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日本仏教の各宗について


はじめに

日本仏教には十三宗あると言いますが,それは現存する伝統仏教の主なものであり,歴史上のものや,新たに独立分派して一宗を名乗るものもたくさんあります. なぜ同じ仏教徒と言いながら,そんなにも別れているのか,他方,政治権力との関係での対立を除けば,深刻で熾烈な宗教的対立がむしろ例外的なのも,不思議なことです.

以下,このような疑問を元に,各宗を概観してみます.

大乗仏教と宗派

日本仏教が多くの宗派に分かれているのは,そもそも「大乗仏教」であることによります.

大乗仏教では,上座部仏教がお釈迦様の教えを忠実に守ろうとしたのに対し,時代や状況などに応じてその教えを応用すればよいとします. お釈迦様自身,相手やその状況によって様々に教えを説いたのですから,それをさらに応用すれば,様々な方法が出て来るのは当然です. つまり,最終的な悟りは同じでも,そこに至る道は多数あることになります. そして,悟りに至ってしまえば,どんな道を辿ってきたのかはどうでもよいということになります.

このような立場から,大乗仏教では様々な経典が編纂されました. その膨大な経典群のうちのどれに依拠するのかということが,本来的には「宗」に対応します.

日本仏教の概観

日本伝統仏教を時代によって奈良仏教,平安仏教,鎌倉仏教に分け,各宗を概観します.

(1) 奈良仏教

奈良仏教には,法相,華厳,律,三論,成実,倶舎の南都六宗があり,前の三宗が現存します. これらは,現代的な用法での「宗」より「学派」に近く,「宗」の本来的な意味を持ちます.

法相宗は,唯識思想に基づき,縁起で成り立つ無常の世界(空)を端的にとらえるために,心の世界以外には何もないと考えます.

華厳宗は「華厳経」こそが仏教の真理を表すとします. 華厳経は現実世界も真理の世界も含めすべては無限縁起であると言い,「一即一切・一切即一」(全体の中に個があり個の中に全体がある)という世界観を説きます.

律宗は,戒律の研究と実践を中心とし,それによって成仏を目指します.

(2) 平安仏教

平安仏教の主なものに,弘法大師空海の真言宗と伝教大師最澄の天台宗とがあります.

密教に基づく真言宗は,煩悩を否定ではなく浄化することで仏と人間が一体となること(即身成仏)を説きます. 密教はヒンズー教との関わりから生まれた,伝統仏教の中では最後に生まれた仏教です.

天台宗は,法華経を根本とする思想を中心にしつつ,同時に密教,禅,戒律をも含み,思想と同時に「止観」などの実践行も重視され,回峰行,籠山行などの厳しい行もあります. さらに浄土教の要素も加わって総合仏教となり,鎌倉仏教の開祖のほとんどが比叡山に学んでいます.

(3)鎌倉仏教

鎌倉仏教には浄土系(浄土宗,浄土真宗など),禅宗(臨済宗,曹洞宗),日蓮宗などがあります.

浄土宗や浄土真宗は,人々を救えるのは従来の自力聖道(自力門)ではなく,仏の心を信じてひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えること(他力門)であると説きます. 念仏によって極楽浄土に往生し,そこ(末法の現世ではなく)で悟りを開くことを目指します. ただし浄土真宗では,むしろ信心に徹底し,信が定まれば浄土往生以前に現世で救いが成就するとします.

臨済宗と曹洞宗については,後述します.

日蓮の開いた日蓮宗(法華宗)は,法華経こそがお釈迦様のお悟りのすべてを表す唯一の正法であるとし,南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題を説きます. 唱題のみによって,老若男女僧俗貴賎などの区別なく,現世利益と後生菩提の両方が得られるとします.

禅宗について

禅は禅那の語に由来し,身心統一により自己の本性を徹見して悟ること(直指人心見性成仏)を目指します. また,その悟りは言葉では説明できないから経典に頼らず(不立文字),心から心へ直接伝わる(教外別伝)とします.

禅宗は唐代の中国で興り,日本には鎌倉時代に臨済宗と曹洞宗が,江戸時代に黄檗宗(実際には臨済宗の一派)が入りました.

臨済宗では修行を深める方法の一つとして,公案(禅問答)が活用されます.

一方,曹洞宗では只管打坐(ただ坐る)を重んじ,坐禅をすることがそのまま仏であると言います.

なお,江戸時代には,ひたすら尺八を吹いて修行(吹禅)する普化宗(いわゆる虚無僧)がありましたが,明治四年に廃宗となりました. 普化宗に関して特筆したいのは,檀家を持たず,葬儀などの仏事を一切しなかったことです.

(付記)私は以前,禅宗に対してむしろ小乗的なイメージを抱いていましたが,このレポートをまとめることで,これこそ「悟りは自分の根底にある」とする大乗仏教の本道ではないかと思えてきました.

参考文献

1) 日本仏教宗派のすべて,大法輪閣.
2) 中村元他:岩波仏教辞典第二版,岩波書店.