無孔笛庵 駄文書院 に戻る

献笛放題あっちこっち

百錢会(善養寺惠介を会主とする尺八古典本曲の会)の会報(月刊)である「百錢会通信」に連載中の記事を転載したものです.


目次

(1)月海山法身寺(東京・新宿,臨済宗円覚寺派)  2010.03
(2)福地山修禅寺 (伊豆・修善寺,曹洞宗)  2010.05
(3)泉松山法林寺(浜松,浄土宗)  2010.06
(4)松風山音楽寺(秩父,臨済宗南禅寺派,秩父観音霊場第二十三番札所)  2010.07
(5)大智山天龍寺(長野・上田,曹洞宗)  2010.08
(6)大雄山最乗寺箱根別院(箱根,曹洞宗)  2010.09
(7)妙法山星谷寺(座間,真言宗大覚寺派,坂東観音霊場第八番札所)  2010.10
(8)大悲山笠森寺(千葉・長南町,天台宗,坂東観音霊場第三十一番札所)  2010.11
(9)霊瑞山酬恩庵(京都・京田辺,臨済宗大徳寺派,一休寺)  2011.01
(10)瑞應山弘明寺(横浜,高野山真言宗 ,坂東観音霊場第十四番札所)  2011.02
(11)飛淵山龍石寺(秩父,曹洞宗,秩父観音霊場第十九番札所)  2011.03
(12)霞照山菩提禅堂(霞ヶ浦,臨済宗)  2011.04
(13)香澤山安洞院(福島,曹洞宗)  2011.05
(14)婆娑羅山報本寺(静岡・下田・加増野,臨済宗建長寺派)  2011.07
(15)補陀洛山那古寺(千葉・館山,真言宗智山派,坂東観音霊場結願寺)  2011.10
(16)観音山徳泉寺(浜松・堀谷,臨済宗方広寺派)  2011.11
(17)日澤山水潜寺(秩父,曹洞宗,秩父観音霊場第三十四番)  2012.02
(18)定額山善光寺(長野,無宗派単立)  2012.03
(19)壷阪山南法華寺(奈良・高取,真言宗,西国観音霊場第六番札所)  2012.05
(20)石光山石山寺(滋賀・大津,東寺真言宗,西国観音霊場第十三番札所)  2012.06
(21)鷲峰山興国寺虚鈴庵(和歌山・由良,臨済宗妙心寺派)  2012.07
(22)修禅寺奥の院・正覚院(伊豆・修善寺・桂谷,曹洞宗)  2012.09
(23)智積院(京都,真言宗智山派総本山)  2012.11
(24)無名の野仏たち(あっちこっち)  2012.12



2010.03

(1)月海山法身寺

東京・新宿,臨済宗円覚寺派

1998年12月23日,法身寺本堂で,百銭会の納会なるものがありました.私は,それが何であるのかわからないまま,参加することになりました(たぶん,引き続いて行われる忘年会という言葉だけに反応したのでしょう).何しろ,尺八を始めて,そして百銭会に入って,たった3ヶ月めのこと,やっと「調子」だけがなんとか吹けるようになったところでした.

当日,いきなり一番手を仰せつかりました.しかし,献笛とはどうするものなのか,見たことすら一度もなかったので,ほとんどパニックでした.それで,咄嗟に思いついたことをしてみましたが,結局その時のやりかたが,そのまま私の中では定着してしまいました.

まず,尺八を脇(御本尊と自分の間にモノを置くのはいかがなものか,と)に置き,御本尊に合掌低頭(三拝しようかとも思ったのですが),それから尺八を両手で捧げて一礼(これは御本尊にではなく,尺八と周りにいる皆様へ,のつもり),吹き終えて,尺八を捧げて一礼,尺八を脇に置いて合掌低頭,この時に実は,こっそり回向を唱えています(人がいなければ,声にも出します).回向文は,時間があれば「本尊略回向」,時間がなければ「普回向」,献奏会などだったら大急ぎで「十方三世一切諸佛(じほうさんしいしいしふ),諸尊菩薩摩訶薩(しそんぶさもこさ),摩訶般若波羅蜜(もこほじゃほろみ)」だけにしておきます.

たぶん,この所作は虚無僧としては正しくないと思います.でも,私の献笛はここから始まりました.なにか不都合でもない限り,このスタイルでいくつもりです.

その後,法身寺では一体どれだけ献奏させていただいたでしょうか.百銭会の納会,大晦日百八曲献奏修行会,虚無僧研究会の献奏会,それから毎月の参禅会,これからも続きます.

そうそう,所作の件で一つ追記します.扇子より,露受けを用意しましょう.いくら立派な所作で,立派な尺八を吹いても,尺八の下にポツポツと滴の跡を残したのでは,仏様も興ざめでしょう.

2010.05

(2)福地山修禅寺

伊豆・修善寺,曹洞宗

1999年5月の連休は,伊豆の修善寺に行きました.家内には温泉旅行だと言いつつ,私にとっては,実は旭瀧が目当てでした.ちょうど「瀧落」を習い始めたところで,その瀧が修善寺の旭瀧と聞いて,どうしても見てみたくなったのでした.

旭瀧は修善寺から下田街道をちょっと南に行ったところにあります.瀧の入り口にある大平山龍泉寺(曹洞宗)の横を抜けると瀧が見えてきます.なるほど! と,瀧落の曲のイメージにぴったりと合致しました.瀧の玄武岩の岩肌は龍の鱗のようにも見えます.飛び立って,頭がちょうど雲に届きそうな,まさに龍.

この瀧の畔が,伊豆で唯一の普化寺,功徳山龍源寺のあった場所です.瀧の中腹あたりに並ぶ無縫塔(龍源寺住職の墓)に献笛しました.もちろん練習中の瀧落です.

旭瀧にはその後も何度も行き,その度に,いろいろな出会いがありました.ある時は,下の方からも(私より格段にうまい)尺八の音が聞こえてきて,墓の下の虚無僧が出て来たか! と驚いたのですが,偶然,善養寺門下の先輩のKさん(この時はお名前をまだ知らなかったのですが)が下の公園で吹いていたのでした.またある時,地面に結跏趺坐で吹いていたら,孫(曾孫かも知れません)を連れて通りかかったお婆さんに,地面に手をついて礼拝されたこともあります.これには参ってしまいました.

突然現れたカトリックの神父さんに合掌低頭されたのにも吃驚しました.翌朝早く,尺八を携えて修禅寺に行くと,寺務所のお坊さんに,昨日瀧で尺八を吹いていたのはお前か,と尋ねられました.叱られるのかと思って身構えたのですが,実は旭瀧の入り口の龍泉寺のご住職で,昨日の神父さんはそのお寺に泊っているのだとか.妙な成り行きで,結局この日は修禅寺の朝の坐禅会に参加することになってしまいました(曹洞宗の坐禅はこの一度きり).

ところで(表題の)修禅寺では,実は未だに献笛できていないのです.龍泉寺では吹きましたが,ご住職はいつもお留守(修禅寺の方に行かれているのでしょうか)で,勝手に本堂前で吹いただけです.でも,修禅寺の「奥の院」ではちょっとしたことがありました.それはまたいずれ,あらためて.

外で平気で尺八が吹けるようになったのは,旭瀧のおかげだったのかも知れません.この後,調子に乗って,あっちこっちで献笛を始めることになったのでした.

2010.06

(3)泉松山法林寺

浜松,浄土宗

法林寺の墓地には,浜松にあった普化寺,鈴鐸山普大寺の開祖の墓が残っています.実際に普大寺があったのは,法林寺のすぐ近くの,今はマンションになっているところで,かつてはヤマハの最初のオルガン工場だった所です.

私が初めて法林寺に行ったのは,1999年のお盆に帰省(私は浜松の出身です)した時のことでした.法林寺まではすぐに行けましたが,さて,普大寺開祖の墓は分かりません.庫裡で尋ねると,わざわざお墓まで案内してくださいました.墓地の一番後ろの辺りでした.

さて,最初のこの時はお墓の前で普大寺の曲を何曲か(蚊に悩まされながら)吹いただけでしたが,その後もしばしば普大寺開祖のお墓にはお参りして,周りの草をむしり,尺八を吹いています.何度目かに訪れた時には,法林寺の本堂にも上がらせていただいて,献笛させていただきました.しばしば尺八関係の人がお参りに来られるそうで,好意的に対応して下さいました.

法林寺で記憶に残るのは,2001年の夏,松島さん,大阪の志村(哲,あるいは禅保)さんと3人,虚無僧姿で行った時のことです.墓地で献笛してから庫裡にご挨拶したら,丁寧にお供物を頂きました.そのお供物の線香がとてもよい香りで,この時から私は線香に目覚めたような気がします.

法林寺と言えば,浜松人にとっては虚無僧より納豆です.法林寺濱納豆というのがあります.京都の大徳寺納豆や一休寺納豆と似たようなものですが,法林寺納豆は山椒や生姜で香りと味が付けてあります.

納豆(糸引き納豆ではなくて)と禅宗,とりわけ虚無僧とは深い関係があるようです.そもそも,日本に味噌・醤油を伝えたのは,由良・興国時の法燈国師だと言われていて,その法燈国師が虚無僧も伝えたことになっています.有名な大徳寺納豆・一休寺納豆は一休禅師が教えたそうです(元は興国寺でしょう)が,一休禅師と虚無僧の関係は御承知の通りです.

ところが濱納豆の法林寺は,普大寺の隣りの浄土宗の法林寺ではなくて,臨済宗の,別の寺です(濱納豆は臨済宗の法林寺で作っているのです).ところがところがややこしいことに,ここで話題の浄土宗の法林寺の門前にも,老舗の濱納豆店(ヤマヤ)があります.そもそもその店が,ヤマハが移転して空いた普大寺跡地を倉庫として買い取り,そこにあった開祖の墓を隣の法林寺に移したのだとか.なんだか因縁を感じます.

もしかしたら,普大寺の虚無僧も濱納豆を作っていたのではないか,などと妄想を抱いているのですが,さていかがなものでしょうか.いずれにしても,普大寺開祖の墓に行ったら,とりあえずヤマヤの濱納豆がお勧めです.

2010.07

(4)松風山音楽寺

秩父,臨済宗南禅寺派,秩父観音霊場第二十三番札所

百錢会では,虚無僧の墓を訪ねる「探墓行」や,秩父の観音霊場を虚無僧姿で巡拝する「秩父虚無僧行脚」などのイベントを行ってきました.毎回とはいきませんが,私も都合のつく時には何度か参加しました.秩父は現在も続いています.

初めて虚無僧姿で秩父を歩いたのは2000年10月のことでしたが,その時のことはあまり覚えていません.秩父という土地も初めて,札所というものも初めて,天蓋なんてものを被ったのも,とにかくすべて初めての体験で,しかもいきなり一泊の行程,雨にも祟られ,とにかく大変だったことだけを記憶しています.虚無僧の作法も,巡礼の作法も,とにかくゾロゾロ(トボトボ?)歩いて行って札所毎に斉奏するだけでしたので,何もわからないままでした.

二度目に秩父の虚無僧行脚に参加できたのは,2004年11月(この4年間に,話せば長いいろいろな出来事があったのですが,ま,それはさておき)のことでした.この時は,私も虚無僧姿で歩くことに少しは慣れてきていて,観音霊場や巡礼ということにも知識ができていたし,いろいろなことが分かりました.札所を回って観音堂の前で尺八を吹くことの意味も,納得できたのでした.

ただ,そうなると,虚無僧姿であることの意味は薄れてきました.私には顔を隠す謂れはないし,実際,顔を隠した巡礼なんていません.あの格好をしていると,ひたすら虚無僧であることしかできませんから,修行になるとも言えますが,私はその後,あまり本気で虚無僧はしていません.たまに何かイベントに誘われて,「イベント虚無僧」をする程度です.最初は虚無僧姿の方が平気で尺八が吹けるように思ったのですが,どうも見かけが先に立って,心を込めた献笛はできないような気がしてきたのでした.

さて,秩父には我々百錢会以外にもしばしば虚無僧,尺八吹きが訪れるようです.どこの札所でも,虚無僧姿の我々を気持ちよく受け入れてくれました.またあらためて書きますが,私はその後,虚無僧でではなく,普通に巡拝し,秩父のすべての札所で献笛しました.献笛はどこでも歓迎されました.

そう,秩父札所は献笛し放題です.とりわけ23番の音楽寺は,その寺名のせいか,プロもアマも,ジャンルを問わず,様々な音楽関係者が祈願に訪れます.高台にあって,景色も最高です.ここで「松風」が吹けたら言うことなしです.

因みに,音楽寺のすぐ脇の「不老庵」では,美味しい蕎麦(ウドンも)が頂けます.それはさておき,この店には微笑ましいほど性格の良い猫がいます.2007年に行った時は仔猫でしたが,元気に成長しているでしょうか.

2010.08

(5)大智山天龍寺

長野・上田,曹洞宗

私が尺八を習い始めたのは1998年秋,坐禅会に通い始めたのもその年の夏,温泉好きになったのもちょうどそのころでした.車の運転免許を取ったのがその2年前で,ドライブが楽しくてしかたない時期でもありましたから,とにかく温泉旅行にはよく行きました.坐禅の結跏趺坐は,温泉で半身浴しながら練習しました.もちろん,尺八はいつも携えていて,お寺やお堂を見つければ勝手に献笛したりもしていました.

さて,2001年の夏休みは,長野の松本と上田の中間あたりにある鹿教湯(かけゆ)温泉というところに行きました. 秘境というほどでもありませんが,小さな鄙びた温泉町です.鹿に姿を変えた文殊菩薩が信仰心の厚い猟師に温泉の場所を教えた,という伝説があり,温泉名もこれに因んでいるのだそうです.

ここに連泊で宿を取ってしまったので,他にすることもなく,朝風呂の後,散策に出ました.緑の中の,気持ちの良い散歩コースです.途中に薬師堂と文殊堂が並んでありました(文殊堂は県宝だそうです).近くに人影がないことを確認して,まず薬師堂の前で「調子」を吹きました.そして,文殊堂の前では根笹派の「獅子」を吹きました(因みに,文殊菩薩の乗っているのが獅子なので,文殊堂や禅堂などでは獅子を吹くことにしています).

目を閉じて「獅子」を吹いていました.半分ほど吹いたころでしょうか,なんだか近くからすすり泣くような声が聞こえてきす.動揺しましたが,そのまま最後まで吹き終えて,目を開けて振りかえると,少し後ろで年配のご婦人が泣いているのでした.そばにいた家内がわけを訪ねると,尺八を聞いていたら急に妹のことを思い出したのだとか.去年は一緒にこの温泉に来られたのに,亡くなってしまって,今年は一人になってしまった,と.

もちろん,私の尺八の音に感動してのことではないのですが,それでも私の音をきっかけにして人が涙を流したということは,かなりショックな出来事でした.下手な尺八でも,いい加減な気持ちでこういう場所で吹いてはいけない,心して吹かなければいけない,と思ったのでした.

さて,その散歩コースをもう少し行くと,先ほどの薬師堂・文殊堂の本寺,天龍寺があります.さっきの文殊堂でのこともあり,「天龍」という名前にもひかれて,本堂で献笛させてほしいと申し出てみました.実を言うと,献笛を申し出たのは,この時が初めてだった(これまでは勝手に吹いていた)のです.快諾を頂きました.

献笛に快諾を頂いたところまでは良いのですが,ちょうど近隣の人たちが集まってお寺の掃除をしているところでした.いざ笛を吹こうとしたら,その皆さんが集まってきて,なんだか大げさなことになってしまいました.1曲だけ吹いて,慌てて退散したのでした.

その後,車で山一つ越えて別所温泉にも行きました.ここには「信州の鎌倉」と言われるほど,よいお寺がたくさんあります.善光寺とセットでお参りする北向観音もその一つですが,まだこの当時は,そんなところで献笛するほどの度胸も気持ちもありませんでしたから,観光をしただけです.北向観音には,2008年に再び訪れて献笛しました.この話しはまたいずれ.

2010.09

(6)大雄山最乗寺箱根別院

箱根,曹洞宗

箱根の温泉にはよく行きます.横浜に住んでいていますから,箱根だったらたいていは車で日帰りです.気に入った立ち寄り湯は残念ながらそう多くはないのですが,ケーブルカーの早雲山駅のすぐ近くの大雄山最乗寺箱根別院(報恩院)のお風呂は,最高でした.ここはお寺ですから,営利でやっているわけではありません.入浴料ではなく,お布施をします.泉質も眺望も抜群の露天風呂は,混浴(!)です.

さてこのお寺には,小さなお堂があります.その中で尺八を吹いたら,ものすごく気持ちよさそうです.そこで,ご住職に献笛させてほしいと申し出ました.が,あえなく断られました.

ご住職曰く:寺は信仰の場だから,面白半分で,なんだかわからんことをされたら迷惑だ;たとえ経を読むにしても,うち(曹洞宗)の宗旨と合わない経を読まれても困る;云々.

ごもっともなことです.それからしばらく,宗教談義になりました.私は,面白半分の尺八ではないこと,禅宗としての普化宗のこと,自分も坐禅修行のまねごとをしていること,等などを説明しました.ご住職はもともと在家のご出身で,師を求めて最初は臨済宗でも修行し,最終的にたまたま曹洞宗で落ち着いたのだとか.様々な経験をなさった,魅力のある方でした.

いろいろなお話をした挙句,お堂の中で吹かせていただけることになりました.このお堂は「光明塔」と言い,つまり供養塔です.遊び半分で入っていいわけはありません.土間に正座(敷物はあります)して,虚鈴や(松厳軒)鈴慕を吹かせていただきました.吹いていると,とても厳かな気持ちになり,涙が出てくるような気がしました.音が気持ちによく響いたせいだけではありません.

ここにはその後もしばしば行き,献笛もさせていただきました.坐禅堂も完成したとのことで,今度は温泉と献笛と坐禅の三点セットコースで伺おうか,などと思っていたら,温泉が使わせていただけなくなってしまいました.残念です.

あれ以来,このお寺(温泉)には行っていませんが,今さらながら反省をしています.あのお堂でしていた私の献笛は本当に,面白半分の,あるいは自分が気持ちいいだけの献笛では,なかったのか,と.

2010.10

(7)妙法山星谷寺

座間,真言宗大覚寺派,坂東観音霊場第八番札所

秩父の札所を虚無僧で歩いたりしたおかげで,観音霊場というものにほんの少し興味が湧いてきたころの2004年10月,鎌倉の散策に出かけました.この日は,まず杉本寺に行きました.杉本寺は坂東観音霊場三十三所の第一番札所です.ちょうど長嶺さんの四国遍路の記録を読んで感じ入っていたところであった家内が,「納経帳」なるものを見つけて,ついつい買ってしまったのです.この納経帳のせいで,坂東三十三所,ついには日本の百観音すべてを回ることになるとは,この時は夢にも思いませんでした.坂東の一番から八番までと,飛んで十四番は,自宅から気軽に行ける範囲内です.他の札所はなぜか温泉の近くが多いようです.こうして,ちょっとどこかに出かける度に納経帳を携えて行っては御朱印を頂くという,「ついで巡礼」が始まったのでした.

なにしろ「ついで」ですので,初めのうちは,あたりを気にしながらゴニョゴニョっと般若心経を小声で読むだけで御朱印をいただいておしまい,と言ういい加減なものでした.しかし,あるお寺でこんなことがありました.我々のために,鍵のかかっている観音堂をわざわざ開けて,中に入れて下さったのです.他には誰もいません.木魚や磬子もあります.これまでにいくつかの札所で参拝者が鳴り物を使ってお経を読むのを見てきましたので,これを使わせていただくことにしました.静かな堂内に正座して,鳴り物まで使ってしっかり読むお経は,それまでこっそり読んでいたのとは全然違いました.このことがあってからは,可能であれば堂内に入れていただいてお経を読むことにしました.

さてそれからしばらく後,「ついで巡礼」を始めてちょうど1年したころの,座間の星谷寺に行った時のことです.ちょうど堂内には参拝者が一人もいなくなりました.意を決して,尺八を吹いてみました.尺八はじつに気持ち良く響き,上述のお経と同様かそれ以上に厳かな気持ちになったのでした.こうして観音様の前で尺八を吹かせて頂いていることが,なんだかとても有り難いことのように思え,涙が出てきそうでした.

このことがあってから,札所ではお経とともに尺八も吹くことにしました.

実はこの星谷寺では,尺八を吹く許可を頂きませんでした.寺務所と観音堂が離れていて,許可を頂く間に人が来たら困るかな,と思ったのでした.その後に行った札所でも,近くにお寺の人がいない場合は他の参拝者がいなくなるのを見計らって勝手に吹くことも(多々)ありました.しかし,近くに人がいればちゃんと許可を頂きます.許可を頂くにあたっては,まず般若心経や観音経などをしっかり読み,それからあらためて献笛を申し出ることにしています.なお,献笛の後で回向を唱えます.つまり,読経+献笛+回向でワンセット,というつもりです.

これ以前に回った札所では,献笛してありません.このままでは心残りなので,いつか改めて行きたいと思っています.もっとも,鎌倉や浅草の観光名所のようなお寺で,はたして献笛の許可は頂けるでしょうか.

2010.11

(8)大悲山笠森寺

千葉・長南町,天台宗,坂東観音霊場第三十一番札所

札所巡りでは,とりあえず献笛を申し出ることにしましたが,必ずしもすぐに快諾いただけるわけではありません.歓迎されないこともあります.一つの問題は,献笛を申し出る,その口上かも知れません.

単に「尺八を吹かせてください!」と言ったのでは,まず間違いなく断られます.そんなことを言われたら何をやりだされるのだか分かりませんから,お寺としては拒否するのがあたりまえでしょう.静かなお堂の内陣に入り込んで,いきなり演歌だの歌謡曲だの,ジャズだのポップスだのを吹き出されたのでは困りますよね.

では,なんと言えばいいのかといえば,「(ご本尊様に)献笛をさせて下さい」でしょう.「献笛」では意味が通じないこともあります.そんな時は,「尺八をお経の代わりに吹かせていただきます」と説明します.禅宗のお寺でしたら,さらに,「臨済録に登場する普化を宗祖とする普化禅宗の虚無僧が吹いていた曲です,云々」などと説明を加えれば完璧ですが,そこまでしなくてたいていは大丈夫でしょう.

ところが困ったことに,ついつい「尺八を吹かせて下さい」と言ってしまいます.私の中では,お寺で尺八を吹くということは献笛以外の何ものでもなく,吹くのは本曲以外にはあり得無いわけですから,「献笛」などというたいそうな言い方に少し抵抗がありました.それでも,「献笛をさせて下さい」と言わなければ駄目なのです.そう言わないで誤解されたら,追い出されて,結局嫌な思いをすることになってしまいます.

千葉の笠森観音(笠森寺)は,まるで空中にあるような観音堂の,素晴らしく気持ちの良いところです.ここにお参りしたとき,堂内の朱印所で,ついうっかり「尺八を吹かせて下さい」と口走ってしまったのです.そうしたら案の定,大変な剣幕で追い出されかけました.まあなんとか,上のような説明をして,許可はいただくことができましたが,あまり歓迎はされていませんでした.吹く前はそんな具合であったのですが,吹き終わってから納経所に行くと,実に丁寧に礼を言われ,先刻とはあまりにも違う対応に驚いてしまいました.

他に参拝者の居ないのを見計らって吹き始めたのでしたが,吹いている間に何人かの参拝者が堂内に入って来られました.参拝者のみなさんは普通は床に立ったままでお参りしているようでしたが,私が床に正座して吹いていたら,来られた人たちもみな正座して聞いていて下さいました.吹き終わる頃には,「いいところに来合わせたね‥‥」などと言っている小声が耳に入りました.たまたま聞いてくださった方々のこの反応も,お寺の方に伝わったようです.ありがたいことでした.

2011.01

(9)霊瑞山酬恩庵

京都・京田辺,臨済宗大徳寺派,一休寺

どんなお寺でも献笛を申し出れば許可していただける,というものではありません.巡礼の札所では「お経を読む代わりに尺八を吹く」でたいていは通用すると思いますが,それ以外では,なかなかそうはいきません.

まずは宗派に気をつけた方がいいかも知れません.私の献笛した百余ヶ寺のうち,ほんの一部が浄土系(浄土宗と時宗),宗派無しがいくつか,それ以外は禅宗か天台・真言系(札所のほとんどは天台・真言系)です.虚無僧の普化宗は禅宗の一派ということになっていますから,臨済宗・黄檗宗や曹洞宗であれば宗旨としてそんなに問題はないでしょう.しかしその他の宗派では嫌われることがあるかも知れません.でも,どんな宗旨のお寺でも,仏様にお供えする花に違いがあるわけではありません.いくら本曲がお経のようなものだとは言っても,そこに言語的意味があるわけではありませんから,尺八も花と同じように考えれば,一向に問題はないでしょう.六字名号を唱えて供える花,お題目を唱えて供える花,その花の代わりに尺八で荘厳する,ということです.まして,どんな宗派であろうと,自分の先祖,近しい故人の供養のためにその菩提寺で尺八を吹くことを,拒否される謂れはないでしょう.

献笛させてもらえるかどうかは,宗旨の問題ではなさそうです.

2005年夏,京都に五山の送り火を見に行ったついでに,京田辺市の酬恩庵を訪れました.奇麗でまことに気持ちのよいお寺です.ここは一休禅師がおられたところで,大徳寺の住職になられた時もここから通ったとか.墓所もここにあり,一休寺とも呼ばれています.酬恩庵の方丈には,自ら作らせたという一休禅師の等身大の木像が安置されています.ご存知の通り,一休禅師は虚無僧とは縁の深い方で,自ら尺八を吹かれていたそうです.

このお寺で献笛するのは夢でもありましたから,寺務所におそるおそる献笛のお願いをしてみました.奥様(たぶん)からご住職に確認して下さって快諾をいただき,一休禅師の木像の前で吹かせていただきました.もちろん紫鈴法(一休禅師作とも伝えられています)も吹きましたが,「あっ,一休禅師の前で紫鈴法を吹いているっ!」と思った途端にしくじって,一休さんに怒鳴りつけられたような心持がしました.

納豆作りの作業中であったご住職によれば,しばしばしば尺八を吹く人が訪ねてきて,献笛をしていくのだそうです.献笛にはかなり好意的に対応して下さるようでした.

帰りにはもちろん,寺務所で売っているご住職手づくりの「一休寺納豆」をお土産に買いました.一休寺納豆は,浜松の普大寺跡地の近くの「元祖濱納豆」と似ていますが,ちょっと違います.たぶん,一休寺納豆の方が元祖なのかも知れません.一休寺納豆と大徳寺納豆とではどちらが元祖か知りませんが,私にとっては大徳寺納豆よりは一休寺納豆,それよりさらに濱納豆が好みですが……

一休禅師ゆかりの寺としては,一休さんが子供のころを過ごした,地蔵院(京都市西京区,臨済宗単立)という寺もあります.ここにも西国の札所巡りの途中で寄ってみました(2007年).「竹の寺」と言われるほど,深く竹に囲まれた寺で,そのためか夏は大変なヤブ蚊です.ここでも献笛はさせていただきましたが,残念ながらあまりウェルカムではないようでした.

2011.02

(10)瑞應山弘明寺

横浜,高野山真言宗 ,坂東観音霊場第十四番札所

お寺の本堂の内部は,内陣と外陣とに分かれています.一般の参拝者は,普通は外陣までしか入れません.ですから,札所巡りで本堂(観音堂)でお経を読んだり献笛をさせていただいたと言っても,たいていは外陣です.それどころか,そもそも本堂の中に入れていただけないお寺もあります.そういうお寺では,本堂の前に立って,賽銭箱の脇でお参りするしかありません.秩父札所は多くのお寺がそうですが,坂東札所でもそういうお寺は多々ありました.

さて,我が家から一番近い坂東札所は,横浜の弘明寺です.地下鉄でたった4駅,歩いても1時間程度と,すぐ近くなのですが,なにしろ「ついで巡礼」,なかなか行くついでがありません.山門前の古い商店街には良い店があって,美味しい手作り豆腐や(本物の)味醂や和装小物やらの買い物はするのですが,納経帳を持ってお寺に行く,という機会はありませんでした.

やっと弘明寺にお参りしたのは,坂東札所を巡り始めて2年経った,2006年夏のことでした.もうこの頃には札所の参拝にも慣れていささか図々しくなっていましたから,躊躇なく寺務所に献笛を申し出ました.外陣の脇ででも吹かせていただけたら十分,と思っていたら,なんと内陣にまで招き入れて下さり,御本尊の十一面観世音菩薩の真正面で献笛させていただくことができました. 札所の観音堂の内陣で献笛するなんて,もちろん初めてのことです.その後,西国札所では何カ所か内陣で吹かせていただきましたが,坂東札所ではここだけです.

札所で献笛する曲はたいていは普大寺「調子」の一曲にしているのですが,この時ばかりは布袋軒「三谷」を吹かせていただきました.少々長すぎたかな,と気後れしつつ御朱印をいただきに行くと,ずいぶん褒めて下さり,丁寧なお礼まで言われました.寺務所の方(ご住職ではないようでした)が,実は自分も尺八を習いたいのだけれどもなかなか機会がないのだ,というようなことをおっしゃっておられました.

弘明寺にはその後,もう一度お参りしましたが,その時も内陣で吹かせてくださいました.

2011.03

(11)飛淵山龍石寺

秩父,曹洞宗,秩父観音霊場第十九番札所

なんとなく始めてしまった坂東観音霊場の巡拝がそこそこ進んで,本当に結願できそうになってきたので,秩父の観音霊場の巡拝も始めました.百錢会では秩父の札所を虚無僧姿で歩いて回っていますが,私のほうは,家内と一緒の車での巡拝です.坂東の札所は車でも一日に二三ヶ所程度しか行けませんが,秩父は一度にたくさん回れるし,そもそも横浜の自宅から日帰りできますので,少々気楽に始めてしまいました.秩父のお寺は季節の花が奇麗です.たいてい,花の季節に合わせて行きました.桜,芝桜,紅葉,福寿草,蠟梅,かたくり,……

秩父では,すべての札所で献笛させていただきました.坂東では断られたり嫌な顔をされたりすることもありましたから,最初は恐る恐るでしたが,秩父では断られることも嫌な顔をされることも一度もありませんでした.それどころか,逆にお礼を言われ,喜んで下さいました.

2006年秋,二度目に秩父に行ったときです.龍石寺は無住のお寺で納経も近くの別のお寺(宗福寺),と聞いていたので,朝一番で到着してすぐ,いきなり本堂の前で尺八を吹きました.ところが,納経所が開いて人が出てきて,びっくりしました.朝8時,納経受付の始まる時刻です.実は,人がたくさん来る良い季節だけはここの納経所を開けているのだそうです.

私の尺八を褒めていただき,礼を言われ,献笛の返礼にと蛙の根付のお守りまで頂きました.これは,私にとってとても励みになる出来事でした.でも,なぜ蛙なのでしょうか.せっかくですので,龍石寺の管理をしている萬松山宗福寺(曹洞宗)にも寄ってみました.なるほど.宗福寺の境内には,蛙の六地蔵やら雲水姿の蛙やら,とにかく蛙の石像がいっぱいです.なぜ蛙なのかはついに伺えませんでしたが,とにかく面白いお寺です.

秩父の札所は,どこでも尺八にはとても好意的です.万松山円融寺(臨済宗建長寺派,二十六番札所)では,本堂の前で吹きました(了解を得ず勝手に吹きました)が,吹き終わると,ご住職が現れ本堂の中にお招きくださり,一般には公開していないという寺宝をたくさん見せて頂きました.ほかのお寺でも同様に好意的に対応してくださいました.

なぜ秩父ではこんなに尺八(虚無僧)に好意的なのでしょう.曹洞宗や臨済宗のお寺が多いせいかとも思ったのですが,それだけでもないようです.あるお寺では,「虚無僧が団体で来ることもあるんですよ」など仰っていました.要するに,慣れているということなのでしょうか.私はその後,西国の観音霊場を巡拝し,多くの札所で献笛しましたが,西国はどこでも尺八には好意的でした.坂東よりも西国の方が尺八は盛んだ,ということなのでしょうか.

2011.04

(12)霞照山菩提禅堂

霞ヶ浦,臨済宗

坐禅会に少々通うくらいではなかなか悩みや迷いは消せません.虚無僧の尺八を習いはじめたということもあって仏教への関心も強くなり,2002年,仏教を少しだけ本格的に勉強してみようと,東京国際仏教塾なるところに入りました(東京国際仏教塾では「還暦総得度運動」ということを言っています).前期半年の入門課程は通信教育そのもので,最初にオリエンテーションと講義があり,あとは自分でテキストを読んでレポートを書きます.いわゆるスクーリングに相当するものは,お寺(日蓮宗,臨済宗,浄土真宗)に宿泊しての(プチ)修行体験でした(レポートが課されます).後期半年の宗旨専門課程では,日本の伝統仏教7宗派(天台,真言,浄土,真宗,臨済,曹洞,日蓮)の中から宗派を選びます.私は臨済宗を選びました.こっちは通信教育というよりお寺での修行が中心です.コース修了後,さらに修行を続けて得度することも可能で,さらに出家して本当の僧侶になる人もいます.私は得度させていただきました(その得度名が應龍です)が出家はしていませんから,僧侶ではなく,居士あるいは優婆塞(うばそく)ということになります.法燈国師が中国から連れて来た4人の虚無僧の祖も居士だったということなので,まあこれでいいかな,と思っています.

臨済宗の教場は霞ヶ浦の菩提禅堂でした.霞ヶ浦が見渡せる,眺めのよいところです.ここには,その後も接心やお手伝いなどで,しばしば通っています(ここ数年は全くサボっていて,代わりに,老師様が近くまで来て勉強会を開いて下さるのでそれに参加しています.申し訳ないことです).

菩提禅堂での修行には,必ず尺八が一緒でした.当時,気に入った尺八は1本(2尺1寸管)しかありませんでしたから,いつでもその尺八が一緒で,坐禅をする単の後ろの棚の中から見守っていてくれました.尺八と一緒に修行をしてきたような気がしています.接心の間は出来ませんが,接心が終わって解散した後,毎回本堂その他で献笛させていただきました.ただし,禅堂ではついに吹いていません.天井の高い瓦敷きの床の禅堂の聖僧様(文殊菩薩)の前で獅子でも吹いたらさぞかしよく響いて気持ちがいいだろうなあ,とは思いましたが,自己満足だけのような気がして,ついにそれはできませんでした.

ところで,私は絡子(袈裟)を3枚持っています.1枚は,最初に秩父の虚無僧行脚に行くことになった時,法身寺の和尚様にお願いして手に入れたもの,2枚目が,上述の得度で頂いたものです.この2枚,実はまったく同じもので,虚無僧をするには少々地味でパフォーマンス的にイマイチですが,本物の絡子をしているのだ,という自負はあります.献笛を申し出る時も,この絡子をしていれば拒否されることは少ないでしょうが,どうもそれは嫌で,いつも献笛のお許しをいただいてから絡子を取りだすことにしています.ところで,真夏の「イベント虚無僧」ではこの2枚はどうにも様になりませんから,3枚目,夏用の絽のちょっときれいな絡子は自分で買いました(京都の法衣店の通信販売で).

2011.05

(13)香澤山安洞院

福島,曹洞宗

虚無僧研究会の虚無僧追善供養尺八献奏大会にはしばしば参加させていただいています.しかし私は大変な「上がり性」で,大勢のお歴々前ではどうしても上ってしまい,なかなかうまく吹けたためしがありません.聴衆に聞かせるためのコンサートとは違うのですから,仏様に向って無心に尺八を吹けば良いと思うのですが,なかなかそうは行きません.

2005年,安洞院で行われた献奏会は,神保政之助の菩提寺ということで,参加者100名を超すずいぶんな大盛会でした.私は全35曲中の22番,出番が近づくにつれ,心臓がドキドキし始めました.それでも一発目の音は無事に出てくれて,曲の3分の1くらいまではなんとか無難に過ぎて一安心.ところがこの安心がいけなかったのか,そのあたりから,あらためて上ってきました.そうなると,今度はなかなか静められません.目は閉じているのに,周りにいる人のことまで気になり始めてしまいます.こうなると,緊張で硬くなった筋肉は細かく痙攣し始め,音が震えてきます.それを気にすると,ますますひどくなり,とてもビブラートに見せかけて誤魔化すこともできません.

この時,ふと頭をよぎったことがあります.「私は何のために今ここで献奏しているのだろうか.聴衆に聞かせるために吹いているのだろうか.いや,そうではなくて,誰も聞いていない札所で献笛するのと同じではないか」.このころ私は,家内と一緒に坂東三十三観音霊場の札所巡りをしていました(温泉のついでに,という不謹慎な巡礼ですが).札所では経を読んで,献笛もさせていただきます.その献笛の時に上がったことはありません.そもそも,仏様と家内以外にはほとんど誰も聞いていないわけですが.

「今ここで吹いているのも,札所で吹くのと同じではないか」そう思い至たり,気持ちを切り替えることにしました.「誰に聞かせるのでもない.仏様への祈りだ」,と.

けれども,抽象的に「祈り」と言っても集中できません.ここで,写経のことを思い出しました.私は,仏様には願をかけるものではないと思っています(仏様は感謝するもの,願は神様にかけます).でも,写経では最後に願文を書きます.巡礼も,願がなくては駄目だと言われます.

そこで,一つの願(身内の病気平癒)を念じることにしました.願を念じながら吹き始めたら,まったく不思議なことに,周囲のことは気にならなくなり,仏様だけになってしまったような気がしました.おかげで,その後はほとんど上ることもなく,吹き終わることができました.吹き終わって,尺八を下ろし,目を開けるまで,周りのことは意識から消えていたようです.

虚無研の献奏会にはその後も参加させていただいています.しかし残念ながら,上がり性はそう簡単には解消されません.

2011.07

(14)婆娑羅山報本寺

静岡・下田・加増野,臨済宗建長寺派

福島の安洞院で行われた虚無僧研究会の献奏大会の一月ほど前の2005年10月末,下田(南伊豆)の蓮台寺温泉に出かけました.行基が開いた言われる温泉で,吉田松陰が寄寓していたという幕末には騒がしかったのでしょうが,今は静かな温泉です.蓮台寺の少し北にある上原仏教美術館も,なかなか魅力のあるところです.

車で朝早く,東名沼津インターを降り,まずは修善寺に行きました.いつも通り旭瀧に寄り,瀧や龍泉寺で何曲か吹きました.それから,西伊豆の土肥に出ました.土肥の金山も,虚無僧の出てくる小説・テレビドラマ「喪われた道」の舞台になった場所です(私はこの時はまだその小説を知りませんでしたが).土肥から松崎まで伊豆の西海岸をドライブし,再び山越えをして,蓮台寺に向いました.

さて,松崎から蓮台寺に抜ける間に婆娑羅山という山があり,この峠を越えたあたりに婆娑羅山報本寺というお寺があります.このお寺に普化禅師像があるということをインターネットの記事で見つけていましたので,せっかく通りかかったのだからと,少々厚かましいかと思いつつ,アポもなしに,飛び込んでみました.

庫裡に伺って訳を話すと,すぐにご本堂の脇の書院に上げて下さいました.「像」というから彫刻の像を想像していたのですが,ご住職が奥の方から持ってきて下さったのは,三幅の掛け軸になった水墨画でした.普化禅師は鐸を持って雲に乗っています.ただ,絵には落款もなく,誰が描いた物なのか,いつごろの物なのかも分からないとのことでした.虚無僧研究会会長である法身寺の小菅和尚様に伺ったところでは,「普化禅師の絵は沢山あるが,三幅対は珍しい.三幅対だから,作者は禅僧ではなく画家だろう.構図は狩野山雪に似ているが筆致は違う」とのことでした.報本寺のご住職も,この絵について知りたがっておいででした.

三幅の掛け軸を,本堂の脇にわざわざ掛けて下さいました.そこで,この掛け軸の前で尺八を吹かせていただきたい旨,おそるおそる申し出ましたところ,大いに歓迎して下さいました.ひと月後の虚無研献奏会で,「虚鈴」を吹くことにしていましたので,ここで普化禅師像に巡り合ったことに大いに因縁を感じ,もちろんここでも虚鈴を献笛させていただいたのでした.

尺八を吹いた後は,お茶をいただきながら歓談させていただきました.最後には,機会があれば尺八修行に泊まりがけでどうですか,などと仰って下さいました(報本寺には坐禅道場があり,そこで宿泊できるそうです).ただ,一つだけ悔やまれることは,ちょうどこの時,お布施袋も,お布施にするお金も持っていなかったことです.賽銭箱に入れるような小銭しか持っていませんでした.こんなにしっかり見せていだだけるとは,そもそも本当に見せていただけるとすら,思っていなかったので,お礼のことまでは考えていなかったのでした.ありったけの小銭を紙(実はまことに失礼ながらティッシュペーパー)に包んで差し出したのでした.

2011.10

(15)補陀洛山那古寺

千葉・館山,真言宗智山派,坂東観音霊場結願寺

2004年の秋に始めた坂東観音霊場三十三所の巡拝は,ちょうど二年後の秋に結願寺,舘山の那古寺にたどり着くことができました.家内と二人で観光・温泉のついでの巡拝で,鎌倉や浅草をのぞきほとんどは車での旅行でしたから,実に安易な巡礼であったかも知れません.でも実際は,最初は確かに旅行・観光が目的であったのですが,途中からは札所の方が目的で温泉はその口実になっていました.

さて,この那古寺には,仕事の関係で近くを通ったついでに立ち寄ったことがあったので,私にとっては初めて来たわけではありませんでした.しかし,この日はそんな時とはまったく気持ちが違います.ただ何となく始めてしまった「ついで巡礼」ではありましたが,ついに結願すると思うと,さすがに感動(ちょっと気恥ずかしい言葉ですが)が湧いてきました.納経・献笛を済ませて,最後に「結願の証」を頂いた時には,思わず涙まで出てきてしまう始末でした.

この時,観音堂はあいにくと修理中で,普通のお参りはできませんでした.しかしそのおかげで,観音様のすぐ近くで献笛することができました.これは却って幸運だったのかも知れません.

観音堂は少し小高いところにあります.そこからさらに坂道を登って展望台まで行くと,秋の良く晴れた空気の清んだ日でしたから,伊豆大島や伊豆半島まで見事に見渡せました.この展望台で,二年かかった札所巡り,いったい何のためにこんなことをしてきたのだろう,などと考えてみました.札所の帰り道,観音様に何をお願いしたのかと家内に尋ねられることが何度かありましたが,私は答えられませんでした.実際,何もお願いしていなかったからです.経を読んでいる時はただ経を読んでいるだけだったし,尺八を吹いている時はただ尺八を吹いているだけでした.しかし,家内の問いに,一度だけ苦し紛れに答えたことがありました,「お願いをするのではなくて感謝しているのだ」,と.この展望台で,それをはっきり感じました.そう,感謝するために経を読み,感謝するために尺八を吹き,感謝するために参拝をする;経を読めることに感謝し,尺八を吹けることに感謝し,参拝できることに感謝し,ついに満願することに感謝しているのでした.

2011.11

(16)観音山徳泉寺

浜松・堀谷,臨済宗方広寺派

私の出身は,浜松です.と言っても,平成の大合併で浜松市になったところで,普大寺のあった,昔からの「浜松」からは20kmも離れた,もとは天竜市と言ったところです.私の生家は残っていませんが,家内の実家もすぐ近くなので,家内に付き合ってしばしば帰省します.

帰省したついでに,家内の実家の菩提寺,私の生家の菩提寺,母方の先祖の菩提寺などにお参りに行きます.各々の寺では,本堂,祠堂(位牌堂),墓地,などで献笛をします.墓地では勝手に吹きますが,本堂・祠堂では吹く前に一応,声をかけることにしています.最初は訝しがられて少々説明が必要でしたが,今では「どうぞ」の一言です.吹き終わるころには,お茶が出て来たりもします.ただ,季節には気をつけないといけません.帰省はお盆や正月にすることが多いわけですが,お参りに来る人の多い時期であり,施餓鬼会や大般若会などのイベントもありますから,注意が必要です.お葬式にぶつかったこともありますが,これは仕方がありません.

さて,表題の徳泉寺は,私の父の実家の菩提寺です.父が若死にしてもう半世紀近く,父の実家とはまったく疎遠になっているのが心に引っ掛かっていましたので,ある夏,かすかな記憶を頼りにこのお寺を探して行ってみました.言わば私のルーツ探しです.父の生家のあった辺りはかなり過疎化が進んでいて,もうそこに縁者は誰も住んではいないようでした.

やっと見つけてたどり着いたお寺は,本堂は開いているのに庫裏にもどこにも人の気配がありません.おそらくご住職はどこかと掛け持ちなのでしょう.本堂に勝手に上がりこみ,鳴り物も使ってお経を読んで,何曲か献笛しました.しかし位牌もお墓もわからずじまいでした.

ところでこの徳泉寺,過疎の田舎のただの荒れ寺ではありません.ここに行くのは50年ぶりですが,かすかに,しかし確かに記憶に残っている光景があります.それは,なにか奇妙な仏様の団体です.その仏様のことを,ずっと円空仏と思い込んでいたのですが,実はそうではなく,木喰(もくじき)仏でした.

円空さんは,17世紀に全国を遊行しながら,独特な木彫りの仏像を作り続けた人です.その円空さんからおよそ1世紀後,木喰上人も円空さんと同様,全国を遊行して多くの仏像を彫りました.その全国遊行の途中,この徳泉寺に1ヶ月間滞在して,仏像を彫ったのだそうです.50年前に,そして今回,私が見た仏像は,その木喰仏だったのです.円空仏にも不思議な微笑みがありますが,木喰仏にも,円空仏とはまた違う実に不思議で魅力的な微笑みがあります.

木喰上人で興味深いことの一つは,なんと60歳を過ぎてから仏像を彫り始めたらしいということです.それから90歳を過ぎて亡くなるまで,あっちこっち歩き回って,仏像を彫り続けたそうです.そんな高齢になってからこれだけのことをしたとは,恐れ入ります.私もまだまだこれから……?

2012.02

(17)日澤山水潜寺

秩父,曹洞宗,秩父観音霊場第三十四番

秩父の札所を結願したのは2008年4月のことでした.朝一で,一か所だけ残していた三十四番の水潜寺に行き,いつも通りお経を読んで,献笛をさせていただきました.札所ではたいてい「調子」一曲だけにしていますが,今日は特別,ということで,布袋軒「三谷」を長々と吹かせていただきました.朝早くて,団体さんなどの来られる前でしたから,ご迷惑にはならなかったと思います.札所でゆっくり献笛するのは,朝一に限ります.

ところで,巡礼と言えば,四国八十八所が有名で,盛んですが,それと観音霊場(西国,坂東,秩父)とは別物です.信仰の対象が違います.これに関してこの日,ちょっとびっくりしたことがあります.

私たちが水潜寺の参拝をちょうど終えたところに,入れ替わりで,白い装束に身を包み,菅笠や金剛杖なども携えた本格的ないでたちの一団(ほとんどオバサン)が,観光バスでやって来ました.それから数時間後のお昼に,別の札所近くの蕎麦屋でも一緒になりました.こんな立派ないでたちなのに,順番とは関係なしに回っているんだな …… と思ったのですが,私だって結願寺以外は観光の都合で回ったのですから,何も言えません.問題は,その白衣の背中の文字です.「南無大師遍照金剛」と書いてあります.金剛杖や菅笠もそうでした.バスのナンバープレートを確認したら,愛媛でした.愛媛で巡礼と言えばもちろん「南無大師遍照金剛」でしょうが,ここは観音霊場です.なんだかちょっと違う気がしました.でもあの人たちは,そんなことには微塵も気付いていないでしょう.もしかしたらあの装束自体,ただのコスプレかも知れません.もっとも私の虚無僧だってコスプレみたいなものですが …….でも私は,虚無僧をしている時は,虚無僧の行くべきところに行き,行くべからざるところには行かないし,虚無僧のすべきことはし,すべからざることはしていないつもりです(たまたま,虚無僧姿でケイタイするところを女子高生に目撃されたり,天蓋をとってビールの大ジョッキを傾けるところがテレビに映ったりしたことはありますけど).

さて,この日の秩父は,まさに花盛り.ソメイヨシノ,山桜,枝垂れ桜と,あらゆる桜が一斉に満開,加えて桃・花桃,コブシにモクレン,ユキヤナギ,ミツバツツジ,レンギョウ …… みんな見ごろでした.地面には水仙,ショカツサイ,ナズナ,イヌノフグリ,タチツボスミレ,ヒメオドリコソウ,タンポポ …… カタクリのついでにミズバショウまで見られました.最高の結願日和でした.しかも,この日は一緒に回っている家内の父親の31回目の命日でもあり,数日前には初孫が生まれたところでもありましたから,2年前の坂東札所の結願とはまた違った気分で,やはり大いに感動を覚えたのでした.

2012.03

(18)定額山善光寺

長野,無宗派単立

秩父観音霊場三十四所が満願した2008年,坂東観音霊場三十三所もすでに満願していましたので,この年の初夏に,善光寺へ二つの満願のお礼参りに行くことにしました.善光寺だけでは「片参り」と言うそうで,上田の北向観音(金剛山照明院常楽寺,天台宗)にもお参りしました.

まず,早朝に北向観音に到着.本堂(観音堂)でお経を読んで,献笛もさせていただきました.小さい本堂なので中には入れず,外で立ったままの献笛でしたが,ご住職もすぐ傍で献笛を聞いていてくださり,終了後にはご挨拶いただきました.他の参拝者も静かに聞いてくださいました.厳かな気持ちがこみあげてきて,少し涙が溢れそうになりました.

献笛しながら,T君の冥福を祈ることもできました.何年か前(百銭会・秩父虚無僧行脚の直前),私が職場で酩酊して転倒して大怪我をして病院に担ぎ込まれた時に,失くした尺八(愛用の2尺1寸管)を探し回ってくれたのが,当時学生だったT君です.そのT君が,この少し前,まだ二十代という若さで癌で亡くなりました.自分でも病気をはっきり認識していましたから,辛い4年間の闘病生活だったことでしょう.亡くなる2,3ヶ月前のメールのやりとりで「死ぬ時は死ぬるがよろしく候」(良寛)などと書き送ってしまったことが,良かったのか悪かったのか,今でも心に引っ掛かっています.

さて,善光寺に行ったのは翌日の昼ころです.しかし,善光寺は観光寺で,心を籠めて献笛するのは大変なことでした.

まず,拝観受付でその旨申し出たら,まったく趣旨も聞いてくれず,拝観券を買って中に入ってそこで言え,とのこと.中に入ると,係りの人は電話をしたり帳面を付けたりお金の計算をしたり,いつまでたっても一向に取り合ってくれません.一体どれだけ待たされたことやら.これが信仰の中心なのか,と興ざめしてきました.これまで札所で普通にしてきたようにお経を読んで尺八を吹けばいいだけだから,拝観料まで払って中になどに入らず,外でそのままやっちゃえばよかった,と悔やみました.

一応それでも許可を得て,参拝者(観光客!)が少なくなったのを見計らって献笛を始めたのですが,直ぐに次の一団がやってきて,とても献笛どころではありませんでした.宗教的な雰囲気は微塵も感じられません.坂東・秩父・西国の各霊場で献笛をしてきましたが,その中で最悪の献笛だったかも知れません.

前日の厳かな気持ちになれた北向観音との違いは何でしょう.有名な観光地かどうかということもありますが,北向観音に行ったのが平日の早朝であるのに対して善光寺が休日(土曜日)の昼,という曜日と時間帯の問題はもっと大きかったかも知れません.いずれにせよ,本気の参拝と観光とは両立しない,ということでしょうか.

さて,善光寺ではあまり気持ちよく事が済まなかったので,そのままさっさと帰ることにしました.ところが疲れの所為か歳の所為か,帰りは大分危なっかしい運転になり,何度かもう少しで事故するところでした.車からは異臭もしてきて,まことに不安な帰路となりました.自宅にあと少しという所で,事故現場に遭遇しました.自分が事故を起こさなくて,本当に幸いでした.事故渋滞の中で思いました,「善光寺でのことはもしかすると,さっさとうちに帰れ,という観音様のお計らいだったのか」と.

2012.05

(19)壷阪山南法華寺

奈良・高取,真言宗,西国観音霊場第六番札所

2006年夏,京都の観光旅行の折に清水寺に行ったら,寺務所で西国観音霊場の朱印帳を売っていました.これを見つけた家内が,またうかうかと買ってしまいました.おかげで,坂東,秩父に続いて,西国まで回ることになりました.坂東も秩父もまだ結願する前のことですから,まさか西国札所を全部回るだなんて,この時はまったく考えてもいませんでした.ですから,ここで献笛することは思いつきもしませんでした.思いついたとしても,この有名な観光名所の清水寺では,いくらなんでも気後れして,吹けなかったことでしょう.

さてこうして,西国札所の「ついで巡礼」が始まってしまい,京都・奈良などに旅行する度に,少しずつお寺に寄るようになりました.

翌2007年の正月は,奈良方面に旅行しました.レンタカーを借りて,明日香方面をあちこち走りまわったついでに,壷阪寺(南法華寺)に寄りました.雰囲気のよい,とても立派なお寺で,朱塗りの塔が目に鮮やかです.ここは人形浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台でもあります.その説明を読んでちょっとホロッとした勢いで,八角円堂(本堂)の御朱印所でおそるおそる献笛を申し出てみました.なにしろ西国の札所で献笛を申し出るのは初めてのことですから,どのように反応されるかビクビクものでした.そしたら,まったく訝しがられることもなく,即座にお許しをいただけました.それどころか,わざわざ観音様の真前で吹かせて下さったのでした.正月四日,深々と寒いお堂の中でしたが,吹いていると身体はなんだか温まってくるような気がしました.

この後,西国札所でも献笛を申し出るようになりました.どうやら,坂東札所よりも西国札所の方が,圧倒的に献笛についての理解があるようです.坂東札所では「献笛」では通じないこともしばしばでしたが,西国札所ではどこでも一言で了解して下さいます.聞き返されたことはありません.そして,断られたことも,嫌がられたことも,一度もありませんでした.ひょっとして,関西では尺八を持って札所巡りをしている尺八家が多いのでしょうか.

2012.06

(20)石光山石山寺

滋賀・大津,東寺真言宗,西国観音霊場第十三番札所

西国観音霊場は,どうやら献笛に好意的であるようです.

2007年の夏は,少し長めの休暇をとって,京都の日本海側から姫路,そして滋賀のあたりまでの10ヶ寺ほどを回りました.レンタカーを借りて,すべて車で回りましたが,とても車なしでは行けそうにないような難所ばかりでした.西国は坂東よりも大変なのではないかと思います(坂東だって車なしではかなり大変ではありますが).

さて,この時は回ったすべてのお寺で献笛させていただきました.どこでも嫌がられるどころかとても喜んでくださり,たとえば舞鶴の松尾寺では,庭の掃除中であったご住職が親しく声をかけて下さって,長い立ち話となりました.

その中でも特に思い出に残るのは,琵琶湖の南端にある石山寺です.ドライブ3日めの夕方で,かなり疲れきっていたところに,駐車場のことでちょっとした感情的なトラブルもあって,もう,御朱印だけもらえばいいや,という投遣りな気持ちでお寺に入って行きました.ところがここで,貴重な体験をさせていただいたのでした.

参拝者・観光客の多い寺ですから,断られるのを覚悟で寺務所に一応献笛を申し出ました.すると,今ちょうど和尚様が来られるから伺ってみます,とのこと.これはもう駄目だろう,と諦めていると,意外なことに本堂の内陣にまで案内され,しかも和尚様も着座なさいます.これまでも内陣で献笛したりお経を読むことはありましたが,和尚様がわざわざ着座下さったのは初めてで,さすがに少々緊張してしまいました.和尚様は献笛中ずっと着座されたままで,献笛が終わったところで回向文をお唱え下さいました.これはまことにびっくりで,恐縮してしまいました.お礼を言うと,和尚様から「観音様も喜んで聴いてくださいました.よい余韻が残りました」と言って下さいました.時には追い出されかねないようなこともあるというのに,この時はまことに有難い扱いを受けたものだと思います.

2012.07

(21)鷲峰山興国寺虚鈴庵

和歌山・由良,臨済宗妙心寺派

西国観音霊場の巡拝は,残っていた那智の青岸渡寺(1番)~姫路の圓教寺~岐阜・斐川の華厳寺(結願寺)の10ヶ寺を2008年7月に一気に回って,結願しました.

この時は,すべての札所で献笛をさせていただきました.青岸渡寺は1番札所であり,私としても今回の最初ですから,おずおずと献笛の許可を求めたのでしたが,吹き始めると寺務所の人たちはみな手を止めて聞いて下さったようで,帰りには丁寧にお礼を言われました.他の寺でも寺務所の皆さんが合掌で見送って下さったり,居合わせた参拝者の方々からお礼を言われたりもしました.お供物をいただいたお寺もあります.「尺八を吹きたい」という私の我儘のようなものなのに,こんなふうに扱っていただき,本当に有難いことだと思います

虚無僧にとって実に縁の深い由良の興国寺は,2番札所,和歌山の紀三井寺のすこし手前にあります.せっかくですから,興国寺にも寄りました.ただ境内を見られたらそれで満足のつもりで立ち寄ったのですが,たまたま庫裡から和尚様が出て来られたので,少しお話をさせていただきました.尺八道場(虚鈴庵)にご案内下さり,閉め切られていた戸をわざわざ開け広げて上がらせて下さり,法燈国師の像の写真と位牌の前で,献笛もさせて下さいました.おまけに,お茶とお供物のお守りまでいただきました.

西国札所最後の巡拝は,自家用車で回りました.横浜の自宅を車で出発し,戻ってくるまでちょうど一週間,2000キロを走破したことになります.その間,とんでもない猛暑で,岐阜では40度にもなりました.40度の中で日本百観音が結願したのですが,あまりの暑さに感激どころではなく,感激したのは参道の店で食べたかき氷でした.かき氷を美味いと思ったのは,いったい何年ぶりのことでしょうか.

2012.09

(22)修禅寺奥の院・正覚院

伊豆・修善寺・桂谷,曹洞宗

何かの会に参加して,ということではなく,自分で勝手に献笛した最初は,伊豆・修善寺の旭瀧でした(このシリーズの第2回で紹介しました).その後も修善寺には何度も行くのに,どうも修禅寺には縁がなく,なかなか修禅寺で献笛する機会はありません.行くたびに何かのイベントにぶつかったり,トラブルがあったりと,どうもうまく行きません.2012年には,最終選考で選ばれると修禅寺本堂でコンサートをさせてくれるという,伊豆市観光協会の「桂座音楽賞」というのにエントリーしてみましたが,音源審査であえなく敗退し,副賞100000円も幻でした.

さてその5年前,2007年初夏のある日,旭瀧の脇にある周辺の観光地図の看板の中に,修禅寺・奥の院の「阿字苑」というのを発見しました.「よし,ここで阿字観を吹こう!」というわけで,修禅寺奥の院に行ってみました.

奥の院はかなりの山の中でしたが,観光バスもいて,この日はなかなか賑わっていました.しかし観光客の目的は奥の院ではないのか,本堂は閉め切られたままです.そこで,本堂の前で勝手に尺八を吹き始めたところ,堂守さん(初老のご婦人)が出て来られ,本堂の戸を開け広げて下さいました.吹き終わると,合掌で挨拶され,「上の修行場(護摩堂跡)でも吹いて,参詣の人たちにも聞かせてあげてほしい」,とのこと.傍で聞いていてくれた若い女性の二人連れも「上で一緒に聞きたい」とのこと.それで,石段を登り,弘法大師が修行したという場所,かつて護摩堂があったという場所に立ち,瀧に向かい,阿字観を吹きました.堂守さんは本堂を離れるわけには行かないから,階段の下で合掌をしながら聞いてくださった,とのことです.有り難い,勿体ないことです.

その後,本堂で甘茶を頂きながら,いろいろお話しをさせていただきました.「こうして尺八の音が聞かれるのは最高の贅沢だ」とのこと.そんな風に言われたのでは,こちらこそ恐縮してしまいます.それにしても,甘茶があんなに甘くて美味しいものとは知りませんでした.自家製の甘茶の葉なのだそうです.

それからちょうど4年後の2011年初夏,再び奥の院を訪ねてみました.しかしこの日は,天気も悪く,他に参拝者もおらず,ついに堂守さんは出て来られませんでした.体調でも崩されたのではと,心配です.この日は,堂守さんの代わりに犬が出迎えてくれて,境内を案内してくれました.そのうち境内を出て,坂道を上って行きます.しばらく行くと道案内の看板があり,弘法大師の杖が根付いたという桂の木「桂大師」まで,徒歩50分とのこと.「おい,犬君,50分は歩けないぞ!」と声を掛けたら,犬は立ち止まり,ひき返して来ました.賢い犬です.

2012.11

(23)智積院

京都,真言宗智山派総本山

宿坊は,お寺に付随する宿泊施設です.本来はお坊さんの泊まる所だったのでしょうが,現在では一般の参詣者や観光客も泊まれます(というより,宿泊者のほとんどは一般人です).普通の国民宿舎だと思って宿泊予約をしたら,実は宿坊だった,ということもありました.

宿坊に泊まると,宿泊費は普通の旅館よりも安い上に,精進料理が食べられたり,普通の観光客には見せない宝物が見られたり,朝の勤行に参加できたり,坐禅できたり,同宿者に嫌な人はあまりいないし,いいことがたくさんあります.ついでに献笛もできそうです.時として,格別な宗教的体験をすることもあります.

2009年の虚無僧研究会の献奏会の会場は,京都の明暗寺でした.前泊のために,宿坊をいくつか当たったあげく,智積院会館を宿に選びました.会場の明暗寺までは徒歩15分程度と近く,もともとの明暗寺がこの近く(三十三間堂の近く)にあったとかというのも,ここを選んだ理由です.

ここは智積院の宿坊です.宿坊と言っても,見かけは鉄筋コンクリートの普通の旅館・ホテルと変わりません.内容もほとんど変わりません.変わることは,そこが真言宗智山派総本山智積院の中にある,ということです.夜眠るまで,寝ている間も,そして朝目覚めた時から,総本山智積院の中にいるわけです.

さて,宿泊日(献奏会の前日),私は客であることをいいことに,わがままを言って,金堂と明王殿で尺八を吹かせていただきました.ところが,静かな金堂でこれみよがしな「虚空」を吹いていると,なんとも妙な居心地の悪さを感じてきたのです.それはその空間が,これまで感じたことがないほど,厳かな敬虔な宗教的雰囲気に満ちているからでした.その時の私には,「明日の献奏会の予行演習」というような,善からぬ心があったようです.金堂の係りの方からかけられたお礼の言葉に,私の顔は火が出るところでした.

翌朝の勤行の後にも尺八を吹かせていただく目論見はありました.しかし,いざその勤行に参加すると,その凄さに圧倒されて,もう,自分が尺八を吹くなんていう思い上がった気持ちはまったくどこかに吹っ飛んでいました.パフォーマンスなんかではない,本物の,本気の声明の力の凄さは,それまで想像もしたことがありませんでした.自分と宗旨の違うお座成りの読経につき合わされるだけ,みたいな気持がどこかにあったことが,まったく恥ずかしくなります.この勤行に参加できたことは,私にとって大切な宗教的体験となりました.

こんな体験と感銘の直後の,明暗寺での献奏.これまでの邪な気持ちで吹いていた尺八を反省しながらの,明暗寺までの道のりでした.

2012.12

(24)無名の野仏たち

あっちこっち

2008年夏に日本百観音(西国三十三所,坂東三十三所,秩父三十四所)の巡拝が終わってからは,目標を失ってしまったようで,お寺で献笛することがすっかり少なくなってしまいました.しかし,仏様は立派なお寺の須弥壇にばかりおられるわけではありません.

思えば,最初に献笛紛いのことをしたのは,恵比寿の稽古場(松泉寺)の近くの道の辻に立っている「南無阿弥陀仏」と書かれた石塔でした(これは献笛というより,稽古前の音出しだったかも知れません.続きは近くの公園でも吹きましたし).以来,様々な石仏・野仏に献笛してきました.かつて週日だけ泊まっていた勤務先(千葉)のアパートの周りには,石仏や小さなお堂(観音様だったりお地蔵様だったり,お不動様だったり)がたくさんありました.散歩に出ては,これらの石仏やお堂の前で調子を吹いてまわったものでした.

旅行先でも,野仏にはよく出会います.無名の野仏は記しようがありませんが,有名なところでは,次のようなところがあります.

長野県東御市の新張から嬬恋村鹿沢温泉までの峠の道沿いにある,百体の「道しるべ観音」.万座温泉などの帰りに湯の丸高原を通るたびに,この観音様たちに出会います.およそ100m毎に百体の観音様がおられます.全部の観音様に一々献笛していると家に帰りつけなくなってしまうので,車を止められるところで,何体かの観音様に献笛します.風化して味わい深くなった古い観音様も,新しく建てられた清々しい観音様もおられ,風景として見ても素晴らしい道です.昔からの信仰心が伝わってくるような気がします.

箱根(元箱根)の東海道沿いの精進池の近くには,石仏(磨崖仏)群があります.鎌倉時代後期に作られたものだそうですが,このあたりは地獄信仰の霊場だったそうで,お地蔵様が主役です.観音様の世界とはずいぶん雰囲気が違って躊躇することもありますが,感じるところもあります.なお,磨崖仏といえば大分県の国東半島が有名で,ここにはわざわざ行きました.一方,鎌倉の朝比奈切り通しのように,通りすがりに出会う磨崖仏もあります.

名もない本当の野仏たちは,私の住む横浜(の田舎)でも,よく見ればそこここにおられます.馬頭観音やお地蔵様,仏様の他にも道祖神や庚申塔‥…みな古人の信仰の証です.しかし,いつのまにかだんだんと消えてしまっているようです.道路の拡幅で移動させられ,車の疾駆する道脇に集められ,あるいは誰かに持ち去られることもあるようです.残念なことですが,行った先で大切にされていることを祈るばかりです.

さて,草木国土悉皆成仏と言います.わざわざ特別なお寺に行かなくても,仏壇の前に座らなくても,仏様はどこにでもおいでです.感謝の気持ちで尺八を吹くならば,仏様はいつでもどこでも聞いていて下さいます.上手い下手は関係なく,しかもそれが本曲でなくても,ジャズでも歌謡曲でもポップスでも,思いあがった気持で吹くのでなければ,なんでも仏様は聞いていて下さるでしょう.一音成仏‥….曲がどうのと言うよりも,音の一つ一つに感謝を込めて吹くならば,どこで何を吹いたとしても,それが「献笛」だと思うようになりました.

今回で「献笛放題あっちこっち」の連載は終了させていただきます.お付き合いありがとうございました.