無孔笛庵 駄文書院 に戻る

夜の尺八行脚日記

(これはフィクションではなく,実際の記録です)

 尺八を始めて半年が経ちましたが,練習する場所と時間には難儀しています.自宅でも職場でも,なかなかチャンスがありません.おかげで尺八修行は,なかなか進みません.

 ところで,5月の連休も終わり,よい季節になって来ました.そこで,職場からの帰り道,わざわざ遠回りして,車が轟音を立てて疾駆する国道沿いを歩いて帰ることにしました――尺八を吹きながら.

 途中,滅多に人には行き合いませんから,気ままに大きい音が出せます.特に甲音(高いオクターブの音)の練習にはもってこいです.

 さて,先日の夜のこと.暗い道で,猫に行き合いました.猫は急いで逃げる体勢をとります.その猫に向かって尺八を構えると,猫は駆けだしかけたのですが,音が出始めると,キョトンとした顔をこちらに向けたまま,動かなくなりました.彼(彼女)にとってまったく予想外のことだったのでしょう.

 聴衆(たった1匹の)ができた私は,調子にのって,覚束ない「瀧落」を吹きはじめました.

 しばらく猫はあっけにとられて聞いていましたが,やがて「ヤレヤレ呆れた」とでも言いたそうな顔つきで,草むらの向こうに去っていってしまったのでした.

 猫にまで呆れられたのではちと悲しい.雨さえ降らなければ,これから毎日帰り道は,修行の時間にしようと思います.次にあの猫に会うまでには,少しはうまくなりたいものです.

1999.5.12

 猫との遭遇から何日かしたある夜,国道から逸れて,裏街道のそのまた裏の路地に入っていった時のことです.ある家の前に犬舎があり,大きな犬が2頭います.犬達は,私を怪しんで,低い威嚇の唸り声をあげています.

 そこで私は犬達の前に腰を下ろし,尺八を吹き始めました(夜の民家の前なので,できるだけ小さい音で).犬達の低い唸り声はしばらく続きましたが,じきに静かになり,腹ばいになって頭は地面に投げ出して目を閉じて,動かなくなってしまいました.

 「調子」を1曲終わって犬舎の前を離れようとすると,犬達は突然ワンワンと咆えはじめました.犬達のアンコールかとも思ったのですが,家の人でも出てきたらやっかいなので,私は小走りにその場から立ち去りました.

 ところであの犬達,どんなつもりで聞いていたのでしょう.てっきり心酔して聞いているものとその時は思ったのですが,後で考えると,鎖に繋がれてどうせ逃げられぬ身,観念して,せめて目だけは閉ざして,じっと耐えていたのでしょうか.

1999.5.21

 5月も下旬になりましたが,今ごろになって,勤務先の新入職員歓迎会がありました.会場は,いつも尺八を吹きながら歩く国道沿いの大きな中華料理店です.

 尺八を持ったまま出席したので,1曲吹くはめになりました.床に正座して「瀧落」をダイジェスト版で吹きましたが,隣の部屋のカラオケなどで,ほとんど聞こえなかったようです.こういう席では金輪際,吹かないことにしようと思いますが,それでももし吹くなら,今日吹いたような長管ではなくて,1尺6寸管くらいにした方が音は通りそうです.

 それはさておき,宴終了後,皆は会場の用意したバスで駅に向かいましたが,私は,いつもの通り,吹きながら歩き始めました.すると,後ろから早足で追いかけてくる人がいる.バスに乗り遅れた酔っ払いの同僚だろうと思って知らん顔で歩いていると,ま後ろまで来て私を呼び止めます.振り向くと,見知らぬ中年男性が,手を合わせて「お名前は?」.冗談と思い,合掌して「単なる虚無僧の見習です」と答えると,男はますます真剣な顔つきで,「で,お名前は?」と繰り返す.しかたがないので名を名乗ると,「人違いでした」と合掌して頭をさげて,戻っていきました.

 一体,なんだったのでしょう.もしや,仇と間違えられたのでは ....... いずれにせよ,人間が私を,虚無僧もどきと思ってくれたのは,確かなようです.

1999.5.22

 いつもダンプの爆走する国道沿いばかりではつまらないので,国道を外れて,裏街道を歩くことが多くなってきました.そこここに,地蔵堂や石塔などがあります.そんなものを見つける毎に,尺八を吹きます.ついに,仏様を聴衆にしてしまいました.

 辻の角に,銭湯がありました.風呂屋は虚無僧と関係があったそうだから,ここでも吹こうかな .... などと思いながら,角を曲がったところで,道端の暗闇に,異様な光が見えます.猫の目のようですが,動きません.

 近寄って見ると,猫の死骸でした(ギャッ!!).車にはねられたようです.目を大きく見開いたまま死んでいます.動かない二つの目は,暗い闇の中で,ちょうど私を睨むような角度で,冷たく緑に光っています.

 猫とは言え,骸です.虚無僧見習としては,なんとか供養してあげなくてはならない.すくんでいるくせに勝手に「回れ右」しようとする私の足を押しとどめ,骸に向かってとりあえず「調子」を吹き始めました.しかし,2息ほど吹いたところで,背中がぞくぞくして,とてもいたたまれません.途中を全部飛ばして,最後の2息を吹いて,終わりにし,合掌して,その場を逃げ出しました.

 アパートに帰り着くまでの間,尺八を吹く気持ちにはなれませんでした.「これから梅雨に入ることだし,もう,夜の尺八行脚はできないだろう」という言い訳めいた台詞が,頭の中をくるくる回っていました.

 それにしても,猫の骸でさえ逃げ出すのでは,暗闇に人間の無惨な骸があったら,それこそこっちの心臓が破裂してしまうでしょう.こんなことでは,とても虚無僧にはなれそうにありません.

1999.5.26

再び猫

 私の尺八,少しはうまくなったような気がしていたのですが,先日,師匠の独奏会「虚無尺八」を聞きにいったら,なんとも素晴らしくて,自分の音なんか聞きたくなくなってしまいました.

 でも,そんなことを言っていては修行になりません.今日は七夕で,偶然にもとてもよい天気ですから,夜空でも眺めながら,例によって夜の国道沿いを尺八行脚することにしました.

 国道から脇にそれたら,神社がありました.神社で尺八はちょっとまずいかな,と思いながら,ふと見ると,猫がいます.猫は,警戒しながら,じっとこっちを窺っています.

 「そうか,君は僕の尺八を聞いてくれるんだね?」 ......... とつぶやいて,猫に向かってそっと尺八を吹き始めました.猫は逃げません.「調子」を吹きましたが,最後まで逃げませんでした.

 最後まで聞いてくれた猫に,心から感謝して,尺八を持ち上げて礼をしようとした時です.猫は驚いて駆けだそうとしました.でもついに動きませんでした.

 せっかく最後まで聞いてくれた猫を怖がらせては申し訳無いので,私はそっと立ち去ることにしました.立ち去りながら猫をよく見ると,どうやら右の後ろ足が悪いようでした.

 駆けだしたくても,思うように駆けだせなかっただけなのかも知れません.でも,とにかく最後まで聞いてくれた猫に,心から感謝します.

1999.7.7

半年経過

お布施

 夏が過ぎ,秋が過ぎ,もう冬になってしまいました.私の尺八も,始めてから1年と1ヶ月が過ぎました.

 今年も残すところ20日あまりです.

 いつのまにか,夜の尺八行脚からは足が遠退いてしまっていました.疾走する大型トラックの排気ガスや巻き上げる砂埃のせいで,息をするのも辛いし,かと言って,裏道に入ると車の音すら聞こえない代わりに,静かすぎて,吹けないのです.

 ところで,2週間後には尺八の納会があり,お寺の本堂で一人々々献奏しなくてはなりません.ですから,もう少し練習時間を確保しなくては,と焦っていたところです.

 さて昨夜のこと,仕事帰りに,いつもは通らない大きな駅を経由してみました.駅前には,ギターを抱えた若者がたくさんいて,勝手に唄っています.そこで,私も駅前に立って,尺八を吹いてみました.同僚などに出くわしたら嫌だな,とは思うものの,排気ガスもなく,建物の蔭は風も強くはなく,気兼ねなく吹けますから,これはちょうどいい練習場所です.

 何曲か吹いたころです.近くに人の気配を感じたので,ちょっと目を開けて見ると,初老の男性が立ち止っています.私の音を聞いているのかどうかわかりませんが,とにかく,耳には入っているはずです.聴衆ができると,俄然,本気になります.猫や犬や,動かない仏様ではなく,人間ですから,なおさらです.

 しばらくそのまま,目を閉ざして吹いていたのですが,突然,コートのポケットのあたりがゴソゴソします.驚いて見ると,その男性が私のポケットに手を入れているではないですか.

 あっ,お布施だ! と気づき,吹きながら一礼しました.すると,その男性は礼をしながら「頑張って下さい」と言い残して,去って行きました.

 ここで私はちょっとしたパニックを起こしました.このまま吹き続けていいのか,吹奏は休止して言葉で礼を言う,あるいは合掌くらいするべきなのか.一旦は尺八を口から離したものの,思い直して,続きを吹きました.本当は,どうすべきだったんでしょう.

 後でポケットの中をあらためると,千円札が一枚,入っていました.

 駅前の辻立ちは,なかなかいいものです.ちょっとこれから病み付きになりそうです.心置きなく練習できるし,おまけにお布施まで入る.昨夜は,トレンチコートに帽子という,虚無僧らしくないいでたちでしたが,もう少しそれらしいものを,例えば作務衣を着て,座って,前に箱でも置いておけば,もっとお布施は集まりそうです.でも,一人でそこまでする勇気は,今のところありません.

1999.12.9

フラッシュ

 駅前の辻立ちはちょっと病み付きになって,ときどきやっています.残念ながら,あれ以来,お布施は入りませんけど.

 お布施は入らなくても,いい練習にはなります.昨夜は,1時間半ほどやってみました.最初はなかなか音が鳴りませんが,さすがに1時間も吹いていると調子がよくなります.最初から,そんな音が出ればいいんですけどね.

 「瀧落」を吹いている時でした.人が立ち止まってくれました.人が立ち止ると,俄然張り切ってしまいます.三分の二ほどは調子よく吹けました.その人もじっと聞いていてくれました.ところが,終わりの四分の一あたりの高音(たかね)にきて,気張って吹き過ぎていたせいか,音がこけてしまいました.あっ,しまった! と思った途端,いままでじっと聞いていてくれた人が立ち去って行きました.う〜ん,ストリート・パフォーマンスもなかなかシビアなものです.

 それにしても,人が聞いているからと言って気張り過ぎるのは,まったくいけません.

 さて,気を取り直して,こんどは気張ろうにも気張れない,「虚鈴」を吹き始めました.この曲は,高音もなく,テンポの早いところも,細かい技巧もない,ある意味ではとてもたいくつな曲です.

 しばらく吹いたところで,突然,閃光が光りました.驚いて目を開くと,カメラを構えている人がいます.閃光はカメラのフラッシュでした.再び目を閉じて,そのまま吹き続けたのですが,だんだんフラッシュの間隔が短くなって,最後はまるで乱撮り状態です.

 昨夜のいでたちは,黒いジャケットの上にマフラーを掛けて(巻いて,ではなく)いたので,暗がりでは,ちょっと袈裟を着けているように見えないこともありません.帽子を目深に被っているのも,ちょっと虚無僧の編笠みたいだったかも知れません.それにしても,アイドル歌手じゃあるまいし,乱撮りするほどの被写体ではないと思いますけどね.

 お布施は入りませんでしたが,いい経験をしたし,フラッシュを浴びるというのもそれなりに心地よいものでした.しかし,こんなことでは虚無僧修行からはますます遠くなってしまいます.

1999.12.17

熱い缶珈琲

 そもそも,駅前で吹くようになったきっかけは,ある日の坐禅会と酔禅会(単なる飲み会)の帰り,酩酊状態で尺八を吹きながら通り掛かったこの駅で,ストリート・パフォーマンスをしていた若者に声をかけられて,ついつい,即興のセッションをしてしまったことでした.

 昨日,その若者から連絡があって,今日は駅前に行くから来ないか,とのこと.さっそく出かけました.

 さて,彼のギターに合わせて(合うような合わないような)尺八を吹いていると,物珍しいせいか,けっこう人が集まります.「あっ,尺八!」と小声で叫んで,ちょっと立ち止って通り過ぎるおじさん.その笛何?と尋ねてくる若い女の子.ホームレスのおじさんは目の前に座り込み,ほかのストリート・ミュージシャンたちまで集まって来て.

 そうなると,当然ながら,こっちも乗ってきます.最初はなかなか乗り切れませんが,やるにつれ,人が集まるにつれ,次第に調子も上がってきます.彼のギターも,途中で弦を1本切ってしまったり,おまけに掛けていたネックレスまで切ってしまうほどの熱演だったようです.

 こういうところでやるには,なにはともあれ,パワーが必要です.とても指メリなんか使ってられません.ほとんど幹音ばかりで,それに顎メリとユリ(縦・横)をふんだんに使って,とにかく派手な音を出します.そんなわけで,残念ながら,本曲風にはなかなかなりません.

 ところで,昨夜はこの冬一番の冷え込みだったようです.足は寒さでしびれ,手はかじかみ,尺八の中と下の通路は露でビショビショです.だから,女の子の差し入れてくれた熱い缶珈琲は,何物にも替えがたいほどの有り難さでした.

 そんな寒い中で,力任せのパワーで1時間半ほども吹き続けたせいか,肺が痛くなってしまいました.昨夜はそのまま気にせずに寝たのですが,今朝起きて,本気で心配になってきました.昨夜よりも肺はいっそう痛くなっています.そういえば,呼吸器を患って尺八をやめたという人の話をいくつか聞いたような気がします.ほどほどにしておかないと,虚無僧になる前に,尺八が吹けなくなってしまいそうです.

1999.12.20

一年経過

ついに,猫

 年が明け,春は過ぎて夏も過ぎ,もう秋が終わろうとしています.夜の尺八行脚,やめていたわけではありませんが,このページの更新はずいぶんご無沙汰になっていました. (因みに,最近は,朝も尺八を吹きながら出勤しています.)

 その間には,いろいろなことがありました.暮れの納会,春には法事,夏の浴衣会など,何度か尺八を吹く機会がありました.駅前パフォーマンスも時々やっています.それから,10月には,本物の虚無僧のいでたちで,(結構本格的な)虚無僧行脚もしました.ちょっとは尺八の腕も上がっていてほしいものです(尺八を始めて,2年が経ちました).

 さて,昨夜のことです.夜の街路を「虚鈴」を吹きながら歩いていましたら,猫とすれちがいました.白い部分の少ない三毛猫です.猫は私をまるで気にしない様子で,1メートルほど間をおいて通り過ぎたのですが,通り過ぎた瞬間,ピタッと立ち止りました.すぐに振り返ったのでは猫が驚くだろうと,ゆっくりと,半分くらい振り返ってみると,猫は私の2メートルくらい後ろで座り込んで,こちらを見ています.まるで私の尺八を聞いているようです.

 ちょうど吹いていた曲は終わるところでしたが,もう一度最初に戻って,吹き始めました.猫はじっと聞いています.時々車が私達の横を通り過ぎるので,その時はキョロキョロしますが,それ以外はどうやら本当に聞いているようです.立ち止ったまま10分近く(ちょうど1曲分+αですから)吹いていたのですが,結局猫は,最後まで聞いてくれました.

 猫が尺八を聞いていた ....... たいしたことではないのかも知れません.でも,私にとっては,酔っ払いのおじさんのお布施より,女子高生の缶珈琲より,ステージの拍手より,なんだか嬉しい気持ちになってしまうのです.

 猫が聞いていてくれた原因をいくつか考えました.
(1)猫にもわかる程に私の腕が上がった.
(2)猫と目を合わせないようにこころがけたから.
(3)静かな,リズムもダイナミックス(強弱の変化)もない曲だったから.
(4)猫がたまたま暇を持て余していた.
(5)ひょっとしたら,尺八が巨大なスルメに見えた.
まあ,なんでもいいです,とにかくついに,猫が自分の意志で私の尺八を聞いてくれたのですから.でも,(1)だったらいいんですけどね.

2000.11.1