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日々新・時々新

更新のお知らせと日々の戯言

アーカイブ(2022.01~2022.12)


2022.1.1

謹賀新年


(ニャン)()(ニャン)(ニャン)年。

‥‥トラ猫年かニャ?

今年も年賀状の準備をする前に年が明けてしまいました.


2022.2.01

(旧暦)正月

寒い日が続いていますが、今日は旧暦の正月。 あと二日で節分、三日で立春です。 昨日、近くを散歩していたら、早咲きの桜が咲いていました。 季節は確実に春に向かっています。



2022.2.21

やっと梅が

近所の早咲きの桜から遅れること3週間、我が家の庭の白梅がやっと1輪、開きました。 梅は百花の魁(さきがけ)と言います。 年の初めの寒い中、梅はあらゆる花の先頭を切って咲くということだそうです。 ところが今年の梅は、桜に後れをとっています(^^;;)  また、「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」という句もありますが、ようするに早咲き桜が咲いてから今まで一輪ほどの暖かさもなかった、ってことでしょうか。 今日は陽射しはあるものの風がメチャメチャ強くて冷たくて、寒いです。

わが家にはもう一本梅の木があって、小さい紅梅ですが、こっちもいくつか開いていました。



2022.2.22

期限切れ?ワクチン

昨日(2022/02/21)、新型コロナの3回目のワクチンを接種してきました。 ファイザーかモデルナかにはこだわらず、かかりつけのクリニックでの接種を選択した結果、ファイザーとなりました。

2回目の接種を受けたのが昨年6月28日でしたから、8ヶ月よりは1週間早かったことになります。 しかし、これで8ヶ月を前倒ししたと言えるんでしょうかね、たった1週間で。

それより驚いたことは、接種済証をあらためて見ると、「最終有効年月日:2022/01/31」となっています。 これ、有効期限切れ!!じゃないですか。 その下の方にシールが貼ってあって、そこには 「最終有効年月日に2022年2月末以前の日付が印字されているワクチンは、印字された日付から3ヶ月延長された最終有効年月日に変更されています。」 と書いてあります。 なんのこっちゃ!?  賞味期限切れのおにぎりに、「あと3日は食べられます」というシールを貼って、もとの値段で売っているような感じ。 冷凍保存していたからまだ大丈夫、ってことでしょうか。 赤福の賞味期限の改ざんを思い出します。 役に立たない「アベノマスク」もずいぶんと保管してきましたが、使えるワクチンを使わずに保管しているのはもっとバカバカしい。

副反応はほとんどありません。 打った腕に少し違和感がある程度です。 「有効期限を過ぎて効力の失せたワクチンだから副反応も出ないのか」と疑いたくもなっちゃいますね。

猫の日

今日(ニャン)(ニャン)(ニャン)日は猫🐱の日。 因みに寅年の今年(ニャン)()(ニャン)(ニャン)年は猫(トラ猫)年?

テレビでは猫の日に因んで猫番組満載です。 今日は副反応で動けそうにないから一日炬燵にもぐって猫番組を見て過ごす、という予定でした。 しかし、ほとんど副反応がないので、結局、フルートと尺八の練習ができました。 (ただし、腕を高く上げると少し違和感があるので、フルートより尺八の方が楽でした)。 で、猫番組は見たいものはすべて予約録画してあるので、これからしばらくは夜な夜な少しずつ見ていくことにします。


2022.3.02

好い季節にはなりましたが‥‥

突然暖かくなりました。 冬から早春を飛ばして春になった(それはそれで情緒が無い)ような感じです。 わが家の庭の梅もやっと咲きそろってきました。

好い季節にはなりましたが、コロナの方はどうも宜しくありません。 第6波は3月中にはほぼ治まる、と思って(願って)いましたが、予想(期待)は外れたようです。 新規感染者が2月中旬でピークになるだろうというところまでは予想通りで、重症者数も2月末には減少に転じました。 しかし、死亡者数は減少に転じたとは言えないようです。 感染者数の減少速度も、なんとも芳しくありません(1週間で0.8倍にも下がりません)。 これからオミクロン株の亜種が増えてくると、またどうなることやら‥‥

今回のコロナ第6波が治まったら、今度こそ演奏活動の再開が出来るかと、早々と演奏のプログラムまで考えていました。 今年は沖縄の本土復帰から50年(5月15日)。 琉球王国から、薩摩・日本、そして太平洋戦争までの思いを、このプログラムに託したつもりです。

  1. かぎやで風節(琉球古典/宮廷音楽)
  2. 安里屋ユンタ(八重山古謡・沖縄民謡)
  3. てぃんさぐぬ花(沖縄民謡)
  4. 芭蕉布 (普久原恒勇 1932-)
  5. 島唄(宮沢和史 1966-)
ピアノ(あるいはギター)と、できたら三線、をお願いできる人を探そうと思っていました。 が、コロナのこの状況では、やっぱりまた妄想に終わりそうです。 せめて、これ以上酷い第7波が来ませんように。

NHKの朝ドラはエール以来、さっぱり見ていません。 が、次の「ちむどんどん」は絶対見ます。


2022.3.05

加齢

数日前から、妙に肩・首筋・肩甲骨周りが痛くなり、整形外科を受診しました。 最初に肩凝りのような感じがしたのはワクチンの3回目の接種の数日後のことなので、副反応かとも思いましたが、それからさらに二日ほどして、尋常ではない痛さになりました。 「変形性頸椎症」と診断されました。 これからしばらくリハビリ通いが続きそうです。

実は、10年ほど前に、すでにそう診断されていました(別のクリニックで)。 症状が出るたびにリハビリで凌いできたのですが、ここ数年、症状がでておらず、その病名さえ忘れて過ごしていたところです。

10年前といえば、2尺7寸や2尺9寸の長管を盛んに吹いていたころで、周りからは「そんなものばかり吹くと身体を壊すよ」と言われました。 しかし医師の前で実際に長管を吹いて見せたところ、それが影響しているとは言えなかろう、とのことでした。 ところが今回受診した医師は、いわゆるスマホ首と同じことだから、その姿勢を長く保つのはよろしくない、とのこと。 なるほど、スマホ首と言われたら返す言葉もありません。

長管だろうと短管だろうとフルートだろうと、姿勢には気を付けなくてはいけません。 それで気が付いたのですが(って、同じことに何度気づけばいいのだろうか ^^;)、姿勢を正し、その姿勢で発音しやすい顎や尺八の顎への当て方を工夫すると、良く鳴るし、高い音(大甲音、フルートでも第3オクターブの上の方)も出しやすい。 姿勢とお腹の力の使い方で、驚くほど変わります。

因みに、変形性頸椎症は、結局のところ、「加齢」によるものです。 加齢による症状で音楽・楽器演奏に支障のあるものだけでも、変形性頸椎症、右手親指の変形性関節症、本態性振戦、手指の乾燥(孔がしっかり塞げない)、乱視×老眼(五線譜が読めない)、などと、すでにたくさんあります。 加齢! 嫌な言葉ですが、受け入れて、うまく付き合っていくしかなさそうです。


2022.3.26

梵鐘の姿勢

私の「変形性頸椎症」に絡めて、笛(短管でも長管でも、横笛、フルートでも)を吹くには正しい姿勢が大事だ、ということを書きました。

では「正しい姿勢」とは何か? ということですが、坐禅の姿勢が参考になるかと思います。 坐禅では、自分が梵鐘(大きな釣鐘)になってしまって、頭頂が天井から吊り下げられているような気持で、と言われます。 それが一番安定した姿勢になるからです。 すると顔はほぼ正面を向き、ほんの少し、わずかにうつむき加減(半眼の視線が1・2メートル先に落ちる)くらい、になります。 つぎに尺八は、いわば撞木(鐘を撞く棒)のイメージで、自分の顎(鐘の撞座)に対してほぼ垂直(垂直はやや言いすぎですが)に構えます。 この時、尺八が当たる下顎はむしろ前に突き出して、しっかり尺八(撞木)を受け止める形にします(そうでないとすごく低い、メッた音になってしまいます)。 文だけでは説明しにくいですが、尺八をしっかりした音量・しっかりした音高で鳴らし、十分なメリ・カリに対応するには、まずは姿勢が大事です。

因みに、変形性頚椎症による症状は現在はほとんど無くなっています。 ご心配おかけしました。


2022.4.20

坐禅・吹禅・吹奏

尺八を吹く時の正しい姿勢は、坐禅で言う梵鐘の姿勢、などと書きました。

しかし、坐禅と吹奏は別のことですから、必ずしも坐禅の姿勢が吹奏に向く姿勢とばかりは言えません。 大事な点は、同じく「腹式呼吸」とは言うものの、その呼吸が違う、ということではないかと思い至りました。 短文で事細かに説明するのは無理ですが、結論だけ言えば、こんなことになります。 「良い姿勢」と言うと胸を張るように思いますが、そうではなくむしろ、少し猫背のような、胸部レントゲンを撮る時のような‥‥、尺八を構えた両腕で胸の前に「池」を作り、その池の中に音を満たして十分響かせる、というようなイメージで‥‥

もっとも、「坐禅」と「吹奏」の間に「吹禅」があるとすると、では吹禅はどっちの呼吸か? と言われたら、まだ私には即答はできません。

虚空から穀雨

今日(4月20日)は二十四節気の穀雨です。 穀物を育てる雨が天から降り注ぐ頃、と言うことで、実際、今朝の横浜は穏やかな雨でした。

4月20日は実は、私の誕生日で、ついに今日、満70歳となりました。 70歳になったことが目出度い、とは思えませんが、それでも、70歳を生きて迎えられたことは目出度いのかと思います。

ところで、身体能力で楽器演奏をこなすのは、60代までが限界だと思ってきました。 ついにその60代が終わってしまい、いよいよ身体能力を超えることを目指さなければならなくなりました。 これまでの身体の使い方をもう一度よく顧みつつ、次のことを考えようと思っています。

これまで「コクウ」という音に「虚空」を想起してきましたが、これからは「穀雨」を想うようになるような気がします。 これまでの身体能力からこれからは身体を超えたところを目指す、と言うのとはなんだか逆のような気もするのですが‥‥

今後とも宜しくお願いいたします。

あんまりめでたくないなぁ (^^;)



2022.5.06

「荒城の月」と「歓喜の歌」

ベートーベンの交響曲第9番の合唱のメロディー(歓喜の歌)を知らない人はほとんどいないでしょう。 「♪はれたるあおぞら ただようく~もよ~」という歌詞で文部省唱歌にもなっていますから、音楽の授業で歌った方もいらっしゃるでしょう。 そしてその挙句、なんでこんな凡庸でつまらない歌がそんなに凄いんだ?と、首をひねった方も多いかも知れませんません。 私もそうでした。

しかし、これをドイツ語の歌詞で歌うと、まるで別のものになります。 「は れ た る あ お ぞ ら ~」に対応するドイツ語の歌詞をカタカナで表記すると、 「フロイ デ、シェー ネル、ゲッ テル フン ケン ~」 となります。 例えば、日本語歌詞の最初の「は」という1音節には「フロイ」が対応します。 メロディーは単純でも、原語の歌詞には、実は日本語の数倍の情報が乗っているわけです。 (音だけではなく意味的にも)。 日本語の歌詞を漫然と歌ってもつまらなく感じるのは、そのせいです。 何か工夫が必要です。

先日、テレビで、ミュージカル俳優・歌手の山崎育三郎氏が面白いことを仰っていました。 日本語の歌詞を歌うには、外国人の片言の日本語のように歌うとよい、とのこと。 たとえば、日本語の音節の子音を強調する、ということなのでしょう。 目から鱗、でした。

さて、「荒城の月」。 「荒城の月」は「歓喜の歌」と同じくらい単純で、しかも驚くほどよく似た旋律です(歓喜の歌:ミミファソソファミレ‥‥、荒城の月:ミミラシドシラ~‥‥)。 「荒城の月」の歌詞はもともと日本語ですから、「歓喜の歌」と同様、漫然と歌うと、やはりつまらなくなります。 歌ではなくて、楽器、例えば尺八でこの旋律を奏でるとしたら、もはや歌詞すらありませんから、なおさらのこと、工夫が必要です。

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ではどんな「工夫」ができるのか。 それは、日本語歌詞の1音節=楽譜の1音符、の中に変化を加える、ということです。 音(音符)の一つ一つを「珠」のように輝かせることです。 これも「一音成仏」と言えるでしょうか。

尺八で奏でることを考えて、いくつか思いつくことを列挙します。

  1. 一つ一つの音(音符)を区別すること
  2. 西洋楽器と同じように、タンギングを使うこともできます。 尺八の場合は、舌先のタンギング(舌でトゥートゥーとやる)より、舌の奥、喉でコーコーとやる、あるいは根笹派のコミ吹きをゆっくりやるのがいいかも知れません。 あるいは、それよりも、息の力(腹の力)で音を制御するブレス・アタックの方がもっとよさそうです。 実際は、西洋楽器でも尺八でも、ブレス・アタックとタンギングを併用するのが良いようです。

  3. 音の始まりを工夫
  4. 本曲では音の先頭には「アタリ」(2押しとか3押しとか)が付くことが多く、同じ音が続く時は必ず入れます。 西洋楽器でのタンギングと同じ意味でも「アタリ」は使われます。 これを「荒城の月」みたいな曲にも適用すると、いかにも尺八らしくなります。 ただ、やりすぎると少し耳障りになるかも知れませんから、要注意。 各々の音(音符)毎に、「アタリ」を付けたり、タンギングやブレス・アタックだけにしたり、何もしないでそっと吹いたり、使い分けるといいと思います。

  5. 一つ一つの音の中での変化(1)
  6. 本曲では「楔吹き」が基本です。 音が次第に減衰する吹き方です。 本曲では、原則として一つのフレーズを通して減衰させますが、「荒城の月」みたいな場合は一つ一つの音(音符)の中で減衰させるとよさそうです。 「紫鈴法」は単純なリズムですが、この一つ一つの音に「楔吹き」を付けるのだと善養寺先生に指摘された時には、目から鱗が落ちたのを覚えています。

  7. 一つ一つの音の中での変化(2)
  8. 伸ばす音には「ユリ」を掛けると美しく聞こえます。 ただしのべつまくなしではなく、ここぞという音に。 ユリ(特に横ユリ)は西洋楽器の「ビブラート」に相当しますが、尺八では吹き口の接触具合を左右(あるいは上下・斜め)に振動させて、音に変化を加えます。 なお、琴古流や都山流では当たり前のテクニックですが、我々の本曲では一部の縦ユリ・回しユリを除いて使いませんので、横ユリが癖になったりしないようにご注意。

  9. 音の終わりを工夫
  10. 琴古流などでは音の終わりに「スリアゲ」ということをします。 音を消す瞬間に指に隙間を作ったりアゴをカッたりしてピッチを上げます。 逆に、音の最後をメって消す「メリオトシ」などというのもありますが、「荒城の月」のような曲には向きません。 我々の本曲では、音の最後に小さく「ナヤシ」をすることもあります。 これをうまくやれば小さなユリ(あるいはビブラート)になるし、演歌や民謡で使う「コブシ」にもなります。

    いずれにしても、ただ迂闊に音を切るだけでは、やはり迂闊に聞こえてしまいます。 一番重要なことは、とにかく、音が消えるまで腹の力は抜かないことです。 外国語の歌詞では音節の最後に子音があるかも知れません。 その子音が終わるまでが音節です。 音節が終わるまでは力は抜けません。 それと同じことです。

    因みに、音の終わりは次の音の始まりに続きます。 抜いた力はすぐに反転して、次のタンギング、ブレス・アタック、アタリの準備に回ります。


2022.5.30

旋律の輪郭(音程感)をはっきりさせる

尺八はピッチ(音の高さ)のコントロールの難しい楽器です。 不用意に吹けば、「音痴」なものになってしまいます。 逆に言えば、ピッチを自由に操ることもできますから、どんな演奏でもできるはずです。

音痴に聞こえないようにするために、主に本曲を吹く時に私が工夫しているポイントを紹介します。 実際には、これは本曲に限ったことではなくて、他の音楽、西洋音楽の場合でも、同じようなことをしています。 ただし、あくまでも旋律(独奏の)が対象であって、合奏などで和音を奏でるような場合には危険です。

  1. 音価のある音は尻上げ

  2. 幹音同士の順次進行(リ~イ、ツ~レなど)

  3. メリ音(ナヤシも)の前後の幹音

  4. メリ音が連続する時

    1. 打つ前は高めに
    2. 打つ瞬間にアゴをメる
    3. 指と一緒にアゴも戻す

    1. 押す前は低めに
    2. 押す瞬間にアゴをカる
    3. 指と一緒にアゴも戻す

「尻上げ」とは、音の最後を少しカリ気味にする、という意味です。

以上、私がいつの間にかやっていたことを内省した結果を列挙しました。 善養寺先生のアドバイスやサジェスチョンを自分なりに解釈したこともあります。 また、コンピュータ技術(画像処理における輪郭強調のような)から思いついたこともあり、それ(プレパレーション、オーバーシュート)は実際、歌唱などでは人間は自然にやっていることのようです。


2022.12.31

バッハ、ベートーヴェン、ドビュッシー、そして吹奏楽

今年もあとわずか。 (なんと、半年以上もこのページを更新しませんでした)。 今年はあまり良い年ではありませんでした。 新型コロナはさっぱり終息しないし、ロシアのウクライナ侵攻があったり、他にもきな臭いことがたくさんありました。

私は退職しておよそ10年、今年ほど尺八を吹かなかった年はありません。 いや、尺八もそれなりに少しは吹いたのですが、5月ころ以降、尺八の3倍くらいフルートを吹きました。

フルートは、まずはバッハの無伴奏フルートのパルティータを練習しました。 50年以上前の学生時代に吹きたいと思って少しチャレンジしてみたものの、諦めていた曲でした。 その後、ベートーヴェンのフルート二重奏曲を練習する羽目になりました。 バッハとベートーヴェンで少し疲れたところで、ドッビュッシーのシランクス(パンの笛)にチャレンジしてみました。 楽譜を見ると、変イ長調(♭が五つ)の上に、臨時記号がいっぱいついていて、リズムも難しそうで、とても手の出せる曲ではないように思ったのですが、根気よくやってみると、意外と吹きやすく、しかも、ふと、尺八古典本曲を吹いているような錯覚にも陥ります。 わりと気に入りました。

ところで、私の生年は1952年、ふと気づいたらドッビュッシーの生年は1862年、私よりちょうど90年前です。 ついでにちょっと調べたらベートーヴェンの生年は1770年、私より182年、およそ90×2年前。 さらに、バッハの生年は1685年、私より267年、およそ90×3年前。 これは何かの因縁でしょうか。

しかし、私がバッハ→ベートーヴェン→ドッビュッシーの次に来るのはいくらなんでも(^^;;)。 こうなったら、私と同時代の人の作品を演奏するしかない‥‥と思っていたら、まったく想定外のことになりました(それには面倒な経緯がありますが、それは割愛)。 来年1月29日、50年も前に卒業した母校の吹奏楽団の演奏会にエキストラ(OB)として出演することになってしまいました。

吹奏楽とは50年間、完全に無縁でした。 したがって当然ながら、今回演奏する曲は、すべて私の知らない(やったことが無いどころか、聞いたことすら無い)曲ばかりです。

その中に、吹奏楽では定番らしい「宝島」と「OMENS OF LOVE」という曲があります。 この2曲の作曲者・和泉宏隆氏の生年は1958年、吹奏楽に編曲した真島俊夫氏の生年は1949年、私の生年はこの二人の間になります(因みに二人とも故人)。 バッハ・ベートーヴェン・ドッビュッシーとはまるで違いますが、とりあえず、来年1月末までは尺八は脇にどけて、ひたすら吹奏楽の練習です。

大晦日

さて、今日はしかし、大晦日。 さすがに今日は仏壇の前で尺八を吹きました。 108曲は無理で、ほんのちょっとですが、下記のような曲を吹きました。
・般若心経
0 乙ロ百八回
1 調子(普大寺)
2 虚空(普大寺)
3 大和楽(神如道)
4 瀧落(瀧源寺)
5 一二三鉢返調(琴古流)
6,7 調・下り葉(根笹派)
8 獅子(根笹派)
9 松風(根笹派)
10 盤渉(一朝軒)
11 阿字観(一朝軒)
12 吾妻の曲(一朝軒)
・般若心経
・普回向


ステージでフルート

先日、ステージで初めてフルートを吹きました(12月4日、港南公会堂)。
>> https://youtu.be/hiE_ysgN-28

・ 星条旗よ永遠なれ(スーザ)
・ シチリアーナ(作曲者不詳)
・ メヌエット(ペツォールト 伝J.S.バッハ)
・ 魅惑のワルツ(マルケッティ)
・ コロブチカ(ロシア民謡)
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・ ひまわり(マンシーニ)

コロナで外出やイベントがままならず、身体を動かすこともなかったので、身体を動かす曲、行進曲と舞曲でプログラムを構成しました。 最後の「ひまわり」はアンコールですが、それは会場の港南公会堂の客席の背もたれがひまわり(港南区の花)のデザインになっていて、ステージから見ると(空席が多いほど)一面ひまわり畑に見えることから選曲しました。 コロブチカ、ひまわり、星条旗よ永遠なれで、ロシアのウクライナ侵攻とNATO(アメリカ)という意図はありません。


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