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「尺八」という名前の不思議


 「尺八」という楽器の名前が,その長さの1尺8寸に由来することはよく知られている.より正確には,7世紀中頃の中国(唐)で音律の基準として作られた笛のうち,もっとも長いもの(音律の最低音の管)が当時の尺度で1尺8寸だったことから,尺八という名前が生まれたのだそうだ.

 しかし,それが1尺8寸だったというのは,偶然だったのだろうか.たとえば一番長い管の1尺8寸を名前にしないで,ちょうど中間(1尺8寸とその1オクターブ上の)の1尺2寸で代表させて,「尺二」でもよかったのではないか.

 あるいはまた,1尺8寸の長さを音律の基準に選ぶ必然性だって,あったのだろうか.「音律の基準を定める管を作った」というのだから,キリのよいところで 2尺の管を作って,これが基準だ,と宣言すれば済みそうなものを.

 さらに,時代や土地によって尺度は変わり,今の日本の1尺8寸は唐代の1尺8寸ではなかろう.それにもかかわらず,やはり 1尺8寸なのはなぜなのだろう.

 そもそも,楽器の長さをその楽器の名前にするとは,いかにも奇妙な気がする.実際,尺八とはいいながら,1尺6寸だったり 2尺1寸だったりするのは,どうも納得がいかない.しかもこの事情は,「尺八」という名前があってから様々な長さのものが開発されたのではなく,様々な長さのものがあってから尺八の名前がついたのだから,なおさらである.

 この不思議について考察してみた.

 結論から述べよう.実は,1尺8寸(18寸)の 18という数には不思議な,音楽的(音響学的)な意味が隠されていたのである.これは,1尺2寸でも,2尺4寸でもいけない.

 尺八のおもしろい(そしてとても便利な)特徴の一つに,管長を 1寸短くすると基準音(筒音)が 1半音高くなるという点がある.つまり,現代の 1尺8寸管の筒音は西洋音階のDだが,1尺7寸管にするとD# になる.ただしこの関係は,1尺8寸の前後でしか有効ではない. 6寸短くする(正寸の 1尺2寸管)と,6半音高いG# になるかと言うとそうではなく,さらに 1半音高いAになってしまうし,6寸長く(正寸の 2尺4寸)しても 6半音低いG# まで下がらず Aの音になる.

 音響学的に説明すれば,次のようになる.

 1オクターブとは,周波数比で 1:2 のことである.この 1オクターブの間に 12の音がある.このことは,西洋音楽でも東洋・日本の音楽でも同じであり,音楽のいわば基本原理である.ただし,より正確に言えば,いつでも 1オクターブ中の 12の音高を平等に使う訳ではないので,その組織化の方法には民族的な特徴や,同じ民族でも旋法による差などもある.ここでは,西洋音楽でいう平均律で説明する(ただし,これも,西洋音楽だけの概念ではなくて,実際には中国でも日本古来の音楽でも,実質的には用いていたと言ってよい).

 さて,その平均律では,周波数比 1:2 を 12に等分して,各半音の音高を定める.数式で書けば,基準音の周波数をf0として,そこから数えてn番目の音の周波数fnは,つぎのようになる.
fn = f0 * 2(n/12)
例えば,n=12は 1オクターブだが,この式からも f12=2*f0となる.

 一方,その音高を出すための管の長さは,波長に比例,つまり周波数に反比例する.

 念のために,1オクターブ分の各音高の周波数と波長の比を,計算しておく(下表).

n 周波数 波長(管長)
0 1.000 1.000 基準音(筒音)
1 1.059 0.944
2 1.122 0.891
3 1.189 0.841
4 1.260 0.794
5 1.335 0.749 純正律では波長比 3/4=0.75
7 1.498 0.667 純正律では周波数比 3/2=1.5
8 1.587 0.630
9 1.682 0.595
10 1.782 0.561
11 1.888 0.530
12 2.000 0.500 1オクターブ

 この表から,周波数が 1.059 倍,つまり,波長では 0.944 倍になると,1 半音高くなることがわかる.

 さて,問題の 1尺8寸であるが,1尺8寸と 1尺7寸の長さの比を計算すると,
17÷18 = 0.944
となり,1尺7寸管は 1尺8寸管より,ぴったり半音高くなることがわかる. 試しに,1尺2寸と 1尺1寸,2尺4寸と 2尺3寸の関係も計算してみよう.
11÷12= 0.917
23÷24= 0.958
というわけで,残念ながらこれらの関係は半音にはならないのである.

 このように,半音高い/あるいは低い楽器を得るのに,単純に 1寸だけ短く/あるいは長くすればよい,という極めて便利な法則は,1尺8寸が基準だからこそ可能なのである.

 余談になるが,この関係は,なにも「1寸 = 3.03 cm」での1尺8寸である必要はない. 唐代の尺度でも鯨尺(約37.879センチメートル)でもよいし,例えば 1尺5寸管を 18インチ管と呼んでおくのも便利かも知れない.

 もう一つ余談(ただし,この余談は少々重要である). 上述の特徴を得るためにはどんな尺度による 18 でも構わないのだが,今となってはやはり「1寸 = 3.03 cm」での 1尺8寸が好ましい.それは,この筒音(琴古/都山のロ)が西洋音名の D であることによる.これは,すべての指孔を塞いだ音であるが,下の手(通常は右手)の小指には対応する指孔がないので,フルートやソプラノ/テナー・リコーダで言えば,右の小指を開いた指遣いと同じ感覚である.そしてその音の音高は D である.つまり,現代の尺八(1尺8寸管)は,偶然にもフルートやリコーダと基準音が同じだと考えてよいのである.

 さらに,それがクラリネットやサックスではなくて,フルートである点は重要である.つまり,クラリネットなどが移調楽器(例えばクラリネットの楽器としてのドは Bb)なのに対して,フルートは実音楽器(その楽器のドが C)なので,ピアノや他の楽器との合奏などをする場合,とても都合がよい.

 尺八という楽器の呼称がその長さから来たことには必然性があったのかも知れないが,現代の 1尺 = 3.03 cm は,どう考えても,尺八のために決められたものではなかろう. この偶然には,ただただ感謝するしかない.