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お知らせとたわごと

アーカイブ(2010.01~2010.12)


2010.01.01

謹賀新年

今年がよい一年でありますように

NHK 紅白歌合戦

子供のころ,正月休みが明けて学校が始まると,必ず誰かが「今年の紅白はどっちが勝ったっけ?」と聞きました. 答えは「今年の紅白はまだだよ」が正解です. あのころは,子供も大人も年寄りも,みんな一緒に紅白を楽しんでいたものです. 私も,二十歳前後のころには粋がってベートーヴェンの第九に変えたりして家族に嫌がられたこともありますが,それでも大抵は紅白は一応見てきました. 大晦日の夜というのは,炬燵に入ってミカンを食べながら,あるいは一升瓶を抱えながら,紅白を最初から最後まで見て,ゆく年くる年が始まったら近くの神社に初詣に出かける,というのが正しいあり方だ,と信じていました.

しかし,昨日の(いや,近年の?)紅白は,どうも見る気になりませんでした. なんだかバカバカしくて,裏番組の懐メロの番組に変えました. 金ばかりかければいいんでしょうか. 地球の裏側でも楽しみにしている人がいるという紅白ですが,これでいいんでしょうかね.

新年早々,つまらんことを書きました _o_

本年もよろしくお願いいたします.


2010.01.09

一段落

「三曲歌ざんまい」での「虚鈴」の演奏が終わりました. 本当は今回のために「虚空」の編曲を予定していたのでしたが,年末の国立劇場の演奏が追善供養という意味もあって虚鈴を演奏したので,ついでにこっちも同じ曲の演奏となりました. 実はこの「虚鈴」は,前々回の「三曲歌ざんまい」のために編曲したもので,2度目の演奏です.

今日の演奏は,まあまあ,というところだったでしょうか. ただ,客席もガラガラのようで,さすがに国立劇場よりは緊張感が低かったかも知れません(^^;) でもまあ,ひとまず肩の荷が下りた,というところです.

私は実は,年が明けてから昨日の夕方まで,まったく尺八の音を出さないままでした. で,8日ぶりに音を出そうとしたら,まるで鳴らない ... 本当に冷や汗が出るほど焦りました. 1日吹かないと1日の進歩がない,のではありません;逆に後退するわけです. 1日吹いて進歩するのはほんのわずかですが,たった1日吹かないで後退するのは,呆れるほどです. ちょっとの時間でもいい,とにかく毎日吹くことが大切ですね. 思い知りました.

ところで,今日の会場「日本橋公会堂」は「水天宮」のすぐそばでした. 水天宮というのは,名前は知っていても一度も行ったこはありませんでした. 演奏が終わってから,お参りしてきました. 水天宮は,安産の神様だとか. 実は,二人目の孫が今日明日にも生まれるかも知れない,という状態です. なかなかいい偶然でした.

さて,今度こそ「虚空」の編曲にかからねば ... とは思っているのですが,これがなかなかの難産です. 水天宮でこっちの方もお願いしてくれば良かった,と思っている次第です.


2010.01.11

吹合せ会近況

身の程知らずにも,他人に尺八を教えさせていただいています. 教えると言うのはどうも気恥ずかしいので,「吹合せ会」と称して誤魔化しております (^^;) が.

この吹合せ会,2007年の夏に始まったので,足掛け4年になります. 事情などで来られなくなった方を除いて,現在熱心に来られる方は3人です. 最初は,初めての音出しや唱歌程度,あるいはカラオケを楽しむ,というようなことを想定して始めたのでしたが,気がつけば,今は本曲ばかりをやっています. これまでにやった曲は,普大寺の「調子」,「虚空」,「虚鈴」,一朝軒の「薩慈」,「阿字観」,明暗寺の「紫鈴法」,神如道の「大和楽」などで,現在,龍源寺の「瀧落」の楽譜を準備中です.

すべて一対一の吹合せでやってきましたが,昨年の暮れに一度だけ,集団での練習をしてみました. ただ単にみんなで同じ曲を吹くというやり方ではあまり練習にもならないと思いますが,ちょっと工夫すると面白い効果もありそうです.

暮れの練習会では,音階練習を長さの違う尺八を組み合わせてやってみました. 8寸管がレ・ウ・チ・リなどと吹くのに合わせて,2尺管はチ・リ・リ・リ,G管はロ・ツ・ツ・ツ,などと吹きます. 今回はちょっと準備不足でイマイチでしたが,うまく行けばピッチの合わせ方,メリ・カリの訓練にはもってこいだと思います. こんな練習をする「尺八教室」というのは,おそらくあまり無いでしょうね ... 実は,参加者の使う尺八が2尺管,2尺1寸管,A管 ... と,見事にバラバラだという事情もあるのですが.

多声部の合奏は,さらに,よい練習になると思います. 百銭会(善養寺惠介社中)では,本曲を合奏用に編曲して,実際に舞台でも演奏してきました. このための練習は,合奏のメンバーにとっては大変良い効果があったようです. 本曲は本来はたった一人で吹くものですから,悪く言えば個人の勝手気儘な演奏でよし,とうことになりがちです. しかし,客観的に音楽として成り立つためは,ピッチの取り方,テンポや間の取り方など,気にしなくてはならないことはたくさんあります. 合奏は,そういう訓練に最適です. しかし,みんなで同じ旋律を吹く(斉奏)のでは,誤魔化しておしまい,ということになってしまいます. 三曲合奏の尺八部隊が筝や三味線より多かったりすることがありますが,会場で聞いていると,実は聞こえてくるのは師匠らしき人の音だけだったりします. ところが,声部に分かれた合奏では,そうそう誤魔化しは効きません.

暮れの練習会では,「調子」を4声部(尺八の4種類)に編曲して,やってみました. さすがに今回の短い時間では1曲こなすことはできませんでしたが,これから時々このような練習も取り入れて,いずれは我々の「吹合せ会」としてどこかで合奏を披露できたらいいな,と思っています.

この1月から吹合せにはもうお一人参加下さることになっていますので,年に一人以上のペースで会は大きくなっている計算です. 身の程知らずではありますが,もともと尺八ではない所からスタートしたという経歴も活かして,普通とは少し違うやり方での尺八の普及に努めて行きたいと思っています.


2010.01.30

チャンプルー

沖縄料理で最もポピュラーなのは,ゴーヤ・チャンプルーでしょう. 私はこれが大好きです. 他にも,麩チャンプルーとかナーベラー・チャンプルーとか素麺チャンプルーとかありますが,それも好きです. それで泡盛があったら,言うことなしです. 因みにチャンプルーとは,ごちゃ混ぜ,チャンポン,のような意味だそうです.

正月に人(たいてい家族ですが)が集まったのですが,その時の BGM にするために,私の持っている CD を片っ端から USB にコピーして,それをランダムで再生してみました. 5分を超える曲は,原則,削除しました. 結果は,なかなか好評でした. 中身は,バッハだのショパンだのサティだの,ジャズだのフォルクローレだの沖縄民謡だの,グレゴリオ聖歌だの60年代フォークだの吉永小百合だの,ルネサンス音楽も尺八音楽も. こんなのが出鱈目に出てくるので,まあ,言ってみれば音楽のチャンプルーです. 聞く人にとってたまに嫌いなジャンルの曲があっても,しばらく我慢していれば,次はそうでもないかも知れない. 音楽の好みのかなりバラバラな集まりでしたが,そんなわけで,うまく行きました.

私が過去に聞いてきたものですから,どれももう飽きるほど聞いていて,今さら一枚丸ごと聞く気にはなりません. でもこの聞き方だと,頭がクラクラして来るほど,実に刺激的です. 正月の後も,しばしばこれをかけて聞いています. 20時間分ほどありますから,当分同じ曲は出てきません.

しかし,最近,ふと思いました. これ,確かに面白いのですが,こんなことしていていいのかなぁ,と.

バイリンガルは,とてもよいことのように言われています. しかし,一方,何ヶ国語も話せるのに,どの言葉もネイティブほどには扱えない,ということもあります. 実際,父方の祖父・祖母,母方の祖父・祖母の4人の国籍と母語がすべて違うという若者を知っています. 可哀そうなことに,その4ヶ国語のいずれも,しっかりとは読み書きできないようです. これは本当に悲劇です.

音楽学者の(故)小泉文夫先生は,バイリンガルならぬバイミュージカルということを仰っておられました. 音楽は世界の共通語,だなんてことを昔はよく聞きましたが,それは大ウソです. 言語と同様,音楽も民族・民俗によってまるで違い,何の訓練もなしに違う音楽を受け入れることはできません. 訓練して,いくつもの音楽を受け入れられるようになれば,音楽を相対的・客観的に判断することができて,より豊かな音楽性が実現できる,というのがバイミュージカルということでしょう. しかし,上述の若者のように,どの音楽も中途半端で,音楽性そのものを失うなんてことにならなければいいのですが.

チャンプルーは美味くて楽しいのですが,それはそれとして,やはり「一行三昧」が大切なのでしょうね. 最近,少々,これから外れていたような気がします. 反省です.

「一万時間理論」というのがあるそうです. スポーツにしろ何にしろ,一万時間やったら一流になれる,ということだそうです. 私は尺八を始めて,まだ10数年です. 1日平均2時間以上吹いていたなら,1万時間になりますが,たぶん,平均したらそんなに吹いていません. 1日平均1時間では,27年かかります. まあ,尺八を含めて単に笛という意味では1万時間は超えていると思いますが,45年もかかった1万時間では理論の適用範囲外でしょうね.


2010.02.20

妄想(もうぞう)

今週は随分と寒い日が続きました. よりによってこの寒い時に,4ヶ月ぶりに法身寺の坐禅会に参加しました. 寒い夜でしたが,私は綿入れの作務衣を着こんでいるので,まあ,そんなに辛いとも思いませんでした. それより,どうにも呆れたことがあります.

妄想(もうぞう ... 「もうそう」ではありません)が次から次へと湧いてくるのです. 定期的に坐っていたころには,こんなには妄想は湧いてはきませんでした. もしかすると,4ヶ月ぶりに坐れば4ヶ月分の妄想が,1年ぶりに坐れば1年分の妄想が湧くのかも知れません. 毎月坐っていれば1ヶ月分の妄想しか湧かず,毎日坐ればたった1日分の,そして坐り続ければついには妄想が枯れしまうのでしょうか .... 1万時間くらいも坐り続けたら (^^;)

坐禅の後の茶礼では,膝が痛い(和尚様)だの,腰が痛い(参加者A)だの,首が回らない(参加者B)だの,なんだか老化現象の話しに花が咲いてしまいました. 私も右の膝が痛くて結跏趺坐が辛くなり,半跏趺坐で誤魔化すようになっています. 正座でも左の膝が痛くて,尺八を吹くのも不安になってきました. 腕もなんだか調子が悪いし. でもまだなんとかなる今のうちに,坐禅も尺八も,もう少し身を入れてやらないと駄目ですね. 反省.


2010.03.02

献笛放題あっちこっち

「本曲はお経のようなものだ」ということで,あっちこっちのお寺で尺八を吹かせていただきました(献笛の記録). 吹いたお寺を数えてみたら,これまでのおよそ12年の間に,百ヶ寺以上になり,延べ曲数は300曲ほどにもなります. 法身寺のように,いろいろな機会に何度も何曲も吹かせて頂いたところもあれば,旅の途中の通りすがりにこっそり勝手に吹いたところもあります.吹いて叱られたこともあれば,大いに喜ばれたこともあります.献笛を願い出てけんもほろろに追い出されたこともあれば,お供物までいただいたこともあります.

そんな経験を,「献笛放題あっちこっち」というタイトルで,書いていこうと思います. 百錢会通信の連載する予定のものですが,ここにも掲載していきます. 何か参考になることでもあれば幸いです.


2010.03.04

カラスと八哥鳥

出勤の途中,信号で止まった時に,木にとまったカラス(ハシボソ)が目に入りました. そのカラス,どうやら嘴で枯れた小枝を折取っているようでした. 折取った小枝を嬉しそうにくわえて,どこかに運んでいきました.

もう3月. カラスが巣作りを始める季節です. 4月には完成して,産卵,子育て,巣立ちは6月ころでしょうか.

巣立ちのころにはまた,人とカラスのトラブルがあるのかも知れません. 自治体(例えばカラス嫌いな都知事のいるところ)などのカラスに関するページは,巣を作らせない,寄せ付けない,捕獲する,駆除する,そういった内容がほとんどです. しかし,静岡市の 「子育て中のカラスと仲良くするために」 というページを発見して,嬉しくなってしまいました. さすが! 静岡です(^_^)

最近まで私の目には,カラス,スズメ,それにハトくらいしか映りませんでした. でも,うちの小さな庭の木にも小鳥たちがたくさんやってくることに気づいてから,野鳥に親しみを持つようになりました. 鳥たちは,千両・万両などの実を食べたり,椿や梅などの花の蜜を吸ったりしています. その仕草の可愛いこと. 今頃気づきましたが,どうやら私は鳥が好きなようです. (食べるのは嫌いです;絶対に食べません ^^;

うちの木によく来るのは,スズメとメジロ,それにヒヨドリです. 他にも,名前を知らない小鳥がいくつか来ます. その中に,なんだか不思議な鳥がいて,ずっと気になっていました. スズメより大きくてハトより小さく,カラスのように黒くて,嘴がオレンジ色,イワトビペンギンみたいに頭の羽が立っています. 翼を広げると白い所があって,まるで黒紋付きを着ているように見えるので,私は勝手に「モンツキドリ」と呼んでいました.

やっと,そのモンツキドリの正体が分かりました. 「八哥鳥」という,中国原産のムクドリ科の鳥でだそうで,飼われていたのが野生化したようです. 人に慣れやすい性質のせいでしょうか,向かいの家の屋根裏に巣を作って住んでいたのでした.

ところが,やっと名前と素性がわかったのに,いつの間にか我が家の周辺で八哥鳥を見かけなくなっています. もともと日本の鳥ではありませんから,環境が合わず,死に絶えてしまったのでしょうか,ちょっと心配しています. しかし,カラスも繁殖期にしか営巣しないのですから,それと同じように,春にはあの八哥鳥たちも戻ってきてくれたらいいな,と思っています. (ただし,八哥鳥は「ギ~~!」というちょっと喧しい声で鳴くので,できたら我が家ではない所で営巣してほしいかな,と^^;


2010.03.05

瀧落の曲

昨夜の激しい雨がカラリと上がって,今朝は実に清々しい朝でした. 少し霧を含んだ大気に,朝陽がキラキラ輝いています. 気持ちがよくて,少しだけ早起きして,少しだけ早く家を出たので,いつもより早く職場に着きました.

早く職場に着いた時は,ちょっとでも尺八を吹くことにしています. とは言っても,いつもはさほどの時間は無く,周囲も気になるので,ロングトーンや音階練習をちょっとする程度ですが, 今朝は曲を,しかも「瀧落」を吹きたくなりました.

瀧落を吹いていると,職場のつまらない部屋の中なのに,なんだか朝陽を受けてキラキラ光る旭瀧の前で吹いているような, そんな気持ちになりました. 今朝の空気が,ちょうどそんな空気だったんですね. 久しぶりに空気と気分と曲が,ぴったり一致しました.


2010.03.06

禅の湯

いまごろ .... ではありますが,伊豆の河津に行ってきました(朝5時半発で). 残念ながら,と言うか,あたりまえですが,河津桜はほとんど葉桜でした. おまけに,雨(大雨注意報発令中でした)で,桜どころではありませんでした.

桜はさておき,今回は別のいい思いをして来ました. 河津から七滝の方に少し上ったところで,「禅の湯」という幟を発見したのです. 引き返して確認したら,お寺でやっている温泉とのことでした(写真の本堂の向こう側の白い建物が温泉施設). 一応ループ橋まで行ってきてから,今日はこの温泉で過ごすことにしました.

かなりよい温泉で,内風呂,露天風呂の他に,岩盤浴もあります. ものすごくよく温まる温泉で,汗がひかなくて困るくらいです. 飲泉にもなり,かなり濃い味がします. 食事も,うどんやそばなどの他に,予約しておけば精進料理もできます. 我々は予約なしでしたが,たまたま精進料理がいただけました. 精進料理と言いながら揚げ物にエビの天麩羅が入っていたのが謎ですが(^^;) とにかく,味も分量も充分で,クチナシの実で炊いたご飯はお代りまでできました.

ところでここは,お寺です. 曹洞宗の天城山慈眼院です. せっかく尺八を持っていましたので,もちろん本堂で献笛をさせていただきました. ここは伊豆です. もちろん,「瀧落」を吹きました. 昨日からの流れからすると,なんだか出来すぎた話しです.

出来すぎついでに .... ここのご住職は,私と同じ「坪井」という方でした. 「禅の湯」の女将をなさっている奥様に,「あら,親戚かしら」などと言われてしまいました.



2010.03.07

露切り

気付いてみれば当たり前のことですが,今まで気づきませんでした. 尺八の露を一回で綺麗に拭きとる方法です.

尺八を吹いていると,内部に露が付きます. そのまま吹いていると,露が落ちてきます. そこで,露切り(ガーゼ)を尺八に通して露を拭きとるわけですが,何度通してもなかなか綺麗に拭きとれず,イライラすることもありました. 当たり前ですが,内径の太い尺八ほど,拭きとりにくいです.

やっと今日,気付きました. 露切りをせっかちに通したのでは何度やってもなかなかうまく行きません,ゆっくり通せば一回で綺麗に拭きとれます. 要するに,露が露切りに滲みこむ時間が必要だ,ということです. 「急がば回れ」みたいな話です.


2010.03.08

寝てロングトーン

尺八のロングトーンを,仰向けに寝てやってみました. 昔々,アンデスのパンパイプ(サンポーニャ)の練習を始めた時,やっていた方法です. これだと,息を使いすぎて目を回して倒れる心配もありません (^^;)

尺八の音出しの練習にも,なかなかいいかも知れません. 身体の力の入り方が変わって,普通に吹くと力が入ってしまうところから力が抜け,音の出るポイントを見つけやすいかも知れません. 尺八の重さを顎で支えなくてはなりませんから,逆に顎の位置をしっかり決められるような感じがします. ただし,あまり重い尺八や,大きくて支えにくいような尺八には向かないかも知れません.


2010.03.15

尺八を鳴らす唇の穴の形

フルートも尺八やケーナも,唇の隙間で作った穴(ノズル)から吹き出した息を,楽器に作られたエッジ(正確には,エッジの上側)に当てて,音を作ります. このノズルの形は,フルートの吹き方の説明では,真円が理想的な形だと言われています. 唇の一部に丸い小さな穴を作って,そこから息を吹き出す,と説明されています. 私自身,フルートを吹いていた時はそうしていた,と思います(昔のことで,よく覚えていませんが).

では,尺八の場合もそれでよいでしょうか. 初めて尺八を持って,とりあえず音を出してみようという人には,私もそのような説明をしてきました. それは,いきなり力任せに息を吹きつけても,目が回るだけで音にはならないからです. しかし,尺八をしっかり鳴らすには,この形(丸い穴)は理想ではないようです.

尺八と同じ原理の笛で,しかし吹き口が作り付けになっている楽器があります. 小学校の音楽の教材になっている「リコーダー」です. リコーダーの吹き口を見てみると,丸い形にはなっていません. 湾曲していますが,横に長い長方形の穴です. 穴と言うより,隙間です. ここから吹き出されてエッジにあたる気流は,薄い角材のような形になります.

実は尺八を吹く時の唇の穴も,真円であるよりは,この形に近いのです. つまり,唇の隙間から短冊のような薄い気流を吹き出します. その短冊の幅は,エッジの幅程度とします. そして厚さは,オクターブ(甲乙)や強弱によって変化させますが,とにかく薄く薄く. 気持ちとしては,口から金箔を吐き出すような気持ちです.

この薄っぺらな短冊のような息がエッジにうまく当たった時,尺八は芯のある音でビーンとよく鳴ってくれます. 逆にボケた音色が欲しい場合は,短冊の厚さを増して幅を狭めて,つまり丸い気流にすれば,得られます.

なお,ケーナは尺八ととてもよく似ていますが,エッジの幅が尺八よりも随分と狭いです. 従って,短冊のような形,とは言っても,幅が狭くなりますから,結果的には円形に近づくことになります.


2010.03.17

尺八を鳴らす唇の穴の形(2)

一昨日の記事に写真を加えて,別のところに置きました


2010.03.18

龍馬

今日は少々(いえ,かなり)二日酔いでした. 昨夜は,危うく終電に乗りそこなうところで,家に着いたのはもう1時に近いころでした. よくも寝過ごさずに帰って来られたものだと感心します.

昨日は,実は,泉州尺八工房の三塚さんのところに,大阪芸大の志村さんをご案内したのです. 泉州尺八工房と言えば,伝統に縛られることなく,とにかく性能のよい尺八を目指してきました. 一方の志村さんは,地無し・延べ管の古管にこだわって,その伝統を追及しています. 尺八の世界の,まったく正反対の位置にいるお二人です. このお二人を引き合わせたわけです(本当に初対面だそうでした). 周りからは「どうせ喧嘩になるからやめとけ」などと言われていましたが,どうしてどうして,これから何か生まれてきそうな雰囲気でした. なんだか,薩摩と長州を結びつけた坂本龍馬になったような気分です(^^;;) で,そんな面子で飲んだものですから,ついつい嬉しくて,際限なく飲んでしまったのでした.


2010.03.20

フルート

フルートを買いました. 40年ちょっと前に買ったフルートは,今でもまったく吹けないということもないのですが,さすがにもうボロボロで,これをオーバーホールするくらいなら,ということで,新調しました. もう25年はフルートは吹いていませんでしたが,さすがに音は出ました. 音を出すのは,たぶん,尺八よりも簡単です.

以前に買ったフルートは日本管楽器(日管)製でした. 日管はその後,日本楽器(ヤマハ)に吸収合併され,私のフルートも型番の頭にYが付いただけで,ヤマハの製品となりました. それから改良もされたらしく,型番は桁が変わっていますが,結局,その40年前に買ったのとほとんど同じモデルを買いました.

しかし,いろいろ驚きました. ジョイントグリスが付いていないので聞いたら,そんなものは塗らないんだそうです. 昔はちゃんと塗ってましたよ. それから,キーオイル. そんなものも,個人で注さなくてもいいとか.

実は,先日,泉州尺八工房に行った時,フルートの頭部管を尺八の吹き口に交換したものを吹かせてもらって,気に入ってしまったのです. 本物のオークラウロはどうも私には吹きにくいのですが,これならほぼ完全に吹けます. メカニズムで半音単位に発音できるフルートの機能に,尺八のメリ・カリのテクニックを加えたら,怖いものなしです. いずれ,その尺八型フルート頭部管を買うつもりです.

もちろん,これで本曲を吹くつもりは(いまのところは)ありませんから,ご安心ください.


2010.03.24

準備運動

子供のころ,体育の授業の前には必ずラジオ体操をさせられたものです. 水泳の時はとりわけしっかりさせられて,準備運動をしないで水に入ると溺れるぞ,と,脅されたものです.

最近,朝6時半のラジオ体操をやっています. 正しくは,やろうとしている .... というところ; ずいぶんとサボり気味なので. しかも,「第一」は身体が覚えていますが,どうも「第二」は馴染みがなくて,デタラメにやっています. でもまあ,一日の活動を始める前にちょっとでも体操をするのは,確かによいことのように感じています. 若いころはラジオ体操を自分からやろうなんて思いもしなかったのに,これはなんとしたことでしょう :o

尺八を吹く前にも,それなりの準備(準備運動)が必要です. 私がやっている準備は(一般的な準備運動は別にして)以下の通りです.

まずは尺八は持たずに,指の準備をします.

  1. 指を閉じたり開いたりします
  2. グー・パーを繰り返したり,一本ずつ順に開いたり閉じたりを繰り返します. ちなみに,指の運動は脳の活性化にも有効だそうですね.
  3. 人差し指と薬指の間を開きます
  4. 人差し指と薬指の間に,逆の手の中指と親指を挟んで,少し力を加えます. ただし,痛いほど無理に開くのはよくないと思います. 1尺8寸管を吹く場合はこれは必要はないかも知れませんが,長管を吹く場合は,運指がずいぶんと楽になります.
  5. 指が乾いている時は息を吹きかけて湿り気を与えます
  6. 運動ではありませんが,かなり有効です. 指を舐める人もいるそうですが,それはちょっとね (^^;)
ここでやっと尺八を手に取ります.
  1. 口を大きく開きます
  2. 顎が外れそうなほどに口を大きく開きます. 大欠伸をするような,あるいは酸欠になった金魚が水面でパクパクするような,そんな感じです. 実際に尺八を吹いている時はこんなに大きな口を開けているわけではありませんが,普通にしている時よりは口の中は膨らましますから,その準備です.
  3. 唇を左右に引っ張ります
  4. 指で引っ張るという意味ではありません. 「イ~」と言うような,あるいはほほ笑むような唇の形にして,それをさらに力いっぱい横に伸ばします. 上下の唇は,閉じているか開いているかの間くらい,わずかに触れ合うくらいの感じです. これを,上下の歯の間が舌の厚さくらい離れたくらいの状態でします.
  5. 尺八を当てます
  6. この唇の状態で,尺八を唇にあてます. (尺八をとりあえず当ててから,上の動作をしても構いません). 尺八を当てる位置は,注意深く探ります. 左右は比較的わかりやすいですが,上下の位置と角度は,よくよく注意が必要です.
    尺八を唇に当てたら,尺八の吹き口(エッジ)よりも左右に外れた部分の唇を緩めます.
これで準備完了です.


2010.03.29

オークラウロ

今日やっと,フルート用の尺八型頭管を,手に入れました. 泉州尺八工房で作ってもらいました. 3万円もかかりませんでした. 吹き口の形状は,私の我儘でいろいろ作り直したり調整したりしてもらいました.

今日は午後,ずっとそれ(オークラウロと呼んでいいのでしょうか)を吹いて過ごしました. いやぁ,もう,なんというか,有頂天です(^^;) 尺八の吹き方で,メリ・カリも効く上,全半音がキー操作で出るし,しかもこれが良く鳴ります. クラシックのフルート曲はもちろん吹けますが,工夫すれば本曲だってなんとか吹けます.

ただ,その工夫がなかなか大変です. よくある「リイ」という音型が普通のフルートの運指ではできません. 替え指が必要です. 「カラカラ」や「コロコロ」は無理なので,それと似た音を探しました. チのメリとウの吹き分けも,無理ですね. 本曲でなくても,C とか Cis が続くと,楽器を支えるのがちょっと大変です.

これから,いろいろと工夫を重ねてみることにします.


2010.04.01

オークラウロ(2)

オークラウロ(もどき)は,あいかわらず,毎日気持ち良く吹き続けています(って,まだ数日ですが). しかし,はたと気づいて,愕然としました. いつの間にか,尺八ではなくてフルートの音になっているのです. バッハだのフォーレだのドップラーだのと,古典的なフルート曲ばかり吹いているのですから,あたりまえですが. こりゃいかん,と思って,尺八に持ち替えると,尺八の音が出なくなっています. まるで尺八初心者の(私が初心者だったころの)音です. こりゃあまずいですね ..... 来月には,ちょっとした本番があるというのに(^^;;)

古典的なフルート曲を吹くなら,たぶん,フルートのままの方が良いでしょう. 一方,尺八の古典本曲を吹くなら,フルートのキー(ベーム式なんかの)はいりません. じゃあ,オークラウロで何を吹けばいいんでしょうか. いずれにしても古典(クラシック)ではないでしょうね. 新しい酒は新しい革袋に,ってところでしょうか.

ところで,「尺八」と「フルート」を一緒にして「シャクルート(shakulute)」というネーミングもありますが,どうも私はこれには抵抗があります. 「lute」は,弦楽器のリュートですから.


2010.04.03

八哥鳥が戻ってきた

ちょうど見頃になった桜を見て家に帰ると,どこかで聞いたような鳥の声がします. あっ,これは! と見回すと,近所の家の軒先に,八哥鳥が一羽,とまっていました. 私が勝手に「紋付鳥」と呼んでいた鳥です. 近所の軒先に巣を作って繁殖しているらしかったのに,いつの間にかいなくなって心配していたのでした. やはり,営巣のために戻ってきたのでしょうね(今日は一羽しか見かけませんでしたが). 巣を作られる家には迷惑かもしれませんが,安心しました.

1ヶ月前(3月4日),八哥鳥のことをここに書きましたが,その時,「ギ~~!」と喧しい声で鳴くと書いたのですが,誤解のないように補足しておきます. そんな声も出しますが,実に綺麗な,澄んだ声で,いろいろな鳴き方をします. ネットの記事によれば,人の声も真似するそうですから,声をコントロールする機能が高いだけでなく,頭も(カラス並みに?)いいんでしょうね.


2010.04.04

演奏会

来月15日の「第18回 保坂優社中 筝パフォーマンス」という演奏会の助演をします. 今日,初めての下合わせをしてきました. 私の曲は,「坂本勉 編曲 ボルガの舟唄」と「大月宗明 作曲 音と光と海と」の2曲です. とりわけ「ボルガの舟唄」は,尺八でなくてオークラウロでも(の方が)いい(^^;) ような気がしてしまいます. そう,楽譜はいつもの通り,せっかくの尺八譜(都山譜)を,わざわざ全部五線譜に書き直していることでもあり :p

お筝の大合奏とリズムを合せるのはなかなか大変です ... なにしろ指揮者なんてものはいないし,みなさん,結構自由気ままなリズムで演奏するし,こっちはパート譜しかないので,どこで入ったらいいのやら ... もう一回だけ下合わせがあって,その次は本番です. ちょっと恐怖(^^;) です.

それにしても,毎回思うのですが,邦楽の合奏の練習というのは,実際に演奏する時間にくらべて準備の時間が長すぎます. とにかく,お筝のセッティングにベラボーな時間がかかります. その間,尺八部隊はやることもなくボーッとしているだけです. オーケストラなら,管楽器やバイオリン・ビオラはもちろん,チェロだって奏者が持って来て,そのまま演奏できます. コントラバスだって,本番ではあらかじめステージに置いておくにしても,練習の時は自分で持って定位置に行きます. そんな風に,簡単にセッティングのできる筝を考案すれば,邦楽の発展にも役立つのではないでしょうか.

第18回 保坂優 社中 筝パフォーマンス
日時 2010年5月16日(日) 12:30開場 13:00開演
会場 町田市民ホール
入場料 2000円(小学生以下 無料)

2010.04.07

オークラウロ(3)

先日の下合わせで吹いた「ボルガの舟唄」の録音を聴いてみると,私の尺八の音はどうにもイマイチです. 一回目しか録音してこなかったので,まあ,落としちゃったり間違ったりというところはいっぱいありますが,それは大目に見ることにしましょう. そんなことではなくて,音のニュアンスです. 私は,どうせ洋楽だからということで,フルートのようにタンギングで吹いてしまったのです. そもそも,こんなものオークラウロで吹いちまおうか,などと良からぬ妄想を抱いたりしたくらいだったのでした. 隣り(尺八は私一人ではなくて助かりました)で吹いている都山流の方の音は確かに尺八の音なのですが,私の音はどうも尺八には聞こえません.

オークラウロをフルートにするか尺八にするかは,要するにここですね. タンギングで音を切るか,指で音を切るか,これが一番重要な分かれ目になるのでしょう. フルートだってムラ息が出せないことはないし,少しなら顎でのメリ・カリもできます. しかし,指で音を切るのはどうもイマイチ上手く行きません. さて,これからオークラウロもどき,どう料理しましょうか ....


2010.04.23

横山勝也先生ご逝去

横山勝也先生がお亡くなりになったそうです. 私にとって師匠,ということではありませんが,横山先生は山口五郎先生と同様,どうしても「先生」をつけないではいられません.

私にとって,たぶん,意識して聞いた最初の尺八だったと思います. 中学生のころです(中学の終り頃か,卒業していたかも知れません). テレビで武満徹作曲「November Steps」を見た(聞いた)のですが,その時の尺八が横山勝也だったはずです. もちろん,琵琶は鶴田錦史です. 残念ながら,特に感動したというわけでもなかったので,尺八に縁のなかった間,ずっとこれは忘れていました.

尺八を始めたのは,今から10年少し前のことです. 私が尺八を始めてじきに,山口五郎先生が亡くなりました. そして,その直後,横山先生も,公演先のドイツ(だったかな)で倒れ,そのままご自身の演奏はできなくなってしまいました. 私が尺八を始める決意をすることになった演奏会(国立劇場)が,山口先生と横山先生の私にとっての最後の生音でした.

せっかく私が尺八を始めたのに,そのとたん,このお二人の音が聴けなくなるとは,ショックでした. それでも,横山先生は話せるまで快復なさり,その後,私も何度か横山先生にはお近づきになる機会がありました.

ある講習会に参加したとき,音の出し方やメリ・カリの説明をするために,たまたま会場にいた単なる参加者の私に尺八を吹かせ,結果としてお褒めいただきました. これは少々自慢にしています. でも,褒められたことばかりではありません. ある日,都内某所で,何かの時間つぶしに歩道と車道の間のガードレールに寄りかかって尺八を吹くでもなく吹いていたら,なんと,横山先生が通りかかり「君々っ! 尺八は姿勢も大事だよ」と叱られてしまいました. このとき横山先生が私をご記憶であったのかどうかは,謎です. 横山先生のお言葉で心に残っているのは,「たとえば調子の楔吹きは,どこまで音を伸ばすのか?」という質問へのお答えです. それは,「音そのものが知っているから,音に任せなさい」というようなことでした.

横山先生のご冥福をお祈りいたします.


2010.04.30

善養寺師のテレビ

昨日(4月29日),NHK教育の芸能花舞台という番組(木 14:00~14:44)に,善養寺惠介師が出演していました. 演奏された曲は,根笹派錦風流の「三谷清攬」です. 上半身あるいは顔が画面いっぱいに映される部分もたくさんあり,唇の様子・使い方など,尺八のテクニックがじっくり見られます. 再放送が5月2日の 23:30~24:14 にあります. 録画して見直したりすると,とても勉強になりそうです.

オークラウロ(支持用補助具)

フルートは尺八と違って,少々重いメカニズムが付いています. そのメカは,フルートの管の周りにまんべんなくついているわけではなく,あたりまえですが,一方向にまとまっています. ですから,どうしても回転する力が生じます. しかし,普通のフルートの構え方(三点支持)では,それはそんなに問題にはなりません. ところが,それを縦に構えると,唇が支持の役には立たなくなりますから,三点支持が出来なくなります. すると,指をたくさん離した音では,どうにも楽器が回転してしまって吹けません. 尺八はただの管で,回転力は生じませんから,落ちないように支えられればそれでOKです.

指をたくさん離した時(c とか cis),楽器の回転を抑えるために,右手の小指に加えて薬指まで押さえることを試みましたが,結果はイマイチでした. 右薬指を押さえると,出なくなる音もあります.

フルート用の親指補助具を発見しました. ソレクサのサムポートという製品です. さっそく手に入れて,試してみました. フルート用としてはそんなに役に立つのかな?という気もしますが,我がオークラウロもどきには重宝しそうです. 本物のオークラウロについていた右親指の支持具よりも使いやすいかも知れません.

とは言っても,これでもまだまだ楽器は不安定です. 同じような製品が他にもあるようですので,それも手に入れて,確かめてみようと思っています.


2010.05.15

ドタバタと ....

少々ドタバタしていたのと,まあ,ようするにサボっていて,しばらく更新していませんでした. 「献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加するのも忘れていて,今,しました. この「おしらせ」ページも,やっと昨年分をアーカイブに回しました. オークラウロ関係では,上に書いた親指の支持方法を,吹合せ会の原田さんがうまいこと考えて下さり,なかなかいい具合になってきましたし,いろいろ思いついたことがあるので,まとめて書きたいと思いつつ,これはまたいずれ.

さて明日は,町田の演奏会の本番です. 劇・ドラマで言えばチョイ役ですが,それでもちょっとは練習しなきゃ .... そもそも,本曲しか習ったことのない私が,お筝の合奏の現代曲なんかを人前で吹いてよいものやら ...

ところで,私が善養寺師から習っている本曲ではビブラート(尺八の横揺り)は使いません. それで,これまではこういう合奏でもあまりビブラートはかけないでいたのですが,師匠は実は結構派手にビブラートしているようなので,いきなり本番ではありますが,明日は私も思い切ってビブラートしてみようと思っています. さてどうなることやら.


2010.06.02

まだ,ドタバタと ....

相変わらずドタバタしていて,おまけにもちろんサボっていて,ぜんぜん更新できませんでした. やっと「献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました.

献笛をネタにした文を書き始めた途端,さっぱり献笛に行かなくなってしまっています. 坂東・西国・秩父の百観音が満願したからでもあるのですが,それにしてもちょっとサボり気味としか言いようもありませんね. 坐禅もぜんぜんサボっています. 自分の吹く虚無僧尺八が形ばかりのまがい物になってくるようで,少々焦っています.


2010.06.05

日焼け

この一週間,屋外での実習のお手伝いをしていました. 丸一日立ちっぱなしでしたから,さすがに疲れました. おまけに天気が良くて,すっかり日焼けしてしまいました. まるで,しばらく遍路にでも出ていたような感じです. 実際,やることもないので,般若心経(と根笹派錦風流「調」と中島みゆきの「時代」)を繰り返し繰り返し唱え続けていましたから,まあ,「行」であったと言っても良いかと..... 遍路,と言えば,総理大臣が突然,遍路経験者に代わってしまいましたね. ビックリです.

浅草みちびき祭り

昨年・一昨年と参加した浅草の観音裏の「みちびき祭り」ですが,今年も参加することになりました. 今年は7月18日(日)ですが,翌19日も祝日です. 昨年は欠席だった善養寺師も,今年は参加できそうです. 一昨年は「調子」,昨年は「虚鈴(合奏編曲・簡易バージョン)」でしたが,今年は根笹派錦風流の「調」を吹きながら練る予定です.


2010.06.13

精進カレー

家内が入院して,一人で自炊生活をしています. 自炊(しかもたった一人分)するのは面倒ですが,好きなものが食べられ(好きでないものを食べずにすみ)ます. 今日はカレーを作ってみました. 肉抜きの,まあ,精進カレーです(ただし,市販のルーを使いましたから,厳密には「精進」とは言えないでしょうが). 肉の代わりに,厚揚げを入れてみました.

私は鶏は嫌いでほとんど食べないのですが,厚揚げは,ちょっと柔らかいチキン(ササミ?)のような食感です(私が嫌いなのは鶏であって,鶏の食感ではありません). 精進料理で鶏(雁)の肉に似せて作ったものはガンモドキですが,あれが鶏肉の代わりになるとはとても思えませんね. 本来のガンモドキは,実は厚揚げみたいなものだったんじゃないでしょうか.

何年か前の禅堂で食べたカレーには,コンニャクとかレンコンとかが入っていました. 今日のカレーが無くなったら,それも試してみましょう.


2010.06.18

日々新

先日,家内が股関節の手術を受けました. 手術は無事に済んで,もう退院して自宅にいます.

とにかく驚いたのは,速さです. 私の歯のインプラントだって一ヶ所あたり半年以上もかかったのに,入院の翌日に手術,手術の翌日には自力でトイレに行き,2日目には歩行訓練が始まり,3日後には杖で歩き,5日後には退院です. 一日ごとに,みるみる出来ることが増えるようでした. 退院の前日だったか,家内がふと,「日々あらたなり」と言いました. これは,たまたま知っていた 「苟日新 日々新 又日新((まこと)(ひび)に新たに,日々(ひびひび)に新たにして,又た(ひび)に新たなり)」 という禅語です.

そういえば,やっと2歳を過ぎたところの孫も,このごろ大変な勢いで会話が出来るようになってきました. 会うたびに驚きます. これも「日々新」です.

それに引替え私はと言えば,家内の入院以来,連日の病院通い,退院してからは家事(炊事と洗濯だけですが)と介護(まあ,風呂の世話くらいですが)で,まったく尺八を吹く時間がとれませんでした. おかげで私の尺八も「日々新」です. ただしこっちは進歩の方ではなく,退歩の方ですが :<

学生時代の吹奏楽で,よくこう言われました. 「一日練習をサボれば,一日分下手になる」と. しかしどうも,10日分下手になった程度では済まないようです. う~ん,少々焦ってきました. せめて明日・明後日の土・日くらい,しっかり練習しようと思います ....

しかし,練習をノルマみたいな気持でやっても駄目です. とりわけ,本曲なんて無理に練習したって無理,ナンセンスです. 心をこそ「日々新」にしなくてはいけませんね.


2010.06.28

寝床

家内の入院前,動けない間の楽しみに,と,古典落語のレンタルCDを借りてみました. もう家内はだいぶ動けるようになってきましたが,以来,落語CDを週に4枚程度ずつ借りて来るのが習慣化しています.

ところが悔しいことに,私自身はそんなものを聞いている時間はさっぱりありません. そこで,通勤の車の中で聞くことにしました. しかし,運転しながら落語を聞くのは命がけです. 今朝は古今亭志ん朝の「寝床」を掛けていましたが,ついつい話しに引き込まれ,信号無視(いえ,無視したわけではなくて,赤になったことに本当に気付きませんでした)をしてしまいました. それにしても,これだけ人を引き込む話芸,いったいどれほどの修行で身につけられたのでしょうか.

この「寝床」という落語,まことに耳の痛いお話です. 玄人の芸に対する素人の芸. たとえば志ん朝の落語はまさに玄人の芸ですが,私の尺八なんて,「寝床」で義太夫を語りたがっている「旦那」と同程度のものでしょう. そのあたりをよく心得て,「寝床」の「旦那」にならないようにしっかり気をつけようと思う次第です.


2010.07.01

・!

あっという間に,今年も半分過ぎてしまいました. 「献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました. .... 考えてみると私の「献笛」というのも,先日の「寝床」で旦那の語る義太夫と同じかも知れません. 「寝床」で聞かされるのは長屋の住人や店の使用人なのが,私の献笛ではホトケサマに代わっていますが ....


2010.07.17

明日は浅草

今年の梅雨は本当に日本の梅雨だったのでしょうかね. その梅雨があけて,今日は暑いです. 暑くて何もする気力が起きませんが,とりあえず明日の準備は整えました. 虚無僧装束一式,久しぶりに引っ張りだしました.

明日は浅草の「みちびきまつり」で,虚無僧(イベント虚無僧)をやってきます. 浅草芸者衆のお練りにも参加します. 明日の浅草も暑そうですが,綺麗な芸者さんたちと一緒,というのは楽しみです(^^;)


2010.07.22

暑いですねぇ

今年は梅雨も変でしたが,この暑さも大変なものです. まったく,死にそうな暑さです. 熱中症というより,身体が煮えてしまいそうです. 浅草の「みちびきまつり」の日も十分に暑かったですが,昨日・今日のような暑さだったら,とても炎天下の虚無僧の練りなんてできませんでした. まあ,幸いではありました.

昨年は,いくつかのブログに虚無僧が登場して,私のアップ(^^;)もあったのですが,今年は少し控え目です. 下記のページを発見しました.

冷たい緑茶

この暑さのせいで,目から鱗が一つ落ちました. 私は静岡県の生まれのせいか,お茶(緑茶)をよく飲みます. しかし,緑茶というのは湯で淹れなくてはならないと,信じて疑いませんでした. でもこの暑さでは熱い茶はちょっと....

これまで冷たい緑茶を飲むには,湯で普通に(ちょっと濃い目に)淹れた茶に氷を入れる,それしか思いつきもしませんでした. 最初から水で出すには何時間も茶葉を水に浸けておかねばならない,そう信じて疑いませんでした. ところが,試しに水で淹れてみたら,簡単に美味い茶が飲めました. 何の事はない,急須に茶葉を入れ,水(湯ではなく)を注いで,少し長めに(数分)待つ,それだけです. しかも,湯で淹れる場合より渋みの少ない柔らかな,実に旨い茶です. 驚きました.


2010.07.26

フルート尺八デビュー

昨日は百銭会(善養寺惠介社中)の浴衣会(お浚い会)でした. 今年はずいぶんと参加者が多く,しかも三曲が増えたので,13時から始まって,休憩なしで延々17時半ころまで続きました. これだけずっと座り続けるのは,さすがに辛い. おまけに,終わり次第の宴会も同じ場所で,私は21時ころにはお暇しましたが,結局8時間も座り続けたことになります.

この宴会の中で,私のフルート尺八(フルートの頭部管だけ尺八型の吹き口に変えて,縦吹きにするもの)のお披露目をしました. 襖の向こう側で本曲を少し吹き,途中から襖を開け,ついでフルート曲のハンガリー田園幻想曲(ドップラー作曲)の一部などを吹いてみました. 尺八の技巧の顎のメリ・カリ,回し揺り,根笹派のコミ吹きやツギリなど,フルートの技巧のクロマティック・スケールなど,を順に紹介しました. いくつかの本曲を,尺八の本来の奏法で吹いたり,逆に尺八の技巧無しでフルート的に吹いたりの実験演奏も,興味をもってもらえました.

本当は,ブラインドテストをしてみたかったのです. 「本曲を聞く」というつもりになっている聴衆に対して,フルート尺八であることは告げずに,物陰でフルート尺八で本曲を吹いて,本曲としての評価をしてもらう. これでどの程度の違和感があるのかを知りたかったのです. 逆に,フルートを聞くつもりでいる聴衆に対して同じようにブラインドテストをして,フルートとしての評価をしてもらうのも面白そうです. いつか機会があったらやってみたいですね.

偶然にも,昨日の浴衣会では中能島欣一の「さらし幻想曲」もありました. この曲は,本来フルートで演奏する曲で,尺八にとっては超難曲だそうです. おそらく,フルート尺八なら結構簡単に吹けるのではないか,と思いますが .... これはちょっと不遜に過ぎるでしょうか(^^;)


2010.07.28

フルート尺八

先日の百銭会の浴衣会で私がフルート尺八を吹いているところを写した写真(内野博樹さん撮影)を頂きました. 襖の向こうでの本曲が終わって,たぶん,尺八のユリを派手にかけながらハンガリー田園幻想曲を吹きまくっているところだと思います. 左端で笑い転げているのは善養寺惠介師,その隣で仰け反っているのは山田流筝曲山登派七代家元の山登松和師,その右で呆れている女性二人は筝曲家の佐藤紀久子さんと佐々木千香能さんです. 会場には他にも虚無僧研究会会長の小菅和尚,尺八研究家の神田可遊さんなど,そうそうたるメンバーがいらっしゃいました. 少々調子に乗って自分ばかりしゃべってしまいましたが,感想や批判をもっと詳しく伺ってまわればよかったと,少々悔やんでいます.



2010.08.06

暑気を祓いたい!

暑いですねぇ..... こう暑いと,本曲よりも,ハワイアンでも聞きながら冷たいビールを.... あわわわわっ

明日は我が尺八吹合せ会の暑気払いです. 飲みすぎないように気をつけようと思います. 暑気払いの前に,いつもの吹合せとはやり方を変えて,全員での練習,合奏形式の練習をしてみます. おそらく,本曲を主に練習する人たちで,和音を使うような合奏の練習をするところはないでしょうね. そんなもの本曲の練習になるのか,と言われると困ってしまいますが.

献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました.


2010.08.11

坂東観音霊場

昨日,鎌倉の杉本寺に行きました(家内の手術の2ヶ月検診で鎌倉の病院に行くついででもありました). 5年ほど前から坂東や西国の観音霊場を回って献笛をして来ましたが,いくつかのお寺では献笛してありません. 初めのころは,献笛をすることを思いつきもしませんでしたから,一番札所の杉本寺では,もちろん献笛してありませんでした.

今度こそ杉本寺で献笛するんだというつもりで,朝早く,開門に合わせて行きました. ところが,どうも様子がおかしい. 実は昨日は,「四万六千日」でした. 私は四万六千日というのを知らなかったのですが,この日(七月十日,あるいは月遅れで八月十日)にお参りすれば四万六千日参詣したのと同じ功徳があるという,観音様の縁日だそうです. たまたまこういう日にお参りしたのは幸運ではあったのですが,今回も献笛はできませんでした.

杉本寺で,2冊目の坂東観音霊場の納経帳を買いました. それでさっそく今日は,茨城の佐竹寺(二十二番札所),観世音寺(二十三番),雨引観音(二十四番)に行ってきました. 前回お参りした時は,観世音寺と雨引観音では献笛はしませんでしたが,今回は3ヶ寺とも吹いて来ました. 雨引観音では観音堂の中で吹きましたが,寺務所でお断りしないまま,吹いてしまいました. 吹き終わってすぐに御祈祷が始まりましたから,ちゃんと献笛を申し出ていたら断られていたことでしょう. あるいはもう少し遅く始めていたら,怒られたのかも知れません. 観世音寺もお断りしないまま本堂の中で吹きましたが,こちらはご住職と尺八の話しもさせていただきました.

佐竹寺の納経所でご朱印を下さるお婆さん(83歳だそうです)は,観音様のような方でした. いろいろなお話をさせていただきました. そして,近くの畑で採れたというキュウリ,ナス,ピーマンをいただきました. 本物の野菜の味がしました. なんだか,とても勿体ない,有難いことでした.


2010.09.08

暑い夏でしたねぇ. でも,今日は台風のせいで涼しくなっているだけで,この先また猛暑が続くとか. いい加減にしてほしいですね.

暑かったせいで,ということもありませんが,このページ,一ヶ月近くも更新しませんでした. どうもすみませんでした.

さて,いくら暑くても,カレンダーの上ではもう秋です. 予定帳にも秋らしいスケジュールが並んでいます.

まずは今月23日,国立劇場に「尺八の会」を聞きに行きます. 13時からの1部では私の師匠・善養寺惠介師をはじめ,そうそうたる人たちの古典本曲が聞かれます. 16時からの2部は現代作曲家の作品ですが,こちらも大した奏者が揃っています. 私の友人でもある志村禅保師は,高橋悠治の曲を地無し管で演奏します. どちらの部も楽しみですが,コンサートを二つ連続で聞くわけですから,かなり疲れそうではあります.

10月8日は,鎌倉に薪能を見に行きます. 以前,横浜の掃部山の薪能に行ったら,雨のために横浜能楽堂での公演になってしまいました. それはそれで良かったのですが,野外の「薪能」というものも見てみたいものです. 今度こそ,本物の薪能が見られることを祈ります(お天気次第です). ただ,狂言はまだしも,能はまだまだ私にはイマイチよくわからないのが辛いところです.

10月10日は,新宿のオペラシティーで洗足学園音大主催の「尺八の潮流 伝統を未来へ」があります. 善養寺師も出演するし,なかなかの演奏者が集まっていますが,百人の尺八奏者による演奏という,とんでもない曲もあるようです.

善養寺師の演奏は,10月22日の「虚無僧尺八の世界と南水ひとり語り」というのもあります. 文化庁芸術祭参加公演だそうです. 一昨年は「新人賞」,昨年は「優秀賞」,まさか続けて今年は「大賞」なんてことはないと思いますが..... 残念ながら私は,勤務の関係で行けそうにありません.

10月23日は,聞くほうではなくて,とあるところで講演と演奏を頼まれています. 虚無僧に関するお話をしながら,虚無僧の曲をいくつか演奏させていただきます. ただ ... 話だけなら1時間が2時間,3時間でも喋りますが,私の下手な演奏を交たのではどういう評価をいただくか,さてどうなりますやら.

私の演奏,という意味では,11月23日には,虚無僧研究会の献奏会があるはずです. まだお知らせは来ていませんが,さて何を吹こうかと,悩ましいところです.

悩ましいと言えば,最近せっつかれないので忘れたふりをしていますが,虚空の合奏編曲も,ストップしたままです. 去年の虚無僧研究会の献奏曲に虚空を選んだのは,合奏編曲の準備,と説明していたのでしたが. 突然,3ヶ月後にやるからね! などと通告されるのが恐怖です(^^;)

恐怖,と言えば,昨日は眼科に行ってきました. 3ヶ月前の健康診断で,網膜静脈閉塞症を指摘されていたからです. 一昨年の健康診断では大腸癌の疑いがあると言われて,でもそのままほっぽっておいたら昨年も今年も消えてしまっていたので,どうせ今回もそんなものだろうと,高を括っていました. ところが,実は結構危なかったようです. この病気,年齢と高血圧に関係があるようです. 来週手術,ということになってしまいました. 目の手術(レーザーを当てるだけですが)というのも恐怖ですが,目が見えなくなるかも知れないということが,私には恐怖です. 乱視のせいで五線譜が七線譜か九線譜に見えて初見演奏が困難になってきていますが,視力がなくなったらそれどころではありません. いずれにしても,私の人生はもう十分に「秋」です. せっせと「冬」の準備をしておかないといけないな,と思うこのごろです. とりあえず昨日は,眼科から帰ってから夜まで,尺八の音出しに(久しぶりに(^^;)専念しました.

献笛放題あっちこっち

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2010.09.25

突然秋

あれほど暑かったのが嘘のように今日は随分と涼しい,というより昨夜から今朝はもう,寒いほどでした. 何着もある浴衣を箪笥にしまっておいてもしかたがないので,今年の夏は浴衣で過ごそうと心に決めていたのですが,暑すぎて,浴衣すら着ていられませんでした. 少し暑さがおさまったら浴衣で過ごそう,などと思っていたら,今日はもう,浴衣でいるのはちょっと変です. 結局,浴衣で過ごしたのはほんの一瞬でした. 夏用の麻の単の着物は,ついにこの夏,袖を通さず仕舞いでした.

先日の記事に書いた目の手術(レーザー)は無事終わり,経過は順調だそうです. とりあえず一安心,ご心配おかけしました. しかしこれから,あっちこっち,いろいろ出てくるんでしょうね. 最近,手がいうことをきかなくなってきて,まだ尺八ならなんとかなりますが,もうギターやピアノは無理そうです.

ロングトーン

やれる間にやれるだけのことをしなくては,と思って,このところ尺八の音出しはそこそこ頑張っています. ところで,ロングトーンはつまらなくて飽きてしまう,という方も多いかと思います. 私は,歩きながら,ロングトーンをします. 家中,動物園のクマのように,あっちこっち歩きながら,ひたすら音を出します. 狭い家なので,家族がいるとなかなか自由に歩きまわれませんが,居ないところを狙って,階段も上ったり下りたり,家の隅々まで歩きまわります. 一息では,一つの音しか吹きません. 息が続く限り,一つの音を吹きます. 音階すら吹きません. 一つの音を吹きながら,良くなるポイントを探します. 歩きながらのロングトーンは,不思議と飽きません. どうか,お試しあれ.


2010.10.01

とんでもない秋

何度も書きましたが,本当に今年は大変でした. あのとんでもない猛暑が終わったら,いきなり11月のような「寒さ」. たまった暑さの疲れと,急激な気候の変化についていけなかったということでしょうか,たった1週間の間に,私の身内や親しい人の縁者が,4人も亡くなりました. 偶然かも知れませんが,こんなことはこれまでありませんでした. ニュースサイトのおくやみ記事も,いつもより多いような気がします.

献笛放題あっちこっち

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2010.10.15

コンサート

9月23日は国立劇場,10月10日は東京オペラシティ コンサートホールで,尺八をたっぷりと聞いてきました.

感想を少し.

舞台で演奏される本曲というのは,どうもしっくりこないような気がしました. 曲,というより,雰囲気のせいかも知れません. 国立劇場では,前半の古典本曲の部では,お一人も袈裟を着けて演奏された方はおられませんでした. 後半の,現代曲の部で,高橋悠治の曲を吹いた志村禅保さんだけが,袈裟をつけていました. また,尺八をささげて礼をされたのも,その志村さんの他は,前半の善養寺師だけでした. オペラシティでは,古典本曲は善養寺師の一曲だけでしたが,むしろこの時の方が,入れ替わり立ち替わりの国立劇場よりも,「本曲を聞いた」ような気がしました.

オペラシティのコンサートは,なんともバラエティに富んだ演奏会で,とても楽しめました.

100名の尺八奏者による曲は,なかなか大変なものでしたが,舞台上の知っている顔を探すのに忙しくて,あまり音楽を聞いたような気がしません(^^;) それにしても,あれだけの大人数の合奏で,どうして指揮者がいないんでしょうね.

その前に,新作のコンペティションの受賞作品の演奏がありました. 3位の弦楽四重奏と尺八の曲には,少々無理を感じました. 2位の曲はまあまあ面白かったのですが,ユーフォニュームと尺八では音量が違いすぎます(尺八はPAを使っていましたが). 1位の,近藤春恵さんの尺八とフルートのデュオの曲は,納得できる,なかなかいい曲に感じました. 演奏が始まる前,隣りの席の友人に「尺八とフルートのデュオなんて,私のフルート尺八(オークラウロ)一本でできるわい」などと軽口を叩いていましたが,決してそんなものではありませんでした. 尺八とフルートが,違いを前面に出してぶつかったり支えあったり,時には尺八なのかフルートなのかわからないほどに混ざりあったり,見事な構成だったと思います.

10月8日には,鎌倉の薪能にも行ってきました. いい雰囲気で,芸能というより「神事」という感じがしました. 今回の演目は狂言も能も初めてのものだし,予習もしないままで見に行ったのですが,狂言はわかるし,能もだいたい理解できるのには,我ながら驚きました. ちゃんと進歩はしているんですね. 来年も行きたいような気がしますが,行くなら,防寒の用意をしっかりして行った方が良さそうです.


2010.10.21

残響

少し前にも書きましたが,このところ,家の中をあっちこっち歩き回りながらロングトーンをしています. すると,場所によって反響の具合が違っていて,とても気持ちの良い音に響くスイートスポットが見つかります. そういう場所で吹くと,気持ちがいいから,いつまででも吹いていられます. ロングトーンの後は,そのスイートスポットに陣取って,曲の練習をしています. ただ,我が家の場合,それが階段の途中なので,家人が動き回る時間帯はできないという欠点はあります.

風呂場で歌を歌うと,とてもうまく聞こえます. エコーの効いたカラオケも,うまく聞こえます. それと同じことで,それだけをやっていたのでは上達しないのでしょうが,良い気持ちで長い時間練習することも,良いことではあるに違いありません.

ところで,先日,国立劇場小劇場と,オペラシティ・コンサートホールで,尺八を聞きました. しかし,オペラシティの方が断然気持ちよく聞こえました. その大きな違いの一つは,残響です. 国立劇場小劇場の短く少ない残響は,文楽などにはちょうど良いのですが,たった一本の尺八を聞くには,ちょっと物足りませんでした. 一方,オペラシティ・コンサートホールは,さすがに音楽(洋楽)専用のホールですから,残響は長くしっかりしています. 尺八一本の音に対してはちょっと残響があり過ぎだったかも知れませんが,この方がずっと気持ちよく聞こえます.

数日後,ホテルで尺八を吹くことになっています. ホテルですから,部屋はたぶん絨毯敷きの,かなりデッドな音響環境だと思われます. 風呂場のちょうど反対の状況 ....,戦々恐々としているところです. そんな話を善養寺師に話したら, 本曲は小さい音でも聞く方が聞いてくれるから音量的には心配ないだろう;でもほんのちょっとPAでリバーブをかけられるといいね,とのこと. そして,そろそろ持ち運びできる小さなPAセットを自分で買っておいたら,と言われてしまいました. ま,これはちょっと,まあ,その,なんですが(^^;)


2010.10.25

成らぬは人の為さぬなりけり

昨日は,とある集まりに招かれて,1時間ほど虚無僧尺八に関するお話をさせていただきました. お話し,というよりは,実際には与えられた時間の大半は尺八の演奏に当てました.

会場はホテルの大広間でしたから,とにかく音響効果が心配でした. ピンマイクを用意していただき,それを襟のあたりに付けました. 部屋が意外と広くなかったこととも合わせて,結果としてはバッチリでした. 始める前はかなり心配でしたが,いざ始めたらなかなか音がよく聞こえ,以後,楽な気持ちでやれました.

  1. 根笹派錦風流「調・下り葉」
  2. 虚無僧姿(天蓋も被って)で登場し,そのまま会場内を歩き回りながら吹きました. たぶん,インパクトはあったと思います. 吹いたのは1尺8寸管ですが,他の曲で使う2尺4寸管は袋に入れて腰に差しました. 2尺4寸管は,腰に差すにはちょっと長いですね.

    虚無僧と虚無僧衣装の説明をしました. 天蓋と偈箱はここで外し,以後はそのままお話と演奏をしました.

  3. 浜松・普大寺「調子」
  4. 調子は2尺4寸で吹きました. 根笹派錦風流が津軽藩の武士のものであったのに対し,虚無僧の根本の曲(古伝三曲)としての由来などを説明をしました. 一休禅師との関係なども紹介し,一休禅師作曲とも言われる紫鈴法へ ...

  5. 京都・明暗寺「紫鈴法」
  6. 本当はここで一節切りも含めて,尺八の長さのことを説明しようと思っていましたが,時間がなくて,割愛しました. 紫鈴法は1尺8寸で吹きました.

    江戸時代になってからの風俗としての虚無僧のお話をしました. 修行の曲ではない「ヒルカラ」を紹介し,1尺8寸で吾妻之曲を吹きました.

  7. 博多・一朝軒「吾妻之曲」
  8. 時間が圧して来て,大急ぎで全国の虚無僧寺の話をしました. 私に吹ける曲の中でお集まりの皆さんの地元に一番近いところの曲,ということで

  9. 仙台・布袋軒「三谷」

その後,懇親会にも出席させていただきました. この集まりは,とある工業高校の同窓会の京浜地区の総会でした. ご出席の皆さん,私より年齢の上の方ばかりで,まさに日本を支えてこられた方々,という感じがします. 同じく日本を支えてきたと言っても,政治や商売ではなく,工業・技術の世界の方々ですから,私としてもとても居心地の良い集いに感じました.

時間オーバーで質問の時間がなかったので,この懇親会の席でいくつかの質問を頂きました.

お土産に「なせば成る」という,実に美味しいお酒をいただきました. さっそく飲ませて頂きました. 上杉鷹山公の「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」から付けた名前だそうです. この言葉,私も大切にさせていただこうと思います


2010.11.3

進歩は牛歩・退歩はつるべ落とし

先日のイベント(上述)の前は,毎日,それなりの時間を使って練習をしていました. そのかいもあって,そこそこの出来ではあったと思います. しかし,終わったとたん,気が抜けたせいか少々風邪をひいてしまいました. それで,その後はしばらくぱったりと練習しないで過ごしました. そしたら,その後の下手になりようは,大したものです(感心している場合ではないのですが). 進歩は牛歩,退歩は釣瓶落とし,です.

そういえば私は,尺八を習い始めてからの数年間,進歩は確かに牛歩でしたが,ただ進歩が遅いという意味の牛歩であるよりも,全然進歩しなかったり突然ちょっと進歩したり,と,気紛れな牛歩でもありました. 進歩というのはそういうものなのでしょう.

しかし,退歩の方は確実です. 練習しなければしなかっただけ,確実に下手になります.

退歩は,しかし,役に立つこともあります. 退歩した分を取り返す時,何がどのように退歩したのかを良く観察することができれば,その退歩も無駄にはなりません. そもそも,進歩というのは筋トレで筋力が少しずつ付いてくる,というのとは少し違って(それもあるでしょうが),時々何かコツを掴むわけですが,そのコツを掴むたびに一段階ポンッと進歩するわけです. つまり退歩は,そのコツをうっかり忘れてしまうことです. ですから,もう一度,注意深く,細心の注意を払いながら練習することで,今度はそのコツを明確に意識化して,今度こそ二度と忘れないようにすれば良いわけです.


2010.11.9

献笛放題あっちこっち

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脱力とは迂闊のことではない

尺八を吹くには,余分な力を抜くことが大切です. だからと言って,力を抜くついでに注意力まで抜いてしまってはどうにもなりません. 上に,退歩のことを書きました. これは結局,ちょっと練習をサボる間に,せっかく獲得したちょっとした(微妙な)注意事項を忘れてしまうからかも知れません. つまり,迂闊な吹き方になる,ということです. ロングトーンをするにしても,ただなんとなく惰性で音を出していても何にもなりません. 一つ一つの音を,注意深く,命がけくらいの気持ちで発音する .... ちょっと大袈裟ですが,そんなことを心がけようと思います. これも一つの「一音成仏(いっとんじょうぶつ)」につながるでしょうか.


2010.11.19

「紫鈴法」の編曲

これまでに,普大寺伝の「虚鈴」と「霧海ぢ」の尺八合奏用の編曲をしてきました. 当然,次は「虚空」,ということなのですが,昨年から作業は中断したままです. でも「三曲歌ざんまい」は,またやってきます. 前回は「虚鈴」の再演になりましたが,今度はそうもいかない.

それで,京都明暗寺の「紫鈴法」を合奏用に編曲してみました. 少々手抜きな編曲ですが,まあ今回はこれでなんとか凌げそうです.

手抜きな編曲,と書きましたが,それは,以前の2曲のように,旋律の音組織を解析して,ややこしい和音を考える,というようなことをしなかった,という意味であって,いい加減に編曲したということではありません. 使う楽器も,以前のようにややこしい長さの尺八の組合せはやめて,8寸管で2パート,それにG管で1パート,G管と同じ旋律をA管に移して,出ない音だけ他の音に変える,という4パートにしてみました. 実際に尺八で吹いてみてどうなるかは,まだわかりませんが,DTMで聞く限り,簡単な編曲のわりには「まあまあ」,というあたりです.

虚無僧研究会の献奏大会

今月23日は,恒例の虚無僧研究会の献奏大会です. 私は,京都・明暗時で行われた昨年の献奏会には出ましたが,今年は出ないつもりでした. 昨年は「合奏用編曲のために,自分でも虚空を吹いてみる」と言って虚空を吹いたのでしたが,それが滞っていることでもあるし,と.

ところが,ドタキャンが3曲も出てしまったとか. それで,その穴埋め(^^;) に,飛び入りでやらせていただくことになりました. プログラムには乗りませんが,昼ころの空いた所に入ることになりそうです. 今年は(今年も)東北系の曲が多いようなので,私は,短かい曲ですが,博多・一朝軒の「吾妻之曲」を吹こうかと思っています.


2010.12.7

ギターと合奏

古い友人のギター弾きを誘いだして,私の尺八との合奏をお願いしてみました. 先日,初めてその練習(打ち合わせ)をしてみました. とても楽しみにしつつ臨んだのではありましたが,なかなか大変なことでした.

まず,音(ピッチ)を合わせるところから大変でした. 440Hz だの 442Hz だの,全然そんなレベルではありません. ギターはカポ(カポタスト)というもので,半音単位で全体を高くすることができます. そのカポの位置を一つ間違えても,つまり半音まるごと狂っても,尺八は吹き方でなんとなく合せることができたりします. 逆に言うと,吹き方で半音くらい平気で狂ってしまう,ということです. こんな状態で西洋音楽をやると,えらく音痴な演奏になってしまいます.

私の吹き方は,どうも低い方に狂うことが多いようです. そこで,楽器に取り付ける使うピッチチューナを買ってきて,尺八に取り付けて,それを見てピッチに注意しながら,音出しをすることにしました. それで,いくつか気付いたことがあります.

当分,ピッチチューナを付けたまま,練習をしようと思います. 本曲を吹くのには絶対的なピッチはまったくどうでも良いことではあるのですが,どうやら,正しいピッチの音を得ることが尺八を良く鳴らすことにも通じそうなのであれば,とりあえず試してみない法はありません.

なお,誤解のないように補足します. 正しいピッチとは,製管師が想定したピッチのことです. で,おそらく,それなりの製管師であれば,西洋楽器と同様に 440Hz なり 442Hz なりの標準ピッチを念頭に製管しているはずです.

因みに,前述のギターとの合奏は,今のところ,昔ケーナで吹いていた曲(灰色の瞳,とか),サイモンとガーファンクルの中の旋律的な曲(スカボローフェア,とか),クラシックの親しみやすい旋律,春の海などの邦楽(筝をギターに編曲),などを考えています. しかし,これを人前で披露できるのは,いつになることやら(^^;)


2010.12.31

大晦日

あっ! と言う間に,今年も今日は大晦日,しかもすでに夜です. いろいろ反省することはありますが,まあ,とにかく,今年もなんとか大晦日を迎えられました. ということで,恒例の「大晦日百八曲献奏修行会」に行ってきました. 会場の法身寺では,まだあと1時間くらいは続いているはずです. 今年は,参加者が例年よりちょっと少ないような感じで,おかげで私としては過去最多の11曲(最初の斉奏も入れたら12曲)を献奏して来ました.

今回の百八曲では,G管(2尺7寸)から買ったばかりのE管(1尺6寸)まで,いろいろ使ってみました. 呼び竹をE管で吹いて完全五度低いA管で受け竹を吹くとか,調子(の代わりの虚鈴)をG管(2尺7寸)で吹いてから完全五度高いD管(1尺8寸)で霧海篪むかいぢを吹くとか. 自分としては面白いと思ったのですが,西洋音楽的発想が強すぎますでしょうか.

私の吹合せ会に,若い(と言っても40代にはなっていますが ^^;)メンバーが一挙に数名増えて,全部で七名になり,なかなか賑やかなことになってきました. 嬉しいことではありますが,責任も重くなって来ました. 昨年の百八曲にも一人参加してくれましたが,今日は別の人が参加してくれました. 来年は複数人で参加できるといいな,と思っています.

献笛放題あっちこっち

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今年は坐禅をすることが少なかったようです. 時間が空いて久しぶりに坐りに行くと,どうしても雑念,いわゆる妄想もうぞうが湧いてしまいます. しかたがないので,居直って,いろいろ考えてみました.

何のために坐禅なんかするのだろう,坐禅なんかして何になるんだろう,ということです. 以前は,まあ要するに「心のストレッチ」のようなものだ,くらいに思ったこともあります. しかし,坐禅して「無の境地」になれ,などと言います. その「無の境地」と言うのがなんなのか,です.

「無の境地」というのは何も考えていないことではないのかも知れない,ということに気付きました. 自分というものが無くなる,そういう経験は,坐禅していてもなかなかできませんが,他の場面ではありそうです. 例えば,坐禅と同じく禅の修行の作務さむでは,例えば草取りをしていると,いつのまにか一心に草取りをしていることができます. あるいは夢中でサッカーをしている人は,自分というものは無くなって,自分とボールの区別が無くなり,自分とグランドの区別が無くなるのかも知れません. 私はサッカー(球技)は好きではないので分かりませんが,私なら,本番のステージがそれにあたります. そう簡単にはいきませんが,目指すところは,自分と楽器,自分とステージ,自分と音楽,の区別が無くなるほどにその音楽になりきることです. こういう時,明らかに心も頭も停止はしていません. それどころか,フルに回転をしています. 「無の境地」というのは,実は頭も心もフル回転している状態なのかも知れません.

坐禅では,自他の区別が無くなること,周りと自分,宇宙と自分が一体化し,区別が無くなることを目標にしろ,と言われます. 何か ― 作務とかサッカーとかステージとか ― をしているわけでもないのに,そういう「無の境地」になるというのは,とても難しいことでしょうが,それが坐禅の目標なのでしょう.

ところで,そんな「無の境地」になるほどに何かをした後は,大変な充実感が味わえます. 例えば,ステージをしている時間は,ドキドキしたり慌てたり喜んだり悔んだりいろいろあってもあっという間に過ぎてしまいます. 一方,ものすごく長かったようにも感じます. 終わった後は,とても疲れています. でも打ち上げでもすると,よし,ではまたもう一回やろうっ,というような気持になります. もしかしたら,ニーチェがツァラトゥストラに言わせた「いざもう一度」というのに,ちょっとは関係ある,のでしょうか‥‥

つまり,自他の区別が無くなるというのは,究極の「充実」を得られることなのではないでしょうか.

ところで,仏教では「生老病死」を四苦といいます. 私も「生老病」は苦しみに感じますが,今のところ,死ぬのは全然怖くないような気がしています. ただ,死に付随する苦しみが怖いと思っているだけです. でも,確かに死を目前にしたら,果たしてどうでしょうか.

子どものころ,一日遊んで遊び足りないような気がして,なかなか寝られなかったことがあったような気がします. 充実感が足りなくて眠られないのです. 死を目前にしたとき,これと同じことが起こるのではないでしょうか. 要するに,死の苦しみは,死ぬ前の充実感の不足なのかも知れません.

そうか,これが坐禅の目的の一つであったのかも知れませんね.

仏教では「慈悲」ということを言います. 坐禅して,どうして慈悲が出てくるのか,よくわかりませんでした. しかし,坐禅して自他の区別が無くなるなら,自分も他人も,時々出会う野良ネコも,庭の木に来るスズメも,一昨日食べたメザシになったイワシも,さっきのシャブシャブの肉になった豚も,みんな区別が無くなるわけです.

結局,「無」=「究極の充実」=「慈悲」ということなのかも知れません.

以上,今年最後の戯言でした. 来年もよろしくお願いいたします.


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