無孔笛庵 駄文書院 に戻る


虚無僧行脚〜鎌倉編〜



2001年5月19日,F氏と二人で鎌倉を虚無僧行脚して来ました. 虚無僧姿で歩くのは,まだこれが二度目です.

これはその記録です.


当日は,よく晴れて爽やかな日ではあったのですが,風が強く,屋外で笛を吹くには適した状況とは言えませんでした. ところが,虚無僧の被る天蓋というものはなかなかの優れ物で,これのおかげで歌口に強い風は直接には当たらず,吹鳴にそれほど苦労はしませんでした. ただし,天蓋にかかる風圧は大変なもので,私の天蓋は風で変形するほどで,天蓋の中の眼鏡を圧迫したりして,なかなか辛いものでした.

集合は 10:00 に JR北鎌倉駅. 集合場所では,先に見つけた方が「呼び竹」を吹き,もう一方が「受け竹」で答える予定. 私は現地まで作務衣で行き,そこで着替えるつもりだったので,15分程早い電車で行ったのですが,ホームに降りると同じ電車の隣の車両から既に虚無僧姿になったF氏が出てきました. いきなりのことだし,電車を降りた人で溢れ返るホームだったので,「呼び竹・受け竹」はできませんでした. なお,私は近くの民家の庭先の物陰で,虚無僧姿に着替えました.

さてまずは,北鎌倉駅から最も近い,円覚寺(鎌倉五山第二位)の総門の前(今回の行脚では,拝観料を払ってまではお寺の中には入らないことに決めていましたので)で献奏しました. 曲は「普大寺・調子」です. この後も,お寺での献奏はすべて「調子」で通しました.

献奏していると,観光客がたくさん集まってきます. 観光客の何人かが我々にお布施しようとするのですが,我々は餉箱を持っていなかった(托鉢はしないつもりでした)ので,袈裟(絡子)が袋になっているものと勘違いし,そこに入れようとするものですから,せっかくのお布施も地面に落ちてしまいます. 結局あきらめたようで,ついにお布施はいただけませんでした. お布施が欲しいわけではありませんが,これはどうもお布施しようとする方に失礼だったようなので,今度からはしっかりと餉箱を用意して行こうと思います.

ところで,周りでみていた人達の中から「どうせ普通の人がやってるんでしょ?」とか,「髪をのばしてるよ」とか囁く声が聞こえていました.

次は明月院(臨済宗円覚寺派)を目指します. 歩きながら吹くのは主に根笹派の曲とし,お寺(次の献奏場所)に近づいたら「紫鈴法」(何となく行進曲風),献奏を終えてそこを離れる時は「吾妻之曲」(何となく名残惜しい感じ)を基本的には吹くことにしました.

明月院の手前で,道端に座り込んで,物語のようなものを語っている網代笠を被った僧形の人がいました. 「本物かなぁ.我々の同類なのかも」などと思いながら,一礼して通り過ぎようとしたら,あちらもこちらをちらっと見て,軽く一礼を返してきました. この人,それから5時間後にも同じ場所で同じことをしていましたが,さすがに6時間後にはいなくなっていました.

明月院の門前にて献奏し,喫茶店「笛」まで行って,戸口にて門付けの真似事をしました. すると,中からマスターが出てきて,お布施をいただきました. 天蓋をとって顔を見せたら,なぁんだ,という反応でした(でもお布施はしっかりいただきました). マスターによれば,彼が若いころは,よく虚無僧が門付けに回ってきたものだそうです.

浄智寺(鎌倉五山第四位 臨済宗円覚寺派)の拝観受付の前にて献奏した後,扇が谷へ山越えをしました. 源氏山に行く道はそれなりに人が通りますが,途中から左に別れて扇が谷に降りるのは大変な道で,とても尺八を吹きながら歩けるようなところではありません. 険しい坂道でF氏はこけました(幸い,本人も尺八も衣装も無事でしたが).

海蔵寺(臨済宗建長寺派)は,拝観料無しで中まで入れます. 観音堂で献奏していると,写真やビデオに撮りまくられてしまいました. 庭の奇麗なお寺なので,写真を撮るのが目的で来る人も多いのです.

お寺の駐車場に喪服の人達がいて,我々に合掌低頭されました. お葬式のようだったので,彼らの車が出ていくまで,「普大寺・虚鈴」を吹きながら見送りました. 通り過ぎる車の中から,再び合掌低頭されてしまいました.

寿福寺を目指して歩いていると,巡礼の団体(40名ほど)に遭遇しました. 鎌倉にも三十三観音札所があるのです. 団体を先導するお坊さんには合掌低頭されましたが,団体の皆さんには少々妙な目で見られたような気がします.

寿福寺(鎌倉五山第三位 臨済宗建長寺派)の本堂の手前にて献奏したところで,そろそろ空腹になりました.

時刻はもう12:30,小町通りの食堂「利休」にて,カレー(F氏はカツカレー)を食べ,一休み. それにしても,さすが鎌倉ということでしょうか. 虚無僧が二人,突然入っていったのに,お店の人は驚いた様子もなく,平然としていました.

若宮大路の段葛をいろいろ吹きながら流しましたが,もう慣れたせいか,人目はほとんど気になりません.

鶴ヶ岡八幡宮の前を右に折れ,宝戒寺(天台宗)の門前にて献奏し,東に向かいます. このあたりでの風の強さには,少々閉口しました.

報国寺(臨済宗建長寺派)も庭の奇麗なお寺で,中まで無料で入れます. 本堂前にて献奏していたら,ご住職が現われ,合掌して「ごくろうさまです」と挨拶されました.

門前まで戻ったところで,私の携帯電話が鳴り出しました(因みに着メロは,超アップテンポの「呼び竹」). 家内からです. 慌てて天蓋を被ったまま話していると,近くにいたギャル達が「虚無僧が携帯してるぅ〜」と騒いでいたようです. 現代の虚無僧ですから携帯くらい持ってたっていいじゃないですか.

浄妙寺(鎌倉五山第五位 臨済宗建長寺派)は拝観料が必要なので,拝観受付前にて献奏していたら,受付の女性から「どうぞ中にお進み下さい」と何度か声を掛けられました. しかし,F氏が「こんな格好しているからって,特別扱いされるのは嫌だ」と主張するので,これは辞退しました. でも,せっかくのお申し出だし,我々のためにということではなくて,やっぱり中まで入って献奏してくるべきだったかな,と少々心残りです.

杉本寺(天台宗)は階段下の門前にて献奏し,鎌倉宮(拝殿前にて「大和楽」を献奏),鶴ヶ岡八幡宮を経由して,北鎌倉を目指しました.

ところで,鎌倉宮の境内でちょっと休んでいると,小さな子供が天蓋を被ったままのF氏に「こんにちは」と声をかけてきました. F氏が「今日は」と声を返すと,子供はとても嬉しそうでした. おそらくこの子は虚無僧が自分と同じ人間であることを確認したかったのでしょう.

円応寺(臨済宗建長寺派)の門前で献奏し,建長寺は通過(建長寺では最後に坐禅をする予定でしたが,まだちょっと早すぎるので)し,喫茶店「笛」まで戻って休憩することにしました.

途中,明月院の手前には,今朝の語り物の僧がまだいました. 我々はずっと歩き続けていたのに,この人はずっとここに座っていて,その間,聴衆の方が歩いていた ...... 考えてみれば,こっちの方がずっと効率よくて楽だよなぁ ..... などと不謹慎な気持ちが沸いたのは,疲れていたからでしょうか.

「笛」着,15:30,とにかく咽が乾いているので,水を何杯もいただきました. ついでに,虚無僧の衣装から作務衣に着替えました. つまり,今回の虚無僧行脚は形式的にはここで終了です.

ここまでで歩いた距離は,およそ12キロ. 休憩と食事,それに献奏などで歩いていなかった時間も含めた平均移動速度は,時速2キロ強,実際に歩いている間の移動速度は時速3キロ弱でした.

さてそろそろいい時間になったので,建長寺の坐禅会に向かいます.

途中の長寿寺(臨済宗建長寺派)の門前で献奏していると,今日は一緒に坐禅する約束になっていた家内に見つかってしまいました.

建長寺につくと,いきなり駐車場係りの人に「さっき向こうに歩いていったようだけど...」と声を掛けられました. さっきは天蓋を被っていたから顔は見えなかったはずだし,今は着替えして天蓋も尺八もしまってあるのに,なぜわかったのでしょう.

建長寺(鎌倉五山第一位)の坐禅会は 17:00 からですが,我々は早目についてさっさと座りました. ところで,この日の担当の和尚さん,少々修行不足なようで,読むお経を間違えたりして,なかなか楽しませていただきました.

坐禅終了後,ダメオシで,建長寺仏殿前にて献奏. これで今回の虚無僧行脚はすべて終了です. さて,ビールでも飲みましょう.

さて,お馴染み(私にとっては)の酒処「ささや」に入り,とりあえず,ビール. その後は焼酎ボトル1本(家内はあまり数には入らないので,二人で)空けてしまい,出来上がったF氏(私もですが)は尺八を取り出して店内で歌謡曲などを吹きまくってしまいました. お店では叱られるどころか,むしろ喜んでいただいて,幸いでした.

最後の最後,北鎌倉駅のホームでは客が少ないのをよいことに,行脚中はついにできなかった「根笹派 調・下り葉」の本調子+裏調子を吹き始めたのですが,酔っ払っていたせいでしょうか,途中でこけてしまいました.


さて今回の反省ですが,まず,二人で歩いたのは大正解でした. 一人では少々こころもとないし,献奏の音も貧弱になってしまいますが,かと言って大人数では見るからに異様でしょうし,曲や歩き方の融通も利きません. (そもそも,虚無僧は二人一組で歩くものと決められていたそうです.)

歩く速さも,この位がちょうどよさそうです. ウォークラリーではあるまいし,目標地を決めていつまでにそこに辿り着くべし,というよりは,とにかく吹きながら歩ける程度の速度で,丹念に歩くことが重要だと思います.

曲の選択はまずまずでした. ただ,献奏がいつも「調子」(たまに「大和楽」)というのはつまらないので,例えば観音堂だったら「薩慈」にするとかすればよかった. 次回までに,もっとよく暗譜しておこうと思います. なお,歩きながら吹くには,根笹派の曲はぴったりでした. ただ,暗譜している曲が少なくて,同じ曲を何度も何度も繰り返すのが少々嫌になってしまったのが,残念です. ずっと吹き続けることが修行なのでしょうし,自分達以外は同じ曲を何度吹こうが聞くのはおそらく一回だけなのだから,とにかく(しつこく)吹き続けるべきだったと思っています.

コースとしては,まあ,虚無僧の初心者コースといったところでしょうか. 観光地の,臨済宗のお寺を中心に回ったので,問題はなかったし,むしろ好意的な反応をいただきました.

今回も托鉢はしませんでしたし,当分しないつもりです. ただし餉箱は,先にも書いたとおり,やっぱり欲しいと思いました(実は,この虚無僧行脚の翌日,慌てて餉箱を自作しました. 今度からはこれを持って行くことにします).

さてさて,次はいつどこを歩こうか.