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縁起について

縁起とは,「因縁生起」の略であり,「すべての現象は諸々の条件(因)の相対的な依存関係(縁)の上に生起する」ということを指します. 縁起はこのような道理そのものを言うのであって,「縁起する個々の現象」を指すのではありませんから,「○○寺の縁起は・・・云々」というような言い回しは,本来の意味からは外れています.

縁起の考え方には,大別して二つの段階があります. 一つを「一般的縁起」と,もう一つを「価値的縁起」と呼ぶことにします.

一般的縁起は,自然界の現象を説明するもので,後述の価値的縁起を説明する枠組みとなります. ここでは,苦楽善悪などの価値は問題にしません. 一般的縁起はさらに,「時間的前後関係(継起関係)」と,「空間的関係(共起関係)」とに分類できます.

継起関係の縁起は,「これが生ずればそのことによってあれも生ずる・これが滅すればそのことによってあれも滅する」という,自然科学的な現象に普遍的に見いだされる法則(因果関係)を指していて,特に仏教独自の思想とは思えません.

一方,共起関係の「これが存在すればそのことによってあれも存在する・これが存在しなければそのことよってあれも存在しない」は,継起関係の縁起(因果関係)を厳密に適用した帰結として考えらるでしょう. つまり,いかなる現象も因があって起こった結果であるとすれば,ここにある二つの現象の各々の因を辿っていけば,必ず両方に共有される因が見つかるはずです. だから,二つの事象の存在は互いに調和・依存していると考えられます. さらに言えば,その一方が存在しなければ他方も存在しない,またそれ故に,あらゆる現象はそれ単独で存在するものではない,ということになります. なお,したがって,ここで言う縁起は,西洋の古典的な記号論理学で言う「含意」のような方向性を有していないと考えられます(記号論理学では,「AならばB」であっても「AでないならBでない」ではありません).

つぎに,価値的縁起は,一般的縁起を考え方の基礎として,それに人間の苦楽善悪浄穢凡聖などの(宗教的)価値の判断を加えたものです. 価値には一般に正の価値と負の価値(反価値)があり,それに対応して縁起も二つに分類し,負の価値を持つ縁起は「流転縁起」と呼ばれ,一方,正の価値を持つ縁起は「還滅(げんめつ)縁起」と呼ばれます.

この縁起(価値的縁起)の思想こそ,お釈迦様が菩提樹の木の下で見い出したと言われる仏教の根本的な思想であり,具体的には「十二縁起(あるいは十二因縁)」などとして説明されています.

十二縁起では,まず,「無明」があげられます. 無明とは真理についての智恵がなく,煩悩に満たされている状態を指します. その無明から一切の苦が縁起すると説かれます. これが流転縁起であり,凡夫はこの状態から抜け出せずにおり,それが「輪廻」でもあります. 逆に還滅縁起は,無明の消滅から一切の苦の消滅が縁起するということであり,これを「解脱」,また,解脱した状態を「涅槃」と呼びます.

ところで,十二縁起説で言う縁起とは,前述の一般的縁起に照らせば,単純な「継起的」縁起でしょうか,それとも「共起的」縁起なのででしょうか. それほど単純な関係であるとは思えませんから,恐らく後者であり,したがって十二縁起に示される各々の項目は,西洋の記号論理学における含意関係,つまり「風が吹けば桶屋が儲かる」式の関係にあるのではないと思います.

とすると,新たに疑問を感じます. 各々は互いに因となり果となり,あるいは各々の因同士を通して調和関係にあるというのが仏教における縁起の考え方ですから,ただ一つ「無明」を滅することだけを求めても,それから縁起する一切の苦を滅することができるわけではないのではないでしょうか. 無明は苦から縁起するとも言えるのですから.

私には,だから解脱を成し遂げるにはこの流転縁起を,まるごと,滅しさらねばならないのではないかと思えます.

参考文献

1) 水野弘元:仏のおしえ,「わかりやすい仏教用語辞典」所収,大法輪閣.
2) 末木剛博:因縁,「現代哲学事典」所収,講談社.
3) 今西順吉:因果II,同上.