年賀状を出すのをボヤボヤしているうちに,梅の枝にはいっぱい蕾がついていました.
オカリナを甘く見ていました。 次のコンサートで、1曲だけオカリナを吹く予定です。 しかし、どうにもうまくコントロールできないでいました。 そこで、年が明けてから、1時間半ほど集中的にオカリナを練習してみました。 なんとか、少しは思い通りのコントロールができるようになってきました。 ところが今度は、尺八がまるでおかしなことになってしまいました。 尺八の腕が、10年分以上は退歩してしまったようです。
オカリナで難しいのは、ピッチ(音高)のコントロールです。 尺八やフルートとは違って、息でしかコントロールできません。 おっかなびっくり息を入れると、ポルタメントみたいなお化けでも出そうな音になってしまいます。 音の最後は、音がぶら下がってしまいます。 だから、最初からしっかり息を入れて、最後まで息を抜けません。 その感じが、どうも尺八やフルートとは違うみたいです。
オカリナも、尺八・フルートも、要するにお腹の力の使い方の問題なのでしょうが、もう少し試行錯誤が続きそうです。 本番ではオカリナの他、1尺6寸と2尺4寸の尺八も持ち替えします。 本番まであと10日ちょっとしかありません。 さあて、間に合うでしょうか(^^;)
その本番とは、毎年出演している下記のコンサートです。
第19回 杜のホールはしもと アンサンブルコンサート
日付:2020年1月18日(土) 会場:杜のホールはしもと(橋本駅北口 ミウィ橋本7F) 入場無料
曲目: 紫鈴法<一休禅師> 緋色の空<Clarken Orosco> 青い瞳<アンデス伝承曲> 緑の大木<Ernesto Cavour> 黒いオルフェ~カーニバルの朝<Luiz Bonfa> 真紅のバラ<Nestor Olmos>(オカリナは2曲目で使用。3曲目は弦楽器だけの合奏で、私は休み)
昨日(8日)、毎年恒例になってきた戸塚宿七福神巡りに行ってきました。 当初は6名の予定でしたが、拠無い事情により、4名となりましたが、それでも過去最大の参加者となりました。
今回は、完全に天候(天気予報)に「おちょくられた」恰好になりました。 数日前から、チェックするたびに天気予報が目まぐるしく変わり、決行できるのかできないのか、前日夜になっても、どうにも判断ができなくて、あとは神仏にお任せするだけ、と、えいやっと決行を決めてしまいました。 当日、家を出る直前まで雨で、とにかく集合場所に行くだけ行って、ダメだったらその辺で「お屠蘇」でも飲んで七福神の代わりにしましょう、と腹を決めました。 ところがそのとたん、空がパアッと明るくなり、陽が射してきました。 インチキ虚無僧にもちょっとは神通力があったのか!などとも思いましたが、よく考えてみると、佛僧は雨乞いはしても寒冷前線の通過を早める祈祷なんてしませんよね。 雨を上がらせる法力なんて、本物のお坊さんにもないものが、虚無僧、ましてやインチキ虚無僧にあるはずもないのでした。
さて、そんなわけで、なんとか雨には降られずに、無事に予定の5ヶ寺のご本堂にて献笛させていただきました。 尺八ウェルカムではないところは今年もパスしました(したがって七福神ではなくて五福神 ^^; ですね)。
毘沙門天 弁財天 恵比寿 大黒天 布袋尊今年は天候の関係で午後1時に歩きはじめ、5ヶ寺終わったのが3時過ぎ、歩いた歩数はおよそ8000歩というところです。
尺八を携えて戸塚宿七福神をめぐるのは6年め(私は服喪で1回休んだので5回め)です。 最初はいったい何をされるのかと訝しがられることも多々ありましたが、今回はどこも快く、当たり前のように受け入れてくださいました。
来年は直前におろおろしなくて済むように、うまく計画を立てておこうと思います。 それと、ご本堂での調子の他、境内の七福神に吹く短い曲(呼び竹・受け竹程度の)も考えておこうと思います。
昨年夏から続いてきたハイシーズンが、昨日(1月18日)の「杜のホールはしもと アンサンブルコンサート」で終わりました。 これからしばらく出番はありませんから、しばし充電に専念します。
昨日のコンサートは私の(主に)尺八と3人のギター類の合奏でした。 本番直前まで破綻なく通すことができないほどメチャメチャでしたが、本番だけは奇跡的に致命的な破綻はなく、なんとか終わりまで辿り着けました。 この合奏は、毎回毎回薄氷を踏むような状態で、ストレスきついです(^^;;)
今回の最初は、出来損ないの(天蓋だけの)虚無僧で登場して、ステージを歩きながら「紫鈴法(伝 一休禅師作)」(一部だけ)を吹きました。 次は尺八をオカリナに持ち替えて1曲。 弦楽器だけの合奏で1曲、その後は再び尺八。
最初の「紫鈴法」以外は、アンデスの曲(フォルクローレ)です。 全6曲のタイトルにすべて「色」がついています。 一休禅師とインカとか、しかもオカリナが登場したり、何の脈絡もない出鱈目な選曲に思われるかも知れませんが、実は、そこそこのストーリーはあります。 ヒントだけ‥‥思いつくままに‥‥
一休禅師は応仁の乱の時代 それはインカ最盛期 応仁の乱から戦国時代・大航海時代・アメリカ発見・インカ滅亡 日本には鉄砲の技術が、アンデスには鉄砲を持った征服者が アンデスには鉄が無かったから「風鈴」も無かった オカリナはイタリアの楽器と言われるがルーツは中南米 コロンブスはイタリア人 雅楽と民謡:インカ皇帝の音楽と庶民農民の(いわゆる)フォルクローレ(アウトクトナ) アンデスと西洋の融合の新しい力 ブラジルも忘れてはいけない
それにしても、オカリナおそるべしでした。 あんな原始的でオモチャみたいな楽器、と軽く見ていたら、ちゃんと演奏するのはベラボーに難しいのでした。 圧力のある息で、安定して吹く、というのが一番重要なようです。 息を弱くしていくことで「楔吹き」にしよう、というような甘い考え(^^;) では、オカリナではとんでもないことになってしまいます。
久しぶりにアマオケのコンサートを聞いてきました。 プログラムは超有名な曲ばかりで、しかも私の好きな、あるいは思い出のある曲ばかりで、出来不出来とかは別に、楽しめました。 管はちょっと残念でしたが、弦はとても良く、特に、チェロ・コントラバスが良かったです。
ところで、今日は日曜日。 1年間待っていた大河ドラマの2回目の放送がありました。 今日は、斎藤道三と織田信秀(信長の父)の戦の場面でした。 それで、ふと変なことに気づいてしまいました。 斎藤道三役の本木雅弘は、映画「おくりびと」でチェロを弾きました。 織田信秀役の高橋克典は、NHKの「ららら♪クラシック」という番組の中で、チェロを習いました。
ということで、今日はチェロ尽くし‥‥ (^^;)
大変なことになってきました。 あっちこっちでいろいろなイベントが中止になり始めました。 聞きに行こうと思っていたアマオケのコンサートがたくさんあるのですが、これだけ騒がれると、ちょっとどうしようか悩んでしまいます。
しばらくコンサートに行けないかも知れないので、最後に聞いたコンサートの感想を記録しておきます。
最初の発音のタイミングが揃わないのが気になりました。 尺八の斉奏や合奏なら大した問題ではありませんが、西洋音楽(のクラシック)では致命的です。 若い指揮者で統率力が不十分なせいもあるかも知れませんが、各々の演奏者の音を出すための準備がマチマチなようでした。 弦楽器でも同様ですが、管楽器では殊更、音を出したいそのタイミングで息を(力を)入れても、そのタイミングでは発音しません。 音を出す瞬間を狙って、前もってエネルギーを注入していかねばなりません。 尺八的に言えば、音を出す前にまず息が漏れ始めて、それから音にする、ということでしょうか。 音を出す前の準備(ほんの一瞬ですが)が、タイミングだけではなく、しっかりした音量・音色で鳴るかどうかにかかわります。
一つ、面白い(^^;)ものを見ました。 トランペット奏者が、長い休みの後の発音前に、顎をガクッと開いて準備運動をしていました(あまり見栄えは良くないですが^^;)。 尺八奏者がやるのは見たことがあります(私もちょっとやります‥‥ただし出演前)が、ラッパでもやるんですね。 音を出す前には、上述の一瞬のことを含めて、すべからく準備を怠らざるべし、ということでしょうか(ただし見栄えも大事かと^^;;)。 不用意な発音、迂闊な休止、無用心な息継ぎ‥‥ は慎みましょう。
屋形船はもちろん、ロックの人気バンドのライブハウスに比べたら、クラシックのアマオケのコンサートホールの危険性は低いのではないかとも思いますが、行き帰りの電車はやっぱり怖いですね。 早いところ治まってほしいものです。
本曲には、ワルツだのサンバだの阿波踊りだののようなリズムはありません。 それどころか、2拍子・3拍子・4拍子というような「拍子」すらありません。 しかし、「拍」はあります。
‥‥ということは前から思っていましたが、これがとても大事だということに、最近(あらためて)気づきました。 「拍」ということから考えると、旋律の組み立て方だけでなく、音の出し方から根笹派のコミ吹きのニュアンスにいたるまで、うまく説明ができそうです。 いずれ考えがまとまったら、あらためて披瀝させていただきます。
一つヒントは、「拍」の前の「アウフタクト」。 ただし、日本の音楽教育でいう「アウフタクト」の訳語の「弱起」はとんでもない間違いだと思います。
新型コロナウイルスは、検査をしていない(してくれない/させてくれない)ので数がはっきりしないだけで、実はもはやほとんどパンデミックなのでしょう。
ところで、今日、買い物に出たら、ティッシュやトイレットペーパーが店の棚から見事に消え失せていました。 まったく馬鹿らしい噂・デマのせいでこういうことが起こってしまいます。 新型コロナウイルスは26度のお湯で死ぬからお湯をたくさん飲めばいい、という噂もあるそうですが、体温より低いお湯で死ぬんだったら生きている人間の体内にウイルスは侵入できないから、そもそも感染なんてないはずです。 こんなバカな噂を真に受けるほど人々の思考力は無くなっているのでしょうか。 パンデミックしているのは、もしかしたら、<思考停止ウイルス>なんじゃないでしょうか。 そしてその感染の媒体は、まちがいなく SNS 、広く言えばインターネットです。 WHO はインフォデミックという言葉を使っているようですが、一人々々が思考さえすればそう簡単には感染しないと思いますが‥‥
新型コロナウイルスの感染防止で、外出もままなりません。 横浜市内の地区センターなども3日から15日までの臨時休館となります。 吹き合せ会も中止になります。
こんな状況ですが、曲の練習はさておき、少なくとも、音出しの練習だけは怠りませんように。
環境や事情にもよるでしょうが、できるだけ大きな音を出すのが大切です。
そしてもし、音を出しながら歩き回れるスペースがあったら、ゆっくり歩きながら音を出す(ロングトーン)のをお勧めします。
乙ローーーー(4歩あるいは8歩。必ず偶数)<最後の1歩の終わりころに息を吸う> レーーーー(4歩あるいは8歩) (以下同様)
この音出しはロとレとリ(乙と甲)で十分です。
(ツ、チ、イ、各メリ音などはやらなくてOK)
この練習(歩きながらの)は、音出しとともに、呼吸法の練習にもなります。 大切なポイントは、次の音を出す1歩めの頭にあわせて息をスッと吸うところです。
「序破急」というのがあります。 本来は、中国から伝来した雅楽でのテンポの組み合わせのことですが、日本の文化ではもっと拡大解釈されているようです。
例えば、書道では、まず筆に墨を含ませて紙の上に筆を持って行くあたりが「序」、「破」で筆が入り、「急」では筆がスッと動きます。 「急」の最後は再び「序」への回帰を孕みます。 「序」はまだ何も書いてはいないわけですが、書道にとっては重要な動作・所作です。 「序」の中に、もうすべてが包み込まれている、とも言えます。 「急」は実際に書くことの本体です。 では「破」は? 「序」を破って「急」に入るその瞬間ですから、これもとても重要です。
さて、尺八の話ですが、「序」は息を吸って気を充実させて、発音の瞬間を待ちます。 「急」はもちろん発音しているところです。 では「破」は? たとえば「調子」の頭の「4ツ レー」で、「レ」から後が発音の本体であるとすると、「4ツ」が「破」です。
西洋音楽的に言えば「アウフタクト」。 1拍めの「拍」を打つためにタクト(指揮棒)を振り上げること、あるいは行進を始めるために最初の1歩の足を持ち上げることです。
上で、歩きながら音出しの練習を、と書きましたが、それがここで言う「序破急」の会得に役立ちそうに思ったからです。 「急」の最後は「序」に回帰する‥‥一息を吹き終わるその動作の中に、息を吸うという動作がすでに含まれる‥‥、という「サイクル」を意識するのが重要です。 この「サイクル」は、フレーズ(一息)だけでなく「拍」ごとにも成り立ちます(「拍」の場合は息を *しっかり* 吸うことはありませんが)。 「拍」のことはまた改めて。
# 因みに、私は書道はまったくの素人・門外漢ですので、とんでもない思い違いがあるかもしれません。ご容赦ください。小泉文夫:諸芸のリズム, 「音楽の根源にあるもの」(青土社, 1977)所収, pp.21-31.
このところ、新型コロナに振り回されていて、「本曲のリズム」についての考察はちっとも進んでいません。
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上でちょっと触れている「書道」ですが、筆の入れ方には「露鋒(ろほう)」と「蔵鋒(ぞうほう)」というのがあるそうです。 尺八(古典本曲)で最初の音を出すときは書道の筆の入れ方をなぞらえるとよい、と教わりました。 露鋒・蔵鋒という言葉は使われませんでしたが、このことだと思います。 特に重要なのは、蔵鋒で、逆入とも言います。
例えば、フレーズの先頭が「乙大メリロの3打込み」だったら、つい、指孔を3以外全部塞いで、めいっぱいにメって構えて、それから(たぶん、おそるおそる)息を入れながら3を打ち込むことになるでしょう。 そうではなくて、逆に、カリに構えてからメって打込んで音が出る‥‥書道で言う逆入、を薦められました。 この「逆入」の部分は、上に書いた「アウフタクト」に相当するのではないかと思います。
なお、上掲書の p.31 に「書道のドホウやロクホウにおける筆のおろし、‥‥」とあるのは、露鋒・蔵鋒のミスであろうと思います。 小泉先生の勘違いか、どこかの段階での編集者の間違いかはわかりませんが。
横浜市内の地区センターの臨時休館が、4月12日まで延長になりました。 尺八吹き合せ会も、アンサンブル・ヌーの練習も、当分お休みです。
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新型コロナウイルスの感染の様子を、素人ですが、監視・分析しています。 報道される情報に基づく分析だから、実際の状況より2週間くらいも古いことしかわかりません。 が、それでもここ数日はえらいことになってきました。
数日前(3月22日)には、自粛要請を無視して K-1 グランプリなるものが催されました。 花見も盛んです(報道によれば、首相夫人も花見をなさったとか :o)。 爆発的な感染拡大が現実味を帯びてきました。 その原動力はおそらく、元気な若者たちなのでしょう。 海外でも「コロナパーティー」とか称して騒ぐ若者たちが報道されていました。
どうせ重症化しない(と自分では思っている)若者たちの 6500万人くらいがさっさと感染して(回復して免疫を得て)くれると、コロナは終息に向かいます(ただし若者とはいえ、そのうちの10万人かそれ以上は命を落とすかも知れません)。 その間、高齢者や病持ちはひたすら手洗いを励行し、なんとかやり過ごしましょう‥‥ (ただ‥‥、日本の若者って、そもそも総人口の半分もいましたっけ?)。
新型コロナウイルスの感染拡大は止まりません。 やっと明日ころに緊急事態宣言を出すということですが、今(2週間前?)の勢いがそのままなら、7月中旬には日本の全人口の半分が感染し(大半は軽症で快復しても一方で150万人ほどが亡くなり)、7月末までには全員が感染する計算になります。
そんな中、外出もままならず、鬱々となさっておられる方もいらっしゃるかと思います。 私自身、楽器(尺八もフルートも)を構えてはみるものの、どうも、1曲をしっかり吹き切る気力が足りません。
そんな時(こそ)、音階練習がお勧めです(以下、尺八の話です)。 以前(2020.03.02)にお勧めした歩きながらの音出しは、メリ・カリを使わない幹音だけでしたが、今回は、多くの本曲を構成する音階の練習を紹介します。
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まずは、
乙レ チメ リ ロ ツ レー | 甲レ ツメ ロ リ チメ レー |
とやってみましょう。
「|」は息継ぎです。
これを繰り返してください。
速さはどうでもいいのですが、一息(息継ぎまで)で息をほぼ使い切るくらいの速さ・音量・音色を工夫してください。
これはこれで息遣いの練習になります。 長いフレーズを吹く場合に、自分の息がどのくらい残っているのか、残った息でどこまで吹けるか、フレーズを吹ききるにはどのくらいに吹けばよいか、等々。 とりあえず、1秒に1音程度の速さ(遅さ?)でやってみましょう。
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さて、音階の雰囲気を出すために、下記の「*」をつけた音を充分低くなるように工夫してください。
「*」の音は他の音に比べて小さい音になります。
乙レ *チメ リ ロ ツ レー | 甲レ *ツメ ロ リ *チメ レー |
なお、「チメ」を「ウ」に変えてみるのもよい練習になります。
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この音階を「本調子(ほんちょうし、もとちょうし)」と言います。 尺八の長さが変われば全体の高さは変わりますが、尺八では絶対的な高さではなくて、指遣いに調子の名前が対応します。
本曲では「本調子」を含めて五つの調子があります。 根笹派錦風流ではこれを「津軽五調子」と言います。
「本調子」についで使われるのが「曙(あけぼの)調子」です。
やはり「*」はできるだけ低くなるようにします。
乙ロ *ツメ レ チ リ ロー | 甲ロ *リメ チ レ *ツメ ロー |
あるいは
甲ロ *ツメ レ チ ヒ 5ハー | 5ハ *ヒメ チ レ *ツメ ロー |
なお、「5ハ」は「五のハ」で、「甲ロ」の1オクターブ上、指遣いは「ロ」の裏孔(5孔)をほんの少し開けます。
もう一つ、「雲井(くもい)調子」もたまに使われます(吾妻の曲の一部、など)。
乙リ *イメ ツ レ ヒメ ヒー | ヒ *チメ レ ツ *イメ リー |
本曲のほとんどは以上三つの調子でできています。
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この三つの調子を順番に、例えば、乙の曙調子、本調子、雲井調子、甲の曙調子、などのように繰り返し練習します。 たかが音階練習ですが、音階だけでも十分音楽になります。 というより、「音階も音楽だ!」です。 長い本曲の1曲を吹き切る気力は出なくても、音階くらいなら吹けるでしょう。
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今流行りの新型コロナウイルスですが、ワクチンはもちろん、有効な治療薬の開発にはもう少し時間がかかるようです。 現時点では、これに対抗できるのは自分の「免疫力」だけです。
免疫を高める方法はいろいろありますが、副交感神経を優位にするための呼吸法は、坐禅の呼吸法や、本曲を吹く尺八と同じです。 「曲」ではなくても、音階をゆっくり練習すれば、それはちょうど坐禅の「数息観」と同じです。
コロナ対策も兼ねて、音階練習、やってみましょう。
上では、尺八古典本曲で使われる音階(津軽五調子)のうち「本調子」「曙調子」「雲井調子」の三つを紹介しました。 ほとんどの曲は「本調子」が中心で、途中で「曙調子」や「雲井調子」に一時的に(洋楽の言葉で言えば)転調します。 なお、根笹派では、本調子が中心の曲を「表(おもて)調子」と言い、それ以外のすべてを「裏(うら)調子」と言います。
残り二つの調子を紹介します。
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まず、「夕暮調子」。
乙チ *リメ ロ ツ中 レ チー | チ *ツ ツ中 ロ *リメ チー |
「ツ中」は「ツの中メリ、ツのカザシ」です。
これまでと同じく、「*」の音は他の音に比べて小さくて、しっかりメッた音です。
ここで問題は、カリの「ツ」にも*がつけてあります(派生音ではなくて幹音なのに)。
日本音階(陰旋法)の雰囲気を保つためには、この「ツ」も少しメリ気味の弱い音にしたいところです。
逆に、「ツ中」ははっきりした音で、メリ過ぎないように気を付けないといけません。
この二つを保たないと、音階の雰囲気がでません。
因みに、この音階を洋楽の五線譜で表せば、「ヘ長調」になり、尺八で洋楽を吹くのに最も容易な調です。
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最後に「太極調子」。
乙ツ *レメ リメ リ ツメ ツー | ツ *イメ リ リメ *レメ ツー |
メリ音が多すぎて、実用的な音階とは思えませんね。
とくに、「リメ」と「ツメ」はメリすぎたり、メリが足りなかったりしては音階が崩れてしまいます。
ちなみに、この音階を五線譜で表せば、「変ニ長調」という♭(フラット)が五つも付くとんでもない調で、私はフルートではとても吹く気にはなりません (^^;)
あるいは、「嬰ハ長調」という♯(シャープ)がなんと!7つも付く、とんでもないどころではない調で、手も足も出ません (x x)
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「夕暮調子」と「太極調子」は、実際にこの調子で吹かれる曲を、私は知りません。 ただ、ごく部分的にはこの調子らしきところもありますし、練習にはもってこいです。
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私は、毎日、こんな↓練習を繰り返ししています。
本調子→(乙)曙調子→本調子→雲井調子→(甲)曙調子→雲井調子→夕暮調子→本調子→太極調子→(乙)曙調子→本調子
あるいは、こんな↓ことも、時々します。
(乙)曙調子→太極調子→本調子→夕暮調子→雲井調子→(甲)曙調子
どの調子を吹いても、いつでも「ミ ファ ラ シ レ ミー ミ ド シ ラ ファ ミー 」を平行移動したように聞こえるように、注意してください。
突然の凄い ☔ 雨。 屋根にいた 🐈 猫が慌てて屋内に飛び込んできました。 続いて、🌩 雷鳴、⚡ 稲光。 雷が激しくなると、猫は、閉め切った戸を開けさせて、ベランダに脱出。 ベランダに佇み、稲妻と雨をじっと眺め、雷鳴と雨音を一心に聞いています。 雷の時はいつもこんな調子。 まったく、風流な猫です。
飼い猫は飼い主に似る、のでしょうか? 実は私も雷が好きです。 雷鳴はそうでもないですが、稲妻を見るのは大好きです。 子供のころ雷や空電に興味があったのも、私が「電気屋」を志したきっかけの一つでした。 まあ、雷や空電とは縁のない分野に進みましたが。 それでも、教員不足で一般科目の物理や電気、安全衛生だのという科目を担当した時は、雷や感電の話に異様に時間を割いてしまいました 😓
雷が治まって空が明るくなったら、🐱 猫は「ウヮ~ン」とか言いながら部屋に入ってきて、つまらなそうな様子。 ところが、私が尺八を構えて、「吹くよ」と言ったとたん、猫はこそこそ逃げ出していきました。 私の尺八より雷の方が好いってことかい!? さても風流な猫 😮
コロナ騒動が起こるちょっと前(1月18日)のコンサートの動画を Youtube にアップしました。
恥ずかしい限りですが、ご興味がありましたらご覧ください。
>> https://youtu.be/foKamnrl_Ms
いかがわしい(^^;)虚無僧とアンデス音楽のコラボです。
最初は一休禅師作曲と言われる古典本曲、5曲目はブラジルの映画音楽、それ以外はアンデスの曲です。
「色」にこだわって選曲してみました。
1 紫鈴法<一休禅師> 2 緋色の空<Clarken Orosco> 3 青い瞳<アンデス伝承曲> 4 緑の大木<Ernesto Cavour> 5 黒いオルフェ~カーニバルの朝<Luiz Bonfa> 6 真紅のバラ<Nestor Olmos>
この中の、とくに4曲目と6曲目は、ものすごく息を使います。 練習2時間の間に、水のペットボトルを2本以上飲みました(真冬だというのに)。 本番では息も絶え絶えでした。 大声でわめく以上ですから、今のコロナの状況ではとても合奏練習なんてできません。
単なる音階練習(西洋音楽ではスケールと言います)でも、一つの音楽だと思いましょう。 音階の各々の音は異なった性格を持っていて、それぞれ異なった役割を持っています。 そのことにも注意を払って、音階練習をすると、なお効果的です。
とくに、力の入れ具合に注意するといいでしょう。 私は、つま先で拍を刻みます。 音一つ一つで刻むのではなく、まとまりでつま先を上げ下ろしします。
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本調子の
乙レ チメ リ ロ ツ レーーー | 甲レ ツメ ロ リ チメ レーーー |
で説明します。
まず、上行:
「レ」の発音時、つま先で大地を(叩くように)押します。
そのためには、「レ」の発音前に、一度つま先を持ち上げなくてはなりません。
その時に息を吸います。
持ち上げたつま先の着地が発音のタイミングです。
# この「持ち上げる」という動作にはエネルギーを要するはずです。電車だって、発車する時が一番エネルギーが必要でしょう。
「チメ」の間はつま先はそのまま(あるいはちょっと力を抜いて浮く)。
「リ」の発音が始まってから、つま先を上げます。 上げるためには、大地を踏みしめて踏ん張ります。 つま先を上げるには、エネルギーが要るからです。 走り高跳びや走り幅跳びの踏切の要領です。 つま先を上げながら、「リ」の音を止めます。 走り高跳び同様、頂上では無重力。
「ロ」の発音は、再びつま先の着地、大地を押しながら。
「ツ」の発音が始まってから、つま先を上げます。 走り高跳びの踏切。 つま先を上げながら「ツ」を止めます。 無重力。
着地、「レ」は大地を押しながら。 しばらく(2拍め3拍め)そのまま(あるいは軽く浮き沈み)。 4拍めで、踏切。 つま先を上げながら「レ」を止めます。
つま先を上げながら、上がりきるころ(走り高跳びのバーを越えるころ。無重力のころ)にスッと息を吸います。
次、下行:
無重力から反転して、着地で「レ」。 「ツメ」で走り高跳びの踏切。
着地で「ロ」。 「リ」。 「チメ」で踏切。 着地で「レ」。 2拍め3拍目。 4拍目で踏切。
無重力になったところで、おしまい。
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めんどくさい音楽理論は気にしなくて結構ですが、ちょっとだけ説明します。
本調子の「レ」と「ロ」は、曲の終止音になれる音です。 この二つと「リ」は、物理学で言えば、互いに周波数関係が単純な関係にあります。 核音とも言います。 周波数関係が単純だということは、高さが安定していなくてはなりません。 だから、これらの音は「派生音(メリなど)」ではなく「幹音」が割り当てられるのが好ましい。
明確な音は、はっきり発音されます。 つま先の着地で発音するのは、だから、核音(特に終止音になれる音)です。
これに対して、「ツメ」や「チメ」は核音に対して周波数関係の明瞭でない、不安定な音です(中間音と言います)。 核音の高さは、正しいか正しくないかですが、中間音は、情緒に関わります。 低くとれば、暗く、しっとりした感じ、高くとれば、明るく、はっきりした感じ。 情緒的な音は、かるくユリを掛けたりして、さらに情緒性を増すことができます。
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ついでに、もうひとつ。
尺八古典本曲に限らず日本の音楽では、いや、世界中の音楽で、基本は2拍子です。 しかし、上の説明では、上行では「3拍、2拍、4(2×2)拍」、下行では「2拍、3拍、4(2×2)拍」と、西洋音楽で言う「変拍子」になっています。 本曲ではこんなことばかりです。 こんなリズム(?)感に慣れるのも大切です。
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以上のことにも注意を払いながら、本調子、曙調子、雲井調子などの音階練習をしてください。 夕暮調子は、核音に派生音が当たっているところがあり、原則から外れます。
アベノマスクも10万円も、さっぱり届きません。 それはさておき‥‥
新型コロナウイルスの感染状況を、自力で集計して一喜一憂しています。 その中で最近気になっていたのが「死亡率」です。 死亡率が見事に単調増加で上昇してきているのです。 「累計の感染確認者数に対する累計の死亡者数の割合」を「死亡率」とすれば; 4月12日には 1.85% であったものが、5月1日で 3.30% 、5月27日で 5.20% となりました。 このことは報道にはさっぱり出てこないので、とても訝しんでいました。
しかし、よく考えてみれば、これはそんなに不思議なことではないのかも知れません(と、昨夜気づきました)。 これは、「累計」で計算しているからじゃないでしょうか。 累計では、初期対応に失敗して重症化し、長い闘病の末、今になって亡くなる人と、たった今感染が確認されたばかりの人をいっしょくたにしていることになります。 たとえば、「感染後2週間以内の死亡率」とか「感染後1ヶ月以内の死亡率」とかで表さないといけないのではないかと思い至った次第です。 そんなデータがあれば、それが医療の実態を表すのではないかと思います。
もし新たな感染者がまったく発生しなくなったとしても、この定義の死亡率は上がることはあっても下がることはあり得ません。 逆に、もし死亡率がどんどん下がるとしたら、それは新たな感染者がどんどん増えている、ということに他なりません。
因みにこの 5.20% の死亡率ですが、諸外国と比較しても、 スペイン、イタリア、フランス、イギリスは 10% 以上で、それは医療崩壊の結果として、 それ以外では、アメリカ 5.91%、ドイツ 4.64%、中国 5.58%、イラン 5.34%、今話題のブラジルが 6.22% なので、 日本の値はまあ普通、というところかと思います。
なお、人口当たりの死亡者が諸外国に比べてとても少ないというのは、感染者がとても少ないのだから当たり前です。
上(2020.05.15)の音階練習の説明の中で「核音」という言葉を使いました。 今回はこの説明をしようと思ったのですが、少々厄介なので、先送りします ^^;) 代わりに、これに関係する別の練習(発音練習)を紹介します。
乙ロの指遣い(すべての指孔を塞いだ状態)のまま、甲ロが出せます(これは基本です)。
さて、その指遣いのまま、もう少し吹き方を工夫すると、さらにもう1オクターブ高い音、大甲ロが出せます。 これはなかなか出しにくいかも知れません。 その場合、5孔(裏孔)にほんの少しの隙間を作ると発音できるでしょう。 5孔を少し開けているので、この音は大甲ロではなく、正しくは「五のハ」と呼びます。 出したい音高(五のハ)が分かったところで、なんとか工夫して、5孔を開けないままの大甲ロにチャレンジしてください。
次に、同じ指遣いのまま、甲ロと大甲ロの間に、もう一つの音が出せます。 これは、さらに鳴らしにくいのですが、うまく行けば、甲チと同じ(ほぼ同じ)高さの音になるはずです。 甲チの高さを頭に思い浮かべながらやらないと、なかなか発音できません。
これらの音の周波数関係は、乙ロ:甲ロ:甲チ:大甲ロ=1:2:3:4です。 このような簡単な周波数関係の音は互いによく混ざり合います。 実は、もともと乙ロの音の中にこれらの音は含まれている、とも考えられます。 音階(音組織)の中の、核となる(あるは骨格となる)音は、このような単純な周波数関係にある音です。
‥‥周波数だの核音だのの話はまたいずれ、ということにして、ここでは発音練習の紹介にとどめます。
乙ロの指のまま、乙ロ、甲ロ、甲チ、大甲ロの音を自在に行ったり来たりする練習は、とても役に立ちますので、お勧めします。 さらに難しいですが、同様に、乙レの指遣いのまま、乙レ、甲レ、大甲ロ、大甲レを自在に行ったり来たりできたら、かなりのものです。
待ちに待った :p アベノマスクが今日、やっと届きました。 サイズが小さいとかいう噂でしたが、ガーゼマスクとしては普通の大きさですね。 小さいと感じる人は、いわゆる不織布の使い捨てマスクしか知らないからでしょう。
私は、夜寝ている間に喉が痛くなり、唇も乾燥するので、年中、夜はガーゼマスクをして寝ています。 外出時もかつては、風邪対策(ウイルス対策と言うより、喉の乾燥を防ぐ)で、ガーゼマスクをしていました。 そんなわけで、ガーゼマスクのストック(未開封も)はいくつかあります。 手持ちのガーゼマスクと比較して、特に小さいことはありません。
しかし! 違うことは、その厚さです。 明らかにガーゼの重ねてある枚数が少ないようです。 そうとう安物のガーゼマスクですね。
しかししかし、それよりもっと笑ってしまうことは、その袋の裏に書いてあることです。 曰く「みなさまへ 現下の情勢を踏まえ、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出されました。‥‥」とのこと。 一体、いつの話だ :o 緊急事態宣言発令からおよそ2ヶ月、すでに宣言は解除されて10日、地域によっては21日も経っています。 もちろん第2波が来るのはほぼ確実で、再び緊急事態宣言が出る可能性はあります。 でも、とりあえず今は、マスクは店で手に入るんですけど(しかも普通の値段で)。
2016年冬から2017年正月にかけて連載して、中途半端なところで止まってしまった「コナの日々」ですが、とりあえずその間のものを一つにまとめました。
我が家の(ほぼ)家族になってしまった地域猫「コナ」の記録です。
元の文章に加えて、いくつかの写真を集めてみました。
>> 「コナの日々」
ちなみに、この文章を書いたころは、3歳になる少し前でした。 現在はすでに6歳になり、元気にしています。 ますます家猫らしくなってきて、この冬はほとんど家の中で過ごしました。 気候が良くなってからは、私の朝のゴミ出しについてきて、道に生えているイネ科の植物(ネコジャラシやススキなど)の葉っぱを食べるのが日課になっています。 どうやら、この草を食べないとウンチが出ないみたいです。 しかし、猫と一緒に外を歩くのは大変です。 文字通りの「道草」のおかげで、本来なら1分もかからないゴミ出しが、10分では終わらず、30分もかかったりします。
ところで、コナのトイレはどこにあると思いますか? なんと、狭い我が家、トイレの置き場所に困って、結局、私の寝る部屋の片隅 です。 オシッコなら、まあいいのですが、夜中にウンチをされると、さすがにちょっと臭うのが悲しい‥‥ たまに(週に1度以下くらい)、そんなことがあります。
ただの音出しのことを書き始めたのに、音階だの周波数だのと、だんだんヤヤコシイ話しになってしまいました。 最初の、3月2日の「歩きながらロングトーンをしましょう」という話しに戻します。
文字通り「歩く」ことが重要なのではなくて、歩く時の動作をイメージして音を出すことがポイントです。 歩かずとも、椅子に座って、つま先をちょっと上げ下げする(上げ下げするイメージ)だけで十分です
最初の音を出す瞬間につま先で床を打つ(あるいは押す)、あるいはその打った音が尺八の音になる、というようなイメージです。
さてここで重要なことは、つま先で床を打つためには、その前にまず、つま先を床から上に上げなくてはなりません。 何かを持ち上げるという動作は力の要る行為です。 つま先を上げるのも、それなりに力が要ります(要る、と思ってください)。
上げたつま先は、次は方向転換して、床に向かいます。 その方向転換の瞬間は、無重力になります。 走り高跳びで、バーを越える瞬間の無重力、そんな感じです。
この無重力の瞬間に息を吸います。 息を吸うのには、けっして力は必要ではありません。 坐禅を経験した方なら、吐く時に入れていた丹田の力を抜くだけで息は勝手にスッと入ってくる、という感覚をご存じでしょう。 この、スッと入ってくる息で、吹奏には十分です。
無重力だったつま先が加速度をもって降下して床を打つ、そのタイミングに合わせて、スッと吸った息も向きも反転して、音になります。 坐禅の呼吸と同じで、音を出す(息を吐く)には力が必要です。 それは、息を吐く力ではなく、息をコントロールする、むしろ止める、力です。 この力がないと、「ため息」のように、息はあっという間に無くなってしまいます。
しばらく音(ロングトーン)を出したら、次の音に移ります。 次の音も、上と同じ手順を踏みます。
と言うことは、今鳴らしている音の最後では、つま先を上げることになります。 持ち上げるのは力の要る行為ですから、音の最後も力が必要です。 「楔吹き」だから、と言って、音を出している間に力を抜いていくのは大間違いです。 力を抜いたら気も抜けてしまいます(最初から抜けていたら、ため息)。 気の抜けた音にならないように、力は最後まで抜けません。 いえ、むしろ、音を小さくする時にこそ十分な力が必要なのです。
またまた長くなりそう‥‥ここらで今回は止めます。
言葉をいくら連ねても、なかなかうまく説明できないし、どうにもうまく伝わりません。 しかも伝えたいことが、感覚的な、勘のような、ヒューリスティクスみたいなもので、それを喩えや暗示で示すしかないのでは、そもそも論理的説明はできません。 その前に、私自身がよく分かっていないのですから‥‥
一つの音の発音のサイクルのイメージを、図にしてみました。 一つの音の発音から止音(私の造語です)まで。 この絵をイメージしながら、一つ一つの音を出してみて下さい。
a で発音の動作が始まり、c で間合いを伺い、e で発音し、g で止音し、即、次の発音動作に移ります。 なめらかな曲線はジェットコースターのレールをイメージしてください。 一番上の位置では無重力(そして無音)、そこから下に加速度をもって降下した一番下の点は打点、そこで音が出ます。 無重力のちょっと下の「風」と書いた高さでは、はっきりした音というよりは風音がするくらいの感じ、下の打点は「強」、少し上は「弱」の音の感じです。 ただし、文字通り強い音とか弱い音とかではなく、あくまでもそんな「気持ち」です。
a は起動です。 行進のための最初の一歩の足を上げるとき、電車や自動車が発進する時、走り高跳びで踏み切るとき、のように、最も力を要する一瞬です。 音はまだ出しません。 音を出すための息も、まだ吸ってありません。 息を吸うタイミング b に向かって、一気に駆け上がります。
b は息を吸うタイミングですが、正確にここで、というよりは、a から b に向かう力で息を吸います。 しかし、息を吸うのには力は要りません。 ただ胸を開けば息は自然に入ってきます。 吸い込んだ息にも力はかけません。 ほっておいても、息は抜けません。
無重力状態のように、脱力しています。 力は入っていなくても、息は漏れません。 頂上にいるジェットコースターの列車、走り高跳びのバーを越える瞬間の浮遊感、風に舞い上がった枯れ葉や鳥の羽毛が空中でヒラヒラしているような、そんな状態です。 c に留まる時間は自由です;なにしろ無重力ですから。 一瞬かも知れないし、長~いかも知れません。
ジェットコースターの列車が降下を始めます。 吸ってあった息に力が(ここで初めて)加わります。 この力が加わらないと、息は「溜息」になって、あっという間に(下手をしたら発音する前に)無くなってしまいます。 少し息が漏れ始め、最初の一瞬は風音がするかも知れません。 すぐにそれが音になっていきます。 ジェットコースターも、降下が始まれば、加速度がついて、一気に最下点まで滑り落ちます。 息が漏れ始めて風音が出てからはっきり発音するまでは、一瞬です。
これが笛ではなくて太鼓の話しだとしたら、振り下ろしたバチで音が出るのがこの一瞬です。 指揮者の指揮棒もこのイメージです。 この一瞬を「打点」と言います。
発音した音は、しばらく持続します。 持続期間をここでは f と示しますたが、これはその旋律やリズムによっていろいろに変化します。
持続する音も、いつかは終わります;いえ、次の音のために、終わらせます。 発音に対して「止音」とは、私の造語です。 止音 g では(でも)、実は力が必要です。 たしかに、力が無くなれば音も無くなってしまいます。 息が無くなっても音は無くなります。 しかし、力が抜けて消える音、息が足りなくなって消える音は、いずれもコントロールの出来なくなった音です。 音が持続する間は、止音の瞬間まで、力が必要です。 しかも、実は、止音は次の発音の起動 a' でもあります。 結局、この瞬間には、最初と同じだけの、つまり一連の発音サイクルの中の最大の力が必要となるわけです。 ブレーキとアクセルを同時に踏み込むような感じでしょうか。 今止音した音が曲の最後の音であったとしても、同じです。
やっぱり長くなってしまいました (^^;)
上述は、たった一つの音の「サイクル」でした。
次は、各々一定の長さを持った音を順に連ねていく場合の話しです。
例えば、各音は4拍で、前に紹介した歩きながら音出しのように、
乙ローーー| レーーー| リーーー| 甲ローーー| ~~
と吹くとしましょう(| は息継ぎです)。
下の図は、最初の2音だけ示しています。 0 は前の図の「無(無重力)」、v は「風(風音)」(イタリア語の vento のつもり)、mp は「弱」、f は「強」です。
虚無僧と尺八のことを、虚無僧や尺八のことをあまり知らない洋楽関係の人に説明する機会があったので、そこで喋ったことをまとめておきます。
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尺八を吹く僧としての虚無僧は、13世紀ころに興ったらしい。 鎌倉時代の1254年に法灯国師覚心が唐から伴ってきた4人の尺八を吹く者が、虚無僧の祖と言われる(真偽は怪しい)。
この時代は、西洋ではグレゴリウス聖歌が整っていった時代である。 単旋律のグレゴリウス聖歌と単旋律の虚無僧尺八、いずれも宗教音楽として、比較すべき点もあると思う。 単旋律の宗教声楽としては、グレゴリウス聖歌と(仏教の)声明が対比されるが、天台宗では声明の節回しを教えるために尺八が使われた。 グレゴリウス聖歌はその後も長く、西洋音楽の礎となった。 声明も、能、浄瑠璃、地歌などへ繋がっていく。
ところで、楽器としての尺八そのものは、もっとずっと古く、飛鳥・奈良時代に雅楽の楽器の一つとして伝わっている(古代尺八、あるいは雅楽尺八などと呼ぶ)。 聖徳太子が尺八を吹いたという伝説もある。 しかし、雅楽では次第に使われなくなり、廃れてしまったが、室町時代になると、少し形態(サイズ、指孔の配置、など)の異なる尺八が現れる(一節切と呼ぶ)。
尺八の形態が変わった、とは言っても、基本的には何も変わっていない。 この後、江戸期までに再び形態が変わり(普化尺八と呼ぶ)、今では科学的な研究に基づく様々な改良が加えられたりもしているが、古代尺八から現代尺八まで、やはり同じく尺八である。 西洋楽器の歴史と比べると、その違いが分かる。 例えば現代のクラリネットは、たかだか18世紀に登場した楽器である。 現代のクラリネット奏者に演奏可能なのは、おそらく19世紀以降のものだと思う。 西洋では楽器を改良・改造したのに対して、尺八は演奏法と精神性を追求して来た。 現代の尺八奏者は、聖徳太子が吹いたとされる曲を現代尺八で演奏できるし、古代尺八を演奏することもできる(残念ながら、聖徳太子には、現代の尺八曲の演奏はできないかも知れない)。
室町時代の一休禅師(1393-1481)は尺八(一節切)を吹いていた。 一休作と言われる(真偽は不明)「紫鈴法」という曲も伝わっている。 しかし、虚無僧は楽譜は使わず、すべて口伝であったから、作曲者や曲の成立過程は知りようがない。
室町時代は西洋ではルネサンス音楽の時代である。 一休と同年代の作曲家には、ギヨーム・デュファイ(1397-1474)、ジョスカン・デ・プレ(1450-1521)などがいる。
江戸時代になると、虚無僧は幕府に公認され、組織(普化禅宗)としても確立した。 一方、武士しか虚無僧にはなれない、尺八は虚無僧しか吹いてはいけない、などの規制が強くなった。
しかし、江戸時代半ばには、芸能や余技として尺八を嗜み、虚無僧の真似事をする者が増えた(旗本、裕福な商人、やがて普通の町民も)。 そこで、黒沢琴古(1710-1771)は、虚無僧の曲を収集し、楽譜にまとめ、市中で教授を始めた。 これが後に琴古流といわれるものの起こりである。
琴古の時代には、バッハ(1685-1750)が存命で、モーツアルト(1756-1791)は琴古の20年後に亡くなった。 ベートーヴェンは、琴古の亡くなる1年前に生まれている。 バロック音楽から古典派の時代に琴古流が起こった、ということになる。
西洋ではその後、ロマン派音楽が起こり爛熟し、日本では明治を迎える。
明治維新で、普化宗は廃され、虚無僧は禁止され、すべての虚無僧は還俗した。 生きる糧を失った元虚無僧の一部が、三曲合奏(筝・三味線)や民謡で収入を得るようになった。
明治末に、中尾都山(1876-1956)が新しい尺八の流派(都山流)を起こした。 都山流は虚無僧の宗教性を離れ、西洋音楽を参考にする合奏曲などに力を入れた。
西洋音楽はこの時期、すでにロマン派の時代は終わりを迎えていた。 都山と同年代の作曲家には、ラフマニノフ(1873-1943)、ラヴェル(1875-1937)、ヴィラ=ロボス(1887-1959)などがいる。 日本では、これより10年遅れて山田耕筰(1886-1965)が活躍する。 なお、宮城道雄(1894-1956)はさらに10年遅い(しかし、没年は都山と同じである)。
都山は、宮城道雄らとともに西洋音楽を取り入れようとしたが、そううまくは行かなかったようだ。 西洋音楽の吸収はまだ不十分であった一方、虚無僧が確立し守ってきた精神性・宗教性などは薄まってしまったに違いない。
現在、尺八は世界的に認められ、外国人の愛好家や演奏家も多いが、そのほとんど(特に欧米では)が興味を示すのは禅とセットの虚無僧尺八である。 尺八が世界に認められたきっかけは、ニューヨーク・フィルの委嘱で武満徹(1930-1996)が作曲し、1967年に初演された「ノヴェンバー・ステップス」である。 この時の尺八の独奏者は、琴古流の横山勝也(1934-2010)であったが、彼は虚無僧尺八の伝承者でもあった。
今年は酷い年でした。 良いニュースは、たった一つ。 師匠の善養寺惠介先生が、紫綬褒章を受章されたことくらいです。
春までは、今年は例年になく忙しい年になるはずでした。 いつもは秋以降にしかない出演予定が、今年は春から(未確定を含めれば)月1で入っていました(尺八とフルート合わせて)。 それが、新型コロナ感染症で、すべて中止。 聞きに行くコンサートも、ほぼ壊滅。
今年は、クラシック界ではベートーヴェン生誕250年の記念の年ということで、大いに盛り上がるはずで、我々の木管アンサンブルでもベートーヴェンの曲はいくつか準備を始めていました。 が、本番どころか、ついに一度も顔を合わせて練習すらできませんでした。 もう一つ、NHKの朝ドラが作曲家古関裕而の話しでしたから、古関関係の曲も考えていましたが、これもすべてパー。
毎年秋に行われる虚無僧研究会の献奏会は、今年は横浜の本覚寺で行う予定でした。 私は現地のスタッフとして、受け入れ側として動く予定でしたが、もちろん、中止。
とにかく今年は、1月のコンサートを最後に、尺八もフルートも、人前での演奏が全てなくなりました。 とくにフルートは、高齢者施設の慰問演奏が中心ですから、どうにもなりません。 尺八もフルートも、今年は基礎練習に多くの時間を使いましたが、本番という目標や目的や、それに緊張感がないと、練習にどうも身が入りません。
これまで毎年、一年の最後は法身寺の「大晦日百八曲献奏修行会」で締めくくってきました。 聞いているのは、本堂の仏様たちだけですが、それでもそれが1年最後の「本番」です。 今年はそれも中止です。
それで思いついたのが、法身寺の本堂ではなくて、我が家の仏壇に百八曲の献奏をする、という無謀な計画です。 聞いているのは、家の仏壇の仏様たちだけですが、それでも立派に「本番」です(というか、本番のつもりで吹かねば意味ありません)。 しかし、108曲にはおよそ10時間かかりますから、大晦日の一日では無理です。 そこで、一日に12曲を吹けば、9日で108曲になる、という算段を立てました。
次の通り、108曲の献奏が先ほど無事終わりました。
例年なら年末は、大掃除、買い出し、おせち作り(家内が^^;)、年賀状、‥‥、と大忙しですが、今回は、新年は来ても誰も来ないはずだし、あらゆる年越し準備は省略しました。
こんなことしていられるのはそのおかげです。
良いのか悪いのか‥‥
1 | 普大寺 | 調子 | 1尺8寸(D)管 |
2 | 普大寺 | 虚空 | 1尺8寸(D)管 |
3 | 普大寺 | 調子 | 1尺8寸(D)管 |
4 | 普大寺 | 霧海篪 | 1尺8寸(D)管 |
5 | 普大寺 | 虚鈴 | 1尺8寸(D)管 |
6 | 京都明暗寺 | 紫鈴法 | 1尺8寸(D)管 |
7 | 瀧源寺 | 瀧落 | 2尺(C)管 |
8 | 一朝軒 | 薩慈 | 2尺(C)管 |
9 | 一朝軒 | 阿字観 | 2尺(C)管 |
10 | 一朝軒 | 盤渉 | 2尺(C)管 |
11 | 一朝軒 | 吾妻の曲 | 2尺(C)管 |
12 | 神如道 | 大和楽 | 2尺(C)管 |
13 | 神如道 | 無住心曲 | 2尺(C)管 |
14 | 虚無僧作法 | 呼び竹 | 2尺(C)管 |
15 | 虚無僧作法 | 受け竹 | 2尺(C)管 |
16 | 根笹派 | 調 | 2尺(C)管 |
17 | 根笹派 | 下り葉 | 2尺(C)管 |
18 | 根笹派 | 獅子 | 2尺(C)管 |
19 | 根笹派 | 松風 | 2尺(C)管 |
20 | 根笹派 | 調 | 2尺(C)管 |
21 | 根笹派 | 三谷清攬 | 2尺(C)管 |
22 | 根笹派 | 通り | 2尺(C)管 |
23 | 根笹派 | 門付け | 2尺(C)管 |
24 | 根笹派 | 鉢返し | 2尺(C)管 |
25 | 琴古流 | 一二三鉢返調 | 1尺8寸(D)管 |
26 | 神如道 | 大和楽 | 2尺9寸(Fis)管 |
27 | 普大寺 | 調子 | 2尺9寸(Fis)管 |
28 | 普大寺 | 虚鈴 | 2尺9寸(Fis)管 |
29 | 瀧源寺 | 瀧落 | 2尺9寸(Fis)管 |
30 | 一朝軒 | 薩慈 | 2尺9寸(Fis)管 |
31 | 一朝軒 | 吾妻の曲 | 2尺9寸(Fis)管 |
32 | 一朝軒 | 盤渉 | 2尺9寸(Fis)管 |
33 | 根笹派 | 調 | 1尺8寸(D)管 |
34 | 根笹派 | 虚空 | 1尺8寸(D)管 |
35 | 根笹派 | 調 | 1尺8寸(D)管 |
36 | 根笹派 | 流し鈴慕 | 1尺8寸(D)管 |
37 | 琴古流 | 鹿の遠音 | 1尺8寸(D)管 |
38 | 普大寺 | 調子 | 1尺8寸(D)管 |
39 | 普大寺 | 虚空 | 1尺8寸(D)管 |
40 | 虚無僧作法 | 呼び竹 | 1尺8寸(D)管 |
41 | 虚無僧作法 | 受け竹 | 1尺8寸(D)管 |
42 | 布袋軒 | 三谷 | 1尺8寸(D)管 |
43 | 神如道 | 大和楽 | 2尺7寸(G)管 |
44 | 普大寺 | 調子 | 2尺7寸(G)管 |
45 | 普大寺 | 虚空 | 2尺7寸(G)管 |
46 | 一朝軒 | 薩慈 | 2尺7寸(G)管 |
47 | 松巌軒 | 鈴慕 | 2尺7寸(G)管 |
48 | 京都明暗寺 | 紫鈴法 | 1尺6寸(E)管 |
49 | 根笹派 | 調(裏調子) | 1尺6寸(E)管 |
50 | 根笹派 | 下り葉(裏調子) | 1尺6寸(E)管 |
51 | 根笹派 | 松風(裏調子) | 1尺6寸(E)管 |
52 | 根笹派 | 調 | 1尺6寸(E)管 |
53 | 根笹派 | 下り葉 | 1尺6寸(E)管 |
54 | 根笹派 | 調 | 1尺6寸(E)管 |
55 | 根笹派 | 獅子 | 1尺6寸(E)管 |
56 | 普大寺 | 調子 | 2尺1寸(H)管 |
57 | 一朝軒 | 盤渉 | 2尺1寸(H)管 |
58 | 一朝軒 | 盤渉(夕暮調子) | 2尺1寸(H)管 |
59 | 根笹派 | 調 | 2尺1寸(H)管 |
60 | 根笹派 | 三谷清攬 | 2尺1寸(H)管 |
61 | 根笹派 | 調 | 2尺1寸(H)管 |
62 | 根笹派 | 流し鈴慕 | 2尺1寸(H)管 |
63 | 越後明暗寺 | 三谷 | 2尺1寸(H)管 |
64 | 松巌軒 | 鈴慕 | 2尺1寸(H)管 |
65 | 普大寺 | 調子 | 2尺5寸(As)管 |
66 | 普大寺 | 虚鈴 | 2尺5寸(As)管 |
67 | 普大寺 | 虚空 | 2尺5寸(As)管 |
68 | 一朝軒 | 吾妻の曲 | 2尺5寸(As)管 |
69 | 神如道 | 無住心曲 | 2尺5寸(As)管 |
70 | 神如道 | 大和楽 | 2尺5寸(As)管 |
71 | 琴古流 | 一二三鉢返調 | 1尺8寸(D)管 |
72 | 松巌軒 | 鈴慕 | 2尺1寸(H)管 |
73 | 都山流 | 峰の月 | 1尺8寸(D)管 |
74 | 根笹派 | 調 | 1尺8寸(D)管 |
75 | 根笹派 | 下り葉 | 1尺8寸(D)管 |
76 | 根笹派 | 調(裏調子) | 1尺8寸(D)管 |
77 | 根笹派 | 下り葉(裏調子) | 1尺8寸(D)管 |
78 | 根笹派 | 調 | 1尺8寸(D)管 |
79 | 根笹派 | 獅子 | 1尺8寸(D)管 |
80 | 根笹派 | 調 | 1尺8寸(D)管 |
81 | 根笹派 | 三谷清攬 | 1尺8寸(D)管 |
82 | 根笹派 | 松風 | 1尺8寸(D)管 |
83 | 根笹派 | 松風(裏調子) | 1尺8寸(D)管 |
84 | 京都明暗寺 | 紫鈴法 | 1尺8寸(D)管 |
85 | 普大寺 | 虚鈴 | 2尺4寸(A)管 |
86 | 普大寺 | 調子 | 2尺4寸(A)管 |
87 | 普大寺 | 虚空 | 2尺4寸(A)管 |
88 | 普大寺 | 調子 | 2尺4寸(A)管 |
89 | 普大寺 | 霧海篪 | 2尺4寸(A)管 |
90 | 瀧源寺 | 瀧落 | 2尺4寸(A)管 |
91 | 一朝軒 | 盤渉 | 2尺4寸(A)管 |
92 | 一朝軒 | 薩慈 | 2尺4寸(A)管 |
93 | 一朝軒 | 阿字観 | 2尺4寸(A)管 |
94 | 一朝軒 | 吾妻の曲 | 2尺4寸(A)管 |
95 | 神如道 | 大和楽 | 2尺4寸(A)管 |
96 | 神如道 | 無住心曲 | 2尺4寸(A)管 |
97 | 根笹派 | 調 | 2尺4寸(A)管 |
98 | 根笹派 | 下り葉 | 2尺4寸(A)管 |
99 | 根笹派 | 調(裏調子) | 1尺8寸(D)管 |
100 | 根笹派 | 下り葉(裏調子) | 1尺8寸(D)管 |
101 | 根笹派 | 調 | 2尺7寸(G)管 |
102 | 根笹派 | 下り葉 | 2尺7寸(G)管 |
103 | 根笹派 | 調(裏調子) | 2尺(C)管 |
104 | 根笹派 | 下り葉(裏調子) | 2尺(C)管 |
105 | 布袋軒 | 三谷 | 2尺5寸(As)管 |
106 | 布袋軒 | 鈴慕 | 2尺5寸(As)管 |
107 | 一朝軒 | 盤渉 | 1尺8寸(D)管 |
108 | 普大寺 | 調子 | 1尺8寸(D)管 |
来年は、なんとか本物の普通の本番が出来ますように。