集団でやってきて, やがて去っていった子猫たち
僕が浜松の短大に赴任して,3年目のことだった.
単身赴任していた僕は,短大の構内にあった家族用の職員宿舎に一人で住んでいた.
木造平屋建のずいぶんと古い宿舎だったが,庭付きで,ある意味ではなかなか快適なところでもあった.
さて,ある初夏の夜,外でミーミーと子猫の声がする.
見ると,5匹の子猫たちが庭から宿舎の縁台に昇ってこようと七転八倒している.
生まれて間もないらしい子猫たちには,40センチほどの高さはとても昇れない.
僕は1匹ずつ手で持ち上げて,部屋に入れてあげた.
捨て猫だろう.
野良猫の子供なら,こんなところに来る筈がない.
お腹を空かしているらしい.
冷蔵庫から子猫に食べられそうなものを探したが,たいしたものはない.
慌てて近くの店で牛乳を買ってきた.
子猫たちはそのままいついてしまった.
出勤中は宿舎の中に入れておくわけにもいかないから,宿舎を出るときは外に出し,昼休みと夕方には餌を与えに宿舎に一旦帰るのが日課になった.
夜は窓を少し開けておいて,自由に出入りできるようにしておいた(だからトイレは庭だ).
最初はほっておくと今にも死んでしまいそうなほどかよわい赤ん坊だったのに,少し大きくなって力が付いてきたら,まったくこの猫ども,腕白でやんちゃな子供になってきた.
夏の盛りのころになると,とんでもないことを始めた.
昼間は外に出して,宿舎は締め切っていたのだが,帰ってみるとちゃんと部屋の中にいたりする.
一体どこから入るのだろうと不思議に思っていたが,その答えはじきにわかった.
ある日,帰ってみると,妙なところから猫たちの声がする.
なんと,雨戸の戸袋の中だ.
雨戸の戸袋に外から入り込んで,雨戸を上に這い上がり,そこから中に入っていたらしい.
ところが少しずつ大きくなってきて,今日はその戸袋の中で身動きとれなくなってしまったのだ.
戸袋から引っ張りだすのには一苦労させられた.
(これは一度きりのことではなく,戸袋に全然入れなくなるまで何度も同じことをしてくれた).
まったくこの猫たちには驚かされることが多かった.
猫がまるで犬のように散歩について来るという経験も初めてだ.
僕は散歩が好きで,よく宿舎の周りを散歩した.
周りは田圃や畑,それに小さな林もあって,近くには小川も流れている.
散歩するにはちょうどよい.
僕が散歩に出かけようとすると,猫たちがついてくる.
最初は追い返そうとしたが,追っても追ってもついてくる.
ついにあきらめて一緒に散歩することにした.
けれど,子猫と一緒の散歩は,散歩にならない.
ちょっと歩いては何かを見つけて遊び始めてしまう.
遊び飽きるのを待っていたらきりがない.
さっさと先に歩いて行くが,やっぱり気になってあまり先までは行けない.
僕を待たせておいて,やがて遊びに飽きると転げそうな勢いで僕の足元目掛けて走ってくる.
それまではとにかく待つしかないのだ.
そんなわけで,猫たちがいる間,本格的な散歩ができなかったのだが,それにしても猫が散歩についてくるなんてことがあるんだろうか.
散歩の味をしめた猫たち,夜になると盛んに散歩に行こうと僕を誘うようにさえなった.
ところで,この子猫たち,いつのまにか少しずついなくなってしまった.
どこに行ったのかはわからない.
宿舎の前は道路だが車はほとんど通らないし,轢かれた死体もみなかった.
宿舎の隣は学生寮で,時々いたずらされて帰ってくる猫もいたが,しかしいくらなんでも猫を殺してしまうほどの学生はいないだろう.
1匹去りまた1匹去り,と,夏の終わりころには1匹になってしまった.
僕は,夕食を食べた後は再び学校に行き,深夜までそこにいるのが普通だった.
最後に残ったこの猫は,僕に夜の出勤には必ずついてきて,建物の入り口近くで帰りを待っているようになった.
そこには空調の室外機があって,暖かかったのだ(そう,その頃にはもう秋も深まっていたのだった).
ところが毎日そううまくいくわけではない.
時には彼女のお気に入りのその場所を,他の猫が占領していることもある.
そんな時,彼女はとりあえずその猫に突っかかっていって,すぐさま追い返され,僕に助けを求めるのだった.
彼女を追いかけてきた猫は,僕が彼女の保護者であることを察すると,すごすごと去っていった(あの時の猫君,わがままな子猫を許してくれたまえ).
ところでこの猫は,妙な(そしてとても困った)楽しみを持っていた.
宿舎と学校の間には野球のできるグラウンドがあるのだが,そのピッチャーマウンドで用を足すのがお気に入りだった.
この趣味のおかげで僕は,随分とつらい立場に立たされたものだ.
朝,彼女の趣味の痕を見つけた管理人は,カンカンになって僕のところに怒鳴り込んで来る.
その度に僕は,生きた心地がしなかった.
まったく,猫め,僕のことも少しは考えろ.
いろいろと大騒動もあったが,子猫(たち)のおかげで僕は,随分と楽しい日々を過ごさせてもらった.
しかし,最後に悲しい別れがやってきた.
冷たい小雨の降る夜だった.
いつまで待っても猫は帰ってこない.
ついに最後の1匹もどこかに去っていったのかという思いが胸をしめつける.
そして次の朝,宿舎の前の道で猫を発見した.
冷たくなっていた.
傷はないが,車にはねられたことは間違いない.
宿舎の庭に穴を掘って,遺体を埋めて,小さな墓標を立てた.
それから半年後,この宿舎は取り壊され,整地されて,今では新しい学生寮がその上に建っている.
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