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日々新・時々新

更新のお知らせと日々の戯言

アーカイブ(2015.01~2015.12)


2015.01.01

あけましておめでとうございます



2015.01.09

七福神

「戸塚宿七福神めぐり」をしてみました. 「七福神」と言いながら,お寺は8ヶ寺あります. 8ヶ寺のうち1つを除いて,7か所で尺八の献笛もさせていただきました. 8ヶ寺を,3時間と少し(献笛の時間も含めて)で回ることができました. 歩いた距離はおよそ7.5㎞です.

8ヶ寺のうち,2か所が「毘沙門天」です. そのうちの一方が,たまたまお通夜とお葬式が入って大変そうでしたので,そこでの献笛はやめておきました. それでも,結局,七福神すべてに献笛ができたことになります.

最初に訪れたのは日蓮宗のお寺でした. ここで「調子」を吹くのは違和感があるので,「大和楽」にしました. その後,浄土宗・曹洞宗・臨済宗などのお寺をめぐって,最後は時宗でした. 時宗は「調子」でもいいかな,と思いましたが,なんとなく「大和楽」を吹きました. 御本尊の阿弥陀様を見ながら尺八を吹いていると,なぜか,自分の吹いている「大和楽」が「なむあみだぶつ」に聞こえてきて,とても不思議な気持ちになりました. 時宗開祖の一遍上人の「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」が頭をよぎっていきました.

ほとんどのお寺では本堂の前での献笛でしたが,1ヶ寺では本堂の中に通され,御本尊の前に座ってゆっくりと献笛させていただきました. 献笛の申し出に対しては,たいていはやや怪訝そうな対応でしたが,終わってからは大変丁寧なお礼の言葉をいただきました. こちらこそありがとうございました.


2015.01.26

演奏の心と無心

12月の多摩市,先々週の相模原市,そして24日の「杜のホールはしもと」と,3連続のTKB52(ギターとのデュオ)での演奏が一段落しました(). これからしばらく,2月28日の「三曲歌ざんまい」の「調子」の編曲と合奏練習に専念します.

今回の杜のホールは,私としてはなかなかうまく行ったと思っています(ミスはいっぱいしましたが). 2尺9寸管で吹いたスカボロー・フェアの,間に挟んだ本曲風のソロのアドリブが,思いのほかうまく行きました. 洋楽中心のステージでいきなり本曲を吹いたら浮いて聴衆に拒絶されそうですが,耳になじむ曲からの連続で吹けば,かなり効果的かも知れません.

もう一つ,うまくいった原因は,「思い」の構成だったかと思います. たった15分の枠ですが,4曲演奏しました.

 1 The water is wide(最近「広い河の岸辺」という曲名で流行っているようです)
 2 グリーンスリーブス
 3 愛の挨拶
 4 スカボロー・フェア
すべてイギリス伝承曲あるいはイギリスの作曲家の曲ですが,曲順から,私の頭の中に一つのストーリーを作っておきました(と言うか,自然と湧いてきました). ストーリーの中心は,スカボロー・フェアの中の歌詞「She once was a true love of mine」です. ソロのアドリブでは,この歌詞を念じながら吹きました. この私の思い・意図は,かなり伝わったようでした.

ところで,昨年1年間,フルート教室(まったくのクラシックのフルートです)に通いました. フルートの先生にたびたび言われたことは,「音が出るとか楽譜に忠実に吹けるとか,そんなことは音楽ではない. その曲が何を,どんな気持ちを表したいのか見抜いて,それを自分なりに表現せよ」,ということでした. 一方,我々の吹合せ会では,一人ずつ吹奏していただく前に,何か一言,「思い」をお話ししていただいています. 本曲には「作曲者の意図」なんてものはありませんから,自分なりのもので良いのですが,やはりそこに「何か」が必要なのだと思います. 写経をする時の「願文」と同じことです.

「無心」になるとは,ただ呆けて心を無くすことではなくて,心はフル回転して只一心になること・なりきること‥‥ これは音楽の演奏(洋楽だろうが本曲だろうが大衆音楽だろうが)でも,まったく同じことなのでしょう.


2015.03.07

もう三月‥‥

あっと言う間に,もう3月ですかぁ‥‥

とりあえず,三曲歌ざんまいは,無事に終了することができました. 動画サイトに,当日の様子をアップしました.
→ 尺八古典本曲 調子 (合奏)

実は,この本番前から,肩(頸から肩甲骨の周り,背中)が痛くて参っていました. 本番のドタキャンが心配になるほどでした. ところが,不思議なことに,尺八(特に長管)を吹いている時や坐禅している時は痛くありません. 姿勢の問題のようです. 一番つらいのが,PC操作をしている時です. そんなわけでこのページの更新もなかなかままならない状況です (言い訳です(^^;)

医者の診断は,変形性頸椎症,とのこと. その原因は,早い話が「加齢」ということのようです(; ;)

例の「尺八1万時間練習計画」ですが,先日,2月19日(奇しくも旧暦の元日)に,ちょうど半分の5000時間となりました. 尺八吹きとしてやっと半人前になった,というところですね. 仕事をやめた2年前からこれまでの一日の練習時間の平均で残り時間を割ると,2020年11月17日となります. はやぶさⅡの地球帰還との競争です.

しかし,身体がこんな調子で,おまけに記憶力や注意力や判断力まで低下してきたら,あと5000時間練習しても駄目かもしれない‥‥などと弱気なことを言っている場合ではありません(^^;)


2015.04.03

もう四月‥‥

あっと言う間に,もう4月ですかぁ‥‥
# まったくおんなじことを一か月前にも書きました(^^;)

4月2日,満開の桜の上野公園で,虚無僧をしてきました. 下谷仏教会主催の花祭り(お釈迦様の誕生のお祝い)の稚児行列の先導役です. こんなyoutubeを発見しました.
>> 「上野花祭り虚無僧」
因みに私はカメラの前の人の影になって,旨い具合にちょうど見えません.

集合場所・着替えなどは清水観音堂でしたが,この下谷仏教会というのは近隣の寺院の集まりで,いろいろな宗派が混在していて,密教・禅・浄土・日蓮と,なんでもあり. 上野大仏での法要,いったいどんなお経を読むのかと興味津津でしたが,観音経でした. お稚児さんたちが花を供える間は,虚無僧と御詠歌が交互に荘厳しました.

この日の虚無僧は,お車代を頂いた上に,偈箱にお布施まで入れていただいてしまいました. 虚無僧の後,公園で虚無僧ではないパフォーマンスもしようと思ったのですが,ふと看板を見ると,公園には楽器などの持ち込み禁止,とのこと,自粛しました :p


2015.06.13

もう六月‥‥ (^^;)

五月を飛ばして,六月です.

サーバの引っ越し

サーバーの引っ越しをしています. 今まで使っていたケーブルテレビのホームページサービスが提供終了となってしまいました. 急遽移転しましたので,しばらく不具合もあろうかと思いますが,少しずつ手直ししていきます. 本当は全面的にリニューアルしたいところですが,なかなかそんな元気は(^^;)

文字化けが頻発しています. ソースはWindowsのメモ帳で作ってUnicodeで保存していたのですが,これをftpすると文字化けが生じるのだそうです. このUnicodeはUTF-16なので,保存する時にUTF-8にすればOK,とのこと. なかなか面倒くさいです :(

テレビのロケ

先日,テレビ番組のロケをしてきました. 放送は下記の通りです. ちなみに,次の土曜の再放送はたぶんありません.

  放送局:東京MXテレビ
  放送日:6/21(日) 8:30~8:55
  番組名:ようこそ櫻の国へ ~和楽器 第3回「尺八」

法身寺とその周辺で,虚無僧のいでたちで,尺八を吹きました. およそ2時間かかりましたが,使われるのはせいぜい2・3分もないのでしょうね. 同じ曲を何度も何度も吹きましたが,音が使われるのは最初の1回目(テスト本番と言われたけど)だけで,後は映像だけとのこと. 最初の一回はさっぱりまともに吹けなかったのに,何度もやっているうちに調子が上がってきました. それなのに,流されるのは最初の情けない音(; ;)

吹いたのは,まず,虚無僧で歩きながら2尺管で「根笹派 門付け」. 次に本堂の前で「普大寺 虚空」を,やはり2尺管で. 最後に本堂に上がって「普大寺 虚空」を,今度は2尺9寸管で吹きました. 「虚空」はテレビ局の担当者の指定です.

因みに,使った竹はいずれも「黒龍銘」の地無し管です.


2015.06.22

テレビ放送

東京MXテレビの「ようこそ櫻の国へ ~和楽器 第3回尺八」が放送されました. 虚無僧,登場しました(^^;) ‥‥が,ロケにはスタンバイも入れて3時間半かかったのに,使われたのは一瞬でした. おまけに,演奏音はあまり入っていません. 法身寺の和尚様(虚無僧研究会会長)もずいぶんと気合を入れて取材・インタビューに臨んでいたのに,それこそほんの一瞬でした. でもまあ,問題のある内容にはならなかったので,良しとしましょう.


2015.06.23

テレビ放送(続)

先日の番組のロケでは,私もいくつかインタビューされてコメントしました. 番組では使われなかったので,ここに二つだけ書いておきます. いずれも,法身寺の本堂の前で献奏した後でのことです. いきなりのインタビューで,実際にはうまくしゃべれなかったところもありますが,ここでは少し補います.

まず,「どういう気持ちで吹いたのですか?」というような問いに関して,こんなことを言いました. 「 虚無僧は半僧半俗,僧侶と俗人の中間です. ですから,ある意味で巡礼者・お遍路さんと似た存在ではないかと思っています. 私自身,札所めぐり(巡礼)もしました. 札所ではお経を唱えて尺八を吹きますが,虚無僧姿であっても普段着であっても,その時に思うことは同じです. 佛様に何か願い事をするわけではなく,何かを念ずるわけでもなく,ただ『感謝』します. 今も同じです. 」

もう一つ,「虚無僧にはとても辛い歴史がありますが,その歴史をどう思いますか?」と聞かれました. 質問したディレクター氏の思う虚無僧と私が思う虚無僧は全然違うのかもしれません. 何か変だな,とは思ったのですが,何を言ったらよいのか思いつかず,こんなことを言っておきました. 「 虚無僧の歴史は,あまりわかっていないというのが現実です. しかし,歴史がどうであったかということは,信仰の立場からは,関係ありません. 『今』が大切です. 尺八を吹くと言うことを通して,自分を見直し,同時に自分を離れること,それを『今』するのです. 」

この,二つ目の問いは,なかなか微妙なところがあります. ディレクター氏は,虚無僧を負のイメージで捉えていたのだと思います. 質問と答えが,まったくかみ合っていませんでした. 番組の中では,製管師さんの「虚無僧はとても辛い暮らしをしていた」というようなコメントが使われていました.


2015.07.07

夏の総浚い・暑気払い

我々の会(無孔笛庵・尺八吹合せ会)では,年に2度,お浚い会のようなことをしています. 全員,と言っても,私を含めても10人に届かない程度のことではありますが.

今年の夏の会は,7月19日(日)15時~18時,舞岡地区センター(横浜市戸塚区)にて行います. 全員で何曲か斉奏した後,一人ずつ1・2曲の独奏をします. 今年は新しい方も何人か増えて,いくぶん賑やかな感じです. 今のところ独奏の曲として挙がっているのは,下記のような曲です(順不同,変更の可能性あり).

 雲井獅子
 根笹派「獅子」
 大和楽
 アメージンググレイス
 調子
 荒城の月
 松巌軒鈴慕
 波路遙かに
 太陽がいっぱい
 根笹派「松風」
 阿字観
 布袋軒鈴慕
 鳥の歌
我々の会としては今までにない曲数・バラエティで,楽しみです.

内輪の会ではありますが,会員以外でお聞きになりたい方がいらっしゃいましたら,どうぞおいでください. 歓迎いたします. (予めご一報いただければ,なおさら幸いです). なお,終了後は戸塚駅周辺で暑気払い(懇親会)を予定しています. こちらに参加なさる方は,店の予約の都合がありますので,予め連絡下さい. 会費は割り勘です.


2015.07.12

この猫が我が家に入って来るようになってから,幾月になるでしょう. 飼い猫ではありません. 左の耳の先端がV字にカットされているのが見えるでしょうか. メスの「地域猫」である印です.

1年ほど前に,近所に住んでいるノラ猫( >> この猫の事は去年の3月29日に書きました )から生まれた4匹のうちの一匹です. どなたかの計らいで,母猫とこの猫ともう一匹の妹の3匹が一緒に地域猫になったのでした. 仔猫たちは夏の間,我が家や近所の庭で蝉やその他の小さな生き物を捕ったりして,なんとか生き延びていました. しかし,秋も深まり,寒い冬になり,餌になる生き物もいなくなったので,地域猫になった2匹の仔猫だけには少しだけ餌をあげていました (母猫は少し離れたところで暮らしているようでした. 地域猫になっていない他の仔猫には辛いけれど餌をあげませんでした‥‥そもそも寄ってこなかったのですが). もう一匹の仔猫は5月頃からほとんど来なくなり,今ではさっぱり見かけません(その後,隣の町内で見かけたことはあります). 今はこの一匹だけが我が家の周辺で暮らしています.

一匹になってからこの猫,ずいぶんとなついてしまって,今ではまるで飼い猫のような有様です. かなり長い時間を家の中で過ごしたりもしますが,不思議なことに,柱や壁や畳で爪を研ぐようなことはまったくないし,物をひっくり返すことも,食べ物の袋を破ったりすることも,とにかく困ることをまったくしません. これまで見たことのあるどの飼い猫よりもおとなしくて,いい猫です. 生れながらのノラ猫であることが,まったく不思議です.



2015.07.13

母親になりたかりしよ 子を産めぬ体になりても 残る乳首は

読売新聞(2015年6月13日)の「四季」欄にあった歌で,花美月歌集『かはうその賦』にある一首だそうです. ここに詠まれているのは避妊手術を受けた猫とのこと.

うちに居ついたこの地域猫もそうです. この猫の母猫は,一度だけ出産し,世代を一つ進めることができました. でもこの猫は死ぬまで,一度たりとも出産することはできません. ノラ猫がノラ猫を産み,哀れな(人間にとって邪魔な!)猫が増えないようにするためのことではありますが,この歌を読むと,涙が出てしまいます. もとはと言えば,人間の勝手から始まった「ノラ猫」なのに.

猫は,そんなことを知ってか知らずか,私の布団の上でひっくり返って乳首のあるお腹を見せて寝ています. どうですか,この酷い寝相は. いくらなんでもこれではまるでどこかのオジサンです.

なお,これは今日の写真ではありません. 今日はもう死にそうな暑さ,エアコンを使わない閉め切った(笛を吹くために)家の中より,外の木陰の方が涼しそうです. 猫は日陰のコンクリートの上でノビてます.



2015.07.14

猫と笛

猫は意外と笛の音が嫌いではないようです.

私が尺八やフルートの練習をしている部屋の中で,猫(ノラ猫ですよ)はおとなしく丸まっています (聞いているんだか聞き流しているんだか我慢しているんだか,やや不明ですが). ただ,ここに楽譜が見える曲(布袋軒鈴慕)だけは,あまり好きではないようです. というのは,この曲にはいわゆるムラ息が使われていて,猫はどうやらムラ息だけは好きではないらしいのです. たぶん,猫の威嚇の声に似ているからなのでしょう. ムラ息のところまで来ると,丸くなっていた籠の中からガリゴリッと音がしたり,起き上がってこっちをチラっと睨んだりします. この曲,まだ練習中なのですが,猫がいるとどうも遠慮して,吹き難くて困ります (^^;)

笛の音が嫌いでないらしいことは,特にこの猫に限ったことではありません. そもそも,この猫の母猫は,私の尺八やフルートを聞きながら庭の陽だまりやベンチの上で静かに寝ていました. 母猫も笛の音が嫌いではないようでした.

もっと昔(15年以上も昔),道を歩きながら尺八を吹いていたころがありました ( >> 「夜の尺八行脚日記」). 道で犬に出会うと,犬は明らかに敵意や嫌悪の反応をしました. ところが猫は,警戒はするものの犬のような反応はしませんでした. それどころか,蹲って,一曲まるごと聞いてくれた猫もいました.

ケーナ(アンデスの笛)を吹く私の弟は,猫を2匹飼っています. 何年もの間,その2匹とも,私にはさっぱり馴れてくれませんでした. ところがある時,飼い主の留守に私がケーナを吹いたら,猫たちが寄ってきて,その時からやっと馴れてくれたのでした.

そんなこんなで,「猫は笛の音が嫌いではない(ただしムラ息を除いて)」という命題を提案する次第です.



2015.07.15

猫の幸せ

買い物の帰り道に「ネコジャラシ」が生えていたので,一本取って帰りました. それを猫の前で振ってみましたが,一向に興味を持ってくれません. そりゃあそうですよね,本物の獲物をいくらでも追いかけているのですから,そんな偽物にじゃれついてもしかたがないですから.

ノラ猫は可哀そうな存在かとも思っていました. とくに現代の都会のノラ猫の生活は過酷でしょう. 明日から台風が接近するようですが,雨風を凌げるようなところはほとんどありません. 今日のような猛暑は舗装された地面ばかりではたまりません. 冬の風雪の日はどうするのでしょう. 餌だって,安定して得られるわけではありません. 外敵(ニンゲンや他の生き物,他のノラ猫も)にいつ襲われるかわかりませんから,おちおち休んでもいられません.

しかし,一生涯,外の世界を知らずに過ごす部屋飼いの猫が,ノラ猫より本当に幸せなのでしょうか. 確かに長生きはできるのだろうけれども,充分に生きた生涯と言えるのでしょうか.

この猫は,我が家に入ってきても,けっして家の中を走り回ったりしません. 外ではいつも,獲物を追いかけたり,自分が(怖い雄のノラ猫などに)追いかけ回されたりして,充分走り回っているからでしょう.

昔,私の子供のころ,我が家には私と同い年の猫がいました( >> 「僕と猫」 ). そのころの田舎の家には,少なくとも猫にとっては,家の外と内の区別はありませんでした (いや猫どころか,他の動物や風や,時には雨でさえ,外と内の区別はありませんでした). だから,飼い猫とノラ猫の区別も大してありませんでした. 我が家に居ついているこのノラ猫は,昔の飼い猫のありかたと同じなのかも知れません.

夕方になってやっと気温が下がって来たころ,お隣の門柱の上に現れました. 物思いにふけっているようにも見えますが,ただひたすら,無心なのかも知れません.



2015.07.16

猫の仏性

猫(我が家に出入りのノラ猫)を見ていると,これはもう「悟りの境地」にいるのではないかと思ってしまいます.

猫はひたすら無心です. 何の悪意もなく,何の計らいもなく,何の慾もなく,何のためらいもなく,ただひたすら,「今ここ」を生きています. ノラ猫に生まれたという運命を嘆くこともなく,その運命に抗うこともなく,それをただ受け入れています. 去勢されていない雄の猫は縄張りを主張しますが,この猫にはそんなものもありません. 寝られるところがあれば寝るだけです. 寝ているところをそっと撫でてやれば,喉を鳴らして喜びます. 私という人間をまったく無警戒に信じ,かといって,私を頼り私に依存して生きているわけでもありません. 猫には「貪・瞋・癡」もありません.

狗子(犬)に仏性があるかないかという禅問答には,猫に仏性あり!と答えてしまいそうです (^^;)


2015.07.18

猫は人語がわかる?

猫はどうやら人間の言葉がわかるようです. 何かを芸をさせるための指示の単語が分かる,というような意味ではなく,もっと全体的に.

猫同士の(あるいは猫と他の獣との)コミュニケーションは,その坐り方,尻尾の動き,背中の丸め方,毛の逆立て方,オシッコのニオイ,その他,とにかくいろいろな方法でやっているようです. しかし人間にはそんな微妙なコミュニケーションをする能力はありません. でも人間には,言葉という,高級そうであって一方でとても雑な,不便なコミュニケーション法しかありません (たぶん,人間も言葉を獲得する前はそういう能力があったのでしょう). だから,猫に何かを伝えるにも人間の言葉を使うしかありません. しかし,猫は,それをわかってくれます.

ただし,読み上げ原稿を棒読みにするようなことでは,まったく通じません. 心(良い心でも悪い心でも,優しい心でも冷たい心でも)を籠めて,一生懸命話した時に,伝えたいことが伝わります. 大切なことは,自分が,その伝えたいことになりきることです. そういえば,45年くらいも前に,驚くような体験をしたことがあります ( →「立ち退きの応じた野良猫」 ).

これは音楽でも同じことです. 原稿棒読みのような演奏しても,音楽にはなりません. この音楽は何を伝えたいものなのか,自分は何を伝えたいのか,それ無しには音楽はなりたちません. 西洋のクラシック音楽でも尺八古典本曲でも,これは同じことです. まったく同じ旋律を同じように吹いているつもりでも,この曲は何なのか,その中でここは何なのか,‥‥と考えながら吹けば,原稿棒読みとはまったく違うものになります. 猫でもわかってくれる音楽に‥‥いやいや,そこまではちょっと無理ですけど (^^;)

私は,本曲を吹く時に,たとえば写経で書く「願文」のようなものを考えています. それも,一つにはこういうことがあるからです.

こんなことを考えていたら,40年ほど前に読んだ井上ひさしの「ドン松五郎の生活」を,もう一度読みたくなってしまいました. 本棚からとっくの昔に消えてしまっているのが,とても残念です.


2015.07.20

夏の総浚い・暑気払い

昨日の,我々の吹合せ会の「夏の総浚い・暑気払い」,とても気持ちの良い,熱気のこもった,(たぶん)始まって以来の良い会となりました. 演奏した曲目は下記の通り. 最初の斉奏2曲の他は独管で,一人1~3曲,前半は主に本曲,後半は本曲に限らず民謡からポップスまでバラエティ豊かな曲目が揃いました.

 大和楽(神如道) 斉奏
 普大寺「調子」 斉奏
 根笹派「松風」
 普大寺「調子」
 大和楽(神如道)
 アメイジンググレイス
 松巌軒「鈴慕」
 大和楽(神如道)
 一朝軒「雲井獅子」
 布袋軒「鈴慕」
 一朝軒「阿字観」
 波路遙かに
 悲しい酒
 根笹派「獅子」
 最上川船歌
 瀧廉太郎「荒城の月」
 アメイジンググレイス
 Yesterday once more
 鳥の歌(パブロ・カザルス)

宴会の中華料理は,席の狭まいのが少し辛かったですが,逆にそのおかげで話しはずいぶんと弾みました. 宴会も良い会となりました.


2015.07.28

梅雨明け,そして猛暑

関東地方が梅雨明けしてもう10日ほどになるでしょうか. 梅雨明けの前日あたりから,蝉が鳴き出しました. 蝉が鳴き出したころから,我が家に来る件の猫の食事量が減ってきたようです. 夏で食欲が落ちたわけではありません. 野生の食べ物が手に入りやすくなったのでしょう. 昨年,生まれて半年にもならなかったこの仔猫たち,我が家の庭で息絶える寸前の蝉を食べて,夏から秋を乗り切ったのでした.

蝉,と言えば,こんなことを思いました. 蝉はやっと羽化して地上に出たら,わずか何週間かで死んでしまいます. (そして猫たちの食事になってしまいます). なんて儚い生き物なんだろうという気がしますね. しかし考えてみれば,地上に出る前に地面の下で何年も過ごしているわけです. とすれば,蝉の人生は地中にいる間にこそあるんだと考えることもできます. 一生を土中で過ごす生き物はいくらでもいるわけですから. 地上に出るのは,最後のお勤めかご褒美か,といったところでしょうか. 蝉たち,実はそれなりに充実した一生を送っているのでしょうね; 我々にはそれは窺い知れないわけですが. 蝉のあの声,なんだか「布袋軒鈴慕」の「鉢返し」に似ているような気がします.

さて,蝉も鳴き出したところでやってきたのは,猛暑です. 天然の毛皮を着ている猫なんてもう,大変です. 件の猫は,クーラーにあたることのできるような家猫ではありませんから,うまい日陰がなければ,炎天下でも過ごさねばなりません. でもまあ,今のところは元気で,今日はご近所の日陰にある物置の上で休んでました. しかし,パソコンは熱暴走してしまいました(データが消えなくて助かりました.バックアップなんかしてませんから). それよりなにより,私の96歳の母が,脱水症で緊急入院しました. このところ,その関係で,もうなんとも,ヘトヘトになっています.

そんな中,一番暑かったらしい日曜日,百錢会の浴衣会がありました. 私も,なんとか演奏だけには参加してきました. 「布袋軒鈴慕」を吹きました. 師匠の講評では,構成をよく考えてあって音楽的だ,とのお褒め(^^) とともに,やり過ぎで台無しだ,との厳しい指摘(^^;;) もいただきました. 吹きながら,とくに「鉢返し」のあたりを吹きながら,実は,猫のこと,蝉のこと,母のこと,などを思っていたのでした.



2015.09.01

猛暑から冷夏へ,そして九月

とんでもない猛暑が続いていたのに,突然,寒いほどの気候になってしまいました. とても身体がついていけません. いくらなんでも,8月にダウン(さすがに半袖ですが)を来て外出したのは初めてです. 衣類の脱ぎ着が出来て,しかもエアコンまで使える我々人間はまだしも,都会の野生の生物,とりわけ本来は人間とともに暮らしていた野良猫たちにとっては,とんでもないことです.

猛暑と言えば,あまりの猛暑のせいでしょうか,今年は蝉が随分と少ないように思います. 去年は耳をつんざくほどに喧しかった蝉の声が,今はさっぱり聞こえません. 猛暑が始まる直前,7月の終わりころには,それなりに鳴き始めたのでしたが. 蝉と言えば夏の代名詞みたいな虫のくせに,実は暑さには弱いんだそうですね,知りませんでした.

今年のこの異常気候,ずいぶんと人の命も奪ったのでしょう. 私の母(96歳)も,そうなるところでした. とりあえずそれは回避したのですが,それを境に,介護だの看護だの施設探しだのと,テンテコマイの状況になってしまいました. 吹合せ会やその他関係の皆様には,いろいろとご心配・ご迷惑・ご不便などおかけしています. 申し訳ありません.

件の猫は,元気にしています. あの猛暑を,よく凌げたものです. 炎天下の庭に現れた時,濡れタオルで拭いてやったら,とても喜んでいました. 猫は汗をかけませんからね. いっそ風呂に入れてあげようかと思いましたが,さすがにそれはやめておきました (^^;)

ところで,我が家にくる猫はもう一匹いました. 去年の春に一緒に生まれた,姉妹です. それが5月中旬からさっぱり見かけなくなって,心配していたのでした. その猫に再会することができました. 近所の道を横断している猫に声をかけたら,猫も立ち止まります. 近寄って見ると,まさにその猫です. うちに来なくなって百日ほども経つのに,ちゃんと私を覚えていてくれたようです. だれか世話をしてくれる人がいるのでしょうか,とにかく元気に生きているようで,安心しました.


2015.09.14

母が逝ってしまいました. 最後まで頭ははっきりしていて,ひどく苦しむということもなく,静かな最期でした. 96歳と半年ですから,大往生です. 場所は大病院の集中治療室のベッドの上でした.

逝く2日ほど前,妙にそわそわし始めました. 病院からは薬(心筋梗塞の合併症を起こしていました)の影響だろうと説明されましたが,なんだか,あちらの世界に旅立とうとしているような気がしました. どこかに行きたいんですか,と聞いたら,首を横に振りました. それでは帰りたいんですか,と聞くと,微かに頷いたように見えました. それ以上は何も聞きませんでしたが,亡くなってから,ふと,思い当りました. きっと 90年前の神戸の須磨に帰りたかったのでしょう.

母は神戸の須磨で生まれ育ちました. 私は赤貧の山家で育ちましたが,若いころの母は裕福なお嬢様であったようです. 母の遺品の中に古い写真を何枚か見つけました. これはその一枚,88年前(昭和2年),母8歳の写真です. 写真の台紙には「神戸市 須磨寫眞舘 月見山 K. Kondo Kobe」とあります.

以前,母に聞いたことがありました. 誇りを持っていられた子供の頃だけが幸せな時代だった,と.

96歳の母の遺骨の前に,私の孫・母から見ればひ孫,のようなこの写真を飾ってみました. これ(これを遺影とは言いませんよね)を見ていると,母は喜んで三途の川を渡っているような気がしてきます.



2015.09.24

母の遺品

昨日,母のマンションの遺品整理をしました. 最期の最後まで,古いボロボロの粗末なものしか身に着けていませんでしたが,箪笥には綺麗な衣類・新品の下着がしっかりしまってありました. しかし,高価なものは,見事なほどに何もありませんでした. 指輪かネックレスでも入っているのかと思った小箱には,孫(私の娘)が小学生の頃の作ったビーズの指輪とオモチャの指輪,そんなものしか入っていませんでした. 形見になるようなものは何もない. いろいろな方から頂戴したたくさんの手紙類,それと,最期の病院に入っても続けていた日記くらいしか残すものはありませんでした.

それにしても,まるで形見が無いのは侘しいものです. 昨夜はそんなことを思いながら布団に入りました. そしたら,ふと,こんなことを思いつきました. 「そうか,私自身,この自分自身の命,これ以上の遺品・形見は無いじゃないか!」

そういえば私も御多分に漏れず学生時代,哲学や宗教の本など読みながら,自分は何のために生きているのか,などと青臭いことを考えたものです. ある時,母に,母は何のために生きているのかと尋ねたことがありました. 母の答えは,ただ命が繋がってくれさえすればそれでいい,ということでした. そんなことを思い出しました.

さて,今日は廃棄業者に来てもらう日です. その立ち合いに行くために家の玄関を出ようとしたら,猫がいました. でも,いつもの猫よりちょっと大きい感じで,少しよそよそしくも感じました. あれ? と思ったら,いつもの猫は私の後ろに控えています. よく見たら,もう長いこと見かけていなかった「お母さん猫」でした. (この母娘はそっくりですが,額の模様が左右逆なのです). こんな日の朝に,母娘(ノラ)猫がそろって見送ってくれるとは‥‥ ほんのちょっと,涙が溢れてしまいました.

何もない中で,母が大切にしていたと思われるものの一つは,この写真です. 台紙には「KIYOHKWAN KOBAYASHI KYOTO」とあり,漢字では「岐陽館」と書いてあるようです. 裏には手書きで「大正十一年三月 三六才」とありますから,母の父,「岡部銀次郎」の京都時代の写真です. 銀次郎は機械系の学者・教育者でありました. 数年前に,偶然,国会図書館の蔵書の中に祖父の著書(訳書)を発見しました.

私の生まれる何年も前に祖父は他界していますから私は祖父を知らないのですが,祖父は尺八を吹いていたそうです. 私が小学校の低学年のころ,家に虚無僧が来ました. なんだか怖ろしいような,でも,とても不思議な興味も感じました. その時に,母から祖父が尺八を吹いていたことを聞いたのだったと思います. 最初に私が尺八に興味をもったのは,その時だったのでしょう.



2015.10.11

ハイシーズン (^^;)

今年の秋~冬はやけに忙しくスケジュールが詰まってしまいました. 昨日はその第一弾,多摩市永山公民館の「サロンライトコンサート」がありました. ギターとのデュオのTKB52で,こんな曲をやりました.

明日に架ける橋(サイモンとガーファンクル)
恋人よ(五輪真弓)
いい日旅立ち(谷村新司)
影を慕いて(古賀政男)
津軽海峡・冬景色(三木たかし)
あの日に帰りたい(荒井由実)
スカボロー・フェア(イギリス伝承曲)
最期の1曲は2尺9寸管を使いましたが,それ以外はすべて縦吹きフルートにしました. 母の件で,尺八で練習をしている暇がなかったのです. なお,楽器紹介のついでにドップラー作曲「ハンガリー田園幻想曲」の冒頭のところだけ,尺八風に演奏してみました. 聴衆には呆れられたかも知れません :p

この会場は音響が良くないので,今回はヘッドセットマイクを持ち込んで,PAを使わせてもらいました. でも,ちゃんとした人がやってくれるちゃんとしたPAでない限り,かなり両刃の剣ですね. 係りの人が調整してくれたのでしょうが,いつのまにか自分で設定した音量ではなくなっていたらしく,吹き始めたらやけに音量が大きいので小さい音で吹いたら音がかすれてしまい,一方で息の音は拾いまくっていて,狼狽えてしまいました.

会場に居られた方が,Youtube に3曲アップして下さいました.

恋人よ https://www.youtube.com/watch?v=aS3yZu95Y6A
あの日に帰りたい https://www.youtube.com/watch?v=8myhEoL7UqA
スカボローフェア https://www.youtube.com/watch?v=aMm5_3eMgWk

さて次は,今度の日曜日,横浜市野庭地区センターで「野庭九条の会」,今度は一人だけで演奏します. 九条の会がノーベル賞もらったりしたら大変なことになるところでした‥‥ (^^;)


2015.10.14

神戸生れの母の供養に,などと称して,このところ灘の酒ばかり飲んでいます. たいてい純米・生酛(きもと)です. それに燗をつけて飲んでいます. 多くの人にとって,「日本酒」と言えばよく冷やした「地酒」,が普通のようです. 私も,つい最近までは,そういう酒を飲んでいました.

ところで,日本酒を尺八で喩えるなら,純米・生もと・燗酒は,地無し尺八のようなものじゃないでしょうか. 物凄く複雑な豊かな味わいがあります. これが本来の日本酒なのでしょう. やっとそれがよくわかりました. よく冷えたフルーティーだったりするような酒は,地無し尺八に対して,もうフルートと変わらないような現代尺八かオークラウロ‥‥ま,まあ,それはそれでいいのですが (^^;)

とにかく,本来の尺八である「地無し尺八」の良さが忘れられていくように,本来の日本酒の良さが忘れられていくとしたら,残念です.

ただし‥‥,チェーン店のような居酒屋の安い燗酒は,やめておいた方が良さそうです:( ほかの地酒はちゃんと銘柄の表示があるのに,燗酒には銘柄の表示がなく,なんだか怪しげです. 自分で燗した酒で悪酔いすることはないのにチェーン店の燗酒ではどうも悪酔いするような気がします. やっぱり酒に問題があるのかもしれません. 本当にそうだとしたら,それはまたとんでもない,許しがたいことです.


2015.10.18

九条の会

本日,「野庭 九条の会」で尺八を演奏させていただきました. 無事に終了しました. わざわざ聞きに来て下さった皆さん,ありがとうございました.

「九条の会」ということで,下記のようなプログラムを組みました. 私の意図は伝わってくれたでしょうか.

  1. アメージング・グレイス
  2. この曲には,素朴な祈りが込められているように思います. 理不尽な苦しみを強いられることなく生を全うできること,誰にとってもこれがもっとも素朴な願いではないでしょうか. 「平和」はそのためにまず大切なことです.

  3. 鳥の歌
  4. スペイン・カタルーニャ出身のチェリスト,パブロ・カザルスが国連の会議場で平和を訴えて演奏した曲です. カザルスはその演奏の前にこんなことを言いました. 「私の国では鳥はこう鳴くのです.Peace! Peace! Peace! 」

  5. モズが枯れ木で
  6. もずが枯木で鳴いている / おいらは藁をたたいてる / 綿びき車はおばあさん / コットン水車も廻ってる
    みんな去年と同じだよ / けれども足んねえものがある / 兄さの薪割る音がねえ / バッサリ薪割る音がねえ
    兄さは満州にいっただよ / 鉄砲が涙で光っただ / もずよ寒いと鳴くがよい / 兄さはもっと寒いだろ
    
  7. 布袋軒「鈴慕」
  8. 亡くなった者たちだけでなく,今まさに生きている者たち,人間だけでなく獣やほかのすべて動物たち,植物も,そして地球にも,感謝の気持ちと平安であれという祈りを込めて.

東戸塚地区センターまつり

次は,今度の土曜日,10月24日,東戸塚地区センターまつりの「尺八吹合せ会」です. 出演予定は,15:40~16:00です. 曲目は下記の通り.

  1. 大和楽(神如道 生曲)
  2. 新たな手付をして,異なる長さ(1尺8寸と2尺7寸)の尺八で合奏をします.
  3. 根笹派「獅子」
  4. 独奏:松島俊明
  5. 荒城の月(瀧廉太郎 作曲)
  6. 吹合せ会メンバー(許田有希,萩原俊男)によるオリジナルの編曲です.
  7. 砂山(中山晋平 作曲)
  8. 吹合せ会メンバー(許田有希,萩原俊男)によるオリジナルの編曲です.

今回は時間的には短いですが,出演人数は過去最大の7名,演奏もオリジナルなものです. 乞うご期待 (^^)


2015.10.25

センターまつり,さて次は‥‥

東戸塚地区センターまつりは,無事,終わりました ( >> 当日配布のプログラム ). 初っ端の音が少し合わなかった以外,なかなかよくできたと思います. いつものことながら,残響がたっぷりある会場なので,とても気持ちよく演奏できました. 編曲も,うまく行っていたと思います. ちょっと残念なのはお客さんが例年より少なめな感じがしたことですが,でも逆に,真剣に聞いて下さる方が多かったようにも思います. 我々を聞くためにわざわざ来て下さった方もおられました. お喋りなどしている沢山のお客さんより,真剣に聞いて下さる少しのお客さんの方が,嬉しいですね. 聞いて下さった方,ありがとうございました.

さて次は,11月3日(火・祝)の港南区民文化祭(横浜市港南公会堂)です. 13:00~14:20ですが,私の出演予定は 13:25ころ とのことです. 布袋軒「鈴慕」を独管で吹きます. ここでは毎年,虚無僧の衣装で出演してきましたが,今年は虚無僧装束をやめて,したがって顔を出して吹こうかと思っていましたが,先日の「九条の会」に来られた方がまた来られるということなので,同じ衣装では申し訳ないし,やっぱり今年も虚無僧装束でやろうかと思っているところです.

その後は,11月23日の虚無僧研究会の献奏会,そしてその後は,12月17日の国立劇場 ‥‥ あぁ ‥‥ 編曲やらなきゃぁ‥‥

百錢会は,普大寺伝「霧海篪」の合奏を演奏します. この曲は「三曲歌ざんまい」ですでに2回演奏していますので,今回は少し編曲を手直しします‥‥と公言してしまいました :o しかも,楽器編成も変えようと思っていて,その編成で参加者を募ってしまいました :| それなのにまだ何も手を付けていなくって‥‥,ガマのように脂汗ばかりを垂らしている次第です :(

第2回 曠の会奨励会
平成27年12月17日(木) 午前11時半開演(午前11時開場)
会場 	国立劇場小劇場
入場料 	2,000円



2015.11.03

港南区民文化祭,で,次は‥‥

港南区民文化祭,無事に終わりました. 今年は虚無僧装束をやめようと思っていましたが,やはり今回も虚無僧でやりました. どうも,私の虚無僧を期待して来て下さる方もいらっしゃるようです. 会場の反応も年々よくなっているような感じがします.

今回は布袋軒鈴慕を吹きました. 持ち時間の関係で,7分ほどにカットしましたが,そのくらいの長さがちょうど良いような気もします.

>> youtube にアップしました.

さて,その次は,23日の虚無僧研究会です. またしてもそこで布袋軒鈴慕を吹きます. それとは別にもう一曲,2尺7寸(G)管が5人集まって「而閑俱楽部」という名前 (^^;) で,虚鈴を吹きます.


2015.11.24

虚無研が終わりました

昨日の虚無僧研究会の献奏会は,無事に終わりました. 聞きに来て下さった方,どうもありがとうございました. それにしても,今回は9時半開始で終わったのが18時,とんでもない長丁場でした. 参加者も多く,会場の法身寺の本堂は,酸欠になるかと思うような状態でした.

2尺7寸管の5人の連管(而閑倶楽部)の普大寺伝「虚鈴」は,我々自身はじつに気持ちよく吹けました. 聞いて下さった方からの反応も良かったようです. しかし一方で,あまり普通ではない演奏に,たぶん,冷ややかな反応もあったのではないかと思います. 特段の編曲を加えたわけではありませんが,演奏者を2グループ(独奏と4人の合奏)に分けて,交互に吹いたり,グループの入れ替わるフレーズの境目(息継ぎの部分)を重ねてみたり,部分的にオクターブ高い音を重ねてみたり,と,普通はやらないようなこと(十分編曲でしょうか^^;)をしました. はたしてこれをどう受け取られたことか :p

私の独管の布袋軒鈴慕も同様で,許しがたい演奏に感じられた方もいらっしゃったかも知れません. それと,今回は地無しの長管をやめて,泉州尺八工房の1尺8寸管を使ったことにも賛否両方だったようです. でも実は,私としてはこの選択も「思い」の内でした.

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実に不遜ではありますが,こんなことを思いました.
(1)何か伝えたい(聴衆にあるいは仏様に)ことや「思い」の感じられない演奏は,つまらない
(2)「思い」があったとしても,独り言の呟きでは聞き取れない(仏様は聞き取って下さるのかも知れませんが)
(3)ストーリー,陰影の無い演奏はつまらない
(4)ただのパフォーマンスも聞きたくない
(5)少々上手くても斜に構えた演奏は反吐が出る <--> たとえ技術的には下手でも真剣な演奏は気持ちが良い
マイナスのことばかり上げましたが,聞きほれる演奏はたくさん聞けました.

懇親会の席上で,仙台の高橋聴雪さんの(尺八ではなく)ケーナ(だから高橋易宏さんです)のソロアルバム「コユール-星の旋律」というCDを手に入れました. 演奏も素晴らしいのですが,それに加えて,そこから感じられる「思い」のようなもの,それにも感動します. 曲名を見て,知らない曲だな,などと思ったら,宮澤賢治の曲だったりします. ただのフォルクローレだと思ったら大間違い. 正真正銘ボリビアの曲の素晴らしいケーナの音に,どことなく尺八の魅力まで上乗せされているように感じられるのも,すごいです.

アマゾンで買えるようです.


さて,お尻に引火しました :(

来月17日に国立劇場で百錢会が演奏する曲の,最初の練習がもう今週に設定されています. それなのに,まだ編曲に取り掛かっていません. お尻のあたりの「ガマの脂汗」に引火してしまいました. さあ大変です. こんなことをグダグダと書いている暇はないのですが ‥‥ 逃避行動です :(


2015.12.14

果物で私の大好物は,柿です. 我が家の庭に柿の苗木を植えました. 桃栗三年柿八年と言いますが,接木でここまで育った苗木ですから,五年ほどで実がなるようです.

私の尺八練習1万時間の計画ですが, 夏前には,はやぶさⅡが地球に帰還するころ(2020年11月ころ)に達成の見通しでしたが, 夏以降いろいろあって,かなり遅れています. はやぶさⅡとの競争は諦めていませんが,もう一つ,庭の柿の実とも競争することにします. 競争相手は多い方がいい (^^;)

まあ,柿の葉が,夏の日除けになってくれたらそれでいいのですが. ついでに甘い次郎柿が食べられたら,なお嬉しい.



いよいよ国立劇場

さて3日後は,いよいよ国立劇場(曠の会 奨励会)の本番です. 編曲はなんとか間に合いました. 「霧海篪」は数年前に一度編曲していますが,今回は全面的にやりなおしました. 以前はややこしい和音をたくさん使ったりしましたが,今回は,元の旋律をソロ(D管),D管,A管,G管が交代で受け持ち(掛け合い),あるいはオクターブで重ね,たまに完全四/五度の音(主にG管による低音)が入り,ほんの一部だけ三和音がある,という程度の,実に単純な構成にしました. しかし,結局,この方が遙かにいい感じです.

実は,先日の虚無僧研究会での「虚鈴」のG管での合奏(而閑倶楽部)は,ある意味,今回の編曲の実験でもありました. その而管倶楽部,どうやら評判は良かったようでしたので,今回はこんな形にしてみました.

さて,国立劇場ではどう評価されるのでしょうか. 我々(百錢会)の出番は,およそ1時頃になるようです.


2015.12.17

国立劇場,無事終了(^^;)

霧海篪の合奏,大きく破綻することなく,何とか無事に終わりました. 本番で,舞台での座り位置を舞台の係りの人に直された結果,ほぼ横一列のような配置になってしまいました. これでは他のパートとのアイコンタクトができない! と焦ったのですが,まあまあ,なんとかなりました. ただ,冷静に録音とかを聞いていないので,実際にはうまくいったのかどうか分かりません. それと,他の団体ともまるで違う,たぶん,我々だけ浮いた演奏だったかも知れません. もし聞かれたかたがおられましたら,感想など,ぜひお聞かせください.

一つ残念だったのは,15分の休憩の後のゆっくり準備ができる順番だったので,緞帳の後ろで準備して,従って,せっかくの廻り舞台なのに回らずに,ただ緞帳が上がっただけだったことです. まあ,終わってからは回りました (^ ^)

写真は,楽屋入り口のお稲荷さんの神棚です. 大劇場では歌舞伎をやっていたようです.




演奏の様子の録画を頂きましたので,youtube にアップしました. たまたまお使いの機械が故障したので古い機材で撮影してくださったとのこと,画質は低いですが,充分に様子はわかります. (2016.1.13 追記)



日本の音色 ― 伝統楽器の世界

一つ終わればまた次が‥‥ (^^;) 下記の町田市のイベントで,お話と演奏をします. この中でものすごく辛いのは,お筝の方と最後に「春の海」を合奏しなきゃならないことです. 私,まともに「春の海」なんかやったことないんですが‥‥ (^^;;)

日本の音色 ― 伝統楽器の世界 (楽器解説と演奏)

第1回:筝,尺八
 1月13日(水) 13:45分~15:45
 町田市民フォーラム3階ホール
 尺八:坪井邦明,筝:服部恵美子
 『春の海』ほか
 
(全4回:
    第2回 1月20日(水曜日) 三味線(津軽・常磐津)
    第3回 1月27日(水曜日) 鼓・琵琶
    第4回 1月30日(土曜日) 笙・竜笛・篳篥・一絃琴
第2回以降の会場は町田市生涯学習センター7階ホール)

 無料・先着70名まで
 申込先:町田市イベントダイヤル 電話:042-724-5656
 主催・問合せ:町田市生涯学習センター 電話:042-728-0071
>> 詳しくはこちら
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