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日々新・時々新

更新のお知らせと日々の戯言

アーカイブ(2017.01~2017.12)


2017.01.01

あけましておめでとうございます



2017.01.01

コナの日々(10)

年が明けて,2017年になった.昨日の大晦日も今日の元日も,ずいぶんと暖かくて,3月並みの気温だそうだ.ところが,12月のとんでもなく寒い夜に外で過ごしていたコナなのに,このところ毎晩のように僕の布団で夜を過ごしている.大晦日の夕方6時頃には早々と僕の布団にもぐり込み,今朝は朝6時過ぎに僕を猫パンチで起こした.昨日は早朝から用事で出かけたし,大晦日だから寝るのも随分と遅かったから,もっとゆっくり寝ていたかったのだけど.

コナのお母さんのナンも,12月半ばころに元気な姿を見かけたから,無事に年を越したことだろう.


ナンの初めてで最後の出産は,グレとニグレとキナとコナの4匹だった.色は違うもののみんなトラネコで,黒と白にきっぱり塗り分けられた会長とは似ても似つかないから,コナたちの父親は,おそらく会長ではないだろう.しかし,うちの周りではナン以外にトラネコは見たことが無いから,コナたちの父親がだれなのかは謎だ.

さて,子供たちが少し大きくなると,ナンは子供たちを別々の場所に住まわせることにしたようだ.コナはうちの庭,グレは向かいの右隣りのお宅の玄関脇の植え込み,ニグレは我が家の裏手のどこか,キナは向かいの大きなお宅の庭,が,主な住みかになったようだ.そしてナンは子供たちのところを巡回して世話をするのだった.自分だってまだ子供にしか見えないほどのナンの子育ての奮闘ぶりは感動的だ.ナンに細く切った魚肉ソーセージを上げたら,自分ではほんの一口食べただけで,あとは急いで子供の所に咥えて行った.しばらくしたら戻ってきたので,また上げた.今度は一口も食べないで運んで行った.

コナとグレは,いつも一緒にいた.ほとんどうちの庭で過ごし,時々グレだけお向かいのお宅の庭の木の上にいる,という感じだ.仲良しのコナとグレだけれど,その性格の違いは不思議だ.グレはすばしっこくて,木登りも得意で好きらしい.ところがコナの方は,木登りがあまり得意ではないらしい.お世辞にもすばしっこいとは言い難く,おっとりしている(悪く言えば抜けている).グレは少し神経質で,僕にはあまり触らせてくれないけれど,コナは膝にも上ってくる.ついでながら,ニグレはひねくれてねじけたところがあり,キナはとにかくふてぶてしい.ナンとコナとグレだけが地域猫になったのも,そんな性格が影響しているのだろう.

夏の間,コナとグレは,うちの庭で絶命寸前の蝉や,爬虫類や何かの小動物を捕って暮らしていたようだ.授乳期を過ぎてもナンはどこからか食べ物を運んで来ていたようだけれど,夏が過ぎる頃には,ナンはうちにはあまり来なくなった.庭で僕がビールを飲んでいても,現れるのはコナとグレだけだ.庭の僕のビールのつまみのお相伴は,ナンからコナたちに代替わりした.

コナとグレはいよいよ自活しなくてはならなくなった.しかし,秋を過ぎたら,蝉はいなくなったし,他の獲物もずいぶんと少なくなったろう.

母娘3匹が地域猫になってからは,コナとグレには魚肉ソーセージや煮干し等を時々あげていた.ビールのつまみのお裾分けよりはちょっと多い,という程度だけど.でも,いよいよ秋も深まったころ,ついにキャットフードを買ってきて,与え始めた.ただし,これまで通り小動物や虫を食べるだろうし,余所でも何かもらっているだろうから,猫の最低必要分の半分くらいだけを与えることにした.と言いながら,ねだられるままに,結局は猫の最低必要分くらいは与えるようになってしまった.それどころか,正月にはお年玉だのお節だのと言って,ついついたっぷりあげてしまうのだった.そのお正月から,ちょうど2年になる.


2017.01.02

コナの日々(11)

今は,正月二日の夜8時.コナはもう,さっさと僕の布団で寝てしまった.コナと一緒に寝るのは良い(寝る時は暖かい)のだが,明け方には寒くて目が覚めることになる.布団が完全にコナに占領されてしまうのだ.コナはいつのまにか布団から抜け出して,掛布団の上に移るのだが,ちょうどド真ん中,つまり僕の真上に陣取るものだから,重たくって,寝返りの度に僕はだんだんと真ん中から離れていくようだ.


一昨年の正月には,コナとグレの両方がいたのになぁ,と思うと少し寂しい.しかしあのころは,猫たちには寒い戸外でしか餌を上げていなかったから,コナにとっては今の方が快適だろう.でも僕は,コナには内緒で告白するが,実は,コナよりもグレの方が好きだった.グレは器量好しで上品でもあったのだ.

コナとグレ.性格の違いは餌を食べる時の態度でも見えていた.コナに餌をあげている間,グレはおとなしく待つのだが,グレに先に餌をあげようとするとコナは待っていられない.コナは「豚猫」になりそうなほどよく食べるが,グレは太るほど食べない.

餌のついでに抱こうとすると,コナは抱かれるが,グレはなかなか抱かせてくれない.しかし,コナがいない時には抱かせてくれる.なんだか,コナに気兼ねしているみたいだ.

結局,うちにはコナだけが残ってグレが来なくなったのも,グレがコナに気兼ねしたのだろうか.グレはうちに来なくなってからも,道で出会えば僕をちゃんと覚えていて,逃げはしないし,ちょっとくらいは撫でさせてくれた.でも,グレを最後に見かけたのはいつだったろうか.


ところで,あれから2時間半ほど経って,今は夜の10時半だ.9時半ころ,風呂に行こうとしたらコナが起きて来て,外に出て行ってしまった.今夜は天気も悪くないし風も穏やかで酷く寒くはならないようだから,ほうっておいてもいいのだけど,さて,どうしたものか.今晩は一人でゆっくり寝ることにしようか.


2017.01.08

コナの日々(12)

松が明けた.昨日の「七草粥」は食べ損ねたが,いわゆるお粥で僕はここ数日を過ごした.風邪で,三日の朝から熱がでて,つい昨日まで病人だったのだ.インフルエンザではなくて助かった.新年早々の風邪,「注意を怠るな」という神仏からのお告げだったのかも知れない.

風邪ひきの僕には構わず,コナはコナの暮しをしている.夕方になれば,さっさと僕の布団で丸くなってしまう.朝まで寝るのは必ずしも僕の布団とは限らない.居間の炬燵の中だったり,台所の椅子の上だったり,書斎の本棚の隙間だったりもする.どこで寝ていたとしても,朝5時ころには起きだして身繕いを始め,5時半ころ僕の枕元に来て,6時には僕を叩き起こす.雨戸を閉めた真っ暗な部屋で寝ていても,窓にカーテンすらない部屋で寝ていても,コナの起きる時間は変わらない.正確な目覚まし時計を隠し持っているに違いない.

枕元に来たコナを,布団の中から手を伸ばして撫でてやると,ゴロゴロとノドを鳴らし始める.まだ起きたくない僕は,コナを布団に引っ張り込んで,そのまま寝ていようと思うのだ.ところがコナは断固拒否する.そのあげく,例の猫パンチだ.しかたなく僕は起きだして,階下についていくと,やがてコナは玄関から外に出ると言う.暖かい年末年始ではあったのだが,一日のうちで一番気温の低い時間帯,寒い.それでも,何が何でも出るという.仕方がないから外に出して,僕は再び布団にもどる.

外に出たコナはいったい何をしているのだろう.庭の葉蘭の下に座りこむ.我が家は東側が高くなる斜面にあるから陽が昇るのは遅い.遅い陽の光が辺りに射してくるまで,コナはそこにじっと座っている.坐禅でもしているのだろうか.コナのお母さんのナンは,托鉢をする雲水さんのように見えた.だからナンは「南無」だ.コナもやっぱり,そうか.

かつて僕の通っていた在家者の坐禅道場では,5時開静(起床),5時半から坐禅だった.坐禅している間に次第に明るくなり,やがて陽が昇る.今ではとんと坐禅に通わなくなってしまった僕は,コナに敵わない.坐禅に行こうとするコナを布団に引っ張り込もうとする僕は,釈迦の修行を邪魔するマーラみたいに思えてきた.

風邪がほぼ抜けたことでもあるし,こんな反省をしつつ,今朝はコナに起こされるまま,5時半起床,6時から動き始めた.


2017.01.11

戸塚宿七福神めぐり

今年は三人で回りました. 改装工事中の清源院以外のすべてを回って,満願しました. 各お寺では「調子」を吹き,七福神が本堂の外の場合はその前で短く「呼び竹」を吹きました. 10時半集合,2時には終わりました.

最初に行った妙秀寺(日蓮宗)の弁財天には由緒があり,この期間にしか参拝できないそうです. 本堂に上がって弁天様の真ん前で吹かさせていただき,よい気持ちでした. 最初に弁天様にお参りできたのも,尺八吹きとしては嬉しいことでした.

次に行った寶蔵院(真言宗大覚寺派)でも本堂に上がって,毘沙門天の前で吹かせていただきました. 御住職にはお褒めいただき,また,甘酒をごちそうになり,とても良い気持ちでした. (ここで,今年お休み中の清源院の毘沙門天の押印もいただいたので,押印がすべてそろったわけです).

三番目に行った来迎寺(浄土宗)では,本堂の戸が半開きになっていたので,お寺に確認すると,檀家以外は本堂に上げないとのことでしたので,本堂の前で「調子」を吹きました. 以後,多くのお寺では本堂の戸が閉まっていて,その場合は本堂の前で吹くことにしました.


2017.03.18

超宗教

筝曲の「段物」というのは変奏曲であり,スペインの「ディフェレンシアス」に倣ったものだろうと言われています(1). そして,「六段の調」はグレゴリオ聖歌の「クレド」を元にしているとも言われています(2). つまり,筝曲には「キリシタン音楽」の影響がある,ということです.

ところで,尺八古典本曲ですが,これにもキリシタン音楽の影響があるのかも知れませんね. 今に伝わる曲を,キリシタン音楽まで辿るのは難しいでしょうけど.

虚無僧は「僧」ですから本曲は仏教のものと決め付けられますが,もともと神仏混淆だったわけで,ここにキリシタン(キリスト教)まで絡んで来たら,まさに超宗派(超宗教),いいですね! ついでに言えば,「禅」そのものがお釈迦様の説かれたオリジナルの仏教というより,中国で「道教」との交流から起こったもののようだし,虚無僧の宗祖とされる「普化」なんて禅宗のお坊さんというより道教の仙人ですよね.

(1)柴田南雄:音楽史と音楽論,放送大学教育振興会(日本放送出版協会),昭和60.3.20.
(2)野坂操壽(箏),中世音楽合唱団,神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団 ほか:箏曲「六段」とグレゴリオ聖歌「クレド」~日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い,日本伝統文化振興財団,2011.03.30.

2017.04.08

ちとら

1月21日の「杜のホールはしもと アンサンブルコンサート」での「ちとら」の演奏を YouTube にアップしました.
>> こちら

曲目
 春の海(宮城道雄)
 オンブラ・マイ・フ(ヘンデル)
 鳥の歌(カタルーニャ民謡 / カザルス)
 アメイジング・グレイス(讃美歌 / 許田有希)

「ちとら」は,尺八とピアノのデュオです. 尺八(1尺8寸管)の「チ」はピアノの「ラ」,つまり音を合わせる基準音です. 尺八とピアノのアンサンブルの象徴,というつもりで付けた名前です. 西洋近代の音楽を代表するピアノが極めて複雑な構造であるのに対して,日本の伝統的な尺八は極めて単純な構造をしています. ピアノの音が合理的で純粋であるのに対して,虚無僧が宗教的な目的で吹いていた尺八からはまったく複雑な音が得られます. まるで正反対のこの二つの楽器がいかにうまく融合できるのか,これからもいろいろ試していきたいと思っています. 大げさに言えば,異文化の交流‥‥でしょうか.


2017.05.01

庭に佇むと
日射しも日陰も同じく気持ちがいい
花の甘い匂いたっぷりの風
蚊はまだこない
猫を抱いても蚤はいない

虚無僧研究会の総会・講演会がありました(4月29日). 講演の演題に関連して,琴古作の尺八の展示があり,一部の尺八は試奏できました. 懇親会が少し進んでからではありましたが,私も試奏させていただきました. 本物の「古管」を吹くのは初めてのことです. 「なるほど!」としか言いようがありませんでした. 現代の尺八,三曲合奏向きの近代の尺八,そして江戸時代の古管,同じく「尺八」とは言うものの,まったく違うものですね. どれが良い,優れている,とかの問題ではなくて,価値観からまったく違うようです. 知ってはいたものの,あらためて目から鱗が落ちたような,ショックを受けました.

少し前,尺八にどう対するのかを考えていたところです. (1) 音楽 (2) 精神修養・禅 (3) 娯楽・道楽‥‥  本当は,未分化であるべきものなのかも知れない.


2017.06.24

尺八・フルート・ケーナ

私が師匠(善養寺師)に習ったのは古典本曲(虚無僧の尺八)だけです.

それなのに,これまで何度か三曲合奏(宮城道雄とか現代曲がほとんどですが)も経験しました. これまでは,尺八譜を五線譜に書きなおして,力づくでこなしてきたのでした. 今年の10月にもまた,三曲合奏の助演をすることになりました. それでこのところ,少し気を入れて,三曲合奏を練習しているところです. と言っても音源に合わせて吹いているだけですが. それでも,吹きこむにつれて五線譜だけで見ていたのとは違う世界が見えて来て,なるほどこういうことか,と少し納得できるようになってきました.

ところで私は一方で,洋楽みたいなものを尺八で吹くことも試みて来ました. クラシック,ポップス,ジャズ,外国民謡,日本の流行歌・演歌‥‥. フルートやケーナではなくて尺八でやるからには,そこに尺八の良さが活かせなければつまらないと思っています. どうしたら良いかはまだよく分かりませんが,尺八の欠点は裏返せば尺八の長所でもあるのでしょう. おそらく古典の技法の中にヒントは充分に用意されているのだと思います.

ところで,尺八の師匠に言われ,フルートの先生に言われ,ケーナのプロにも,異口同音に言われて来たこと‥‥「腹の力」「腹の支え」. たぶんこれは笛吹きにとって普遍的なことであって,フルートらしい演奏もケーナらしい演奏も,そして尺八らしい演奏も,すべてこの普遍の原則の上に成り立つのでしょう. なお,「腹の力」とは,腹筋を鍛えるというのとは違います(^^;;)


2017.12.17

絶不調?

もう12月も下旬,あっという間に今年も終わりに近づいています. 今年は1月に「ちとら」で演奏してから,半年以上出番がありませんでしたが,10月に二つ,11月に一つ,そして次は1月です.

6月に「腹の力」「腹の支え」なんてことを書いているくせに,実は夏以降は曲ばかり吹いていました. 夏以降に演奏したのが全部ジャンルやスタイルの異なるものでしたので,目前の演奏曲ばかりに気を取られていたわけです.

そのあげく,このところ,まったくの絶不調に陥っていることにはたと気付きました. 指が回らないということではありません. 尺八が鳴らないのです. 曲ばかりに気を取られて,基礎練習を怠っていた報いなのでしょう. 以前のように,やっぱり毎日1時間はロングトーンと音階練習をしなくては,と反省しているところです.

さて,1月の演奏は,下記のようなものです.

第17回 杜のホールはしもと アンサンブルコンサート
  2018年1月20日(土) 開場12:30 開演13:00開演 (Wandes の出演予定13:55~14:10)
  杜のホールはしもと(橋本駅北口 ミウィ橋本7F)
  入場無料
  Wandes の曲目(予定):
   コンドルは飛んでいく
   アルフォンシーナと海
   鹿の遠音~風とケーナのロマンス
曲目は南米アンデスの民俗音楽(いわゆるフォルクローレ)です. 私はもちろんケーナではなくて尺八で,他にギターとチャランゴの,3人編成です. グループ名のWandesは,「和風アンデス音楽」を縮めました.

この練習をしているのですが,どうもうまくいきません. 曲によっては指が回らないとか音程がとれないとかということもあるし,音が思うように出ない,ということは,上に反省を書いたところですが,それ以外にも問題があります.

一つは,フォルクローレの魅力が,なんと言ってもまず,その楽器そのものにあることです. このことは承知であえて尺八でやるのだからしかたがないと諦めるしかありません.

もう一つの問題は,音楽や音の作り方そのものが違うことです. 例えば,発音した音の後処理をどうするのか,つまりどう消音するのか,ということです. この点ではフォルクローレは洋楽(クラシックなど)と同じ部類に入るでしょう. 洋楽と本曲の違いは,極論すれば,「キリスト教会のパイプオルガン」と「仏教寺院の梵鐘」,ということになるでしょう. フルートやケーナに梵鐘は馴染まないし,尺八にオルガンは馴染まない. この矛盾にどう折り合いを付けるかも,目下の課題です. 苦し紛れに,「風とケーナのロマンス」の前吹きに「鹿の遠音」を入れてみようと思っていますが,果たして聴衆の反応は (^^;)

ところで,今思い出したことがあります. 夏以降,基礎練習をしないでいきなり曲を吹いていたのは,こんな理由もありました.

本番で一発目の音が出なかったら,大変です. 私にもそんな経験はあるし(しばしばです),そんな相談を受けたこともありました. 音出しをしてから吹けばちゃんと鳴るのに,本番の一発目が鳴らないとしたら,曲を吹くことに気を取られて,腹の支えを忘れてしまうことがその原因なのでしょう. それで,毎日毎回練習の最初には,本番の舞台に立ったつもりで音出しなしでいきなり一曲吹いて,腹の支えなどを忘れないようにする訓練をすることにしたのでした. それがいつのまにか,そのまま曲ばかり吹くようになってしまっていたようです.

曲は曲でもちろん,100回でも200回でも吹かないといけません. でも,集中力も無い状態でただなんとなく何百回吹いたところで,何にもなりません. それがこのところの私だったようです.


2017.12.27

文化庁芸術祭大賞!

あと数日で今年も終わりです. 皆様には大変お世話になり,ありがとうございました.

この一年,あっという間に過ぎたようでもあり,いろいろなことがあって随分長かったようにも感じます. 皆様も各々に吉事凶事,悲喜苦楽さまざまであったことと思います. 来年がよい年でありますようにお祈り申し上げます.

ところで,この年末に,嬉しい知らせが舞い込みました. 私の師匠・善養寺惠介師が,今年度(平成29年度)の文化庁芸術祭で音楽部門の大賞をいただくことになりました.
>>平成29年度(第72回)文化庁芸術祭賞受賞一覧
音楽部門は邦楽とか洋楽とかの区分はなく,あらゆるジャンルの音楽を対象にしていますから,音楽家にとっては最高の栄誉です. 私も受賞対象の演奏会を聞きに行き,これはいける! と,その場で確信していました. 演奏のまえに,まず,大変な意図をもった選曲に感心しました. そして,その意図を十分に表現しつくす演奏に,驚嘆しました.

とにかく,弟子の一人として,大変に嬉しいことです. 私も来年はもう少し気合を入れて頑張りたいと思います. 来年もどうか宜しくお願い致します.


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