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もう「献奏会」では上りません!



仏前の献奏会は,聴衆に聞かせるコンサートとは違います. それでも私は,よく上ってしまいます. 私は実は,大変な「上がり性」なのです. 先日の献奏会でもかなり上って,もうちょっとでしくじるところでした.

ところが今回,このことについてちょっと進歩したような気がしますので,それを報告します. 結論を先に言えば,「献奏は,仏様への「願」をもって,それを念じながら吹けば,上ることもない」,ということです.


2005年度の虚無僧研究会の献奏会は,福島市の安洞院の本堂で行われました. 神保政之助の菩提寺ということで,東京からずいぶん遠い(バスで片道4時間半)にもかかわらず,現地や東北方面などからの参加者も含めて, およそ100名の参加者が集う,大盛会となりました.

私の出番は,全35曲中の22番でした. 出番が近づくにつれ,心臓がドキドキし始めました. 最初のうちは,この緊張感が気持ちいいんだよな,などと思っていられましたが,次第にそんな余裕もなくなってきました. 拳を握ったり開いたり,また,顎を大きく開いたりの準備運動をしながら,深呼吸(坐禅の呼吸)で,リラックスに努めました.

さて,ついに自分の番が回って来ました. 私の献奏曲は,普大寺伝の「虚鈴」. 乙(一番下のオクターブ)のツ(という指遣いの音)から始まる,全体としては静かな曲ですが,力のない音ではまったく聞くに堪えないつまらないものになってしまいます.

仏前で正座してゆっくり礼をし,必要なだけ充分に息を吸い込み,息を溜めた下腹に力を込めて,口と唇の力はすっかり抜いて,目を閉じ,下腹の力で息を吐き出しました. 一発目の音は無事,出てくれました. その後も,曲の3分の1くらいまでは無難に過ぎ,まずは一安心.

しかし,この安心がいけなかったのかも知れません. そのあたりから,あらためて上ってきました. そうなると,今度はなかなか静められません. 目は閉じているのに,周りで聞いている人のことなどまで気になり始めてしまいました.

かつてフォルクローレでステージに上っていた頃は,聴衆がいればいるほど調子が良くなったものでしたが,尺八に替わってからは,それが逆です. いつも,曲の終わりが近づくにつれ,緊張のために筋肉が硬くなり,細かく痙攣し始め,音が震えてきます. それに気づけば,さらにひどくなります. ビブラートのような効果に見せかけようとしたこともありますが,必ず見破られます.

なぜこうなるのでしょう. 短くて軽いケーナで短い曲(3分程度)を吹くのと,長くて重い尺八(今回は2尺5寸以上ある長管を使いました)で長い曲(10分程度)を吹くのとでは,もちろん筋肉の疲れ方は違うはずです. それに,音楽の位置づけが違うでしょう.

その時,ふと頭をよぎったことがあります. 「私は何のために仏前で献奏しているんだろうか. 聴衆に聞かせるために吹いているんだろうか. いや,むしろ,誰も聞いていない札所で献笛させていただくのと同じではないか」.

このごろ私は,家内と一緒に坂東三十三観音霊場の札所巡りをしています(温泉旅行のついでに立ち寄るというような,不謹慎な巡礼ですので,なかなか満願には至りませんが). 札所では,般若心経や延命十句観音経などのお経を読んだあとで,可能であれば献笛をさせていただいています. これは,仏様に感謝し,あるいは心願をもって祈りを捧げるのであって,この時に上ったことはありません (そもそも,仏様と家内以外には誰も聞いていないのですから,上がりようもないのですが).

「今ここで献奏しているのも,札所で吹くのと同じことではないのか?」 そう思い至たり,気持ちを切り替えることにしました. 「誰に聞かせるんでもない. 仏様への祈りなのだ」.

けれども,抽象的に「祈り」と言っても集中できません. ここで,写経のことを思い出しました. 私は,仏様には願をかけるものではないと思っています(仏様は感謝するもの,願は神様にかけます). でも,写経では最後に願文を書きます. 巡礼も,願がなくてはいけません.

そこで,一つの願(妻の病気平癒)を念じることにしました. 願を念じながら吹き始めたら,まったく不思議なことに,周囲のことは気にならなくなり,仏様だけになってしまったような気がしました. おかげで,その後はほとんど上ることもなく,吹き終わることができました. 吹き終わって,尺八を下ろし,目を開けるまで,周りのことは意識から消えていたようです.

献奏会が終わってから,知人に感想を聞かせてもらいましたが,上っていたようには見えず,落ち着いて吹けていたとのことでした. 演奏そのものも好評で,まずまずだったようです. これから,仏前での献奏は,必ず「願」を念じながら吹くことにしようと思います.

2005年11月