昨日(大晦日)の百八曲献奏修行会の際に法身寺でいただいた年賀の御布巾には,お地蔵様の絵とともに「無事」と書かれていました. 円覚寺派管長の横田南嶺老師の墨跡です. 今ほど「無事」を祈ったことは無かったと思います.
私の年賀状(上)には「おめでとう」という言葉を入れられせんでしたが,しかし考えようによっては,何があったとしてもそれを乗り越えてこの新しい年が来たのだから,素直に「おめでとう」祝うべきだったのかも知れません.
私は今年,ついに還暦です. 赤いチャンチャンコを着るのはまだまだ相応しくないと信じますが,それでも,ずいぶん遠くまで来たもんだなぁ,と思います. 因みに,今年の年賀状の背景の薄い龍の絵は,24年前の辰年に描いたものの使い回しです. 龍の目はベートーヴェンをイメージしていて,書いている楽譜は 6/8 拍子ですからボリビアのフォルクローレをイメージしています. それが今では,尺八(しかも虚無僧の尺八)吹きです. 一方で,その尺八でフォルクローレもクラシックも吹こうとしています. メチャクチャな大団円が待っているのかも知れません (^^;)
本年も宜しくお願いいたします.
子供の頃,浜松(天竜)の田舎の実家の畑に,三方柑(サンボウカン)の木が一本だけありました. 三方柑というのは,小型の夏みかん程の大きさの,ヘタの辺りが膨らんだ変てこな形をした蜜柑の一種です. 神様へのお供え物を載せる三方に似ているから三方柑というのだと思っていましたが,実は,珍しい蜜柑だから三方に載せて紀州の殿様に献上した,ということでそう呼ぶのだそうです(今日知りました). 夏みかんほどは酸っぱくありませんでしたが,水気の無い蜜柑で,今から思えば紀州の殿様が喜ぶほど美味しかったとは思えません(我が家の三方柑だけが不味かったのかも知れませんが). それでも他に食べる物はありませんでしたから,喜んで食べていました. 三方柑の名前の由来を誤解していたからか,正月の頃に食べたような気がしますが,これは記憶違いかも知れません.
暮れに,三方柑と良く似た蜜柑を頂戴しました. 熊本産の「デコポン」です. 形は良く似ているけれども,味は比較になりません. 格段×格段×格段に美味しいです. 大切に,毎日一個ずつ頂いています.
ところでこのデコポン,食べ終わって残った皮をネットに入れて,風呂に入れてみました. 冬至の日の柚子も我が家では,皮を剥いて,皮だけをネットに入れて風呂に入れます. こうすると丸ごと入れるより柚子のエキスが良く出るし,残った柚子の実は,別に使い道があります.
デコポンの湯は,柚子湯と同じか,もしかしたらそれ以上に効能がありそうです. まず,良い匂いです. とても身体が温まって,湯冷めもしないようです. このところ,毎晩,デコポン湯です. (なお,調子に乗って何個分もの皮を入れ過ぎると,その湯が目に入ったりすると沁みるかも知れませんから,ご注意).
デコポンの湯に浸かりながら,以下のようなことを考えました.
デコポンの皮の利用は大正解でしたが,野菜の皮だって捨てたらもったいないですね. 野菜にも,野菜を育てた大地・自然にも,申し訳ありません. 例えば,多くの人が捨てるらしい大根の皮は,そのままでも鰹節と醤油で酒のツマミになります. キンピラにすれば,立派な料理です. 大根の葉をわざわざ切り落として棄てて行く人をスーパーで見かけますが,大根の葉の味噌汁,炒め物,漬物,私は大好きです. 炒め物なら,ニンジンの葉もいいですね.
こんなふうに工夫して大事に使えば,一本200円の大根が300円分くらいの価値になるかも知れません. どんなものでも1.5倍の活用ができるというわけではありませんが,贅沢さえ言わなければ,例えば平均1.2倍くらいの活用はできるのではないでしょうか. そう考えれば,収入が少々減った(例えば2割減)ところで怖くはありません. 積極的な節約も図れば,もっともっと少なくてもなんとかなりそうです.
例えば,おせち料理. 何万円もするおせち料理を買ったという人がいます. しかし毎年我が家では,家内がおせちを作ります(私は百八曲献奏修行会だとかなんだとか言って,ほとんど逃げちゃいますが ^^;). できた料理は正月三が日では食べきれず,昨日今日(4日5日)の弁当もおせちでした. しかも2日には家族親戚9人が昼から夜まで飲み食いしたのですから,大変な量だったということになります. しかし,それだけ作るために買ってきた材料費は,1万5千円ほどです. もちろん時間はかかりました. 二日と一晩費やしています.
ホテルの高価なおせちを買った方は,作る時間がもったいないとおっしゃいましたが,じゃあ,おせちを作る替わりに何をなさったのでしょうね. 時間を掛けておせちを作ることも,生きている証なのではないでしょうか. 生きる証を捨ててお金を掛けて手に入れたおせちで正月を祝っても,神様が喜んでくれるかどうか (自分でおせちを作るわけではない私が言うのはオコガマシイことですが ^^;).
そんなこんなで,我が家ではあまりお金を使いません. 給料が減る,年金が減る,消費税が上がる,と心配する人もいますが,あまり我が家では気にしません. 我が家がお金持ちだからではありません. お金は使わなければ済むことだと思っているからです. 今の日本では,いくら貧しい暮らしをすると言ったって,近代までの田舎の暮らし(私の子供時代の我が家の暮らしだって)や,現代でも貧しい国の人たちと比べたら,ぜんぜん豊かな暮らしでしょう. 大抵の人は,給料・年金が半分になったって,ちょっとした智恵と工夫と覚悟があれば,飢え死にするようなことにはならないと思います. 凍死する人もほとんどいないでしょう. それどころか,贅沢病の類が減って,かえって健康になったりして ‥‥‥
もっとも,本当に日本中の人が節約を始めたら,日本の経済が停滞・後退して,我が家はさらに節約しないと暮らせないことになってしまうのかも知れません. そういう意味では,以上の妄言はきっぱり忘れていただいた方が我が家としては有難いのかも知れません ^^;).
それにしても,現代の経済の仕組みというのは,私の頭ではさっぱり納得できません. 貨幣の物神性とかいうのが関係有るのかも知れませんが,こんなところで引き合いにだされた神様は,たまったものではありません.
風邪をひいてしまいました. 発熱はないから,インフルエンザではないようです. もう暮れのころから喉の痛みを感じていましたが,1週間ほど前から少々辛い状態になりました. そして,数日前からは鼻汁と少し咳も出るようになりました. 確実に風邪です.
ニュースでも話題になるほど,乾燥注意報が出っぱなしのようです(今日,さっき,やっと解除されたそうです). 風邪をひいたのも,その前から喉が痛かったのも,空気の乾燥のせいだろうと思います. 不織布のマスクの下に,湿らせたガーゼマスクを重ねて,仕事中はもちろん,夜寝る時もかけるようにしました. これはかなり効果があるようです. 因みに,「濡れマスク」という製品もあるようです.
濡れマスクはたしかに効果があるのですが,さすがに尺八を吹く時には使えません. 尺八を吹いていて,息継ぎで息を吸い込むたびに咳き込みそうになってしまいます. しばらく吹いていると,喉がかなり痛くなってしまいます. 喉を痛めているときは,あまり尺八の練習はしない方がいい(できない)かも知れませんね.
しかし,一方で,乾燥と言えば,尺八の割れも心配になります. これまでに何本かの尺八が割れてしまいましたが,どれもこのくらいの季節だったように思います. しかも喉が痛くてあまり息を入れないでいるということは,ますます乾燥が心配です. 尺八をしまっているケースに,湿らせた布を一緒に入れておくことにしました. もちろん,尺八一本々々はビニールの袋に入れています.
それにしても乾燥は嫌ですね (もちろん,梅雨のジメジメした湿気も嫌ですが). 昨年11月の橋本の「プレコンサート」では,ステージ上で口が乾いて難儀しました. そこで「アンサンブルコンサート」の本番では,直前まで水を用意しておいて,事なきを得ました. ところが先日の「三曲歌ざんまい」ではもうすっかりそんなことを忘れていて,不用意に舞台に出てしまったら,やっぱり口が乾いて,どうも駄目でした.
知り合いのある尺八吹きは,唇の乾燥対策に,いつもリップクリームを使っているようです. しかし私の場合,乾いて困るのは,唇よりもむしろ口の中なので,リップクリームは役に立ちません. もしかするとこれは乾燥というよりも,緊張して唾液の分泌が減った,ということなのかも知れません. だとすると,対策は‥‥‥
明治時代の我が家には,伏見稲荷の社があったのだそうです. 養蚕と製紙を営んでいた先祖が伏見から勧請したそうで,静岡の田舎から,年に一度ははるばると京都の伏見まで参詣に行っていたとのことです(大正時代までは続いていたようです). しかし戦後生まれの私の記憶では社はもう無くて,ただの雑木林になっていました.
今ではその土地に住んでさえいません. けれども,どこの土地にいても,初午の日には赤飯を炊いて,そこの庭の片隅に供える,ということだけは続けてきました. かつては母がやっていたのですが,今は私が(正確には家内が)やっています. 社もなく,そもそも全然関係のない土地にいるのに,その行為だけが続いているというのは,妙といえば妙なことではあるのですが.
立春も過ぎたので,さて今年の初午はいつだろう,と,カレンダーを見てびっくり. 2月3日が初午となっているではありませんか. 私は,「立春が過ぎてから最初の午の日」を初午というのだと思っていました. そうだとすれば,今年の場合は2月15日が初午です.
ネットで検索したら,初午とは「2月最初の午の日」と定義されています. そして,「本来は旧暦2月だが,現在では新暦2月」とのこと. それで今年は2月3日(立春の前日!)となったわけです. 因みに,旧暦2月の最初の午の日は2月27日です.
ネットでニュースの検索もしてみると,京都の伏見稲荷大社でも2月3日に「初午大祭」をやったとか. 伏見稲荷自身がそういう定義を受け入れてしまったのではしかたありませんが,でも呆れてしまいます. さびしいことです.
私は本来の初午,つまり「立春後の最初の午の日」でお祀りしたい(今年はそうするしかない)と思います. その方がお稲荷さんも喜んでくれるんじゃないでしょうかね.
お茶(茶道)の練習に使うとかで,家内が古道具屋(リサイクルショップ)で安い鉄瓶を見つけて,買ってきました. 底に少々錆がありましたが,何度か湯を沸かすうちに,気にならない程度になりました. そこでさっそく,それで沸かした湯を飲みました. その美味さにびっくり.
普通のヤカンで沸かした湯とは比べ物になりません. 淹れた茶も美味しいですが,白湯(さゆ)で飲むと,違いがよくわかります. ただの白湯なのに,なんとも美味い. 電気ポットは震災のあとで使うのをやめましたから比べられませんが,湯が欲しい時に欲しいだけヤカンで沸かすようにした時,少し美味しくなった気がした記憶があります. だから間違いなく,電気ポットで沸かして保温している湯よりも鉄瓶のほうが美味いだろうと思います.
昔の人は,こんなに美味いものを飲んでいたのですね. 私の小さい頃にはまだ,鉄瓶や茶釜が火鉢に乗っていたりしたような気がします. 御飯は薪の竈(かまど)で鉄の釜で炊いていました. 鉄瓶も茶釜も,特別な「お道具」ではなくて実用品だったわけです. それがいつの間にか,火鉢はなくなり竈はガスコンロになり,鉄瓶はアルミやステンレスのヤカンになり,電気ポットになって,いつでも湯が沸いているようになりました. そして,鉄瓶の白湯の味は忘れてしまった. 時代が進んで,昔よりずっと便利な良い暮らしをするようになったと思ってきましたが,実は,豊かになったのでは全然なく,かえって貧しくなったのかも知れません.
それにしても,オール電化なんかにしなくてよかったと思います. 震災前には,ずいぶんしつこくオール電化の勧誘がありました. 実を言うと,私もついちょっとだけ,オール電化にするのもしかたないかな,という気がし始めてはいたのでした. 危ない危ない ..... . もしオール電化なんかにしていたら,鉄瓶では湯が沸かせなかったところでした. そもそも停電したら,煮炊きのすべてが出来ません.
便利さよりも昔の美味しさ,ということでは,鰹節もそうです. 昔は,鰹節を,必要な時に必要なだけ削って使っていました. 削るのはとても大変でしたが,美味かった. 今の,削って売っているものとは全然違います. この味は,鮮明に覚えています.
今度は,鰹節削り(カンナ+箱)をどこかで探して買おうと思っているところです. これはちょっとリサイクル品は気が進まないので,新品を探します.
我が家では,電気のエアコンをあまり使わなくなりました. もともとあまり使わなかったのですが,原発事故以来,意識的にも減らしています. 暖房そのものを控えめにしているのですが,とくに電気をやめて,石油(灯油)にシフトしています. ただ,寝る前の寝室だけは,臭いが嫌なのと一酸化炭素が心配で,その時だけは電気のエアコンにしています.
ところで,石油の暖房器具には2種類あります. ストーブとファンヒータです.
石油ストーブが使われるようになったのは,私が子供の頃ですから,昭和30年代でしょうか. しかしいつの間にはファンヒーターが主流になり,我が家でも昨年まではファンヒーターしかありませんでした. ストーブよりファンヒーターの方が進化した,優れた物,と信じていました.
しかし,この冬にもあるかも知れないと言われた停電に備えて,昨年末,昔ながらのストーブを買いました. 使ってみると,ストーブの方が断然良いことに思い至りました.
ファンヒーターとストーブを比較してみます. まず,ファンヒーターは電気(使う電気はたいしたことではありませんが)がなければ使えません. 一方,ストーブに電気は必要ありません. それが,停電に備えてストーブを買った理由です. しかし重要なのはそんなことではありません.
ファンヒーターは熱風を吐き出します. その熱風によって部屋の気温を上げるわけです. だから部屋全体の温度は(ストーブを使うよりも)早く上がります. 一方,ストーブは,暖かい空気は対流によってしか部屋には広がりませんから,なかなか部屋は暖かくなりません.
しかし,ストーブからは放射熱が出ます. これが大切なところで,ファンヒーターを使っている時には忘れていたものです. 赤い光とともに赤外線や遠赤外線の熱線が出ているわけで,これは衣服や皮膚の表面を通して直接あたためてくれます. 部屋全体が暖まる必要なんてない,暖まりたいところが暖まればいいわけです. そのせいか,灯油の消費量も,ファンヒーターよりストーブの方が少なくなっているような気がします(量ってはいませんが).
昔は,焚き火や火鉢に手をかざして,手をあぶったものです. 今でも,例えば初詣の寒い神社の境内で,焚き火にあたることがあります. 着物に火が移りそうであまり近づけませんが,それでも,遠くから手をかざすだけで,手だけでなく焚き火に向いている身体全体が暖まります. この暖かさ,これが,熱線による暖かさです.
進歩したファンヒーターより,人間が最初に手に入れた暖房(火)に近いストーブの方が,自然で,ずっと気持ち良いのではないかと思います. 少なくとも,私はストーブの方が好きになりました.
ストーブの上に鉄瓶を置いて,湯を沸かしています. この湯(白湯)が美味いことは先日書いたとおりです. どうも我が家は,時代の流れに逆行して,だんだん原始的な暮らしに向かっているようです.
消費電力量を抑える,ということだけ言っているわけではありません. 照明については,LEDにすれば消費電力が下がることは分かっていますが,どうもあの不自然な光は好きになれません. 蛍光灯の方がまだましですが,もちろん白熱電灯にはまったくかないません. 白熱電灯よりもっと良いのは,蝋燭やランプ,あるいはかがり火ですね. それよりもっともっと良いのは,暮れたら寝て明けたら起きること,です. CO2も出ないし.
蛇足ですが; 火力発電というのは物(燃料)を燃やした熱で湯を沸かして,その蒸気の力で発電機を回して,それで出来た電気をはるばると送電線を使って送ってくる,という無駄なことをしているわけです. しかも,宮沢賢治の「春と修羅」にもあるように,電気というのは実に儚(はかない)い存在で,発電した電気はその時に使わなければそのまま消えてしまいます. それならいっそ,自分のところで必要なだけ物を燃やして,発生した熱をそのまま使った方がいんじゃないでしょうか.
私は花粉症にだけは罹らない自信がありました. 花粉症に良くないという肉や魚はあまり食べないし,加工食品も極力食べないし,逆に生野菜をたくさん食べ,玄米・胚芽米も食べます. 周りは杉や檜の植林された山(天竜美林)ばかりの天竜(現在の浜松市天竜区)で生まれ,春には山火事の煙かと思うほどの花粉が飛ぶところで育ちましたから,都会の花粉ごときでどうにかなることなんてありえない,と信じていました.
先月末の雪の夜から,急に鼻水が止まらなくなってしまいました. やたらとクシャミが出て,涙目になり,頭も重く,とても辛い状態になりました. てっきり風邪だと思って医者にかかったら,(まだ抗体検査の結果は聞いていませんが)花粉症だろうと言われました. とりあえず,アレルギー性鼻炎に効くという漢方薬「小青竜湯」を処方され,だいぶ症状が改善されました. ということは,やっぱり風邪ではなかったわけですね.
還暦の年になって花粉症発症とは,悔しい限りです. 実は,花粉症を少々馬鹿にしていたのですが,今回,その辛さを思い知りました. 花粉症以外にも,身体のあちこちにガタが出始めているようです. 肩(首)凝りも例年に無く酷い状態です. もしかしたら,今年の冬は,少し我慢をしすぎたかも知れません. 暖房を極力使わず,とりわけ電気の暖房や蒲団乾燥機などの使用を控えてきました (おかげで,電気代は去年の半分近くにまで減ったようです). しかしその一方で,身体には少し無理をさせたようで,花粉症の発症もそれが影響したのかも知れません.
ところで,花粉症発症以来数日,尺八は吹きませんでした. とても吹けるような状態ではありませんでした. 症状が改善されたので,久しぶりに音を出してみて,ビックリです. よくもまあ,退歩するものです. 曲は吹いていませんから,指が動くかどうかはわかりませんが,とにかく,ピッチを合わせられません. ピッチの訓練を始める前と変わらないほど,ピッチが低くなっています. チューナーを見ながら高くしようとしますが,指遣いによって上がり過ぎたり上がりきらなかったりと,コントロールが出来なくなっています. 何度も何度も思い知らされることですが,一ヶ月練習してもほとんど進歩しないのに,一日やらないだけで確実に下手になる,ということです. (しかし自転車は,何年乗らずにいてもちゃんと乗れるのになぁ‥‥‥‥).
私の好きな禅語の一つに,このようなものがあります. 「苟(まこと)に日(ひび)に新たに,日々(ひびひび)に新たにして,又た日(ひび)に新たなり」 と読むそうです.
苟日新 日々新 又日新
これまで,このページの見出しを「お知らせ ―更新のお知らせと日々の戯言―」としていましたが,上の禅語を借りて,「日々新」にしようかと思います. でも,残念ながら更新は時々しかできそうにないので,「日々新・時々新」とします. 少々禅語をおちょくっているようで気が引けますが (^^;
ついでに,このページのフォント指定(丸ゴシック)をやめました. 余分なことのおかげで,かえって読み難くしていました.
虚無僧尺八の根源の曲のうち,「霧海篪」は仏教の「慈悲」あるいは「救済」を,同じく「虚空」は「空の思想」を表そうとするものではないか, というようなことを,以前(2011/08/08),書きました. すると,古伝三曲のもう一曲「虚鈴」は何でしょうか. 最近,これは「発菩提心」なのではないかと思うようになりました. いずれも,仏教の大切なところに通じていると思うのです.
さて,ところで,これに対して,根笹派錦流風流の曲は,どうもそういう感じ(仏道という感じ)がしません. そもそも,本当の虚無僧(虚無僧が本当の「僧」かと言うと,問題はありますが)が吹いていたのではないようです. 尺八(虚無僧尺八)を仏教・禅に結びつけて考えようとしていた私は,そんなわけで,ここ数年,根笹派から気持ちが離れていました.
しかし,先日,善養寺師が1998年ボルダー国際尺八音楽フェスティバルで吹いた根笹派の「調・下り葉」の録音を入手し,聞いてみました. 私が尺八を習い始める前のことですから,初めて聞くものでした. 聞いて,衝撃のようなものを覚えました. そして,目から鱗が落ちたような,あるいは忘れていた大切なものを思い出だしたような,そんな気がしたのです.
この時の善養寺師の音から感じるのは,演奏テクニックとかそんなものを超えた,何か,研ぎ澄まされた気迫の凄さです. 真剣で対峙する武士の気迫とでも言うような‥‥
根笹派の曲は仏道というよりは,「武士道」なのではないでしょうか! 何しろ,津軽藩の武士たちが鍛錬のために吹いていたと言うのですから. そう考えれば,思い出した大切なものとは,「武士道」なのかも知れません.
「剣禅一如」という言葉に思い当たりました. 武士道は禅にも通ずるのですね.
いつの頃からでしょう,現代の日本はなんだかおかしくなっているような気がします. 信じられないお粗末な出来事,呆れるような不祥事,良心の欠片もないのかと思えるようなこと. そんなことが日常茶飯事になっています. その根源は,日本人が倫理観を失ったからではないでしょうか.
日本人がかつて持っていた倫理観とは何か? 仏教や儒教という答えもあるでしょうが,「武士道」と言うのが一番手っ取り早いかも知れません. 克己を旨とし,自己犠牲を美徳とし,名誉を重んじる武士道.
明治維新で武士が存在しなくなってからも,武士道は武士を超えて日本人一般の倫理観になったようです. しかし第二次大戦後,戦時の軍国主義に利用された武士道は,すっかり捨てられました. 現在の政治家も経済やその他のリーダーも,ほとんどすべてが戦後生まれの,つまり武士道が否定される中で育ってきた人たちばかりになっています.
ただ,倫理観は成文化された法律のようなものではありませんから,「社会遺伝」するでしょう. だから,戦後すぐにきっぱりと消え失せたわけではありません. たぶん,高度成長期が終わり,連合赤軍のあさま山荘事件があったあたりが,武士道的倫理観の発現限界だったのではないでしょうか. つまり,40年ほど前のことです. 武士道の遺伝子は,今再生させないと,本当に消えてなくなってしまうかも知れません.
克己と自己犠牲を旨とする倫理観が失われた後に残ったのは,我慢することの出来ない我儘です. 「モンスター** 」(モンスターペアレント,とか)というのがその象徴でしょう. 私自身,ふと気づくとモンスター化していることがあります. 反省しなくてはなりません.
「武士道」という新渡戸稲造の著書があります. 私は十何年か前に買ったのに読みきらないままで,気にはなっていたのでした. 最近,NHKの「100分 de 名著」という番組でこの本を取り上げたのを見て,本棚から引っ張り出して来たところです.
この本の初めの方で,武士道を「高貴な身分に伴う義務(ノブレス・オブリージュ)」と説明しています. この説明に私は,とても納得しました. 現代のリーダーたちに最も欠けているのは,これではないでしょうか. リーダーだけではない,我々(私)自身も,です.
もっとも,現代日本の大問題はむしろ,多くの日本人が自分自身を「高貴な存在」(武士)と思っていないことにあるのかも知れません.
大震災と原発事故から,一年になります. 前述のNHKの番組でも,今こそ武士道を見直すべしというようなことを言っていました. 「武士は食わねど高楊枝」とまでは言わずとも,せめてこれまでの飽食・浪費は見直したいところです.
とにかく,今の日本,しっかりした倫理観を取り戻すことが必要でしょう. (宗教の)仏教を! ではなかなか都会の現代人には受け入れられないかも知れませんが,武士道を! だったらなんとなく受け入れらるかも知れません. 私自身,「私は禅者だ!」などとはとても言えませんが,「俺は武士だ!」だったら(ちょっと冗談っぽく)言えそうな気がします.
しかし,どうやって休眠・瀕死の「武士道の遺伝子」を活性化させたらよいのか,実は私もわかりません. いくら本を読んで「武士道に関する知識」を得ても,体得できるわけではありません. さて‥‥
とりあえず私は,根笹派の曲をもう一度しっかりお浚いしてみようかとは思っているところです. その前に,木刀を引っ張り出してちょっと振り回した(素振り?)だけで腕が筋肉痛を起こして物が持てなくなったのは,いかにも情けない限りです.
人を殺すための剣と人を救うための仏道が結びつくというのは,奇妙な感じもします. しかし,どちらも命のぎりぎりのところに関わるという点で,繋がっています.
死を克服することは,仏教のみならずあらゆる宗教の大問題です. 極楽往生,復活,などなど,いろいろなことが言われてきました. けれど私は,自分が死んでしまうことをそれほど怖いとは思いません. これまでに何人もの身内や大切な人々(や猫も)を土に埋めたり火で焼いたりしてきました. 死ぬのは自然なことだと思っています. しかし,死にきるまでの苦痛(があるかもしれないこと)は嫌です. 自分の肉体的な苦痛に加えて,その時私演じるであろう醜態も恐怖です. ましてや,自分で腹を切るなんて死ぬほど痛そうですから,とても出来ません.
死ぬ一瞬の克服,という意味では,いろいろな宗教より武士道の方が有用かも知れません. しかし,そのことの基礎には,やはり宗教というものが無くてはならないのでしょう. 宮本武蔵が本当に沢庵和尚の教えを受けたのかどうかは不明としても,武蔵にかなり深い禅の素養があったことは確かなようです.
幕末の志士の山岡鉄舟は,禅の世界でも知られていて,書も有名です. 私の師である形山睡峰老師は,鉄舟会禅道場で,その第2代住職の大森曹玄老師について修行されたそうです (大森曹玄老師には「剣と禅」という著作があるようです ‥‥ 私は読んだことも無いのですが). だからか,形山老師も剣と書をよくなさいます. 私自身は,剣も書もまったく門外漢で,よくわかりませんが,剣にも書にも惹かれるものは感じています.
禅(坐禅),剣,書,そして尺八(吹禅)に共通するところの第一は,無心になることでしょう. 無心とは,ただ何も考えない・思わない・心が緩みきった状態ではなく,逆に,たった一つのことに一心に心をフル回転していることです. フル回転しているプロペラが見えないのと同じようなものだ,とは,形山老師の説明です.
たった一つのことに集中した心 ‥‥ 気,この「気」の集中する場所は,丹田です. 坐禅なら気が乱れても警策で打たれるだけで済みますが,真剣勝負でちょっとでも隙ができたらすぐさま斬られて死んでしまいます. 書の乱れは念が入って隙が出来た証拠です. (いまさら気づいたのですが,切腹で切る場所も丹田ですね.気が乱れては切腹もできません).
さて私は,真剣の斬り合いのようなフル回転の無心で尺八を吹いているのでしょうか.
‥‥! 突然ですが,当面の目標が今月31日の「アコースティック・アンサンブル・コンサート」であることを思い出しました. このステージは,武士道とは全然違う尺八です. う~ん,「非武士道」のリハビリを開始します (^^;)
禅の修行道場では食事の時,自分の分の御飯(朝はお粥)の中から御飯粒を数粒とって,餓鬼たちに施す,ということをします. これを生飯(さば)といいます. 食べ物を自分だけで食べるのではなく,地獄の餓鬼にまでも分け与えましょう,というわけです.
一人の生飯はたった数粒でも,何人分も集まればそこそこの量になります. これを,外のどこかにおいておきます. たぶん,鳥が食べます.
今年の初午の日,お稲荷さんのために赤飯を庭に供えておいたら,あっという間に鳥たちが平らげてしまいました. 今年は寒くて,餌が足りなかったのでしょうか. 何年か前,コンビニで買ってきた赤飯を庭に供えた時は,いつまでも無くならず,困った記憶があります. それとも,今年の赤飯は家で炊いたものですから,鳥にもその違いがわかったのでしょうか.
あれ以来,生飯と称して,私の御飯を少し,鳥たちに分け与えることにしました. 数粒というわけにもいかないので,一口分くらいを茶碗からとって,庭の片隅におきます. すると,最近では,待っていたように(たぶん本当に待っています)ヒヨドリがやってきて,半分くらい平らげていきます. ヒヨドリは必ず二羽で来て,交代で食べます. つがいなのでしょうね. ヒヨドリの食べ残しは,雀たちが食べます.
あまり餌をやりすぎて,餌付けになってしまってはいけないと思ってはいます. しかし,ついつい喜んでたべる鳥たちを見たくて,自分の御飯をよそう時,最初から生飯の分を余分によそってしまいます. これでは本末転倒ですね (^^;)
先日,デザートのオレンジも一切れ付けてあげました. 米粒を食べに来ないメジロに食べてもらいたかったのですが,誰が食べたかは確認できませんでした.
テアトルフォンテの「アコースティック・アンサンブル・コンサート」が終わりました(3/31). 今回は ‥‥ 悲惨な出来になってしまいました(; ;) 見苦しい言い訳はいくつかありますが,要するに力不足,と言われたらそれまでのことでしょうね. それと,まったく意気地がなかった,ということであり,これで「武士道」云々とは笑ってしまいます.
終了後,居酒屋で反省会をしましたが,私は若干やけ酒気味で,かなり飲み過ぎて,翌日(昨日)は一日ダウンしていました. これも深く反省,です.
このコンサートの出演者はかなりバラエティに富んでいて,プロに近い(セミプロ)団体もいました. 私自身は,自分の出番の他は裏方をしていてほとんど他の演奏は聞けませんでしたが,裏方としての仕事が本番前練習の部屋の係りだったので,いろいろな団体の直前練習の様子を観察できました. しっかりした演奏をするグループの練習・打ち合わせの仕方はさすがです. 勉強になりました.
さて,次の目標は‥‥. 今年の虚無僧研究会の献奏大会は,青森の弘前で開催されるそうです(10/7). 弘前と言えば,根笹派錦風流の本家本元の地です. 私が参加できるかどうかはわかりませんが,とにかく根笹派に少し力を入れようと思います.
私は今年度いっぱいで定年退職のつもりでいます. さっさと日が過ぎて一刻も早く自由の身になりたいと思う一方,この一日々々が,二度と戻って来ないたった一日なのだということにも思い至りました. そう思うと,いい加減にやり過ごすこともできなくなります ‥‥ とか言いながら,やっぱりカレンダーの進むのが楽しみではあります.
昨年の分をアーカイブに移しました.
生飯(さば)と称して,私の朝ごはんの一部を,野鳥たちにあげています. その餌場の,今朝の様子を紹介します.
ヒヨドリが椿の小枝で,お待ちかねです. ヒヨドリは椿の花も大好きで,椿の花はヒヨドリにかじられてボロボロです. 椿の花はメジロも好きですが,メジロはご飯粒を食べには来ません.
餌場(我が家の門柱の上)で,ヒヨドリ(左)とハッカチョウ(右)が鉢合わせになりました. お互いに困っているようです.
とりあえずハッカチョウが引きさがって,ヒヨドリが食べ始めました.
しかし,すぐにハッカチョウは仲間(ツガイかな)を連れて戻ってきて,餌場は占領されました. 交代で凄みをきかせています.
スズメもやってきましたが,もう食べ物はありません. スズメは残念そうですが,ハッカチョウは知らんぷりです.
動画サイト youtube に,昨年11月の演奏の様子がアップされました. youtube を開いて,「TKB52」で検索すると,見つかります. 3曲あります.
つい4日前の4月20日,私の60回目の誕生日でした. ついに60歳になりました. でもなんだか,実感は湧きません. ちょうど20歳になった日と同じです. 20歳になったら酒が飲める,煙草が吸える,とは言っても,20歳になる前から酒を飲んで煙草を吸っていましたから,とくにどうということも感じませんでした. それで,20歳になった日から禁煙をしてみました(禁煙は3ヶ月ほど続きました).
60歳到達記念に,信州の桜を見に行ってきました. 20日:高遠城址(南信州),21日:高田城址(上越,右の写真は高田城の三階櫓),22日:臥竜公園(長野・須坂)・上田城址などの桜を見ましたが,偶然にもどこもちょうど見事に満開でした. ただ,最後に行った小諸城址だけはまだ蕾でした.
その途中,善光寺にも寄りました.
善光寺はこれまでに,たぶん7回か8回は参拝しています(一度は献笛もしました).
しかし今回,ちょっと驚いたことがあります.
境内で,何組もの結婚式のカップルに遭遇しました.
門前のお店の人の話しでは,このところ仏前結婚式が急に増えてきているのだとか.
日本の文化に何か変化が起こり始めているのでしょうか.
# キリスト教会の結婚式では,天使のような出で立ちの若い(?)女性がフルートを吹いたりします.
仏前結婚式では,虚無僧が尺八を吹いて随喜する ‥‥ というのはありえないでしょうね(^^;)
動画サイト youtube に,今年3月31日に演奏した4曲がアップされました. youtube で「TKB52」で検索すると見つかります. この前の3曲(ジュ・トゥ・ヴ,ゼア・イズ・ア・シップ,スカボロー・フェア)に加えて,同じ3曲と「灰色の瞳」の,合わせて7曲がアップされています.
しかし ‥‥ 冷静に聞きなおしても,やっぱり3月の演奏は駄目でしたね; youtube のおかげで簡単に聞き比べられるので,よくわかります(^^;) とにかく事故が多発していますが,それにもまして,そもそもまずピッチが合っていません. でもまあ,この日の問題の原因は(自分としては)だいたい分かっていますから,次はもう大丈夫, ‥‥ といいたいところですが,さて?
しかし,スカボロー・フェアの尺八ソロだけは,3月バージョンのほうが良くなっているのではないかと思います. 前バージョンよりも,かなり本曲風になっています. ユリや玉音に加えて,コロコロまで使ってみました. 飾りをつけない楔吹きも,意外と有効だったと思います. お暇でしたら,ご覧下さい.
>> 3月バージョンの「スカボロー・フェア」新茶の季節になりました. 数年前までは,静岡の家内の実家(浜松・天竜)でもお茶を作っていたので,五月の連休は毎年,茶摘み帰省をしていました. 残念ながら,今はもう茶摘みはできません.
私は生まれてこのかた,ほとんど天竜の茶を飲んできました(私も天竜の生まれで,子どもの頃は我が家でもお茶を作っていました)から,天竜茶が一番美味いと思っています. それで,毎年,お世話になった方に,天竜の新茶を差し上げてきました. ところが,昨年は放射能が不安で,お茶を配るのをやめました. さて,今年はどうしようかと,とても悩ましく思っているところです.
去年の静岡の茶から出たセシウムについて,県の発表したデータがありました.
>> 昨年の静岡の茶の放射能調査結果
これによると,天竜の茶でも,かなり出ていたようです.
今年はどうなるのでしょう. 去年の一番茶の製茶では 265[Bq/Kg] もあったようです. 摘んだ茶葉を炒って製茶するのだから,当然,放射能は生葉の何倍にもなります. これをこのまま食べたら,現在の食品の規制値は超過しますが,お茶として抽出すれば 5.5[Bq/Kg] で,飲料水の現在の規制値も満たします. 二番茶で 109[Bq/Kg],秋になると 28[Bq/Kg] にまで減っていますから,抽出すれば,ほとんど検出限界以下(単純に考えれば,0.6[Bq/Kg])くらいだったのだろうと思います. 今年の新茶は,去年の秋からさらに半年経っていますから,もっと減っていると思います. だから,お茶として飲むのにはまったく問題は無いはずです. 原発事故がなくても,これまで自然界から普通に被曝していたのと変わらない程度だと思います.
しかし,それでも,やっぱり気持ちが良くないのも確かです. 放射能は,大腸菌O-157とか,残留農薬とか,そんなものとはまったく違い,そもそも,危険とはどういうことか/安全とはどういうことかということからして,理解・納得しにくいですからね. 先方の気持を思うと,やはり躊躇を感じてしまいます.
相模新西国三十三観音霊場は,前から気にはなっていました. 坂東・西国・秩父の日本百観音が満願して以来,さっぱりお寺巡りをしなくなっていましたので,何もしないまま過ぎつつあった連休前半の最後の,今日,急きょ思い立って,相模観音札所に出かけることにしました.
JR二宮駅から歩いて,1番~8番札所を回りました. しかし,2番と4番はついに見つからず,8番の普門寺はバス停の名前にもなっているのに廃寺のようで,まったく荒れ果てた廃屋があるだけでした. 残念ながら,相模は坂東や西国の霊場のようなわけにはいきません. 9番も見つからないかも知れないと思ったら急に疲れて来て,今日は打ち止め! ということで,普門寺入り口のバス停からバスに乗って帰りました. 距離にして10キロちょっと程度でしょうか,歩数計では18000歩でした.
御朱印をいただけるかどうかも不明でしたから,今回は納経帳は用意しませんでした. とりあえず,見つかった札所では,献笛だけはしてきました. ただし,本堂(あるいは観音堂)には入れそうになかったので,誦経も献笛も本堂の前で済ませました.
本日発売の邦楽ジャーナル5月号の「アマチュアばんざい」というコーナーに,私が出てしまいました. 「古典本曲から『TKB52』まで」という見出しです(^^;) 3月中旬に法身寺で受けたインタビューでは,取り留めのないことをしゃべりまくりましたが,嘘ではない程度に,よくまとめて下さったものです. それにしても,気恥しい限りではあります(^^;;) ネクタイした上から袈裟なんか着けなければよかった ‥‥ .
私にとって現役最後のゴールデンウィークでしたが,とくに何もせずに過ぎてしまいました. 強いていえば,カラオケに行ってみたことくらいです. と言っても,公共施設(横浜の地区センター)のカラオケです. いまだに普通のカラオケに自力で行くのは未体験です(そういう人は珍しいでしょうね). しかも,カラオケで歌を歌ったわけではなく,尺八の練習です. カラオケをかけて尺八を吹きながら録音して,それを何度も聞き直して,反省しているところです.
以下のような曲を練習しました. 他にも何曲かやりましたが,録音したのがこれだけ,ということです. ほとんど懐かしの昭和歌謡という感じです(私がリアルタイムで知っていた曲,ということではありません).
まず,キーを探す(かつ,手付けを選ぶ)のがちょっと面倒でした. DAMのカラオケには,絶対的なキーの情報は表示されていません(そんなカラオケ,そもそもあるのでしょうか). 分かるのは,何半音上げる/下げるかで原曲のキーになる,ということだけです. 原曲のキーがわからないのですから,これでは何の意味もありません. カラオケで楽器を演奏しようとする人は,一体どうやって対処しているのでしょうか. 因みに,上記の曲についてはキーを控えておきましたから,今後は8寸管だろうがその他のどんな長さの尺八でも,一発でキーを合わせられます.
さて,聞きなおして反省して気づいたことなどを,上げておきます. とにかく,こういう曲を吹くのに大事なことは,ピッチとリズムを正確にコントロールする,ということです.
ピッチが合っていないと,実に不快で,まったく下手くそでに聞こえます. (ピッチは,音の絶対的な高さであって,他の音の高さとの隔たりの意味の「音程」とは違います. ピッチの意味で音程という言葉を使う人が多い ― 専門家でさえ ― ですが,それは誤用ですから,私はピッチと音程を使い分けます. なお,ピッチ・バランスという言葉もありますが,これはこれでまた別).
本曲のように,独奏をする場合は,ピッチは問題になりません. 本曲の場合は,あくまでも音程が重要です. 他の音に対する音高の差をしっかり表現する必要があります. それができないと,旋律が壊れてしまいます. 風情が台無しです.
しかし,合奏では,他の楽器が同時に出す音と同じ音高を出す必要があります. これはなかなか難しいことで,かなり訓練の必要なことだと思います. 大昔,吹奏楽をやっていたころ(って45年も前の話しです),私の属するフルートのパートがいつも怒られていたのが,このことです. フルートもピッチは不安定ですが,尺八はフルートの比ではありません. 何と言ったって,同じ指遣いのメリカリだけで,2半音低い音から1半音高い音まで,なんと短3度も変えてしまえるわけですから.
尺八でピッチを完全に合わせるのは大変です. しかし,尺八には,ユリ(ビブラート)という技があります. これをうまく使うと,ピッチのずれ(あるいはピッチ・バランスの悪さ)を補う(誤魔化す)だけでなく,なかなか心地よく,そして上手に聞こえてきます. ただし,ひっきりなしに顎をブルブルやっていたのでは,駄目です. ユリを始めるタイミングを計るのが大切です.
もう一つ,リズムの問題. どうしても最初の音の発音が遅れ気味になってしまいます(私は). 本曲ではそれはたいした問題にはなりません. しかし,リズムのある曲ではそうはいきません. 特にフレーズの頭の発音が問題です.
フレーズの頭を奇麗に,かつタイミングに遅れないように出す方法を考えました. 少しカリのような態勢から,息を「フワッ」と入れながらメって,音が出るころには普通の高さになる,というような気持ちで音を出します. カリの態勢~メっていく過程まではリズムの頭の前の準備段階,と思い,鳴りはじめる音の頭がリズムの頭に来るようにします. 息の「フワッ」の「フ」は準備段階,「ワ」のところで腹にぐっと力を入れ,「ッ」で腹筋を一瞬で収縮させます. タンギングや唇の閉開(プッとやるやつ)では,アンブシャが潰れて,出したい瞬間にうまく出なかったします.
フレーズの頭は,音が出ていないところから音のある状態にするのですから大変ですが,フレーズの途中の音を出すのはそんなに大変ではありません. フレーズの途中の音は,前の音と異なる音の場合は指遣いを変えるだけですから,鳴らないこともあまり無いし,発音のタイミングもそんなにずれることはありません. ただし,同じ音が連続する場合は,前の音を指で切る(押し)かフルートのようにタンギングすることになりますが,もし続けてしまっても音楽的に変でなかったら,音は切らないほうが安全です.
ところで,本曲ではツのメリは重要な音で,メリの音色が重要ですが,歌謡曲のツのメリはそうでもありません. 歌謡曲に多い短長四七抜き(La Si Do Mi Fa La)の,La をレにした時の Fa がツのメリになるわけですが,いっそロ(ハ5)のカリの方が良いことが多いようです. この場合 Do はリのメリになりますが,乙はさておき甲の場合は,私は迷わずヒのメリではなく ウ三 を使います(もちろん,カリながら). ロ(ハ五)のカリにしろウ三にしろ,カッてかすれた音色になるのが,なかなかいい感じです. カッて作っている音は,ユリもかけやすく,本曲にはない魅力が出せそうです.
尺八の中継ぎに塗るジョイント・グリス. あまり塗り過ぎない方がいいかも知れませんが,抜き差しがかたすぎるのもよくありません. いつも少しだけは塗っておくのが良いと思います.
さてそのジョイント・グリスですが,多くの尺八家はポマードを使っているようです. ポマードでも尺八にとってはとくに問題はないでしょう. しかしあれは,臭くてたまりません. いつだったかの献奏会で,本堂が突然ポマード臭くなって閉口したことがありました. 私の献奏中のことです. ずいぶんとすごいポマード頭の人が入って来たのだろうと思いましたが,吹き終わって見回しても,それらしき人はいません. そうではなくて,何本もの尺八を持った人が入って来たのでした. その尺八たちが臭いのでした.
ジョイント・グリスを買いに行きました. ヤマハの楽器売り場で,プラスティックのリコーダー用のジョイントグリスが 158円,和楽器店で尺八用のジョイント・グリスが 210円でした. 尺八用の方がリコーダー用より3割ほど大きいようなので,値段的にはどちらも変わらない,ということでしょう. 両方買ってきました.
街の楽器店が随分と少なくなっています. 昔は,あちこちに楽器店がありました. この頃はギターの弦を買うのにも一苦労です. まして,リコーダーのジョイント・グリスを売っているような店はなかなか無く,結局,大規模なヤマハの楽器売り場に行かねばなりませんでした. 楽器店が減っているのは気付いていましたが,書店も随分減っているようで,かつて(30年ほど昔)よく寄っていた書店の規模が半分ほどになっているのにも驚きました. CDショップも減っていますね. かつては,和楽器店は当然,書店でもCDショップでも「邦楽ジャーナル」を見かけたような気がしますが,今はどこにもありません.
過酷 (^^;) な2週間が終わりました.
先週は1週間,グランドで立ちっぱなし. 学生のフォークリフトの実技の講習の手伝いです. フォークリフトなんて触ったこともない(見たこともなかった)私が,なんでこんなことをしているんだろう,と,最初(今年で5年目です)は随分と嫌な気持ちがしたものです. 職業の貴賎を言うわけではありません;しかし人には適・不適というものがあるはずです. でも,気持ちを切り替えてみると,まあ,これはこれで(終わってみれば,ですが)いい経験にもなりました. ほとんど,修行のようなものです. 1週間,托鉢行をしたようなものでしょうか. 網代笠か天蓋の代わりにヘルメットを被り,草鞋か地下足袋の代わりに安全靴を履き ‥‥ . 今年は,初日から脚絆(本物の)をしっかりしてみました. やはり脚絆は効果があるようで,例年より足の疲れが少し軽いような気がします.
今週1週間は,丸ごとワープロ(WORD)でした. 「私の専門はコンピュータ」と言えば,普通はたいてい「ああワードやエクセルね」と思われるわけなので,今週は私の本来の仕事だと言えないこともないけれど,しかし,でも,こんなはずではなかったんですが ‥‥. 今週1週間は,ずっと写経をしていたような疲れ具合です.
この過酷な2週間は,二度と再び私が経験することはないはずです. 数えてみたら,私の所定労働日数の残りは,ちょうど200日です. 年休がありますから,実際に出勤するのはあと180回もないでしょう. そう考えると,たとえどんな一日でも大切にしなければいけないな,とも思っています. でも,それがなかなか,「日日是好日」とはいきません. 修行が足りません.
横浜市瀬谷区の地区センターでは,ロビーコンサートという催しをしているそうです. 地区センターと同じ建物に老人福祉センター「瀬谷和楽荘」もあり,この催しは両者の共同企画だそうです. もちろん無料で,来場者が気軽に参加できる,ロビーでのコンサートとのこと.
7月21日(土)のロビーコンサート,我々(尺八&ギター・デュオ TKB52)にお声が掛かりました. 3月のアコースティック・アンサンブル・コンサートに出演したことのご縁です. 我々は,13:00~13:30 の出演予定ですが,前半の 12:30から13:00 は,ご夫婦のギター・デュオ「アコソロジー」です. 我々に声が掛かったのも,アコソロジーさんのおかげです.
さて,問題は演奏曲目で,レパートリーがいまだに少ない我々は,頭を抱えています. ご高齢の聴衆も多いかも知れない,ということで,懐かしい昭和歌謡も入れて,下記のようなプログラムを考えています. 半分はこの前の3月にやったのと同じです. しかしまあ,それにしても,無節操な選曲ですね(^^;)
これだけでも無節操な上に,ギターと尺八と,各々のソロもやろうと思います. 尺八ソロはもちろん本曲(根笹派がいいかな)のつもりで,ギターはカントリー・ブルース(Pig Meat Strut とか)です. 先日の練習の時に,このギターと尺八のソロを続けてやったらお客さんは一体どんな反応をするのだろうと思うと可笑しくなって,ふきだしてしまう(^^;)ところでした. 快くインパクトを感じて下されば良いのですが,呆れて帰ってしまわれないかと,心配にもなりますね.
先週から我が家に猫が居候しています. 飼い主のアパートの工事の終わるまで,とのことで,再来週には引き揚げるはずです. 猫はうるさくまとわりついてくるし,可愛くてつい相手をしていると,自宅では尺八の練習をする時間がなくなってしまいました. 瀬谷地区センターの「ロビーコンサート」本番まであと10日というのに,困ったものです. 猫はそんなことも知らず,喉をゴロゴロ鳴らしながら,ゴロゴロと転がりまわっています.
でも実は,猫より困ったことがあります. 私の喉の痛みが,酷くなってきたことです. 尺八吹奏中にも,たまに咳き込んでしまうようになりました.
この駄文の記録によれば,昨年暮れころから喉が痛かった,と書いてあります(1月19日の項). その時は風邪,と思ったのですが,もはやこれは風邪ではありません. 思い返せば,これはもう,何年も前から,冬に,とくに空調の効いたホテルなどに泊まると,感じていた症状です. 濡れマスクをしたり,のど飴をなめたりして,凌いできたのでした. それが悪化してきた,ということのようです.
ふと,もしかして尺八で息を使うのがいけないのではないか,と心配になっています. 特に,根笹派のコミ吹きは,激しく息を使います. 10日ほど前,公共の施設を借りて,連続三日間,毎日きっちり3時間の音出し特訓をしました. 喉が悪化したのは,どうもその後だったような気がします. (なお,特訓の成果はほとんどありませんでした .... 残念).
1999年の暮れ(私が尺八を習い始めてちょうど1年のころ)の寒い日の夜,ストリートで尺八を吹きまくったことがあります. この時も呼吸器が痛くなって心配したのでした. その時の私の記録 ( >>夜の尺八行脚日記) には「呼吸器を患って尺八をやめたという人の話をいくつか聞いた」とあります. それが具体的にどんな話しだったのか記憶にありませんが,無茶はいけない,ということだけは確かでしょう.
ところで,現在我が家に居候中の件の猫ですが,里親を探しているそうです. 躾がイマイチですが,性格の良い雌猫で,まだ1歳未満の仔猫です. どなたか,飼ってやって下さる方がいらっしゃれば,お知らせ下さい.
7月21日(土)のロビーコンサート(横浜市瀬谷区の瀬谷地区センター),無事演奏が終わりました. 演奏曲目は,下記の通りです. このうち,最後の2曲は盛大な(^^;)アンコールに応えて演奏したものです.
ここの地区センターには,老人福祉施設が併設されているとのことだったので,高齢の聴衆を想定して,古い曲を入れてみました. それに加えて,歌詞カードを用意したのが大正解だったようで,歌ってもらうことを想定していなかった曲(「スカボロ―フェア」だの「灰色の瞳」だの)でも,会場から歌声が漏れてくるほどでした. 「影を慕いて」あたりからは,もうほとんど「歌声喫茶」の雰囲気. 「東京ラプソディー」では手拍子付きの大合唱となりました. その勢いで,盛大なアンコールに突入しました. 狙い通りの結果です :)
60~70代くらいの方も多く,かつての歌声喫茶の世代なのでしょう. 「老人福祉施設」から連想したような聴衆ではありませんでした. 声はしっかり出て,音程は正確で,声質もよく,どっちが演奏者かわからないような歌声でした. 実はこの日の午前中,つまり我々のコンサート開始の30分前まで,合唱のサークル,カラオケのサークル,リコーダーのサークルなどの練習があったのだそうです. その参加者たちの多くがこのコンサートに来て下さったようです. それで納得です. 我々の準備中に漏れ聞こえてきていた合唱サークルの歌声は,かなりなレベルにあるように感じました.
一曲だけは本曲を,ということで,「調・下り葉」を吹きました. 他の曲は洋装で演奏しましたが,この曲だけは虚無僧の格好でやるつもりでいました. とは言っても,曲の間に着替えは無理なので,洋装の上に黒っぽい大きめの作務衣を着て,袈裟・偈箱・天蓋を着けることにしました. ところが,ついうっかり,朝,作務衣を持って出るのを忘れてしまいました. 会場の控室で準備を始めてから気付いて,大慌てでした. しかたがないので,洋装の上に袈裟と数珠を掛けて(偈箱はやめて)天蓋をかぶる,という,どうにも不様なこれ以上ないほどのインチキな虚無僧になりました. その姿で,会場を流しながら吹きました. 思い返せば,頬から火が出るほど恥ずかしくなりますが,聴衆の反応は,そんなに悪くはないようでした(要するに異様で,インパクトだけは充分あった,ということでしょう). しかし,演奏ではひどい間違いをしましたが,まあ,誰にもわからなかったでしょう.
なお,聴衆はたぶん70名かそれ以上くらいになったのではないかと思います. 50部用意した歌詞カードでしたが,足りず,二人で1枚をお願いしました. 会場で用意された椅子も足りず,追加の椅子が来ましたがそれでも足りませんでした. 会場が聴衆でぎっしりでしたので,虚無僧が歩きまわるのは,ちょっと大変でした.
注)後ほど,主催者からの報告をいただきました. なんと,110人だったそうです. ここのイベントとしては,ダントツの客入りだったそうです. (7/24 追記)
楽しく,かつ有意義な経験をさせていただきました.
8月になりました. 毎日,暑いですね. ビールが美味くってしかたがありません. 毎晩々々,自宅のベランダに出ては,蚊と戦いながら,ビールを飲んでいます.
毎日々々,夜になっても暑い日が続いていますが,でも,我が家では今年もまだクーラーはほとんど使っていません (ただし,扇風機は使っています). いろいろ暑さ対策はしています. 窓には簾の他に,ブドウ,キュウリ,ゴーヤの蔓. 昼間は雨戸を閉めます. 夕方は家の周りに打ち水. 寝るにあたって,布団には藺草のゴザ. もちろん,水(ビールではなくて^^;)はしっかりと飲んでいます.
テレビやラジオ(我が家では最近,テレビよりラジオです)では,盛んに「暑い時にはクーラーを使いましょう」と言っています. 実際,東電管内の電力使用量は,まだまだ 90% 程度ですから,クーラーを使っても大丈夫です. しかし,もしもこれが100%に近づいて,停電でも起これば,原発の再稼働の絶好の口実になるでしょう. まさか,そのためにクーラー使えって言ってるわけではないでしょうね.
人間は,気温30度くらいなら,全然大丈夫です(と思います). そう簡単に熱中症になって死んだりしません(と思います). ただし,身体が暑さに慣れていて,水分補給などはしっかりして,直射日光に晒されたりしなければ,ということです. 昔の人は,クーラーなんか使わずに,ちゃんと生きてきました. たしかに近年の気象は異常であるにしても,昔の生活・昔の智恵を思い出せば,ここまで大騒ぎをすることもないでしょう. 異常気象に加えて,異常生活なんじゃないでしょうか.
90歳を超えた母はマンションで一人暮らしをしています. 先日の30何度とかいう暑い日に,倒れていやしないかと心配になって様子を見にいったら,閉め切った部屋でクーラーをかけて,ピンピンしていました. ただし,そのクーラーの設定温度は 31度でした (31度以上には設定できないから,31度なのだそうです). 31度の部屋で,お茶をチビチビ飲みながら,団扇を片手に,新聞を読んで,平然としていました. 90歳を超えた年寄りでも,31度の気温で平気なことが実証されました(^^;)
しかし,気温が35度を超すような時は,それこそクーラーを本気で使いましょう. もちろん,そのままでは電力が足りなくなるかも知れません. しかし,そんな暑い時は,非常時なんですから,「クーラー以外の電力」こそ使用をやめたらどうでしょう. 大電力を使う工場は夏休みにしましょう. 事務所の照明だって馬鹿にならない電力を使います. 事務所も夏休み. 休みになった人はどこに行くのでしょうか. 電気仕掛けで動く,馬鹿げたレジャー施設も休業にしちゃいましょう. ついでに,無駄なテレビ放送もインターネットも,みんな止めちゃえば,そうとう電力消費は減ると思いますが (インターネットそのものというより,インターネットを使っているパソコンが電気を使います).
どうでしょう.
今年も電気・ガス・情報のない生活をしてきました. ただし,諸般の事情で,今年はちょっと短めの,8月4日~7日の4日間だけでした. しかも,予定したイベントと予定外のことがあって,尺八の練習はほとんど出来ませんでした(残念).
ガスも電気もないので,煮炊きは七輪,と言いたいところですが,今回はカセット・コンロに頼ってしまいました. コンロは一つだけですが,煮物や炒めものは先にしておき,ご飯を炊いて,ご飯を蒸かしている間に味噌汁を作れば,ちょうどいい時間配分になります. トマトやキュウリはそのまま生で食べますから,そもそも煮炊きは要りません.
ガスも電気もありませんが,水と畑だけはあります. 米と味噌などは持って行きましたが,他にはほとんど何も買わずに過ごしました. 朝飯前に畑に行って,キュウリやトマトを採ってきて,味噌汁が出来てからネギを採って来る. 電気がなくて冷蔵庫はありませんから,買って来たもの(豆腐とかビールとか)は,すぐに消費しなくてはなりません. 畑から抜いてきたばかりの葉生姜に味噌を付けたら,もう,最高のビールのつまみです.
出た生ゴミは,すべて畑に埋めました. やがて肥料になって次の野菜になります. その他のゴミは持ち帰りましたが,とは言ってもビールの缶が何本か,豆腐のパッケージがいくつかの他,ゴミらしいゴミはほとんどありませんでした.
電気はありませんから,クーラーも扇風機もありません. もちろん暑いですよ; 30何度もあるわけですから. それでも風があれば涼しく感じるし,いよいよとなったら,水風呂に潜りました. 炎天下に外に出る時は,濡らした手拭(タオル)を頭に巻いておくのが,かなり効果的でした. 濡らした手拭は,屋内でも巻いたままにしていると,なかなか良い気持ちです.
電気はありませんから,暗くなったら寝ます. とは言っても,月明かり(満月を三四日過ぎたところでしたから)が充分な明るさでした. それでも乾電池と手回し発電のライトは用意しましたが,今年は蠟燭はやめました(火事を心配して).
テレビもラジオも無し. 当然ネットにもつながらないから,情報は何も入りません. 政局もオリンピックも,その日の天気予報すら関係無しです. 雨が降れば洗濯ものを取り込む,吹き降りになったら戸を閉める,暑ければ暑い,それだけのことです. 去年はすぐ近くで大惨事(天龍川下りの転覆事故)がありましたが,今年は何もなかったようです.
二日目,8月5日は,朝4時起き(さすがに未だ暗い)で,1時間以上も車を飛ばして,坐禅会に行ってきました. 遠州森町の山深く,栄泉寺という曹洞宗のお寺の坐禅会です. もう何年か前から一度行きたいと思いつつ,なかなか行けませんでしたが,やっと叶いました. 坐禅の後に8月だけは粥座があり,お粥をいただきました. その後,本堂で尺八を吹かせていただきました. 傍で,ご住職や坐禅参加者の皆さんも聞いて下さいました. 歴史(家康公とも関係のある)と趣のある,よい雰囲気のお寺で,庭もよく出来ています. 私と同じ齢のご住職はとても熱心な,良い方でした. 在家のご出身で,今年晋山式をすまされたばかりだとか. 来年もぜひ参加させていただきたいものだと思っています.
行き帰りには,新東名を使いました. しかし,私の行き先が新東名のインターからとても近い(要するに田舎)から便利だというだけで,そうでなければ特に新東名を使うメリットは,どうなんでしょうか. 2車線しかないところが多いし,特に走りやすいとも感じなかったし ‥‥
ちょっと買いたいものがあって,ヤマハの横浜店に行きました. 目的は1Fの楽器売り場でしたが,あっちにしようかこっちにしようか決めかねて,2Fの楽譜・楽書売り場に行ってみました. あっちこっちとうろうろしていたら,若い男女二人が目にとまりました.
男が楽譜を開いている傍で,女が携帯を操作している. 近寄ってみると,楽譜を写している. 私がすぐ隣りに立ったら一瞬動きを止めたものの,すぐに平気で続きを撮ります. 意を決して「それ,犯罪行為じゃないの!?」と声を掛けてみました. すると,男の口から出た言葉は「本屋で本を写したって犯罪じゃないらしいよ」でした. そして,一向に止める様子はありません.
レジの店員に急いで通報しましたが,店員(品のよさそうな女性)は「ありがとうございます」と言ったまま,ゆっくりと接客を続けています. しばらくして彼女は店内を見回りに来ましたが,件の二人の方には近づこうとしません. 私が二人を指さして「この人たちですよ」と言ったら,しぶしぶ近づいてきましたが,男が「楽譜の作曲者のところをメモしているだけですよ」と言ったら「そうですか」と言って引き下がってしまいました. けったくそ悪くなって,私は何も買わず(だから,用事が済ませられませんでした),そのまま店を出てしまいました.
じつは,横浜店に行く前に,移動経路だったので,ヤマハの渋谷店に行ったのです. 渋谷が通勤ルートであったころは,しばしばこの店には寄っていました. 必要な物はたいてい揃いました(たまに,思わぬものにも遭遇して,ずいぶんいろいろな物を買ってしまいました). しかしそれは,30年くらいも前のことです.
渋谷店のビルの前に立つと,!?,店が無い. ビルの警備員さんに聞くと,2・3年前に閉店し,3Fにスタジオだけが残っている,とのこと. 私と同世代くらいの警備員さんは,「移転ではなくて閉店ですよ」を何度も繰り返していました. もしかしたら彼,たまたまヤマハのあるビルに配属されて,いつでも楽器や楽譜が物色と喜んで来たのに,来てみてがっかり,だったのかも知れません.
こういう店が無くなってしまっては,楽器や楽譜は一体どこで買ったらいいんだ? と思ったのですが,そう,ネットですね. おまけに,楽譜はカメラにメモすればお金はかからないし. そりゃあ,楽器店が潰れるわけですね.
私も昔(学生時代),ずいぶんと立ち読みはしました. 立ち読みで得た知識は馬鹿になりません. お金を出して買った本は,買っただけで安心してしまって,結局読まなかったりします. 楽譜の立ち読みもしました. 楽譜集を一冊買っても,欲しい曲は一曲しかなかったりします. それで,何度か楽譜売り場に通っては立ち読みをして,覚えたところを五線譜に書いて,それで済ませたこともあります. 立ち読みにはかなり罪悪感がありましたが,本屋の店主と仲が良くなって,どうせ買わない(買えない)だろうに新刊をわざわざ紹介してくれたりしたものです. 大らかな時代であったとは思います. 大らかな時代でしたが,それで本屋(本屋には楽譜もありました)が潰れるとは,全然思ってもいませんでした.
件の,ヤマハの店で買い損ねたものは,ネットで注文することにします. お店で実物をいくつか見てきましたから. しかし現代の人たちが,なんで実物を見ないで最初からネットなんかで注文できるのか,私にはわかりません.
初めて,自力で yutube に動画をアップしました. 休日の,まる一日をかけてしまいました. そのせいか,まるで目の前に玉ネギがあるような痛さと涙で,困っています(; ;) でもこれで様子がわかったので,これからいろいろアップしてみようと思います.
アップしたのは,とりあえず,先月の瀬谷センターでのロビーコンサートの様子です. youtube に入って,「TKB52 瀬谷センター」などと検索すれば見つかります. どれかのページを開くと,左上に「tb92or」というボタンがありますから,それをクリックすると,私のアップした動画の一覧が出てきます.
以下,アップした TKB52 の曲の一覧です.
ずいぶんとこのページの更新をさぼっていました. いいかげんにして欲しいと思うほどの残暑が,彼岸とともに消えて,一挙に半袖では寒いような季節になりました. 四季の豊かであったはずの日本の気候が,どんどん烈しくなっているような感じがします. また今年も,単衣の和服を着るチャンスを失ってしまいそうです.
さて,自力でYouTubeに動画をアップすることを覚えたので,手あたり次第,アップしています. 動画のない,30年以上も前のフォルクローレの録音まで,アップしてしまいました.
いろいろアップして,気づいた事は,尺八の古典本曲の再生される回数が意外と多いことです. 私の編曲した「霧海じ」の合奏は,一日平均3回程度の再生があり,しかも日本だけではなく台湾やアメリカのほか,何ヶ国かの人が再生してくれているようです. 独奏を善養寺惠介師が担当しているから,というようなわけだけでも無さそうです. 我々の尺八吹き合せ会の練習を録音して,昨夜アップしたばかり(しかも動画は無し)の「紫鈴法」が,すでに10回,再生されています. それに対して,先月アップしたTKB52の中で比較的再生回数の多い「影を慕いて」でも,40日で30回程度の再生ですし,フォルクローレはわずか数回しか再生されていません.
この違いは一体,なんなのでしょう. やはり,古典本曲・虚無僧尺八というものが,世界から(の一部から ^^;)注目されているということなのでしょうね. アップしたとたん,すぐに見つけて再生してくれるようです;しかも少なからず海外からも.
先日は,自宅の近くの下永谷神明社の奉納演芸大会に,TKB52とその家族および隣人で参加し,こんな曲を演奏しました.
津軽の弘前に行ってきました. 虚無僧研究会の第31回虚無僧追善供養尺八献奏大会が,弘前の誓願寺というお寺でありました. 誓願寺は浄土宗のお寺で,弘前城のお濠から西へ 300m 位の所にあります. 何年か前の春に桜を見に行きましたから,弘前城はこれで2度目です.
私は根笹派錦風流「三谷清攬(さんやせいらん)」という曲を献奏しました. 根笹派錦風流は,もともと津軽藩の武士の間で伝承されたもので,弘前は,だから当流の本拠地です. そしてこの誓願寺は,当流の中興の祖,伴勇蔵の菩提寺です. 大変なところで大変な曲を吹いてしまいました.
献奏会は盛況で,全39曲. 朝10時から始まり,特別演奏の薩摩琵琶が終わったのは,夕方5時になっていました. 終了後はお寺の本堂をお借りして,大懇親会でした. 懇親会終了後は,鍛治町でさらにちょっと一杯,となりました. 鍛治町の居酒屋で食べた豆腐のものすごい美味しさには,びっくりしました.
ところで帰りの新幹線は,あたりまえですが,前もって座席指定を取ってありました. ところが帰る日の朝,なにかトラブルがあったらしく,私が乗るはずだった列車は運休にされてしまいました. 結局,立ち席で帰るしかなくなりました. 弁当を食べ,酒を飲みながら帰る予定が,とんでもない当て外れになりました. もちろんトラブルは仕方がないし,運休もしかたがないかも知れない. けれども,腹が立ったのは,車内のアナウンスです. 「デッキや通路が込み合って,ご迷惑をかけて申し訳ありません」ということを繰り返し言っていました. なんだか,立っている我々が邪魔みたいな言い方じゃないですか. ちゃんと指定を買っていたのにそれをホゴにされて,立たされている身にもなってみろ,という気がしました. 立っている我々に対する言葉は,ついに一度もありませんでした. それと,列車が予定よりも少し遅れたようです. そのことも盛んに謝罪のアナウンスがありましたが,我々はそもそも乗るはずだった列車がなくなって,まったく予定が狂っているわけです. そのことについては,やはり一言もありませんでした. 良い旅であったのに,最後にムカついてしまったのは,残念です.
陸奥新報という新聞に 虚無僧が尺八を献奏/弘前で追善供養大会 という記事が出ました.
このページはそもそも,サイトの更新情報を載せるものでした. ところがほとんどは,私のたわごとばかりになっていました.
「献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました. (22)修禅寺奥の院・正覚院(伊豆・修善寺・桂谷,曹洞宗)と,(23)智積院(京都,真言宗智山派総本山)です.
先日の,弘前で行われた虚無僧研究会の献奏会の録音ですが,当日の録音はとても聞けるようなものではありません. 失敗して聞かれたくないような演奏でもありますが,録音状態が最悪でした.
そのかわり,練習の時の録音をYouTubeに上げてみました.
一つは,ちょっと遅めの演奏で,8分半ほどもかかっています(動画はありません).
http://youtu.be/XxNe4uel_sI
もう一つはやや早めの演奏で,8分弱です(動画はありませんが,ちょっとだけ写真を載せました.最後の桜は何年か前のものです).
http://youtu.be/kWtucdBWQOw
しかし,本番ではこれよりももっと速い,7分半にも満たないほどの演奏になってしまいました.
上がっていたからですが,速かったのはしかし,怪我の功名で,かえってよかったような気がします.
速い方が,津軽の根笹派の感じが出るような気がします.
10月28日(日),横浜市戸塚区の東戸塚地区センターで行われる「地区センターまつり」で,我々の吹合せ会が演奏します. 普大寺伝「調子」,明暗寺伝「紫鈴法」,龍源伝「瀧落」の3曲です. 場所は体育室,時間は 11:30~11:55 の予定です. たぶん聴衆はごくわずかではないかと想像しています(^^;) 多数おいでいただけたら幸甚です.
10/28(日)の東戸塚地区センターまつりは,無事に終わりました. 演奏の出来は,なかなか良かったのではないかと思います. 会場が予想に反して響きがよく,気持ちよく演奏できました. 普通の邦楽用のホールよりも,ずっといい感じでした.
会場で録音したものを YouTube にアップしました.
朝から天気もあまり良くなかったのでお客さんは全然いないかと思いましたが,ガラガラという感じではありませんでした. ただし,我々の演奏を本気で聞いている人がどれだけいたかというと,それは??です. 多くは,次の演目に出演する子供たちの親たちだったのでしょうね. 録音にもおしゃべりの声 (^^;) がいっぱい入っています. おまけに,瀧落の途中には会場のチャイム (^^;) も入っています.
11月には一度もこのページの更新をしないまま,もう12月になってしまいました. 時の流れというやつは,どうやら,とてつもなく速くなったり,また途方もなく遅くなったりするようです. 時の流れの速さに驚く一方で,3月31日を首を長くして待ってもいるところです.
昨日,横浜の石橋楽器に,尺八ケースを買いにいきました. いや,もちろんエレキ楽器専門の石橋楽器に「尺八ケース」なんてあるわけはありません. エレキギターのソフトケースを買おうと思って行ったのでした.
今まで,ビオラケースを改造して尺八ケースにしていましたが,A♭(2尺5寸5分)の延べ管までは入るのですが,G(2尺7寸)の延べ管が,あと僅かで入りません. G管まで入れるには,ギターケースが最適だろうと考えました. 手元にあるクラシックギターのハードケースにはうまく収まりますが,ちょっと大袈裟すぎる. そこで思いついたのが,エレキギターのソフトケース,というわけです. 3000円もしないので,値段も手ごろです.
ところが,パーカッションのコーナーで,あまりにもお誂え向きなケースを発見しました. Pearlのパーカッションのスタンドのケースのようです. 長さが90㎝あり,まさしく延べのG管にぴったりのケースです. 値段も3000円しません. これを買いました.
なかなか良い具合です. 私の使っているG(2尺7寸)管~E(1尺6寸)管の7本がちょうど,収まりました.
ただ難点もあります. 一つは,片方の肩にしかかけられないので,やっぱりリュックのように背負えるギターケースは魅力です. もう一つは,見ただけでは楽器が入っているようには見えません. たとえPearlというメーカを知っていて,楽器だと思ってくれたとしても,パーカッション・スタンドでは,どんな扱いを受けるやら. おまけに,ギターケースなら楽譜を折りたたまずに入れられるのに,これではそうはいきません.
やっぱりギターケースの方が良かったかな,と悩んでいるところです. え~い,もう一つ,ギターケースも買っちゃおうか (^^;)
「献笛放題あっちこっち」に新しい記事を追加しました. 今回でこの連載は終了としました. お付き合いありがとうございました.
本文にも書きましたが,さっぱりお寺で献笛することが減ってしまっています. 日本百観音の札所巡りが終わったからですが,今度の4月から仕事から自由になり,いくらでも時間がとれるようになるはずです. もう一度札所巡りを,今度はもう少し歩きも入れて,始めたいものだと思ってはいますが ‥‥
仏様に向って心をこめて尺八を吹く ‥‥ これがやはり私にとって本曲の原点です.私の歯が悪い事は,ここにも何度か書いたと思います. 学生時代から,虫歯と歯槽膿漏にはずっと悩まされ,ずいぶん多くの歯を失いました. 10年前に最初の1本,そして5年前までに合計7本ほどのインプラントをしています. インプラントにしたら歯の不自由が嘘のように無くなって,人生が変わってしまったような気がしています.
ところが先日,インプラントではない残っていた自分の歯(前歯)の一部が,欠けてしまいました. 虫歯でボロボロになっていたところです. 痛みはないので,近くで良い歯医者さんを探すべく,まだそのままにしています.
以前に前歯が無くなった(インプラントの上物が外れた)時は,尺八の吹奏に少し影響がありました. アンブシャ(息の吹き出し口)のほぼ真下の歯でした. 私のアンブシャは中央より少し左に偏った位置に作っていますが,今回の欠けたのは右側の前歯だからか,尺八吹奏には影響はありません.
それで気づいたのですが,尺八を吹くのに実は歯が絶対必要ということではないのではないでしょうか. 「歯科治療のせいで尺八の音が悪くなった」というような書き込みをたまに見かけますが,アンブシャは唇(の一部)で作るものですから,そんなことはないのではないでしょうか. 以前にインプラントの上物が外れて吹きにくくなった時も,音そのものは出せましたから,舌の当たった感じとか,そういう感覚的な問題だったような気がします (因みに,尺八では原則としてタンギングはしません). まして,奥歯は全然関係ありません. 私は,インプラント治療の途中で両側の奥歯が無い時,義歯を忘れたまま演奏会に行き,両側の奥歯がそっくりないまま本番をこなしました. 演奏には支障はありませんでしたが,打ち上げで何も噛めずないのには困りました.
「歯が駄目だから,もう尺八は吹けない」と思っている方がいらっしゃるなら,「絶対そんなことはない」と言ってあげたいと思います. 入れ歯は咀嚼には困難を生じるかも知れませんが,尺八の吹奏には問題ないでしょう.
今日は総選挙,開票はまだですから,結果はどうかわかりません. 結果は気になりますが,新しい政党があれだけたくさん出来たというのに,ワクワクする気持ちが起きないのは残念なことです.
さて今年も残り2週間ほどになりました. 年内はなかなか忙しいことになっています. と言っても,「飲み会」のカテゴリーに入るようなことが主ですが.
新年早々の演奏の予定が確定しました. ギターと尺八のデュオ「TKB52」ですが,初めて人前で演奏した昨年11月に続けて今年も「アンサンブルコンサート」に出演します.
我々の演奏予定の曲目は,
あっと言う間に,今年も終わりになります. 今年は私にとっては,還暦であり,人生一区切りの年でありました. その一年を無事に過ごすことができたのは,まったく有難いことでした. お世話になった皆様は無論のこと,総ての皆様,有縁無縁の一切衆生,に感謝する次第です.
例年通り,今日は法身寺で「大晦日百八曲献奏修行会」をしてきました. 例年通り私は朝一から参加し,斉奏を含めて9曲を吹いてきました. 今年は例年に比べて参加者が多かったようです. 我々の吹合せ会から3人の参加があったことも嬉しかったし,30年ほども会ったことのなかった旧友が訪ねて来てくれたのも驚きとともにとても嬉しいことでした. 私は例年通り午後にはお暇してしまいましたので,お会いしたかったのにお会いできなかった方が何人かいるのが少し心残りではあります.
さて来年,私は3月で定年退職を迎えます. インドでは「四住期」ということを言います. 「学生(がくしょう)期」「家住期」「林住期」そして「遊行(ゆぎょう)期」です. 家住期が生活のために働く期間であれば,林住期はもう生活のために働く必要が無くなってからのこと(いえ,決して年金で生活できるから,ということではなく)でしょう. 4月からの私が,その林住期なのだと思います. 昨日の讀賣新聞によると,臨済宗妙心寺派が 定年退職者を住職候補としてスカウト しているとか. 檀家が少なくて生計の立てられない寺もたくさんあるのでしょう. うまいところに目を付けたものだと思います. 宗派側にとってもそうですが,林住期の過ごしかたとしても,一考の価値はありますね. ただ,私にそのスカウトが来ていないのが残念,ではあります.
何はともあれ,今年も一年,ありがとうございました. 来年がどうかよい年でありますように.