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虚鈴の編曲のこと

百錢会通信(2008年2月号,3月号)からの転載です. ただし,若干手を加えてあります.



「普大寺 虚鈴」を尺八の合奏用に編曲し,それを何度も演奏していただいた昨年(2007年)は,私にとってとても記念すべき年でした.編曲には,これまで多少勉強した音楽の知識と本職のコンピュータも上手い具合に活用できました.そして,7月の百錢会浴衣会(法身寺書院),9月の所沢市邦楽芸能大会(ミューズ・マーキーホール),そして12月の三曲歌ざんまい(赤坂区民センターホール)と,計3回の演奏をして(させて)いただき,回を重ねる毎に演奏にも編曲にも良い評価をいただけて,本当に嬉しいことでした.

 

この編曲をすることになったきっかけは,その1年前(2006年11月)の三曲歌ざんまいの後の打ち上げに遡ります.その席で師匠から,「来年の三曲歌ざんまいには尺八の合奏をしたいから,何か編曲してみないか」との話しがありました.

これにはいろいろな意味で,自信はありませんでした.もちろん自分の能力の不安が一番ですが,尺八で和音が正しく吹けるだろうか,とか,尺八の属としての音域は西洋楽器に比べてずいぶん狭いからそもそも和音を構成できるだろうか,とか,要するに,西洋音楽の範疇でしか合奏を考えられなかったわけです.

最初に編曲対象の曲として思いついたのは,スペイン民謡「鳥の歌」を,コラール風にしてみよう,ということでした.この曲は,チェリストのパブロ・カザルスが,独裁政権が続く祖国スペインの平和を願って,国連の総会議場で弾いた曲です.私は学生時代にそれをテレビで見ました.祖国スペインの,そして全世界の人類の平和への「祈り」が伝わってくるような曲,演奏でした.

何年か前,沖縄の南部戦跡に行った時,何か献笛しようと思ったのですが,「調子」なんかどうしても吹く気持ちになれず,そんな時に吹ける曲ってないかな,と思っていて思い出したのがこの曲でした.尺八合奏の話があったのは,その「鳥の歌」をチェロではなくて長管で吹いたらどうだろう,と思っていたちょうどその頃でした.

ところが先に書いたような訳で,編曲を始めるのは躊躇していました.しばらくしてから,「祈り」と「コラール」をキーワードとして,「虚鈴」はどうだろう,と思いついたのでした.最初,合奏と言えば西洋音楽風のものしかイメージできなかったのですが,いっそ本曲を合奏に仕立ててはどうかと,この時思いつきました.

 

けれど今度は,尺八古典本曲を合奏にするというのは一体どうしたらよいものか,と途方にくれてしまいました.これまでの私の短い(たった10年の)経験では,本曲の合奏というのは二つしか知りません.一つは斉奏です.ラジオ体操か太極拳の練習みたいな,皆で一斉に同じことをするやり方です.微妙にピッチやタイミングがずれて,それなりに面白いのですが,わざわざ編曲するというようなものではありません.もう一つは「鹿の遠音」のような掛け合いです.ここには偶然的な和音は生まれますが,基本的には旋律と旋律の継時的な関係です.どちらも私のイメージとは合致しません(なお,前者の変形とも言える表調子と裏調子の合奏ですが,これは少し参考になりました).

それで,まずは本曲に和音が付けられないものかの検討から始めました.本曲をはじめ日本の旋律は西洋音楽とは異なった音組織を持っています.本曲は都節音階と呼ばれる5音音階(ミ・ファ・ラ・シ・ド・ミ)が基本となっています.都節音階の上に構成できる和音を作ってみました.

都節音階の上の和音とは,次のような原則で作った和音です.まず,その都節音階の構成音の,三つづつの組み合わせの中から,オクターブを変えたりして,上下の音程が5度,もう一つがその間に入るように並べ替えられる組み合わせだけを残します.さらに,その三つの音の間に短2度(半音)の関係を含むものは除外します.こうして残ったものを利用可能な和音とします(長和音・短和音の他に sus4 と呼ばれる和音が出来ました).特定の旋律に対して適用可能な和音の候補は複数になる場合が多いでしょうが,それらの中での優先度には,核音と呼ばれる音をいくつ含むかを参考にしました(西洋音楽ならここで,機能和声という理論が使えるのですが).

本曲に和音を付ける実験として,紫鈴法や普大寺調子などの旋律に和音(いわゆるコード)を付けて,それをサンバだのブギウギだの16ビートだののリズム伴奏で自動演奏してみました.そしたらこれが,なかなか面白い(顰蹙も買ったかも知れませんが).こりゃ行けるかも知れない,と思ったのが,昨年3月ころです.

尺八の属としての問題は,音域が狭いことです.西洋楽器ならリコーダでさえ,その基音(筒音)はバスからソプラノで1オクターブ半もあり,さらにコントラバスからソプラニーノなら3オクターブにもなります.ところが尺八では,3尺管から1尺5寸管でやっと1オクターブです.実用上,1尺8寸管から2尺7寸管(G管)までの5度というところです.これでは小中学校のリコーダ合奏のうち,ソプラノとアルトの二重奏程度の音楽しかできません.

ところが,本曲の音組織を細かく見ていくと,西洋音楽的な言い方をすれば,しばしば(ひっきりなしに)転調をしています.それをうまく使えば,筒音の違う尺八に旋律を移していって,和音の構造も変化させられることに気づきました.

もう一つ,尺八には,幹音はさておき,メリや大メリなどの派生音はピッチ(音高)が不安定で,和音が綺麗に作れないのではないかという心配もありました.しかしその一方,尺八の属は2尺管だの2尺1寸管だのいろいろな長さのものがありますから,それをうまく組み合わせれば,確実な幹音だけで必要な和音は作れそうにも思えました.(なお,後で気付いたことですが,幹音であっても「リ」や「ヒ」「イ」などの音は不安定になりやすいので,合奏ではできるだけ使わないほうが安全です).

そんなわけで,まずは使えそうな尺八を洗い出し,できるだけ多種類の尺八を使って編曲してみることにしました.「使えそうな尺八」とは,虚鈴の原曲を1尺8寸管で吹いたのと同じ音(あるいはオクターブ違い)を常識的な指遣い・技巧で吹けるかどうか,ということで判断しました.結局,1尺8寸,2尺,2尺7寸(G)の3種類が使えそうで,私自身の持っている2尺5寸(A♭)も,なんとか使えそうでした.4パートあれば,なんとか様にはなるかな,と思えて来たのが,昨年の5月になるころだったでしょうか.ただし,G管を担当できる人が揃うかどうか,そもそも楽器があるのかどうか,という心配は残りました.

 

さて,実際の編曲は,最初からパソコンの上で行いました(前述の紫鈴法のサンバやら16ビートの調子やらの実験も,もちろんパソコンです).筒音の異なる4種類の尺八(西洋音楽的に言えば4種類の移調楽器)を合わせた音なんて,とても楽譜の上では想像できません.実際に音を聞きながらでなければ無理です.まず,虚鈴の原曲を五線記譜に直して,パソコンのDTMソフト(Desk Top Music,パソコンで五線譜などのデータを作成したり,自動演奏したりするソフト)に入力しました.この時の最大の苦労は,リズムです.本曲に西洋音楽で言うような拍子やリズムなんてありっこありません.リズムとは別の原理が支配しています.ところが,苦肉の策で,遅い3拍子で書いてみると,不思議となんとか虚鈴に聞こえてきました.

DTMは,この編曲には実に有用でした.パート毎に移調できるし,そのパートを移調楽器として定義しておくこともできます.だから,最も簡単な調(ハ長調のような)に移調して和音を確かめたり,筒音毎の調に変えて指遣いを確認したり,そして実際の音高で演奏することもできます.

ところで,パソコンには「尺八」の音も用意されていて,その音でも自動演奏はできるのですが,とてもこれは尺八には聞こえません.いや,一つだけの音を聞けば尺八と言われても文句はありませんが,旋律にしたらとても聞けたものではありません.しかたが無いので,音での確認にはストリングス・アンサンブルの音を使っていました.これが一番聞きやすい音でしたので.ですから逆に,尺八で合奏してみるまでは,実際にはどのように響くのか,とても不安でした.

尺八で演奏するには,最終的には尺八の楽譜が必要です.ちょうど良いタイミングで,昨年6月の邦楽ジャーナルに,「実用!尺八の縦譜をパソコンで」という特集がありました.この記事の中には松島さんの(私も関わっている)「尺八くん」の話題もとりあげていただきましたが,この特集の担当者の立花宏さんのアイディア(特集編集のために何度か私信を交わしました)と我々の成果を組み合わせたら,なかなかいい尺八譜がワープロで作れるようになりました.少なくとも虚鈴に関しては,手書き楽譜にさほど遜色はないのではないかと思いますが‥‥‥.そんなわけで,編曲,実験,楽譜作成まで,パソコンの上で行えることになりました.

 

最初の演奏は7月29日に法身寺で行なわれた浴衣会です.そのための合奏の練習を所沢の師匠のお宅で予定していたら,なんと台風で流れ,結局全員揃っての練習は当日の朝一回きりでした.この本番の録音を聞いてみると,さすがに練習不足,ピッチが外れてきつい唸りも出ています.

次の演奏はちょうど2ヶ月後の,所沢市芸能邦楽大会です.浴衣会での反省から編曲にも少し手を入れ,合奏練習も前よりはやるべきことが分かってきて,だいぶん身になる練習ができ,本番前には師匠にもしっかり見ていただき‥‥,そして本番.なかなかいい出来だったと思います.一番不安だったピッチが合わないという問題も,会場の音響効果(今までは練習も本番もただの部屋でしたが,ここはそれなりの演奏会場ですから)にも助けられたのか,本番では(演奏している本人には)ほとんど気になりませんでした.

さて,最後は12月2日の三曲歌ざんまいです.もともとこれのために編曲してきたのでした.前日にも全員での練習を入れ,この練習は師匠にもしっかり見ていただき,編曲にも若干の手を加えて,本番に臨みました.本番は,おそらく3回の本番,何度かの練習のうちで,一番いい出来だったのではないかと思います.

驚いたのは,この本番当日,黒井さんができたばかりの2尺7寸管(G管)を持って来てくださり,それをそのまま大釋さんが本番で使っちゃったことです.いきなり本番で新しい楽器を使う大釋さんにも驚きましたが,このG管がまたよく鳴り,おかげで低音が実に充実し,厚みのある合奏になりました.

 

今回の編曲は,我ながら成功だったと思います.でもそれは,編曲の成功というより,この曲が持っている力そのものだったのではないかと思います.「虚鈴を虚鈴のままで,音色を拡大したい」というのが(後付けですが)編曲意図でした.合奏にすることで,「禅的」な要素は若干希薄になってしまったかも知れません.でもその代わり,私が最初にイメージした「祈り」の重みは幾分か増したのではないかと思います.それから,演奏にあたっては,同じ師匠に習った者の合奏であったことは,大きな強みだったと思います.曲の解釈,奏法が同じですから,余分な指示は不要で,自然に一つにまとまった演奏・響きになったと思います.

末筆ながら,今回の機会を下さりアドバイスなどもいただいた善養寺先生,演奏に加わっていただいた佐藤,舟曳,長嶺,松島,大釋,池上の皆さん,わざわざ長管(G管)を作って下さった黒井さん,そしていろいろな面で支えていただいた百錢会および関係の皆様に,御礼申し上げます.ありがとうございました.