンソウは高くキャベツは低い),Cs が 100[Bq/Kg]くらい,原乳にもわずかに出ています. 21日のデータはそれより高めです. いずれも,規制値にはとどいていません. しかし問題は,比較的安全かと思った神奈川産の野菜でもこれだけ出ているということです. 市場には規制値以上のものは流通しないと思いますが,この程度のものは流通します. 半減期8日の I131 は次第に低くなっていくのかも知れませんが,半減期30年のCsはなかなか消えないでしょう. さて,この状況がこのまま1年続くとしたら……

野菜に,平均して I131 が 500[Bq/Kg](つまり規制値の4分の一),Cs が各々 100[Bq/Kg](規制値の5分の一)が含まれるとし,これを一日に 500[g]食べるとします. 肉は食べず,牛乳も飲まないとします (すみません,私はやや菜食主義者で,しかも粗食です.なお,米にはとりあえず放射能は含まれていないはずです). 実効放射線量係数を上と同じとして計算すると,

	(500*2.2*10^-8+100*1.3*10^-8+100*1.9*10^-8)*0.5*365 = 0.0026
つまり 2.6 [mSv] です. これに,上述の大気・水からの被曝を合わせると,3.7[mSv]となります. 「直ちには」人体に被害の出る値ではありませんが,嬉しくはない値です.

食品は,結局全国どこでもだいたい同じように流通しますから,食品から受ける被爆はどこに逃げてもあまり変わらない,ということになるかも知れません. ということは,横浜(関東の南・西)の人は,無理に逃げ出さなくても,食べ物に気を付けることが大切なのかも知れません.

以上,素人の計算ですから,あまり信用しないでください. それと,この計算は,今の状態でこれから1年間での被曝ですから,事故から今までの蓄積分については計算に入っていません. どなたか,もっと正しい情報を教えていただけたら,ありがたいことです.

ところで,花粉の飛散予測の代わりに,放射能の飛散予測を出してもらいたいものです. 何のための気象庁か,と思います. 外国にはいろいろ情報があります. たとえば, ドイツの気象庁(?) など. 日本にだって SPEEDI という素晴らしいシステムがある(はずな)のに,何の役にも立っていません. とにかく,事故原発に近い人にとって, 花粉飛散予測の動画 なんか(と言っては叱られるかも知れませんが)見ている場合ではないと思います.


2011.03.30

色褪せた世界

福島の原発事故が起こってから,私にとって,世の中が一気に色褪せてしまいました. 信じられない光景に驚いている,というような感じではありません. いつか起こるかも知れないと思っていたことが起こっただけのことです. 30年か40年くらいも昔から,私は原発には一応反対してきたつもりです. とは言っても,特に何か行動をしたというわけでもありません. せいぜい,東電方面から来るオール電化のセールスを撃退し続けたくらいで,ほんの小声で原発反対とつぶやいていただけのことです. しかもここ数年は,もうこうなったらオール電化も止むを得ないかな,という気持ちも湧きかけていたところでした. そこへ,今回の事故です. 自分に対しても悔しくて堪りません.

私も一応「電気工学科」の出身で,(内容はさっぱり覚えていませんが)発電工学なる単位を取ったのは確かです. 東電を始めいくつかの電力会社に就職した同級生がいて,原子力専門でやっているのもいます. プラント(発電所)の仕事をしているのもいます. 私は電気屋にはなりませんでした (電子屋から情報屋,いつの間にかなんでも屋,そして今はなんにも屋ですね). それでも,まるで関係ない世界の出来事とは言えません.

今回の事故で,世間もやっと原発を見直す動きになるのかも知れません. さっそく出てきているのが,では次の発電方法は ... という議論です. もちろんそれは大事ですが,その前に,今のこのバカみたいな電力浪費をどうやってやめるか,やめさせるか,ということではないでしょうか.

電気と言うのは,実に儚いエネルギーです. 発電したら,すぐその場で使い切るのが原則です. 作り溜めるということはほとんどできません. 電力需要のピークに合わせて,それだけの発電能力を備えなくてはなりません.

電力需要のピークは,夏の冷房です. 私の子供のころ,冷房などというものはありませんでした(学生時代,計算機室で冷房を知りました). しかし,あの当時,冷房がなくて熱中症で死ぬような人はまずいなかったでしょう. 原発に代わる安全な発電が実用化されるまで,冷房を法律で禁止したらどうでしょう. とりあえず,電気事業法第二十七条には電気の使用制限等が定められています.

そうなれば,夏には夏らしい出で立ち(褌と浴衣とか,麻の襦袢・麻の単とか)で出かけられます. 冬だって,冬らしい物が着られます. そっちの方が人間らしい生活ではないでしょうか.

事故以来,電力だけでなく電気に頼る技術を使うことが,なんだか嫌になってしまいました. もちろん,この世の中,電気なしではほとんど生きられないのは現実です. それでも,できるだけそうでない生き方(少し大袈裟ですが)を選びたいと思います.


2011.04.01

献笛放題あっちこっち

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2011.04.02

メトロノーム

メトロノームを買ってきました. 電子式はやめました. 電子式なら安価で小型で使いやすくて機能も高いことは,分かっています. それでも,機械式(ネジを巻く)の振り子の,昔ながらの大きさ・形の物にしました. 電気に頼るのが嫌だというだけではなく,いかにも電子的な音も気に入らないし,やはりあの,振り子の動きがタイミングを取るのに欠かせないような気がします. 機械式でも小型のものもありました. ところが,小型の物には拍子の機能がありません. やはり拍子は欲しいので,40年くらい前に使っていたのとほとんど同じようなものを買ってきました.

メトロノームは,本曲の練習にはたぶんまったく不要です. でも,洋楽や三曲合奏などの練習には役に立ちます. 私はこのところ,ギター弾きの古い友人を誘って合奏を試みているのですが,フルート尺八で吹いても,例えば「ハンガリアン舞曲第5番」みたいに,なかなか指が回らない曲があります. そういう速いパッセージを練習するには,まずは遅いテンポで正確に吹けるようにしてから,徐々にテンポを上げていく,という方法しかありません. もちろん尺八だって同じことで,たとえば「春の海」だってなかなか正確に吹くのは大変です. こういう練習には,メトロノームは欠かせません.

そういう難しい曲の場合だけでなく,とにかくリズムのある曲の練習は,まずはメトロノームに合わせて正確なリズム(最初は遅く,次第に正しいテンポで)を刻む練習が大切です. それに,チン・カチッ・カチッ・カチッ‥‥ だけですが,なんだか伴奏が付いているような気が(ちょっとだけ)します.

ピッチ・チューナ

メトロノームは本曲吹きには不要ですが,チューナは有用です. 本曲は本来,独奏するものですから,その意味ではピッチを気にすることはありません (ただしピッチのバランス ― いわゆる音程 ― は,本曲の場合だって重要です;それが洋楽とは異なるとしても).

チューナは,尺八を良く鳴らす練習に有用です. 本曲吹きはそんなにバリバリ鳴らす必要はないと言われるかも知れませんが,鳴らさないのと鳴らせないのは,違います.

今月号の邦楽ジャーナルで三塚さんが書いていることですが,初心者が尺八を吹くと,多くの場合ピッチが低くなるようです. それは,正しい(効率のよい)吹き方になっていないからです. それに対して,プロ・上級者の音は,低くはならず,そして効率よく鳴ります. 尺八が違うのかと思うくらいですが,そうではありません.

ちゃんとした尺八は,もっとも効率良く鳴る吹き方で,正しいピッチになるように作られているはずです. ということは,正しいピッチで吹かないと効率よく鳴らないはずです. つまり,効率のよい吹き方を身につけるために,正しいピッチで吹く練習が必要,ということです.

このことに気付いたのは,恥ずかしながら,そんなに昔のことではありません. ギターとの合奏を始めてからです. 最初,私の尺八が低すぎて,困り果てて,それからチューナを引っ張り出して,ピッチを上げる訓練をしました. すると,ピッチが正しくなると音も良く鳴ることに気付いたのです.

不思議なもので,最初はピッチを上げて(カって)吹くと,なかなかうまく鳴らないのですが,しばらくすると鳴るポイントがわかってくる. するとそのうち,標準ピッチを上回ってしまって,慌ててメルらねばならなくなったりします.

私の自宅でする練習は,ほとんど音出し(ロングトーンと音階練習)ばかりですが,それを,チューナを睨みながらやっています. 今,自宅には尺八が8本ありますが,それを,値段の高かった順に,吹きます. 1本で10分か15分かかりますから,音出しだけで1時間半はかかります. これだけやるともう疲れて,曲の練習は割愛(^^;)

なぜ高いものからか .... 世の中の製管師やお店の良識と誠意を信用するとすれば,高いものほどちゃんとできているはず. だから,高いものほど正しいピッチで吹くのがいいはず. 正しく吹けば,良く鳴るはず. 高い尺八で正しい吹き方に身体が馴染んだら,ちょっといい加減なのも,ちゃんと鳴る .... のではないかと.


2011.04.28

尺八とケーナ

以前の私は,かなり低いピッチで尺八を吹いていたようです. それでよくもいくつかの演奏会をやり過ごして来られたものだと思います (^^;)

前にも書きましたが,ちゃんとした尺八なら,正しいピッチで鳴るような吹き方をする方が良く鳴るはずです. ピッチ・チューナを睨みながらの音出しを続けたおかげで,私も,まあなんとか安定して 442Hz くらいで鳴らせるようになりました. よく鳴るだけではありません,これでやっと安心して他の楽器との合奏もできます.

少し前から,古い知り合いのギター弾きを引っ張り出して,合奏を企てています. 尺八だけでなく,西洋音楽(クラシック)はフルート尺八も使います. 南米アンデスの民族楽器のケーナも使おうと思っています. 実はそのギター弾きは,昔,私がケーナで吹く「灰色の瞳」などの伴奏をしてもらっていた人です.

さて,ところが,もともと私の持っていたケーナは 445Hz くらいの,えらくピッチの高い笛でした. その当時(30年以上昔)のフォルクローレの楽器は,このくらい高いのも珍しくはありませんでした. そのケーナを今吹くと,445Hz どころではなくて,半音以上も高くなってしまいます. 尺八を高く吹く訓練をした結果でしょう.

これでは尺八と同時には使えないので,あきらめて,新しいケーナを買いました. 440Hz に調律してある,ということを謳っている笛です. ところがそれを吹いても,445Hz くらいにはなってしまいます.

しかたがないので今は,一方で尺八を高く吹く訓練,もう一方でケーナを低く吹く訓練をしています. 矛盾する二つのことをしているのですが,これはこれで勉強になることもあります.

尺八は,基本的に(幹音は)カリで吹き,旋律の中で(派生音は)メリます. この時,大いに音色が変わりますが,それが尺八の魅力の一つです. そもそも,幹音をカリで吹いていないと,派生音でメリきれません.

一方,ケーナは,尺八流に言うなら,ずっとメリっぱなしで吹きます. だから,歌口側は閉端に近く,閉管的な,偶数倍の倍音の少ない,そんな少しうつろな音色になっているはずです. ケーナでは高音域をよく使いますから,今までそのようには認識していませんでしたが,低音域の音色を考えると確かに,閉管的な音色です. この音色がケーナらしさ,ケーナの魅力,であるのだろうと思います. 誰か,スペクトル解析してこのあたりを確かめてくれませんかねぇ.

尺八にしろケーナにしろ,製作者が狙ったピッチで吹いたときが,その楽器の本来の性能・魅力が発揮される,ということです. 泉州尺八工房の尺八は 440Hz とか 442Hz で吹かなければ三塚幸彦/善養寺惠介の音は出ないし,大木岩夫ケーナも 440Hz か 442Hz で吹かなければ大木岩夫の音は出ません.


2011.04.30

録音

自分の音を録音してみました. クラシック,ポピュラー,フォルクローレなどを,伴奏(CDや自作カラオケ)に合わせて吹いてみました. その結果 ‥‥‥ 自分の音に愕然とし,そしてゲンナリしてしまいました(予想していたことではありますが).

録音は,我慢して何度も何度も聞きなおしています. 録音は,自分にとって一番厳しい師匠であるのかも知れません.

吹いている時は,結構気持ちよく吹けたように感じていました. たぶん,いい音だけが記憶に残り,失敗したところは,完全に破綻した時は別として,通り過ぎて,忘れてしまうのです. ところが,録音を聞く段になると,通り過ぎて忘れたはずのアラばかりが聞こえてくるのです.

今日の録音を聞いて,反省している点は,

と,まあ,まだまだ前途多難です.


2011.05.03

献笛放題あっちこっち

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2011.05.24

契約アンペア数

しばらく前まで,我が家の電気の契約は 50A でした. 昔はもっとずっと少ない契約だったと思います. ところが,いつのまにか電気に頼りきった生活になり,だんだん大容量の電化製品も増えてきました. 息子はパソコンだのなんだの使いまくるようになり,同居しにきた母は夏でも(クーラーや扇風機を使いつつ)コタツを使ったり..... それで,だんだん契約を増やして,50A 契約になりました. その 50A 契約でもたまにブレーカーは落ちました.

息子と母がいなくなり(どちらも生きていますよ^^;),夫婦二人になったのを契機に,50A から 40A に下げました. 40A に下げても,二人の生活なら,ブレーカーが落ちたことは一度もありません. 大震災・原発事故以来,電気の使用をさらに控えるようになりました. まだ寒かった三月や四月も,エアコンの暖房はほとんど使いませんでした. 厚着で寒さは凌げました. その他の電気も極力使わないようにしていますが,輪番停電でもないのに蝋燭で食事をするのは,趣味の範囲かも知れません.

我が家は今回,契約を 40A からさらに 30A に下げることになりました. (家内は,30A で大丈夫だったら 20A に下げようか,と言っています).

問題は,これからの夏です. 昔の夏は,浴衣にウチワ(それにいつからか登場した扇風機),窓を開け放して蚊帳をつって,それだけで過ごして来られました. それで,熱中症で人が死んだ,というようなニュースや噂を聞いた記憶はありません. しかし最近の夏は,裸でも眠れないような暑い夜が続きます. 裸になっても暑いのでは,着る物の工夫では足りません. 電気を止められたアパートの部屋で,老人が孤独に熱中症で死んでいた,という事件は珍しくありません. 昔と何が違うのでしょう.

温暖化,と言われます. それも含めて,要するに人間が余分な熱(やCO2)を出しているからです. 余分なエネルギーを使うからです. 夜になってもアスファルトは熱を出し,涼しいはずの夜の風が熱風になる. 涼しいはずの海や山からの風は,コンクリートの建物にさえぎられて,生活の場所まで届きません. 暑いからクーラーをかける. 隣近所のクーラーからの熱風が集まって,ますます暑くなる. みんながクーラーをやめて,地面が植物で覆われていれば,ずっと過ごしやすい夏になるのではないでしょうか. 高い建物もやめてしまえばもっといい.

果たしてこの夏,我が家はクーラーをどれほど使わずに過ごせるでしょうか, クーラーなしで暮らせるように,いくつか工夫はします. まず,開けた窓から風が通りやすくなるように,部屋の模様替えを考えます. 窓には,庭に自生している葡萄に加えてゴーヤのグリーンカーテンを準備中です. (ゴーヤ・チャンプルーを食べることも,暑さ対策です). グリーンカーテンの届かないところは簾を掛けます. 蒲団にはイグサのゴザがいいかも知れません.

因みに,かつてはブレーカーが落ちて一番困ったのは,パソコンでした. しかし,今使っているパソコンはバッテリーで動いていますから,もうブレーカーが落ちても怖くはありません.


2011.05.30

尺八と仏教の心

昨日は,虚無僧研究会の総会と講演会があり,参加してきました. ただし,懇親会はパスしました. 講演会は,

  1. 相良保之師・酒井松道師「明暗真法流の調べ」
  2. 小出虚風師「神如道師の思い出話」
の二題でした.

小出師の話しの中に,神師の鞄の中身の話しがありました. 鞄には「大法輪」が入っていたそうです. 私は尺八そのものを神秘化・神格化する気はありませんが,本曲吹きが仏教・禅を離れてはだめだと思います. 尺八の練習と同じくらい,仏道を修めなくてはいけないと思います. 現在本曲を吹く人のどれほどが,本気で仏様に心を向けているのでしょう. 他人がビックリするほど尺八がうまくても,仏様は喜んでくれないのではないかとも思います.

虚無研の会場で,海童道祖の CD を買いました. これはこれで凄いと思うのですが,あまりにも宗教がかった表現(演奏も説明も)が多く,なんだか少し,疑問も感じてしまいます. もっと素直に,穏やかに,仏様に捧げる尺八を吹きたいと思います. 体調不良と仰る相良師が講演の最後に吹かれた曲「焼香文」は,心に深く染みました.

ところで私は,日本百観音の巡拝が満願してしまってからは,なんだか少し仏様から離れているような気もしています. これは反省をしなくてはいけないことだと思っています.


2011.06.02

音楽音響研究会

日本音響学会に「音楽音響研究会」という研究会があります. 1980年に発足し,1982年から音響学会に正式に認められた研究会になりました. 私も1982年に入会し,結構よく参加していたのですが,2000年ころを境に,次第に疎遠になってしまっていました.

先日,久しぶりに研究会に参加し,会員に復帰することにしました. そしたら今日,30年分の発表題目の目録が届きました. ざっと目を通し,感慨にふけってしまいました(私自身も何度か発表させてもらっています).

ところで,尺八に関連する発表が結構あることに驚きました. 中でも,2006年には

    普化宗「調子」の音程
    普化宗曲の「間」について
    普化宗尺八曲の音階

というタイトルの発表があります. 発表者は信州大学の今井仁という方ですが,どういう方なのでしょう. とりあえず,これらのバックナンバーかコピーを手に入れようと思っています.

ところで,この研究会は,音響学会の会員でなくても入れます. したがって,実に様々な人が集まっています. 音響学の研究者はもちろんですが,別の分野(例えば情報)で音楽や楽器を対象にする研究者もいるし,音楽の専門家・音楽家もいるし,音楽が好きなただの素人もたくさんいます. だから,発表もまた様々です. 数式ばかり並んでいて頭と目が痛くなるものもあれば,ほとんど演奏ばかりのようなものもあります.

以前から思っていたのですが ‥‥ 尺八の世界には,地無しがどうの,とか,遠鳴りがどうの,とか,肺で共鳴させるだとか,いろいろな議論・論争があります. 迷信みたいな主張も多いのではないかと思います. 以前, 尺八演歌党の掲示板「尺八大全集」 でも面白い議論が出ていました(残念ながらもうアーカイブは見られないのでしょうか). そんなことを一度,この研究会でまじめにまとめて議論してみたらどうでしょう. 尺八に関する様々な意見を持っている方々に音響の専門家を交えて,大バトルをしたら面白そうです. おそらく一度では解決しないでしょうから,その後,何度でもやってみたらいい,と思うのですが.


2011.06.05

手塚治虫のブッダ

手塚治虫のブッダの映画を見てきました. ストーリーは,シッダールタが出家する所まででおしまいでした. もう少し先まで期待していたので,肩すかしをくらったような気分です.

たしかにあれだけのストーリーを,1本の映画にまとめるのは無理でしょう. ここまででも,原作を読んでいなかったら,ストーリーを理解しきれないかも知れません. ましてや,小さな子供では,いくらアニメだとは言え,まったく面白くはないでしょう. 隣りの席は小さな子供たちでした. おかげで,上映中はごそごそ動きまわるし喋るし,ポップコーンを頬張るためだけにいるようなものです. (それにしても,映画館のポップコーン,なんとかならないものでしょうか. うるさいし臭いし).

シッダルタの父親(シャカ族の王,浄飯王)の声優の下手さ加減には呆れました. なんでこんな人を使ったのでしょう. 能の世界で高い地位にあるからって,アニメの声優として使えるかどうかくらい,分かりそうなものですが.

最後の辺りで尺八が聞こえてきました. とても綺麗な音で,これはもしや,と思ったら,やっぱり藤原道山さんでした. さすがです. インド風俗の考証として,井上貴子さんの名前がありました. 井上さんはインド音楽の研究者ですが,音楽までは関わっていないのでしょうね,仙人が1弦琴を弾く場面で流れた音が多コースの弦楽器の音でちょっと違和感がありましたが,まあ所詮アニメですから.

原作の漫画を引っ張り出して,最初から読み直そうかと思います.

献笛放題あっちこっち

今月は「献笛放題あっちこっち」の更新はありません.


2011.06.11

三日三月三年

大震災からちょうど3ヶ月. 3ヶ月前の今頃は,そもそも停電でほとんど情報は入らないし,とにかく慌てていただけでした. 原発の状況を認識したのは,3日後くらいからだったでしょうか.

3ヶ月めの今日,反原発のデモもあったようです. 今は誰でも放射能のことは気になっているだろうし,夏の停電を気にしつつも,原発には不安を持っているでしょう. 電力に頼り切った生活に反省もしているでしょう.

原発事故からちょうど3ヶ月の,よりによってまさにその日,東京電力と関西電力の株主総会開催の通知が届きました. (因みに株主は私ではなく母で,もともと株を買ったのは母の父,私の祖父です. なお,東電の株は今となってはただの紙屑です). さて,その通知によると,東電ではすべての原発の廃炉・今後の新設の中止,関電ではさらに,例えばオール電化政策をやめること,などの,株主からの提案があり,取締役会はそれに反対しています. こういう議論は毎年々々繰り返され,株主総会で否決されてきました. そしてたぶん,こんな状況の今年も,やっぱり否決されるのでしょう.

ところで,今は多くの人が,節電の気持ちを強く抱いています. しかし,3年後はどうでしょう. 「放射能」にも慣れっこになって,平気で電気を使いまくる生活に戻っていないでしょうか.


2011.06.17

巡回書架

毎回の吹合せの時,次のような雑誌(ただし()内は,未購読で今後どうしようか思案中のものです)を会場に持って行っています. 私一人では読み切れなくて勿体ないので. 概ね,最新号とその一つ前の号を持っていきます. 吹合せに参加の皆さん,ご自由にご覧ください. 最新号でなければ,お持ちになってゆっくり読んでいただいて結構です(早い者勝ち). 次の時にお返しください.

以上,ジャンルとして見ると随分と出鱈目なようですが,私にとっての尺八とは,これら全部に関わるものだと思っています.


2011.06.27

暑くなりました

今週末はもう7月です. さすがに暑くなってきました. 自慢して言いますが,私はまだ自らの意志では一度も冷房をつけてはいません,自宅でも職場でも (^^)

しかし,冷房がないと辛い局面もあります. とくに自宅で尺八を吹く場合 .....

家で音を出す時は,外に漏れる音が少しでも小さくなるようにと,窓という窓,ドアと言うドア,カーテンまでも,すべて閉じます. ですから,これからはさすがに暑くてたまりません. 少し吹いては窓を開けて空気を入れ替える,ということで今はしのいでいますが,いつまで我慢できることか .....

しかも,自宅で音を出すのは,できるだけ近所迷惑にならない時間帯を選んでいます. 近所迷惑にならない時間帯とは,午後の4時~6時くらい,あるいはもう少し我儘をいって,午後3時~7時くらいかと思っています. 特に根拠はないのですが,出かけている人も多かろうし,夕食の買い出し・支度~夕食,というような時間帯ではなかろうかと. この想定が正しいかどうかはわかりませんが,とにかく私は,このあたりの時間帯に音を出させてもらっています. ... で,この時間帯,困ったことに一番暑い時間帯と重なります. とくに我が家はほとんど西向きなので,堪りません. 何か対策を考えなくては,と思っています. (なお,平日は帰宅してからしか吹けませんが,8時を過ぎたら小さい音も出さないようにしています).

とにかく,冷房は出来る限り使わずに過ごそうと決意しています. しかし,テレビではしばしば東京電力の会見を見かけます. その時の東電の人たち,この暑さの中でも,みんな長袖の作業着をしっかり着こんでいます. さすがに東電社員,えらいもんだとも思ったのですが,もしかしたらあの会場,充分に冷房が利いているのでしょうか :p

なお,吹合せ会,これからしばらくは土曜日の朝一(朝9時~12時)の枠を狙うことにします.


2011.07.10

献笛放題あっちこっち

献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました.


2011.07.13

浅草観音裏「みちびきまつり」

今年も,浅草観音裏の「みちびきまつり」に,虚無僧の練りで参加します. 7月17日(日)です. 浅草芸者衆を中心に,15時半ころに浅草見番を出発して,みちびき地蔵,そして浅草観音まで練るそうです. 浅草寺境内では,観音様に踊りを奉納するそうです.

東京浅草組合 / 浅草見番公式ホームページ

私はもしかすると,尺八は吹かないで,引磐(いんきん,印金)を叩くことになるかも知れません. 行列になって尺八を吹いていると,先頭と後尾ではどこを吹いているのか分からなくなって,無茶苦茶になってしまいます. それで一昨年は,お遍路さんが持っているような「持鈴」を片手に持って,それでフレーズの区切りを示してみました. でも持鈴はどうしても「チリンチリーンリン」というようないくつも音が鳴ってしまい,どうもイマイチです. それで今回は引磐を手に入れようと思っているのですが,もう時間が無いので,当日,浅草の隣りの田原町あたりの仏具屋を漁ってみることにします.

今回は間に合うかどうかわかりませんが,私は,尺八と引磐の組み合わせは,ものすごく好きです. 以前,虚無僧研究会の虚無僧の練りでは,虚無研会長の小菅和尚(虚無僧ではなく僧侶姿)が先頭で引磐を打ち,それを合図に虚無僧たちが尺八を吹く,というやり方をしたのが,とにかく印象的でした. 多人数で尺八を吹くならこのスタイルだな,と,ずっと思っていたのでした.


2011.07.17

みちびきまつり

今日,浅草観音裏の「みちびきまつり」がありました. このイベントは毎年内容が変わるのですが,それにしても今年はいつもとずいぶん違い,虚無僧の出番はほんの少しでした. 浅草見番ではなく,ゴロゴロ会館の裏から出発して,浅草寺の境内までの片道を練っただけでした. 境内ではその後,子供たちのよさこいソーランだの,創作舞踊だのの,奉納がありましたが,我々はこっそりと逃げ出してしまいました. 琵琶とか,いくつか邦楽の演奏もあったはずです.

今年は虚無僧の集まりが悪く,たった4人でした. そんなわけで,せっかく手に入れた「引磐」は,あまり必要ではありませんでした. 曲の始めと終わりだけ引磐を鳴らして,間は私も尺八を吹いていました.

わざわざ見に来て下さった方,ありがとうございました. 虚無僧に関してはたぶん期待外れで,どうもすみませんでした.

ところで,虚無僧装束の運搬について,ちょっとメモしておきます.

虚無僧装束の持ち運びにはいつも難儀していました. 天蓋は軽いのですが大きくて,とても邪魔なのです. 天蓋以外にも荷物は結構あります. 尺八,着物・襦袢に履物,手甲脚絆,偈箱に袈裟,等など. 天蓋で一包み,それ以外で一包み,となります. しかし,大きな荷物を二つも抱えていると,移動はすごく大変です. それで最近は,天蓋の中にその他の荷物を全部詰め込んでいました. これだと荷物は一つになりますが,天蓋の変形が心配です. 実際,私の天蓋はいつのまにか,偈箱のせいで四角くなっています. 天蓋以外の荷物がいくらあると言っても,キャリーバッグを使わねばならないほどの重さでも大きさでもないのですが, 今回,ふと思い立ってキャスター付きのキャリーバッグの上に風呂敷に包んだ天蓋を重ねて,取っ手に縛りつけてみました. かなり楽でした. なんでこんな当たり前のことに気づかなかったのだろう,と思いますが,気付かなかったのだからしかたがない. これで,イベント虚無僧に出るときの憂鬱が,少しだけ解消されました.


2011.07.17

今年のみちびきまつり

今年のみちびきまつりの虚無僧は不発だったようで,ネット上に虚無僧の姿は見つかりません. 虚無僧に限らず,そもそもみちびきまつりの話題そのものが,今年はネット上で少ないようです.


2011.07.22

妄想(もうぞう)生じて我を失くす?

仏教では「無我」ということを言いますが,西洋の哲学者,デカルトは「コギトー・エルゴー・スム(我思う,故に我あり)」と言ったそうです. 自己の存在を確認するのに自己の存在を疑ってみる,というのは,如何にも哲学的ですが,じゃあ「思わない」時は「我は無い」のか,と茶々を入れたくなります. 実際,人が一番充実した時間を過ごしているのは,「我を忘れて」何かに取り組んでいる時です. だから,充実している時は,我は無いと言えるのかも知れません. 「我の存在は確認できるけれど充実していない」より,「我を忘れて充実している」方がいいような気がしますね.

坐禅では,「無」になれ,と言われます. おそらく坐禅は,我を忘れて坐り,我も他も無いことになりきってしまう訓練でもあるのではないでしょうか. 坐禅では,坐って息をする以外,何もしません. ただそれだけのことに我を忘れて取り組むことができるなら,他のどんなことにも我を忘れて取り組むことができるのかも知れません.

ところで昨夜は,新宿・法身寺(虚無僧研究会本部でもある)の坐禅会でした. ここ数年は,歯の定期検診のついでにしか参加しないので,3ヶ月ぶりの坐禅です. 久しぶりに坐ると,どうしても妄想(もうぞう)が湧いてきます. しかし昨夜,面白いことに気づきました. どうしても湧いてくる妄想を,もういいや,と思ってそのまま放っておきました. すると,「我を忘れて妄想の中にいる」というような状態になりました. 今までは妄想が湧いてくると,それを何とか消してしまおうと七転八倒していました. だから,「坐禅は心のストレッチ」,などと思っていたのです. しかし,そんなことをしていたのではなかなか「無我」にはなれませんでした.

妄想の中で我を忘れていると突然,坐禅の終りの引磐(いんきん)が鳴って,スッと我に返ります. その時の充実感が不思議でした,ただ妄想(もうぞう)の中にいただけなのですが …… あっ,妄想(もうそう)に耽っていたわけではありませんよ (^^;)

腕の筋肉

昨日の坐禅会の前に,歯医者でインプラントの定期検診がありました. インプラントと歯の検診の後で,体脂肪率だの筋肉量だのを計りました. 歯医者なのに何故? と思いましたが,インプラントにして何でも食べられるようになったせいで肥満になったり,歯の衰えが身体の衰えになったりするから,だそうです. なるほど.

で,その結果ですが,まずは「隠れ肥満」だそうです. それは分かっていましたが,それより問題は,両足の筋肉量は同年代の人と比べて同程度ながら,両腕の筋肉が 70% しかない,ということです. 腕の力が足りないことは自覚していましたが,70% とはっきり言われると,かなりショックです.

最近,腕の震えが目立ってきました. 内科のお医者さんには「本態性振戦」かも知れない,と言われましたが,筋力が衰えたせいもあるのかも知れません. これから心を入れ替えて,尺八の練習には腕の筋力トレーニングも加えようと思います.

ホームページのアクセス・カウント

いつの間にか,このサイトのホームページのアクセス・カウンタが 10000 を超えています. なお,10000 とか 100000 とか(これはずっと先ですね)をゲットしても,何も記念品は用意していません,悪しからず :)

このしょうもないサイトを,一体,どういう方々がアクセスして下さっているのでしょうか. 10000 になったのはリロードすればカウントが進むカウンタなので,この数がそのままアクセス数ではありませんが,それでも,毎日数件のアクセスを頂いているようです. アクセスがあると,何か更新しなくっちゃ,という気になります. ありがとうございます.

みちびきまつりの虚無僧発見

やっと一つだけ,「みちびきまつり」の虚無僧の写真を発見しました. でも,もう練りが終わって,芸者の御姐さんたちのテントの後ろで一休みしているところで,いかにも間の抜けた,情けない風情です. 左から二人目が私です.

Dozeのほほん絵日記 2011-07-20
2011.07.23

カナブン

このところ,カナブンをよく見かけます.

今日の吹合せの準備で,しばらく使わずにしまってあった2尺1寸管を取り出しました. 尺八はビニール袋に入れて,箪笥にしまってあったのですが ‥‥‥ 尺八の管尻からなんだか黒っぽい玉のようなものが見えています. なんだか妙な具合です. ‥‥ 良く見たら,なんと,カナブンです. 昆虫のカナブンです. 本気でびっくりしました.

この尺八はちょうど2週間使いませんでした. しまってある尺八にもぐりこむのは到底不可能ですから,しまう直前にもぐりこんだ以外,ありえません. すると,このカナブンは,2週間,飲まず食わずで,箪笥の中のビニール袋の中の尺八の中で,生き延びてきたことになります. 苦しかったでしょうね. 庭に放してあげると,いかにもやっとの思いで動いている,という風に,草むらにゆっくり消えて行きました. はたして無事だったでしょうか.

カナブンも辛かったでしょうが,私も肝を潰しました. 尺八の中に糞でも無いかと心配しましたが,食べるものもなかったからか,糞は見当たりませんでした.


2011.07.26

アナログからアナクロへ

地上波によるテレビのアナログ放送が,ついに終了したそうです. しかし我が家のアナログテレビは,一向に「砂の嵐」が始まらず,拍子ぬけしているところです. ケーブルテレビで,デジアナ変換して再送しているからだそうです.

ところで,私の頭の中は「アナログテレビ」で構築されてきたようです. 最初に電子回路(真空管の時代でした)を勉強したのは,中学 1年の時の,NHK教育テレビの「テレビ修理技術講座」でした. これを見て,工具やら測定器を買ってもらい(さすがにオシロスコープは買ってもらえず,テスターまででしたが),自宅のテレビを直したり壊したりしていたものです. 壊れたテレビやラジオの部品を集めて無線機を作り,違法電波まで出していたしまつです. 私が電気関係の進路を選ぶことになったのは,このあたりのことが原点でした.

就職して最初に担当した仕事は,今風にいえばパソコンの画面表示をする装置の開発です. 表示装置は,もちろんアナログテレビ(CRT)です. 水平走査線の1本の走査時間が 63.5μ秒などということは,このころ頭に焼きつき,何かの短い時間を考えるときの基準の一つにしてきました.

学会に初めて出した論文は,アナログのテレビカメラの信号をディジタル信号に変換する装置のことでした. その後,ディジタル画像処理の研究などもしてきましたが,たとえば画像の解像度を想像するときの一つの基準は,アナログテレビの画面でした. これからは,こんなアナログテレビを基準にした話は「アナクロ」な話になってしまうのでしょうね.

アナログの世界は勘や熟練が活きてくる世界であり,小学生や中学生にも少しは手の出せる世界でしたが,ディジタルの世界はそうはいきません. いや,ディジタルの世界でも手の出せることはありますが,それは,指を切って血を流したり火傷したり感電したりしながらやるものではありません. ただ机の前で,まさに「机上の空論」のようにしてやるものです. もちろんそれは,緻密な思考を要するものですから,知能の一部は鍛えられるでしょう. けれども,アナログの世界に残っていた「人間らしさ」「人間臭さ」はすっかり無くなってしまいそうです.


2011.08.02

古典本曲の伝承について

古典本曲の伝承について思いを巡らせています. それで,ちょっと思いついたことがあります. 古典本曲の伝承には,実は二種類あるのではないか,ということです.

まず,古典本曲(と言うか,それに対する立場)を二つに大別して考えます. 一つは,普化宗寺院で宗教行為(禅修行)の一環として伝わってきたもの. もう一つは,琴古流のように,一つの芸能として伝えられてきたもの. 現在(明治以降)の伝承は,ほとんど後者だけのように思います.

後者では,他の日本の伝統芸能と同じように,師匠とそっくり同じことができるようになることが重要です. そのためには,楽譜として曲を固定化することもあったでしょう. もちろん,少しずつは手が加えられ,洗練されることもあるでしょう. いわば,西洋音楽の,とくにクラシック音楽と同じようなことです.

ところが前者では,師匠と同じことが出来ることには価値はないのではないでしょうか. これは,禅の修行における公案と似ているのではないかと思います.

公案に模範解答はないそうです. ですから,人によって答えは異なってよいのだそうです. そして,答えが異なっていても,師匠にはその悟境を見抜けるのだそうです. これと同じように古典本曲でも,師匠から弟子に伝えられるのは,表面的にそっくり同じであることではなく,その曲をどういうところで吹くのか,つまりその曲に対する悟境のようなものが伝えられるのではないでしょうか. ですから,師匠と弟子とは,同じ曲を吹いても,表面的にはまるで異なる音楽になっても良いのではないでしょうか.

そういう立場に立てば,楽譜にはほとんど価値はない,むしろ無い方が良い,ということになります. そういう形で師匠から受け継いだ曲は,自分自身もいつも同じに吹くことはないから,そもそも楽譜には固定できないでしょう.

師匠から弟子にきっちり同じものが伝わる芸能としての伝承は,さまざまな技法を伝承するためには大切なことでしょうが,そればかりではいけないのではないかと思えてきました. 技法を超えたところにある,言葉や図面では表せない世界を伝える方法としての(古典)本曲を廃れさせてはいけないのではないでしょうか. 仏教,禅が廃れてはいけないのとまったく同じ次元で.


2011.08.08

ここしばらくのこと

ここしばらくの間に,いくつかのことがありました.

霧海篪

7月末には,百銭会の浴衣会(お浚い会)があり,私はA管で「霧海篪(むかいぢ)」を吹きました. 東日本大震災のことを思うと,宮城の布袋軒の曲(私は三谷ばかりですが)を吹こうかとも思っていました. しかし,ここしばらく,虚空と霧海篪のことを考えていて,ふとこんなことを思いました. もしかしたら,この霧海は観音経(妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品偈)にある「福寿海無量」のその海なのではないか. あるいは,聞こえてくる篪(古代中国の大型の笛)の音は,おなじく観音経にある「梵音海潮音」ではないのか,と. それなら,海の力に圧し潰された大地にも,放射能の霧に汚された世界にも,この音は響かなくてはならない. いかにも大げさな言い方になりましたが,なんだかそんな気持ちで,「霧海篪」を選んでみました.

で,出来はどうだったか言うと,龍頭蛇尾だったかも知れません. 楽譜の端に,「きしめん」と書いた付箋をつけておいたおかげで,とりあえずなかなかいい音で吹き始められました. でもそのうち力が付きで,ついつい細かいところまで注意が回らなくなってきて,最後はお粗末な演奏になったようです. とても「梵音」とは言えません (^^;)

尺八とギター

浴衣会が終わったら今度はしばらく,本曲とは全然違うことの練習です. ギターとのユニットで,初の出番が決まったので,それに向けての合奏練習です. とりあえず,サティ,ピーター・ポール&マリー,サイモンとガーファンクル,フォルクローレ,などをレパートリーに選びました. 本曲を吹くのと洋楽を吹くのでは,同じ「尺八」なのに,かなり異なるところがあります. 楽器として,あるいは楽器の扱い方としての違いは,そのうちまとめてみようと思います. でもそもそも,根本的に,本曲を吹くのと音楽(洋楽だろうと邦楽だろうと)を吹くのとでは,違います.

ところで,8月4日にスタジオで練習した録音に,ホールのようなエフェクトを掛けて聞くと,かなりいい出来に聞こえます. たいしたもんだ,と思うのですが,エフェクトをはずすとミスだらけが目立ち,ピッチも外れているし,要するに下手くそです (^^;;) 音響効果の効果って,凄いものです.

虚空

そして8月6日は,暑気払いを兼ねた全員での吹き合せ会. ここで,古典本曲「虚空」の聞き較べを企画してみました. これが,いろいろなことを考えるきっかけになりました. 先日書いた,伝承のこともそうで,二つの伝承を「禅的継承」と「芸能的伝承」という言葉で表してみてはどうか,と思っています.

それから,虚無僧の根源の曲と言われる「虚空」と「霧海篪」ですが,仏教・禅の考えに照らして考えてみると,各々の役目,意味が見えてきたような気がします. 上のところで書いた観音経と霧海篪のイメージの重なりです.

すると,虚空はどうか. 「虚空」は仏教・禅の根本理念である空(くう.般若心経でもよく出てくる)をよく表した言葉です(実際,仏教辞典にも虚空という項目があります). つまり,「虚空」はその悟りを表わそうとした曲なのではないでしょうか. だとすれば,禅では悟りを「不立文字」とか「教外別伝」とか言うように,みな同じに表せるものではありませんから,悟りを表わした「虚空」も,人によって異なるのが当たり前ではないでしょうか. ですから,「虚空」がそのようなものである間(禅的継承されている間)は様々に変化し,しかしどのように表現された悟りも悟った者にとっては同じことと見えるのと同じように,変化した「虚空」も同じく悟った者にはその中に同じ「虚空」を聞いたのではないでしょうか. しかし,芸能としての伝承ではそういうことではなく,形が伝承され,洗練もされます. 明治以降は,古典本曲から宗教性がほとんど消えましたから,形としての伝承(芸能的伝承)ばかりとなり,何処の誰の「虚空」を聞いても基本的には同じ「虚空」である,ということなのではないでしょうか.

吹合せ会

吹き合せ会の最後は,参加者全員に,一人ずつ吹いていただきました.

  1. 砂山
  2. 荒城の月
  3. 吾妻の曲
  4. 霧海篪
  5. 紫鈴法・盤渉
  6. 布袋軒 三谷
みなさん,かなりの上達ぶりであったと思います. 初めての参加で,まだ本曲に入っていない方も,稽古の時とは比べ物にならない良い出来だったと思います. 人の前で吹く,というのは,確実に進歩させてくれるはずです. 今回は少々時間配分に失敗して,ずいぶん時間が圧してしまいました. 最後の私は,受付からの電話が来ないかとはらはらしつつ,吹きながらカット場所を考える,という,ある意味では訓練になりましたが,その分,演奏は不十分だったかも知れません. 布袋軒「三谷」を吹きました.

暑気払いで

暑気払いは,少々控えめに飲んでいたつもりですが,それでも若干二日酔いになりました(^^;) 飲みながらの話しに上ったことの一つに,そのうち虚無僧研究会にみんなで参加しよう,ということがありました. 今回,全員での斉奏も何曲かしてみました. これがなかなか良かったので,これを虚無僧研究会の献奏会でやりましょうか,ということです. いずれ,古典本曲を合奏に編曲して虚無僧研究会で吹く,というのは私の「野望」ではあるのですが (^^;;;)

更新情報

今月は「献笛放題あっちこっち」の更新はありません. 指南メモに初心者のための「尺八の取扱い」という記事を追加しました.


2011.08.19

ガスも電気もないお盆

お盆の5日間(14~18日),田舎で,電気もガスもない生活をして来ました. 水だけは使えましたから,何も困ることは無く,充分満足な生活でした. 猛暑日の続く頃で,何年か前には全国一の猛暑を記録したところですから,もちろん暑かったのですが,それでも,実に快適な暮らしでした. クーラーどころか扇風機も無い時代の人が,普通に暮らしていた暮らしを,してみたわけです. エネルギーの節約にも,ほんの少しは貢献できたでしょうか.

5日間過ごした家は,2年前に空き家になった,家内の実家です. 電気とガスは止めて,水道だけがそのままになっています.

浜松市天竜区の,天竜川の支流沿いを,何キロか山に入ったあたりにあります. 一番近い家とは,直線距離で50mという感じです.

築200年は下らない古い農家で,典型的な「田の字様式」の家です. 周りの戸(窓ではありません)を開け放せば風が家の中を吹きぬけますから,冷房無しでも過ごせます. 扇風機でさえ無くて済みました. しかもその吹いてくる風は,都会のアスファルトの上をモワモワと吹いてくる熱風とは違います.

そんな家に家内と二人ですから,広すぎるほどの広さです.

食料

電気が無いから,冷蔵庫も使えません.

自宅から持って行った米や調味料(味噌,醤油,塩,など)はそのまま置いておいて大丈夫でした.

茄子,胡瓜,葱,生姜,トマトなど,食べる時に畑から採ってくるから問題ないし,玉葱やジャガ芋は,そもそもその辺に転がしてあります (畑は,もうじき80歳になる義母が,時々,電車と一日数本のバスを乗り継いで世話をしに来ているのです).

5日の間に,油揚げ2枚と豆腐3丁,缶ビール2本,だけを買いました. 食べる時に買ってくれば,これも問題ありません. ただ,夕食用に買った豆腐1丁を一晩おいて駄目にしてしまいました. 実はこの日は,近所に住む叔父さんが川でとった鮎(もちろん天然鮎)を天麩羅にして差し入れてくれたので,豆腐が余ってしまったのです. 鮎は鮎で,まったく贅沢なことではありました.

煮炊き

煮炊きにはカセットボンベのコンロを使いました. 5日間の煮炊きが,ボンベ1本で済みました.

コンロは一つしかありませんから,まず米を炊いて,蒸らしている間に副食を作ります. 副食と言っても,野菜や豆腐はほとんど生で食べられますから,味噌汁を作る程度のことです. 炊飯器無しで米を炊く人は現代ではあまりいないようですが,鍋でちゃんと炊けました. ただし,お粥にした方が美味しいですね.

初日の夜だけは,家内の妹夫婦や義母(この家の主です)も泊りに来て,七輪を使ってバーベキューをしました. 月夜の庭でのバーベキューは,キャンプをしているようなものです. そう思えば,電気・ガスの無い暮らしをしたと威張ってみても,大したことではないですね. この日だけは酒も飲みました.

明かり

夕食は日が暮れる前に終わらせました. 暗くなったら,寝るだけです. ちょうど満月からの何日かで,天気も良かったから,夜も月明かりだけで充分なくらいでした. それでも,夜中のトイレなど,明かりも少しは必要です. 懐中電灯の他,手回し発電のできるLEDランプが役に立ちました.

この手回し発電機は携帯の充電もできるという,優れものでした. おかげで,携帯もバッテリーが無くなったらそれまで,と思っていたのに,ずっと使ってしまいました. 200年前の世界にはなかなか行ききれません.

風呂

真夏の猛暑の中でしたから,風呂は水のシャワーで充分でした.

しかし,夏以外の季節では,さすがに水風呂では辛そうです. でも冬に毎日風呂に入る必要もありませんから,薪を燃やして風呂を沸かしたとしても,今のようなエネルギーの無駄遣いにもならないし,CO2だってたいした量は出ないでしょう. やっぱりガスなんか使わなくてもいいんじゃないでしょうか. 因みにこの家の風呂は,住んでいる間は電気の給湯器を使っていたのでした.

情報

携帯だけは使えましたが,テレビもラジオも使えません. 普通のネットのアクセスも出来ません(携帯でそういうことはしません).

だから,世の中で何が起こっているのか,何も知らずに過ごしました. ここにいる間に,すぐ近くで大変な事故がありました. 天竜川下りの舟の転覆事故です. 日本中の人が知っていたようですが,事故現場のすぐ近くにいた我々は,しばらく知りませんでした. 頭の上をヘリコプターが飛びまわるから,何だろう,と思っていただけでした. 散歩で出会った人との話で,初めて聞いて,吃驚したのでした.

ここ数日の政治状況も,原発や放射能の状況も,何も知りませんでした. しかし,普通に普通の暮らしをするのには,そんな情報は無ければ無いで困ったことはないのかも知れません. 情報も氾濫し,中毒になっているのかも知れません.

余談ですが,川下りの事故現場の渦は,私も昔から怖いところだと思っていました. 小さい頃,その渦をバスの窓から見て,ぞっとしたこともあります. それなのに,二十歳のころです,その4キロくらい上流の天竜川を,無謀にも泳いで渡ろうとしたことがあります. ちょっと見ると穏やかに流れている天竜川ですが,浅瀬でも足を取られるような水流です. 川の中ほどは大変な勢いで流れています. 三分の一ほど泳いで,怖くなって引き返したのでしたが,ずいぶんと流されていました. あとで散々怒られたのでした.

都会の暑さ

暑さというのは,空気の熱さ(気温)だけではないのでしょう. 湿度もありますが,物自体・環境自体からの熱線も,大きな要因です.

都会の地面はアスファルトで覆われています. 建物はコンクリートです. これが熱を持って,熱線を出すのです. だから,いくら冷房を効かせてみても,この熱線は防ぎようがないわけです.

土の地面では,アスファルトやコンクリートとはまるで違います. 土の地面の上だって,もちろん昼間は暑いです. 照り返しもあるし,地面も熱くなります. けれども,アスファルトほどのことは無いし,夜になればさっさと冷めて行きます. それはたぶん,土地が生きているからではないでしょうか. 乾いたように見える地面でも,下の方は水を含んでいます. 地面に草がちょっとでも生えていれば,もっといい. もちろん,木が生い茂っていれば,言うまでもありません.

境界のない世界

この古い家で過ごしてみて思ったことの一つに,「境界の無い世界」があります.

まず,家の内と外という境界がはっきりしません. 窓ではなく戸ですから,それを開け放すと,部屋と縁側と軒下と庭が一続きになってしまいます. 暑い夜は部屋から縁側に転がり出て寝たり,縁側に食材を置いて庭でバーベキューをしたり .... 家の内と外の境界が無いから,風も自由に出入りしてくれます.

土地も,はっきり自分の家の土地という部分もありますが,あいまいな部分もあります. この家に入ってくる道とちょうど交差するように,庭の端っこに,よその人が通り過ぎる道があります. 他人が自分の庭を通り抜けるような,なんだか妙な感じですが,これが田舎の人のつながりの根源なのではないでしょうか.

人間の世界と動物の世界の境界もはっきりしません. 庭の続きに畑があり,その続きに雑木林があり,その先に山があり,という具合です. 猿や猪は来て欲しくありませんが,そんな具合ですから,しかたがない. 虫たちにとっては,まったく境界はありません. これも困りますが,しかたがない.

畑の先には墓地があります. 墓地の裏は山で,その山の上には,かつて土葬していた場所があります. こうしてみると,生きている者の世界と生きていない者の世界とも,すぐ近くにつながっているみたいです.

もともと境界のない世界に,かってに境界をこしらえたのは,我々人間自身なのではないでしょうか. 都会では,この境界があまりにもはっきりしています. 都会が暮らし難い原因の一つは,そういうふうにも説明できそうです.

時間についてもそうです. 昼と夜とは,明らかに確実に違うのですが,時刻で境界が引けるものでしょうか. 何時何分になったから目覚ましが鳴って起きる,とか,寝るから明かりを消して暗くする,とかが,今のやり方です. しかし,暗くなったらそろそろ今日の活動は切り上げて,やがて寝る,明るくなったら自然に目覚めて活動を始める,というのが自然です.

尺八の音

5日間,他にすることが無ければ,尺八を吹いていました. その割にはちっとも進歩しなかったのが,悲しいところです.

ところで,畳と障子の,しかも半分開け放したような部屋では,まったく残響はありません. こういう所で,長管(A管)をブオーッと鳴らしても,さっぱり良くありません. 短い管(6寸)の甲音を,ヒョ~~と吹いた方がずっと馴染みます. もしかしたら,本来の普通の日本家屋で普通に吹くには,むしろ一節切のようなものの方が適するのかも知れません. ちょっと目から鱗が落ちたような気分です.


2011.09.01

献笛放題あっちこっち

献笛放題あっちこっち」は,他に連載(埋め草)している記事の再掲なのですが,このところ紙幅の関係で掲載が進んでいないので,未掲載の分を,先にこっちに掲載してしまいます. (15)から後が,未掲載の分です.


2011.09.24

季節の移ろい

なんという季節の移ろいの速さでしょうか. つい数日前までは,暑くて堪らなかったのが,急に冷えてきました. このところ自宅の PC のファンが壊れて(修理すればいいのに ^^;)すぐに熱暴走する(今は,保冷剤で冷却しながら使っています :p)ので,ページの更新もあまりしないままなのですが,それにしても,二つ前の記事はお盆の話しでした. あれから一月以上は経っているのですから,季節が変わるのは当たり前ではあります. 彼岸も過ぎたのですし. それにしてもその変化が大きいような .....

今年の夏は(も)暑過ぎて,麻の絽の着物はまったく着る機会がありませんでした. 昨日,やっと木綿の単を着ましたが,すぐに単は着られなくなるのでしょう. もうすぐ袷の季節になります.

着物は,季節に合わせて着ろと言われます. 何月になったら何は着ては駄目で,何を着る,とかということですが,その「何月」というのは今のいわゆる新暦(太陽暦)で言っているようです. しかし,どうもこれは,旧暦(明治以前の太陰暦)で考えないと,季節的に変なことが多いようです. しかも,このところ気候はどんどんおかしくなっているような気がします. だったら,もう,カレンダーに囚われても仕方がないのではないでしょうか. お茶の世界ではとくに,「季節に敏感になる」ことが求められるようです(私は門外漢なのでよく知りませんが). だったらなおさら,現実の季節に合わせて,着物を選ぶべきではないかと思うのですが.

以上,今夏に着物を着られなかった愚痴でした(^^;)

奇妙なバンド

近所の神明社の例大祭の奉納演芸大会なるものに出演しました(9月17日). 一昨年の町内会バンドの続きです. 一昨年は完全にフォルクローレのバンドでしたが,今年は半分メンバーが入れ替わり,かなりヘンテコな団体になりました.

私の尺八,旧友のスチール弦ギター,ご近所さんのエレキベース,友人の奥さんのハーモニカとパーカッション,家内のグロッケン(鉄琴)とボンボ(アンデスの太鼓),という編成です. 曲は,フォルクローレの「灰色の瞳」,ピーター・ポール&マリーの「There is a ship」,最後にフォルクローレの「花祭り」(この曲だけは尺八はやめてケーナにしました).

楽しかったですが,出来はかなり無残な結果でした. 聴衆に知り合い(いわゆるサクラ)がいなかったこと,PA関係のリハーサルが出来なかったこと(演奏中,エレキベースの音は舞台では全然聞こえなかった.MCも会場に聞こえていたのかどうか謎),選曲の失敗,などなど,反省点はたくさんあります. しかしそれでも私としては,尺八で(しかも曲ごとに持ちかえて)なんとかこれだけこなせたというのは,成果でした. 尺八を始めて十数年,その間,合奏(普通の合奏)はほとんどして来ませんでした. 何度か邦楽の合奏に参加しましたが,邦楽の合奏はそれまで私の知っていた世界の合奏とはまるで違います(良くも悪くも). リハビリにもなりました. 演奏だけではなくて,ステージ・マナーなどについても.

旧友のギターとの合奏は,これから活動を開始しようと画策しているものです. とりあえず,11月には橋本(相模原市)で行われる「アンサンブル・コンサート」に出演することが決まっています. 今回のお祭りは,その予行演習も兼ねての参加でした.

アンサンブル・コンサートの演奏曲目は,上記「There is a ship」の他,サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」とE.サティの「ジュ・トゥ・ヴー(Je te veux)」の3曲を予定しています. 演奏時間は,たった10分です(^^;)

ところで実に悩ましいことに,アンサンブル・コンサート本番の3日前が虚無僧研究会の献奏大会です. やっといくつかの尺八を持ちかえても吹けるようになったところですが,クラシック・ポピュラーと本曲とでは,演奏の心構えが違います. そこのところがうまく切り替えられるのか,‥‥‥ その前に,そもそも練習が追いつくのか,微妙なところです.

遊行寺 開山忌

昨日(9月23日),藤沢の遊行寺(時宗総本山)に行きました. ただ何となく行っただけのことですが,たまたま秋季開山忌が行われていて,境内は賑わっていました. 本堂での法要の他,稚児行列,雅楽演奏,などいろいろなイベントがありました. お上人様から「南無阿弥陀仏」のお札も頂きました. 法要の中では,鉦・太鼓・シンバルも使っていました. 私の知っている禅宗(子供のころ見た葬式など)と,ほとんど同じ使い方です(子供のころ,「チン・ドン・ジャラン」と言っていたような気がします). 浄土系の宗派でもこういう風に使うとは知りませんでした. 稚児行列では,山伏の吹く「法螺」も使われていました. いろいろと賑やかです. もう少し待っていれば「踊念仏」もあったのですが,時間が無くてこれは見られず,心残りです. 境内でのヨサコイソーランは見ましたが :p

時宗は,虚無僧の普化宗と何か縁がありそうな感じがしています. 少なくとも,宗祖の一遍上人が法燈国師に参禅したことは史実のようです. 法燈国師は,由良の興国時の開祖で,日本に虚無僧を連れてきた人,とされています.

「遊行」という言葉もいい響きです. 仏教(やヒンズー教)では,人生を四住期という四つの時期に分けます. 学生(がくしょう)期,家住期,林住期,そして遊行期です. 私はそろそろ林住期に入る,あるいは,もう入っているとも言えるかも知れません. 「遊行」という言葉には憧れを覚えます (^^;)

境内には露店がいくつか出ていました. 露店なのか常時営業の店なのかわからない感じのそば屋で,ざる蕎麦を食べました. これが実に旨く(コストパフォーマンスがよく),とても祭りの露店の味ではありません. ついでにビールも飲んだらこれも最高でした. すぐそばの焼き鳥屋の紙コップのビールとは,見るからに全然違います. よく冷えたジョッキに,実にうまく注いだビールでした. お店を手伝っている女の子にも,嬉しくなりました. 小学校4・5年生くらいでしょうか. なるほど,蕎麦をこれだけ丁寧に作り,ビールをこれだけ丁寧に注いだお父さんの娘なんですね.


2011.09.27

尺八の練習場所

つい少し前まで暑くてなかなか寝付かれない夜があったのに,今朝は寒くて起きたくありませんでした(いえ,まあ,いつでも朝は起きたくは無いのですが ^^;). しかし,これでやっと,部屋の窓を閉め切っていられるようになりました. それで何が嬉しいのかと言うと,尺八の練習がしやすくなった,といういことです. お隣との間がほとんどないような家なので,尺八の音を出すのが憚られます. ましてや,窓を開けてはいられません. やっと,窓を閉め切って尺八が吹けるようになりました. (暑い間は,尺八を吹く時だけ冷房をつけたのでした).

しかし,いくら窓を閉め切ったとしても,性能の良い防音設備でもしていない限り,どれ程かは近所迷惑になってしまうことでしょう. だから私は,せめて時間にだけは気を付けて,夜は8時過ぎには決して音を出さないことにしています. すると,週日はほとんど音を出せる時間は無いことになってしまいます.

尺八の練習は,とにかく継続的に音を出すことが肝心です. おそらく多くの人が,練習時間の確保という同じ悩みを抱えていることと思います. 以下に,私がこれまでにひねり出した練習場所・時間を紹介しておきます.

  1. 職場
  2. 以前,通勤に2時間以上もかかっていたころ,通勤ラッシュの前に出勤した方が楽ですから,朝5時起きで出勤していました. すると,職場に着くのもかなり早く,まだ誰もいません. この時間は,尺八の練習時間に使えました.

  3. 交通量の多い道沿い
  4. その長距離通勤をする前は,職場の近くにアパートを借りて,週日はそこに泊まっていました. アパートから職場は,トラックの疾駆する国道沿いに徒歩20分ほどです. その行き帰り,尺八を吹きながら歩きました. おそらく,そうとう変な目で見られていたことと思いますが,他人の迷惑には絶対になっていません. 交通量のとても多いその国道沿いには民家はほとんど無いし,私ごときの尺八の音は騒音が完全にかき消してしまいます.

    国道沿いの空き地は,夜中でも遠慮なく長々と音出しをすることができました. 曲の練習は向きませんが,ロングトーンにはうってつけの場所でした. 寒い冬は,人差し指・薬指・親指(左の)の指先を切り落とした手袋をして吹きました. (冬から春先の埃はちょっと辛かったですけど).

    因みに,このころのことを書いた駄文があります.

  5. 公園や河原
  6. 公園や河原というのは,よい練習場所なのかも知れません. 騒音の中とは違って,自分の音がよく聞こえます. しばしば,サックスやトランペットやチェロや,いろいろな楽器を練習している人を見かけます. しかし,なかなか公園や河原というのは,そこで音を出すのは勇気がいりますね. 私はどうも,他人の目(耳)が気になってしまいます.

  7. 駅前の雑踏
  8. 公園より,意外と他人が気にならないのは,人がいっぱいいる大きな駅の駅前の夜の雑踏のはずれ,です. ストリート・ミュージシャンたちのいる,その一番はずれ,です. いくら音を出しても,ほとんど誰も気にかけてくれません. なんとか曲が吹けるようになってからは,たまに投げ銭が入ることもありました. (たいていは酔っ払いのおじさんでしたが). ただ,そんなところで職場の同僚に遭遇するのだけは,避けたいところではありました.

  9. 公民館
  10. まっとうな練習場所を確保するには,公民館のようなところに当たってみるのが良いでしょう. 音楽用の部屋もあるでしょうが,それ以外でも,尺八くらいの練習ならできる部屋がいろいろあると思います. 値段は部屋によってもまちまちですが,3時間1000円もしないくらいから借りられます. ただ,団体登録をしていないと(個人では)借りられない,などという制約のある所もあります. とにかく公民館には,ぜひ当たって見ましょう. その価値はあります.

  11. カラオケボックス
  12. カラオケボックスというのも,なかなか良さそうです. 私は練習に使ったことがないどころか,そもそもカラオケボックスなる所にほとんど行ったことがないので,どうやって使うのかも知りません. ただ,カラオケボックスを練習場所にしている人は少なくないようですね. 公民館には時刻の制約があります(夜中は使えません)が,カラオケボックスならそういうことはないし,中で飲み食いもできます.

  13. 車載尺八と携行尺八
  14. 車にいつも尺八を常備していたことがあります. 随分長い間,そうしていました. どこかで止まる度に吹きました. 信号待ちの間や,渋滞にはまっている時にまで吹こうとしました. しかし,車載尺八はお勧めできません. 今はしていません.

    運転席では正しい姿勢で吹けません. 変な姿勢で練習しても駄目です. 信号待ちや渋滞の中で尺八なんか構えていて,事故を起こしたら大変です. そもそも,途切れ途切れのそんな短い時間では,練習効果もないでしょう.

    私が車載していたのは,普通に使っている尺八とは別の,プラスティックの尺八でした. 当時は,その車載の尺八を吹いた後で,いつもの尺八を吹くと,まともに音が出ませんでした. その逆もそうです. プラスティックの尺八が悪かった,というわけではありません. 吹き方が安定するまでは,あまり違う尺八を吹かない方がよいのではないかと思います.

    尺八を車載するよりも,いつも使う愛用の一本の尺八を,いつでも携行し,暇があればいつでも取り出して吹く,というのがいいと思います. 私は,通勤にも,出張にも,旅行にも,当時愛用していた2尺1寸管を,いつも肌身離さず持ち歩いていました. おかげで,尺八袋を二つ駄目にしてしまいました.


2011.09.29

「アンサンブル・コンサート」

ギターと尺八のデュオを企てているのですが,とりあえず一つ確定しました. 「アンサンブル・コンサート」 という,アコースティック楽器のアンサンブル(アマチュア)がたくさん(全部で31団体)出演するコンサートです. 11月26日(土),橋本駅(相模原市)のすぐ近くの「ミウィ橋本」7Fにある「杜のホール」というところで行われます. 我々は,「TKB52」という名前で,第三部,15:55~16:05 の予定で出演します. 曲は,前にも書きましたが,サティの「Je te veux」,アイルランド民謡(PPM)の「There is a ship」,英国バラード(サイモンとガーファンクル)の「Scarborough Fair」の3曲で,演奏時間は10分です. なお,「TKB52」という名前,一部で揶揄されているようです (^^;) が,Teinen Kanreki Band 1952(定年還暦楽団,1952年生まれ)です. 決してAKB何とかを捩ったわけではありません.

当日,演奏の休憩時間には,ホール入口あたりで楽器体験コーナーが設けらます. 私も,3部と4部の間(16:15~16:45)に,そこで尺八の体験を担当します.

ところでこの「アンサンブル・コンサート」,実に様々なアンサンブルの集まりです. 普通の洋楽器の他には,オカリナの合奏が多いようですが,尺八もあればフォルクローレも二胡もあります. 一体どんなことになるのか,なかなか楽しみです.

なお,このコンサートにはプレ・コンサートもあります. 上記31団体中5団体により,11月14日,同じ建物の5階,「インナー・ガーデン」というオープンスペースで,13:30から行われます. 我々もやりますが,出番は 14:00 ころになりそうです.

本番,プレ・コンサート,ともに入場無料です.


2011.10.05

楔吹き

先週の金・土曜日(9月30日~10月1日),家族旅行で河口湖に行ってきました. 金曜日は富士急ハイランドの「トーマスランド」 (^^;) での孫の世話がすべてでした. もっとも,絶叫マシンになんか絶対に乗りたくないので,平穏なトーマスランドだけで助かりました. ところで,絶叫マシンに年齢制限があるとは知りませんでした. 何歳以上,というのはさておき,何歳以下,という制限が!  おかげで私は,もう一生涯絶叫マシンには乗らずに済みそうです.

さて翌日は,「河口湖オルゴールの森」というところに寄りました. 孫はほおっておいて,学芸員を捕まえてはいろいろ質問したりしてみました. 「オルゴール」というのは日本の造語で,正しくは「ミュージック・ボックス」などと言うのだそうです. ホールで大規模な実演を見る(聴く)ことができましたが,それは,オルゴールというよりは「オルガンの自動演奏装置」です.

演奏は,ミュージックロールの孔を通る空気によって制御されるわけですが,なかなか大した仕掛けがあって,音高に相当する孔とは別の孔で音量などもコントロールできるのだそうです. ある程度のビブラートもかけられるとか. オルガンの音とシンバルなどの打楽器だけなのに,オーケストラ曲のなかなか大した(自動)演奏が聴けました.

この演奏を聞きながら,本曲と洋楽の根本的な音楽の作りの違いを,つい考えていました. とりわけ重要なことが,「楔吹き」でしょう.

自動演奏装置にはいろいろな制御が工夫されてはいますが,尺八の本曲で使う「楔吹き」まではやっていないようです. やろうにも,なかなかこのコントロールは 1/0 の孔では実現できないでしょうね.

私はこのごろ,尺八だけでなくケーナも時々吹いていますが,ケーナを吹いていて,愕然としたことがあります. 伸ばした音の消音の処理です. 洋楽やフォルクローレなのに,尺八で本曲を吹く時のように,無意識に「楔吹き」のような消音をしようとしているのです. ところが,ケーナはそういう奏法がし難い. それで,曲の途中でパニックしてしまうのです.

「楔吹き」というのは,オルガンではまずできないことでもあり,西洋音楽にはそもそも必要のないことでしょう. ケーナのフォルクローレでは,もっと縁のない奏法のようです. 逆に言えば,「楔吹き」こそが,本曲の根本的な特徴なのでしょう.

さらに逆に言えば,洋楽やフォルクローレの音はブチッと切っちゃっていいわけだ ....


2011.11.08

あれ?もう十一月!

1ヶ月以上もこの頁の更新をしないでいたら,あれれ・・‥‥… という間に,11月になっていました. 今月はいろいろあります. 虚無僧研究会の献奏会,ギターとのデュオの演奏が2回, .... あ,それだけですね (^^;)

しかし,虚無僧尺八と洋楽,楽器も長管(A管)と短管(8寸,6寸),この違いに私の身体が反応できるのかどうか,なかなか不安なところです. とにかく音さえしっかり出れば,なんとかなるかも知れません(洋楽の方は,それに加えて,ピッチのコントロールの必要ですが). 本番(どちらも)で楽譜を見るかどうかは決めていませんが,とにかく楽譜の隅には「きし麺・玉子・引っ張り出せ」(意味不明 ^^; )とメモをしておきます.

虚無僧研究会はもう何度も参加していますが,その度に上がってしまって,曲の最後の方は唇や腕が震えてしまいます. ましてや,コンサートホールのステージではどれだけ上がってしまうことやら,まったく見ものですね. どうにも不様なことになりそうな気はしますが,これも「修行」です.


2011.11.16

とりあえずプレ・コンサート終了

14日,とりあえずプレ・コンサートが終了しました. 会場はいわゆるオープンスペースで,音響的にはかなり劣悪でしたが,まあ,なんとかやり過ごせたかな,という感じです. 心配した程には上がらずに済みましたが,それでも,口の中がカラカラになってしまって,掠れてしまう音が何度かありました. ピッチについてはかなり不安でしたから,譜面台にピッチ・チューナ―をつけておいて,演奏中にチェックしようと思いました(練習ではそうやっていましたから). ところが,実際に舞台の上では,そんな,ピッチ・チューナ―を見るような余裕は,全然ありませんでした. 全体の出来は,写してもらったビデオなどをこれから見て,反省します(恐怖).

来週は水曜日に虚無僧研究会の献奏会,土曜日がアンサンブル・コンサートの本番です. おまけに,年明けの1月7日(土)には,「三曲歌ざんまい」というのも飛び込みました. 今回の三曲歌ざんまいは,以前に私が合奏用に編曲した「虚鈴」の再演です(「虚空」の合奏編曲はなかなかできません). この三回の演奏,同じく尺八の演奏であるのに,各々全く性質が異なります. 本曲の独管での演奏,洋楽のアンサンブル,本曲ではあるけれどもアンサンブルのようなもの. なかなか,ややこしいことになっています.

本曲と洋楽

ギターとのデュオの練習を,何度も録音して聞きなおしています. 上述のピッチは演奏技術の問題ですが,リズム(タイミング)の問題はちょっと本質的かも知れません.

本曲では,物理的な音が出る前の準備の動作(構えること,息を吸うこと,丹田に力を込めること,など)もすべて演奏のうちですが,洋楽では,物理的に音が出たところからが問題です. 本曲のような感覚(身体的感覚)で洋楽をやると,タイミングが遅れてしまいます(リズムに乗っていないわけではないのですが). 逆に,洋楽の感覚で本曲をやろうとすると,本曲にとってとても大切な「間」が抜けてしまいます. この感覚の違いは,なかなか乗り越えるのが大変で,私はまだまだ苦労している段階です. かつての洋楽的感覚を本曲的感覚に変える(とは思っていませんでしたが)のに10年はかかりました. 両方出来るようになるのには,もう少し時間がかかるかも知れません.


2011.11.23

虚無僧研究会 献奏会 終了

虚無僧研究会の献奏会が終わりました. 私の出来は,というと,残念ながらイマイチでした. 出番はまだまだ先だと思っていて,外に出ていて,ふと会場を覗いたら,次は私の番ではないですか! 慌てました. なんとか尺八と袈裟は取り出しましたが,心の準備までは出来ない始末でした (^^;)

演奏で不甲斐無かった点は,とにかく音がしっかり鳴らなかったことです. 一発目の「ハロー」がかすって ありゃっ!? と思ったら,その後はそれを基準に吹いたので,随分とカソケキ演奏になってしまいました. 後で声をかけて下さった方に,「音が出ませんでした」と言うと,「その静けさがいいんですよ」とのこと. やっぱり音が出ていないとは思われていたんですね (^^;)

さて,自分のことは棚に上げて,まったく不遜なことを書きます. 沢山の方の演奏を聞きましたが,素晴らしいと思うこともあれば,つい耳と心がヨソに行ってしまうこともありました. その違いの要素を,考えてみました.

一番大きな要素は,ダイナミクス(強弱の変化)の有り無しではないかと思います. 一音・一息の中の強弱(基本的には楔吹き),旋律の対比の強弱,曲の構成を反映する強弱. そういったものが大切なのではないでしょうか.

リズムに変化の無いのも面白味には欠けます. リズムと言っては語弊あるでしょうか. 楽譜に書かれた音符を機械的に演奏するだけでは,旋律の勢いがそがれてしまう感じがします. でも,まあ,これはあまりやり過ぎてはいけないでしょう.

音律がずれている(音痴,と言ってはいけないでしょうか)のは,気にはなりますが,不思議と我慢できます. もともと本曲は,西洋音楽のようなピッチは要求されていないと思います. ピッチよりは音色の方が大切なのでしょう.

自分が鳴らなかったのを自己弁護するわけではありません(^^;)が,鳴らないのは全然問題ないと思います. あまりビービー鳴らすのは,本曲では却ってぶち壊しです. 風の音ばかりでもいいでしょう. しかし, いわゆるムラ息をこれ見よがしに使いまくるのは,耳障り,まったく癇に障わります.

ところで,「献奏会」とは何なのでしょうか. 仏様に対して献奏するのではありますが,一人でする「献奏」とは違います;「会」ですから. 「吹禅」(尺八を吹いてする坐禅)でもないと思います;それこそ一人でするべきものだと思います. 「演奏会」とはもちろん違うわけですが,多くの人が聞いている事情は演奏会と同じことです. どういうスタンスで献奏会に臨めばいいのか,少し迷いを感じる今日この頃 .....


2011.11.29

アンサンブルコンサート 終了

「杜のホールはしもと」で行われた「第11回 アンサンブルコンサート」,無事に終了しました. ホールの響きがとても良くて,気持ちよく演奏できました. 心配したギター(スティール弦)も,充分に響いていたようです. 演奏するのが気持よくて,つい身振りが大きくなって,踊っているみたいになっちゃいました.

こんなに気持ちの良いホールで演奏するのは初めてです. 昔(25年くらいも前の)演奏したホールたちは,こんなに気持ち良く響かなかったと思います. 四半世紀の間に,アマチュアでも使えるようなホールでさえこんなに良くなった,ということでしょうか. もっとも,昔の私の音楽はPAを通していたので,それで何も感じなかったのかも知れません. 今回はまったく電気無しですから,本当にホールの響きを温かく感じました.

邦楽でも電気は使いませんが,それで使うホールとも全然違います. 私の知る限り,邦楽のホールはこんなに響きません. ホールだけのせいではなく,舞台の上の毛氈だの緞帳だの,わざわざ響きを殺しているような気もします. なんでだろう ....

最初の2曲は8寸管で吹きましたが,最後の「スカボローフェア」はA管(2尺4寸)を使いました. その中間に,本曲風のアドリブのソロを入れました. これがうけて,なかなか好評だったようです. 「和と洋のコラボレーション」とか評されましたが,「陰と陽のコラボレーション」とも言えるかもしれません. 洋楽や洋楽風の音楽の中にあって,それとはまったく異質な「本曲」には,特別な力があるように感じました. 何度も書いたかもしれませんが,「本曲風」の一番大事な点は,やはり「間」だと思います.

因みにに,グループ名のTKB52も,結構うけていました. ‥‥ 1952年生まれの,定年還暦バンド,です.


2011.12.20

ステージの写真


先月14日に行われた,「杜のホールはしもと アンサンブルコンサート」の「プレ・コンサート」の様子です. ビデオからキャプチャしました.

PA無し(御覧の通り,マイクはありません)は少々辛い環境でしたが,初めて人前で演奏する我々にとっては,気楽な場所で,良かったかも知れません.

私の譜面台の譜面が,とても見苦しいですね. 少し工夫をしないといけません. 少しずつは進歩するつもりです(^^;)



先月27日に行われた「アンサンブルコンサート」の本番の様子です.

譜面台はやめました. おかげで,自由に動くこともできて,リラックスして演奏することができました.

本番ももちろんPA無しですが,さすがによく響いて,気持ちの良い環境でした.



2011.12.31

黒紋付

年が明けて7日には,「三曲歌ざんまい」があります. 邦楽の舞台は,黒紋付に袴,というのが普通なのですが,私は本物の黒紋付を持っていません. ポリエステルの黒い着物に,ワッペンのような貼り紋をして,誤魔化してきました. しかし,目の肥えた人なら,正絹かポリかは,ちょっと見れば分かるようです. 古着でもいいから,黒紋付を買おうと思いたちました. なかなか自分の紋の入った古着はないのですが,この際,紋は違ってもいいから,とにかく本物の黒紋付を買う決心をしました. 紋は,それこそ貼り紋でなんとかなります.

それで先日,古着屋を回ってみたのですが ‥‥‥. 店に入ると,店員がまったく私を無視するのです. 無視するどころか,邪魔そうな扱いをする. 少々ムッとしながら,「黒紋付を見せてください」と言うと,不審そうに「男物ですか?」. 「そうです」と言い終わると同時に,「男物はありません!」. なんというつれなさでしょうか.

男の着物のブームが去った,ということでしょうか. そう思って街を観察すると,たしかに着物姿の男は,最近ほとんど見かけません. もっとも,私自身,このところ着物で出歩くことがめっきり減っているのですが. さて,明日の正月,どんな様子でしょう ‥‥

そんなわけで,今回も新年早々ポリエステルのインチキ黒紋付の御世話になりそうです.

百八曲献奏修行会

今年も,百八曲献奏修行会が行われました. 今回で11回目になりました. これが終わると,やっと一年が終わるような気がします.

私は半分ほどで抜け出してしまいました(毎年そうです)が,ちょうど今(19時過ぎ),百八曲献奏し終わったとの連絡が入りました.

今年はまったく大変なことの起こった年でした. 災害に遭われた方々への思い,来年の安寧への祈り,自分がこうして居られることへの感謝,そして反省,等などを念じながら,10曲ほど吹かせていただきました. 尺八は全部もっていって,尺八の一本ずつにも感謝をしながら吹きました. 長い方から2尺7寸(G管),2尺5寸5分(Ab管),2尺4寸(A管),2尺(C管),1尺8寸,1尺6寸 ‥‥ あ,2尺1寸(H管)だけ吹きませんでした(^^;) ‥‥ ケース(ビオラケース)に入りきらなかったのでした.

ところで,音出し無しで,いきなり6種類の尺八を持ちかえて吹くのは,やっぱり少し無謀ではありました. 演奏会ではありませんから,別に問題はありませんが,曲の始めの部分は,音が全然出ませんでした. 途中から鳴ってきて,良く鳴るようになるころには,曲が終わります. まだまだ,です. 来年は,もう少しこの辺りの適応力を高めたいと思います.

さて,それでは,来年が良い年でありますように.


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